第五十話 三人の男の密談
「姉上!ご無事ですか!?」
バン!と扉を乱暴に開けた弟の姿にリエルは顔を上げた。
ルイはリエルに駆け寄るとそのまま抱き着いた。
「姉上!お怪我は?」
「だ、大丈夫。アルバート様が助けてくれたおかげで無事だよ。」
「もし、姉上に何かあったらと思うと僕は生きた心地がしませんでした。姉上の姿を見失ってどれだけ焦ったことか…、」
「ごめんね。ルイ。まさか、リーリア嬢があそこでまで手の込んだ罠を仕掛けるとは思わなくて…、」
「一体、何があったのです?」
「ヴィッツェーリ伯爵家の嫡男に声をかけられたの。初対面だったけど、バルト卿のことを持ち出されて…、それで…、」
「バルト卿…。成程。それでは姉上が騙されるのも無理はありません。」
ルイは暫くリエルに抱き着いていたがギロリ、と床に転がった男を睨みつけた。
「ヴィッツェーリ伯爵家の嫡男、レイフ…。」
忌々し気に呟いたその声はぞっとする程低く、殺気に満ちていた。
「ご安心を。姉上。この男には、死よりも苦しい罰をその身に味合わせてやりますので。」
次の瞬間には、笑顔でそう言う弟の背後からは黒いオーラが立ち上っているかのようだった。
「え、でも…、彼はさっきアルバート様が十分に…、」
痛めつけたからもういいのでは、とリエルは思ったが
「まさか、たかが顔の原型を留めない程に痛めつけただけで終わりにすると?姉上は何て慈悲深い。ですが、それだけでは駄目です。こういった輩に優しさなど不要。
しかも、こいつは五大貴族に手を出したのです。到底許される行為ではない。
廃嫡と爵位剥奪、財産と領地の没収に一族郎党根絶やしにしても足りない所で、」
「る、ルイ!幾ら何でもそれはやりすぎ!それに、未遂だったのだし…、」
「未遂なら、その行為が許されると?冗談ではない!姉上に手を出すことがどれだけ罪深いか思い知らせてやる!二度とそんな真似ができないよう男の機能も奪って…!」
「旦那様。落ち着いて下さい。今はお嬢様の身支度を整えるのが最優先です。」
激情を露にし、過激な言葉を口にするルイを宥めた執事はリエルを別室に案内した。
替えのドレスを用意してくれたらしい。リエルは別室に入り、用意されたドレスを手に取った。
エメラルドグリーンの光沢のあるドレスだ。その上品で深い色合いにリエルは思わず感嘆の溜息を吐いた。
肩口にリボンとフリルがついており、スカートの裾には蔓の形をした金色の刺繍が縫いつけられている。
―こんな綺麗なドレス着てもいいのかな?
「お嬢様。さあ、早速着替えを致しましょう。」
リヒターが手配してくれた王宮の侍女が微笑んでリエルに着替えを促した。
アルバートが他の騎士に二人の罪人を牢屋に連れて行くよう命じ、彼はルイとリヒターが待機している部屋に戻った。
「遅かったですね。」
紅茶を飲みながらルイはアルバートに冷ややかにそう言った。
「…あいつらの対応をどうするかを指示していたんだ。何処に敵がいるか分からないからな。厳重な監視下の牢に投獄するよう命じておいた。」
「賢明な判断です。」
ルイはそう言い、カップをソーサーに戻した。リヒターは黙ったままルイの傍に控えている。
「…一応、礼は言っておきましょう。姉上を助けて下さり、感謝しますよ。」
見るからに渋々といった感じで口を開いたルイにアルバートは
「お前、それで礼のつもりか。」
「君のような最低な屑男に礼を述べるなど僕にとっては屈辱でしかありません。けれど、義理は果たさないといけませんから。…ですが、これで許されると思わないことだ。僕はあなたが昔も今も大っ嫌いだ。」
そう言って、鋭く睨みつけるルイにアルバートは正面から視線を受け止め、
「…分かっている。」
静かに頷いた。
「さて…、お嬢様が戻ってくる前に本題に移りましょうか。アルバート。あなたも気付いているのでしょ
う?これがただのリーリア嬢単独の行動ではないことに。」
「…ああ。」
アルバートは頷いた。
「あいつは、確かにリエルを目の敵にしていた。
理由は分からないが五大貴族の地位を嫉妬してのことかもな。
あいつは強かで男を使うのが上手いがそれでもあんな女にしてやられる程、リエルは馬鹿じゃない。
リーリア絡みで呼び出されればあいつは絶対について行かなかった。幾ら貴族子息に人気があるからといっても、あっちは男爵家、リエルは伯爵家だ。本来なら、近づくのも許されない身分差がある。
リエルが拒否すればあいつは近づくことはできない。だから、あいつは自分の名前は出さずに取り巻きの男を使ったんだ。同じ伯爵家の男をな。でも、それならリエルは勘づく筈だ。あんな風にリーリアに絡まれた後で初対面の男が自分に近付けば何かあると。こう言っては何だがリーリアにはあそこまで手の込んだ罠を張るほどの手腕はない。それに、あのレイフとかいう男はバルト卿の名前を出していた。バルト卿はお前ら五大貴族に楯突くほどの無謀な馬鹿なのか?」
「いいえ。バルト卿は旦那様の恐ろしさもお嬢様への溺愛ぶりもよくご存じです。お嬢様に危害を加えれば自分の首ばかりかお家断絶の危機に晒されることも十分に理解されております。何せ、お嬢様が挨拶しただけで緊張のあまり、真っ青になり、粗相を仕出かさないよう注意していたご様子でしたから。」
「つまり、バルト卿はルイが怖くてリエルには満足に挨拶もできないのか。」
「その様ですね。旦那様がバルト卿の紹介してくれた画家の腕が気に入った様子でしたので珍しく礼を言おうと彼を招いたが着いた早々、土下座をした位でしたから。何を勘違いしたのか叱責をされると思い込んだようで。」
「…お前、一体何をしたんだよ。」
「人聞きの悪いことを言わないで下さい。あの男が勝手に僕の噂を聞いて真に受け、怖がっていただけです。」
「あの噂、大半は事実じゃないか。」
アルバートは平然と紅茶を飲むルイを呆れた目で見やり、
「…まあ、バルト卿がそのレイフやリーリアの企みに加担していた線はないだろう。多分、バルト卿は勝手に名前を使われて巻き込まれただけだ。間違っても、報復対象にはするなよ?」
「失礼な。僕がバルト卿を報復するとでも?さすがに無関係の人間に手は出しませんよ。そこまで僕は鬼畜じゃありません。」
「…。」
「何ですか?その目は。」
嘘つけ、とでも言いたげな目をしたアルバートにルイはじろりと睨みつけた。
「そうなると…、自然にもう一つの可能性が浮かびますね。」
「ああ。」
リヒターの言葉にアルバートは頷いた。
「相手はリエルを誘き出す手段も知っていて、かつフォルネーゼ家の人間しか知らない内情を知っている人間だ。つまり…、内通者ということになる。」
「お嬢様を憎み、陥れようとまで企む人間など一人しかいません。そうでしょう?旦那様。」
「母上か…。」
ルイは静かにぽつりと呟いた。それが逆に恐ろしさを増した。




