第五十三話 アップルパイの思い出
アルバートとリエルの関係は幼馴染だ。
今では、険悪な関係だが昔から仲が悪かった訳ではなかった。小さい頃はよく一緒に遊んでいた。
しかし、彼はセリーナが好きだったし、セリーナの遊びに付き合う事も多かった。
セリーナの言うことは何でもよく聞いていたが、リエルに対しては、よく意地悪をしたり、からかわれていた。活発なアルバートと内気で引っ込み思案なリエル…。二人は正反対な性格だった。
年頃になるにつれて、徐々に遊ばなくなり、会話らしい会話も交わさなくなった。
そんな関係が出来上がってしまった頃に父親からアルバートとの婚約が持ち上がったのだ。
あの時は、平静を装ったが実は、内心でとても動揺していたのだ。
―お父様は何故…、お姉様だけでなく私を選んだのだろう…。
二人を見ればセリーナは見惚れる様な微笑みを浮かべ、アルバートはそれに笑い返している。
リエルと目が合った姉はフッと笑って優越感に満ちた表情でアルバートの腕に自分の腕を絡ませた。リエルは慌てて視線を逸らした。
そんなリエルをじっと見つめる人影がいた。艶やかな黒髪が特徴的な見目麗しい美青年だ。彼はじっと昏く陰った瞳でリエルに視線を注ぐ。そこには、明らかに敵意や憎悪の色が宿っていた。
「いい?私が合図をしたら…、やるのよ?」
女の赤い唇がニッと吊り上がる。
「あの女に痛い目を見せてあげるの。あの醜い片目を人目に晒してあげるのよ。そうすれば、あの女は今までにない屈辱と苦痛を味合わせられるわ。」
「あの女に…、屈辱と苦痛を…、」
女の言葉に黒髪の男はギュッと手を握り締めた。それは男の悲願だった。女は男に手を伸ばし、スルリ、と頬を撫で上げる。
「ええ。そう…。あの女にとって、片目を見られるのは絶望そのもの。…あなたと同じ苦しみをあの女にも味合わせることができるわ。」
女の甘い誘惑の言葉を思い出し、男は決意した。全てを失い、絶望した自分に残されたたった一つの悲願…。それはあの女に復讐することだった。男は一歩足を踏み出し、リエルに近付いた。
リエルは逃げるように二人の視界から立ち去ると、会場の隅に辿り着いた。
ふと軽食が並べられている数々の料理の中の一つ、アップルパイが目に映った。
アップルパイ…。それは、リエルにとって思い出のお菓子だった。かけがえのない親友との大切な思い出…。リエルは切なげに目を細めた。アップルパイを見ると、思い出す。あの子と出会ったあの日の出来事を…。
『お母様?…どこかな。』
母を探し求めて、屋敷内を歩いていると母の声が聞こえた。
―お母様…!
リエルは目を輝かせた。庭で摘んだ赤い薔薇を一本手に、少女は声を辿りに部屋に入ろうとするが、少しだけ扉が開けられていた。興味本位でその隙間を覗くと…、
『まあ!セリーナ。何て可愛らしい…。まるで天使のよう…。』
そこには、新しいドレスを着たセリーナを褒める母親の姿があった。侍女も口々に称賛の言葉を口にする。
リエルは母の表情を見た。あんな表情…。リエルは一度も向けられることがない。
いつも、リエルに向けられる表情は嫌悪で歪んでいた。
母があんな風に自分に笑いかけてくれたことは一度もなかった。思わず、ギュッと薔薇を握りしめる。
『そうだわ。セリーナ。せっかくだから、もっと可愛らしくしましょうね。さあ、この薔薇を…、』
丁度近くにあった贈り物の薔薇を手に取り、セリーナの髪に飾り付ける母。
リエルはそれを見て、絶句した。そこには、母を信奉する男性からの贈り物が山のように積もれていた。たくさんの薔薇もその一つだ。リエルは自分の手にある薔薇を見て、悲しくなった。
そして、部屋に入らず、駆け出した。そのまま屋敷の外へと飛び出す。
―あれじゃあ、駄目なんだ。お母様はこの薔薇じゃあ喜んでくれない。どうしたら…、どうしたら…、喜んでくれるのだろう。
リエルはがむしゃらに走った。行き先なんて別にない。それでも、走った。いつの間にか森の奥へと入り、どんどん先に行くにつれて、暗くなっていた。やがて、
