第四十一話 リーリアの敵意
バサリ、と扇を広げてそれを口の前に持って行くと、リエルは言った。
「リーリア嬢。一つ、忠告いたします。…口の利き方にはお気をつけなさい。」
「ひ、酷いです!あたしが元は平民だからってそんな言い方…!」
「…あなたが平民だからという理由で言ったのではありません。
私はあなた自身に言ったのですよ。リーリア・ド・ブロウ。」
リエルはパチン、と扇を閉じた。
「平民だろうと貴族だろうと関係ありません。
あなたがこの場にふさわしい立ち振る舞いをすれば私は何も言わなかった。
ですが、あなたの態度は褒められたものではありません。」
「だから、それが差別だって言うんです!そんなに五大貴族って偉いんですか!?
生まれも育ちも関係ありません。平民も貴族も同じ人間です。」
「…そうですね。確かに…、その通りです。でも…、同じ人間でも私達貴族は彼らとは違う役割がある。
リーリア嬢。あなたが着ているドレス、宝石、その髪飾り、靴は全て民の血税から賄われている。
それをご存知ですか?」
「あ、当たり前です!あたしだって、元は平民だったんですから。
領民の気持ちはあたしが一番よく分かっています!」
「それを分かっているのなら…、どうしてあなたは今、この場に立っているのです?」
「え?」
リエルの言葉の意味が分からずにリーリアは目を瞬いた。
「あなたはブロウ男爵令嬢として、この夜会に赴いた。違いますか?
それとも、あなたは平民としてこの夜会に参加されたと?」
リーリアはムッとした表情を浮かべ、胸に手を置くと毅然とした態度で言った。
「決まっています!あたしはブロウ男爵家の娘です。
元は平民でも半分は父、ブロウ男爵の血を受け継いでいます!何なんですか?
いきなり、不躾にそんな事聞いたりしてきて…、」
「失礼しました。あなたの言動から男爵家の娘として参加されたのか平民として参加されたのか分からなかったものでして。ちゃんとご自分の立場をご理解しているようで安心しました。」
「そ、そうやって馬鹿にして…!あたしが平民だからって男爵令嬢だからって…!」
「いつまで平民気取りでいるつもりです?リーリア嬢。」
彼女の言葉に被せるようにリエルは言い放った。
「リーリア嬢。
あなたの出自は平民かもしれない。
けれど、半分は貴族の血が入っている。
以前は平民として暮らしていたかもしれませんがここに立っている時点で…、いいえ。ブロウ男爵の家門を名乗ったその瞬間からあなたは貴族の仲間入りを果たした。
あなたはもう男爵令嬢としての責任を担っている。
もう今までのようにはいかないのです。
あなたはブロウ男爵令嬢の一人娘、リーリア・ド・ブロウとして生きていかなければならない。
平民ではなく、貴族としての自覚をお持ちなさい。
私はあなたの生まれを否定しているだけではない。
ただ、この世界で生きていくと決めたのなら、庶民の感覚は忘れた方がいいでしょう。
…ですが、使い方しだいによってはそれはあなたの武器となる。‥それをよく考えて、」
リエルがそこまで言いかけると、ふと誰かの気配を感じた。
何気なく視線をやればそこにはアルバートが立っていた。
「…何をしている。」
「アル、バート様…。」
リエルは目を見開いた。
思わず、彼の視線から目を逸らした。
彼と会うのはあの時以来だ。
平静を装うがやはり、気まずいものがある。
「リエ、「アルバート様!」
アルバートがリエルに話しかけようとするがそれを遮るようにリーリアが彼に抱きついた。
うるうると今にも涙が零れそうな位に瞳を潤ませ、リーリアは今にも泣き出しそうな表情を浮かべた。
「アルバート様…。私、私はただ…、リエル様にご挨拶しただけなのに…、」
この場面だけを見たら、明らかにリエルが悪者である。
まるでリエルがリーリアに何か酷いことを言って彼女を傷つけたかのように見える事だろう。
リヒターの忠告がよく分かった。
リエルはリーリアと話すべきではなかった。
彼女に話しかけらた時点で適当に口実をつけてその場から立ち去ればよかったのだ。
リーリアがルイに近付くためにリエルに取り入ろうとしたのか最初からこうして、罠に嵌めるつもりだったのかは知らないがどちらにしろ、リエルにとってはいい迷惑である。
このままだと、リエルは身分の低い男爵令嬢を虐めた伯爵令嬢として周知される。
それだけは避けたかった。
どうするべきかリエルが考えていると、
「リーリア。」
アルバートはそっとリーリアに触れると、自分の身体から引き離し、
「大丈夫だ。リーリア。泣くことはない。」
「アルバート様…!」
力強い言葉にリーリアは両手を握り締め、縋るように見上げた。
リエルはグッと手を握り絞めた。
彼は私を責めるつもりなのだ。
何故、リーリアが泣いているのだと。
大丈夫。
何も臆することはない。
私は彼女に危害など加えていない。
ただ、注意をしただけなのだから。
毅然とした態度を貫かないと。
少しでも動揺を見せたら、やましいことがあるのだと誤解を招きかねない。
そんな思いでいるリエルだったが…、
「リエルはお前が思っているような令嬢ではない。だから、怖がらなくていい。」
「え…?」
リーリアは驚いた様子だったがリエルも同様だった。
―アルバート?
