第三話 お嬢様もまだまだ甘いですね
ルイ・フォルネーゼが当主になってからというもの、フォルネーゼ家は前当主以上に繁栄を増している。父の意思を継いだルイが積極的に事業の取り組みをしたからだ。
ガラス細工や、ハーブの育成、香水、化粧品などを発売し、それが幅広い人気を得たのだ。
貴族界でも人気が高く、そのために国内での需要が高まり、領地を潤す結果となった。
領民の間では慈善事業にも力を入れ、孤児院や病院の福祉に積極的であり、裏街の対応や職のない者に職業を紹介する機関を作るなど数多くの所業に尽力している。
そんな少年領主に領民の間では良き領主として慕われていた。
しかし、その反面で貴族界の社会ではフォルネーゼ伯爵は天使の皮を被った悪魔、冷血伯爵、血も涙もない少年などと呼ばれている。
だが、彼は姉リエルの前でだけは無邪気で愛らしい少年そのものだ。
いつもは十八歳という年齢に不似合いな程、大人びいた印象を与えるがリエルといる時だけは年相応に甘えることもある。
「…ルイ?眠ってしまったのね…。」
膝の上に頭を乗せた弟のあどけない寝顔にリエルは微笑んだ。
長椅子に座っていたリエルは弟の前髪をそっと掻き上げた。
「お嬢様。」
入室してきたのは燕尾服を着た一人の執事だった。
「リヒター?何か御用?」
「はい。以前、お嬢様が発案された薔薇公園の改装の件についてですが…、その確認をお願いします。」
リヒターから書類を受け取り、リエルはその内容を確認した。続けてリヒターは言った。
「青薔薇の開発が完成しましたので薔薇公園にもそれを導入させる形で…、」
リヒターの言葉にリエルは頷いた。
誰も知らない。
表向きはフォルネーゼ家の事業や領地経営やその改革はルイとそれを支える当家に仕える優秀な執事長や傍付きなどの使用人達であると認識されている。
一方、リエルは大貴族の娘でありながらも社交界嫌いの平凡な娘だと認識されている。
しかし、実際はリエルもルイと共に領地経営に関わりを持つ一人だ。
慈善事業の取り組みの一部はリエルが発案したものが多い。
だが、リエルは表舞台に立つことをよしとせずにその事実を伏せた。
そのために人々はそれが伯爵の発案によるものだと思っていた。
なので、真相はルイと一部の使用人しか知らなかった。今回の薔薇公園の件もリエルが進めた発案だ。
フォルネーゼ家の庭園は国中でも素晴らしいと評判だ。特に薔薇園の美しさは王立薔薇園にも負けない程だといわれている。昔から、青薔薇の開発が行われてきたが成功した試しはなかった。
しかし、つい最近になり、漸く青薔薇の開発が成功したのだ。
薔薇園はリエルが管轄し、長年の研究の成果を得た上に青薔薇の開発を成功させたのである。
王宮に青薔薇を献上した後はこれを機に薔薇公園を設立してはどうかとリエルはルイに提案した。
青い薔薇と他の品種の薔薇や様々な季節の花を植え、貴族だけでなく市民でも誰でも出入りできる庭園を設立することで領地の知名度は上がる。
何よりも伯爵家の美しい薔薇を庭園だけに留めておくのはあまりにも勿体無い。
せっかくだから領民にも見てもらいたい。そんな思いがあったからだ。
亡き父が愛したこの土地と民の者達…、だからこそ、リエルは伯爵家の為に力になりたいと常日頃願っていた。
青薔薇は亡き父が成し遂げたい夢の一つでもあった。
それが達成でき、リエルは嬉しい気持ちで一杯だった。
不備がないかを確認し、承認の意を示したリエルは執事にそれを伝えた。
「嬉しそうでございますね。お嬢様。」
「それは勿論。…お父様が生きている間でなかったのは悲しいけれど今度、父様に花を手向けに行く時にはよい報告ができるから。」
「亡き旦那様もお喜びになられるでしょうね。それにしても、坊ちゃまは随分とぐっすりと眠っていらっしゃいますね。」
「リヒター。今は旦那様よ。ルイは子供扱いされるのを嫌うことを知っているでしょう?」
「失礼いたしました。旦那様が愛らしくてつい。」
「気持ちは分かるけど…、」
リエルは弟の顔を見下ろした。
「疲れているのね…。ルイも…。
本来ならばまだまだ遊び盛りの年頃なのに…。」
リエルはふとお茶会でのルイの言葉を思い出した。
「ルイは…、まだ女性に対して…、」
「そうですね。無理もありません。ですが、その理由はお嬢様が一番よくご存知でしょう?」
リエルは答えない。それは肯定の意味を表していた。
「そういえば、以前、見合いをしたというご令嬢の件ですが…、」
リヒターは眼鏡を押し上げながら答えた。
「ご令嬢との縁談をお断りした理由をご存知ですか?」
「いいえ。詳しくはあまり…、ただルイの理想と違ったとか?」
「それもあります。元々、旦那様はあの縁談に気乗りではありませんでしたし、元々お断りするつもりだったそうです。」
「そうなの?」
「ですが…、あのご令嬢は旦那様の逆鱗に触れたのです。」
「一体何が…、」
「簡潔に言ってしまえばお嬢様を貶めるような物言いをなさったそうで。
それと同時に令嬢の家の援助金も打ち切りになさったそうですよ。」
「えっ…?」
紅茶を淹れ始めるリヒターの言葉にリエルは驚いた。
「旦那様のご気性はよくお分かりでしょう?