「ここ…、どこだろう?」
気が付けば迷子になっていた。リエルは辺りを見回した。誰もいない。急に心細くなり、リエルは泣きそうになる。すると、
「わー!そこのお前!止まれ!止まれー!」
「!」
反射的に立ち止まるリエル。すると、リエルの前を野兎が現れた。そのまま通り過ぎるかと思えば、
「…え?」
兎が目の前でジタバタと暴れている。どうやら、罠にかかって身動きがとれないらしい。呆然とするリエルに声をかける人物がいた。
「悪い悪い。いやー。兎を追い込んだ所までは良かったけど、まさか人がいるなんてなー。大丈夫か?怪我してねえか?」
茂みから現れたのは、リエルと同じ年頃の子供だ。弓矢を手にし、粗末な服に帽子を被っている。猟師の子供だろうか。呆然とするリエルを子供は訝しげに見つめた。
「おい。どうかしたのか?」
「だ、大丈夫です!」
リエルは慌てて答えた。
「ん?お前、見かけない顔だな。村の人間じゃないよな?それに、その格好…。あ、もしかして…、お前って、貴族様なの?」
「ええと…。」
「すっげえ!オレ、貴族のお嬢様なんて初めて見たー。金髪じゃないけど本当にお姫様みたいだ!」
「…。」
リエルはどう反応すればいいか分からず、戸惑った。
「絵本で読んだ通りだな。リボンやレースがついて、キラキラしてる…。なあなあ!ちょっと触ってみてもいいか?…うわー。麻と違って全然ゴワゴワしてない。すべすべだー。」
答える間もなく、ドレスの布を触って子供は目をキラキラさせている。リエルは不思議な気持ちになる。
リエルは名を明かし、道を訊ねた。すると、人懐っこい子供は道案内をしてくれた。
「へえー。お前、あのお城に住んでいるのか。ああ。いいぜ。案内してやるから来いよ!」
その間も二人はお互いのことを話した。森を抜け、屋敷が見える所に着いた時には人見知りのリエルはすっかり子供と打ち解けていた。
「次からは、気をつけろよ。」
「うん。本当にありがとう。あ、そうだ。これ、あげる。」
リエルは何かお礼をと思って、胸元につけていたブローチを渡した。
「え?いいのか?こんな綺麗な石のついたブローチ。」
「うん。案内してくれたお礼だよ。良かったら、貰って。」
「すっげー嬉しい!帰ったら、母さんに見せてやろうっと!」
キラキラと瞳を輝かせ、飛び上がらんばかりに喜ぶ姿にリエルは微笑んだ。夕日に照らして反射するブローチを掲げて、子供ははしゃいだ声を上げた。黄色い光を放つ石の輝きと同じ瞳を持つ子供にそのブローチはよく似合っていた。全身で喜びを表す姿にリエルも嬉しくて思わず笑顔になった。
「…そうだ。リエル。俺はお前みたいにキラキラした物は持ってねえけど代わりにこれ、やるよ!」
そう言って、子供は林檎を差し出した。
「熟したばかりのなんだ。出会った記念にやるよ。これ!」
「…ありがとう。」
リエルは大切そうに林檎を両手で包み込んだ。とても、心が温かい気持ちになった。それがリエルにとって初めての親友との出会いだった。
―あの林檎は甘くて、美味しかったな。
リエルは林檎の果実酒を飲みながら、子供の頃を思い出していた。
森で出会ったのがきっかけでリエルは子供と仲良くなり、親友になった。あれから、屋敷を抜け出しては遅くまで遊んだものだ。平民と貴族…。そんなのは関係なく、ただの友達として楽しく同じ時を過ごしていた。リエルは友達からたくさんの事を学んだ。平民の遊びや薬草の探し方、獲物を仕留めるための罠の掛け方、木登りや泳ぎのコツに町での買い物…。どれも知らない世界ばかりで新鮮だった。平民がどんな生活をしているのかも知ることができた。時にはルイやアルバートも誘い、親友の弟とも遊んだ。親友の母親が作ってくれたお菓子をご馳走になったこともある。思えばそれがきっかけでリエルは菓子作りに興味を持ったのだ。ずっとこんな幸せが続くと思っていた。…あの時までは。リエルはギュッと腕を抑えた。思わず視線を伏せると、
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