「こいつは虐めや陰口は絶対にしない女だ。
それは、俺が保証する。
きっと、誤解があったんだろう。
こいつは生粋の貴族令嬢だから礼儀作法やルールに人一倍敏感なんだ。
それを注意しただけで別にリーリアを傷つけるために言ったんじゃない。だから…、」
「誤解なんかじゃありません!あたし、本当に酷いことを言われたのに…!」
「…例えば?」
「あたしに貴族としての自覚を持てとか、半分は平民の血が入っているとか…、事あるごとに身分の事を口にしてきて…!」
確かに言った。
だが、自分は半分は貴族の血も入っていると言ったし、別に出自や身分は否定しないとも言った筈だ。
悪い所だけ強調して言うとは随分と都合がいい頭をしている。
「別に間違っていないだろう。」
リーリアは目を見開いた。
「リーリアに半分平民の血が入っているのは事実だし、貴族としての自覚もお前を思っての発言だ。
それに、リエルは昔から身分や地位にはこだわらない女だ。孤児だろうが下級貴族の女だろうが平民だろうが実力があれば誰でも迎え入れた。
実際、こいつの護衛や使用人の多くはそういった生まれの人間が多い。
リーリア。お前は今までも身分や血筋の事で他の令嬢から嫌味や陰口を叩かれていたからそれで自分が悪く言われたのだと思い込んだんだろう。
別にリーリアを侮辱したつもりで言ったんじゃない。」
「なっ…!本気で…、言っているんですか?
アルバート様。あたし、あたしが一体どれだけ…、」
尚も言い募ろうとするリーリアだったが
「これはこれは…。ライラックの瞳のお嬢さん。
また、こうしてお会いできるなんて光栄です。勇敢で心優しいレディ。」
甘い美声に振り返ればそこには、黄薔薇騎士サミュエルが立っていた。
そのままリエルの手を取り、チュッと口づける。
「ラベンダー色のドレスが瞳と合ってとてもよく似合っております。
勿論、あの時の上品な青いワンピースもよく似合っていましたが。」
サミュエルはリエルがあの時、街で会った娘と同一人物だと気が付いていた様だった。
この分だと、リエルが五大貴族の娘であることも知っているのだろう。
あの街でただ一度会っただけなのに着た服の色をよく覚えているなとリエルは感心する。
「サミュエル様。お久しぶりでございます。」
「あなたに会えない間は私の心の泉は枯れ果ててしまいそうでした。
ですが、今あなたに会って私の泉は…、」
「おい。サミュエル。」
不機嫌を露にしたアルバートの声にサミュエルは
「何だい。アルバート。
私とレディの会話を邪魔しないでくれないか。 私はこれから、レディにダンスの申し込みをする所だったのに。ああ。それとも…、」
サミュエルは意味ありげに微笑むと、
「君もダンスの申し込みをしようとしていたのかな?」
「なっ…!そんな訳あるか!
大体、お前こいつのダンスの下手さを知らないのか!
ステップは下手だし、人の足を踏みつけるし、最悪だぞ!」
「…。」
リエルは俯いた。確かにリエルはダンスが下手だ。
でも、そんなにはっきりと言わなくてもいいのに…。
自分がダンスの才能がない事位分かっている。
だが、分かっているからこそ気にしており、リエルは傷ついた。
そういえば、昔アルバートとダンスの練習をした時、リエルは彼の足を何回も踏みつけ、挙句の果てにはステップを踏み間違えて転んでしまった。
アルバートには散々、怒鳴られ、リエルは何度も謝った。
もしかして、あの事をまだ根に持っているのだろうか。
「何を言っているんだい。それは、ただ単に男性のリードが下手くそだからだろう?」
サミュエルは呆れたように言った。
リエルはびっくりして顔を上げた。
アルバートと練習して、失敗ばかりするリエルにサミュエルと同じ言葉をリヒターが言ったことがあったからだ。
心なしか空気が固まった気がする。
「女性の苦手な部分をカバーし、リードするのが男性の役目だろうに。
それができなかったから、相手の女性のせいにしただけだろう。全く、呆れたことだよ。」
「…俺のリードが下手だって言いたいのか。」
ギロリ、と睨みつけるアルバートの視線にサミュエルは余裕気な微笑みを崩さない。
何だろう。この人、リヒターに似ている。
リエルはそう思った。
「いやいや。そんな事は言ってないよ。ただ、君にリエル嬢のダンスのお相手は荷が重すぎるんじゃないかと…、」
「同じ事だ!…もういい!お前なんかと喋っても疲れるだけだ。
そもそも、俺はリエルなんかと踊るつもりなんか一切ない!
そんな地味で可愛げのない女がいいなら好きにしろ。」
そう言って、アルバートはリーリアを連れて立ち去って行った。
リエルは黙ってアルバートの背を見送った。
だから、気が付かなかった。
リーリアがリエルを睨みつけていることに。