以前の舞踏会でもあなたを『フォルネーゼ家の恥知らず』と侮辱したとあるご令嬢の良縁を旦那様が婚約破棄へと追い込み、ご令嬢より格下の家柄の貴族男性の元へと嫁がせたそうで。」
「何ですって?
まさか…、ベルニア嬢のことですか?」
リエルは思い出した。確かに以前の舞踏会でそんな事があった。
人気のない所でベルニアとその取り巻きに絡まれ、ワインをかけられたのだ。
そのおかげで退席し、苦手な舞踏会を早々に切り上げることができたのでリエルは気にも留めていなかった。当然ルイは知らない筈だ。
「リヒター!あなたが…!」
「お静かに。旦那様はお休み中です。」
「っ…、」
リヒターの言葉にリエルは口をつぐんだ。
「リヒター…。どうして、ルイに話したの?」
執事はその問いには答えず、笑みを深めた。
「何故、そんな真似を?
私は…、そんな事望んでいませんよ。そもそも、私は彼女たちの言うことを気にしては…、」
「気にしていないと?…嘘はいけませんよ。お嬢様。」
突然、目の前に影が差した。リヒターが目の前に立っていた。
「令嬢とは名ばかりの性悪女どものいわれのない中傷にあなたは少なからず傷ついていた。違いますか?」
「それは…、」
「お嬢様の詭弁さなら彼女を言い負かすなど容易なことでしょう。なのに、あなたは何の反論もしなかった。ただ人形のように黙っていただけです。」
「…。」
「あんな下等な人種の言葉に耳を貸すとは…。お嬢様もまだまだ甘いですね。」
「リヒター…。相変わらずあなたは厳しいのですね。」
目の前の執事リヒターは艶やかな黒髪に片眼鏡をした怜悧な美貌を持つ男性だ。
が、その美貌とは裏腹にその性根は腹黒であることを知っているリエルは苦笑した。
例のベルニア嬢達に絡まれた際にワインをかけられても無反応のリエルに切れた彼女たちに扇で叩かれそうになったがリヒターが現れ、事なきを得た出来事を思い出した。
リヒターの美貌とその甘い口調に令嬢たちは見惚れていたがこの本性を知ればたちまちそんなときめきも木っ端微塵に砕けてしまうだろうと思った。
「他の者の言葉など気になさる必要はありませんよ。耳障りな虫の羽音と同じですから。」
続く毒舌な言葉にリエルは思わず笑ってしまった。そして、言った。
「ありがとう。リヒター。でも、私は大丈夫よ。
だって…、私にはルイとあなた達がいる。
あなた達が私を理解してくれている。
それだけで十分よ。だから、もうそんな事はしないで。幾ら何でも婚約破棄にまで追い込むのはやりすぎだわ。」
「心得ておきます。」
執事は丁寧にお辞儀をし、リエルに紅茶を差し出した。それを受け取り、リエルは紅茶に口をつけた。
件の令嬢には気の毒なことをした。
事前に分かっていれば手も打てたが既に婚姻を済ませてしまったのだ。
過ぎてしまったことは仕方ない。
それに、こういっては失礼だが退屈しのぎに人に暴言を吐き、令嬢らしからぬ行動をした彼女にも非はある。
きっと、これを教訓に慎ましくするという行動を覚えることだろう。
「ああ。そうでした。お嬢様には、もう一つだけお伝えすることがございます。」
「私に?」
「ええ。実は…、少々面倒な事態になりまして…、」
その後のリヒターの言葉にリエルは思わず紅茶のカップを落としかける程だった。