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第二十六話 誰にも見せたくない

「リエル。」


不意にセイアスはカップをソーサーに置くと、名を呼んだ。

返事をして顔を上げればセイアスは口を開いた。


「確かあなたは…、読書が好きだと聞いているが…、異国の物が好きだとも言っていたな?」


「え、ええ…。」


「ならば、ここの図書室には、本が多くある。よければ、覗いてみるか?」


立ち上がって、手を差し出すセイアスにリエルは顔を輝かせた。

そして、迷わずその手を取った。


「わあ…!」


本棚に並ぶたくさんの本にリエルは目を輝かせた。

哲学や経済書の本を手に取るリエルを見て、やはり、変わっているなとセイアスは思った。

普通の貴族令嬢はそんな難しい本は読まない。


「珍しい鳥…。ここの国では見ない鳥ですね。」


異国の鳥の図鑑を読み始めるリエル。

リエルは、年頃の割には穏やかで落ち着いている為に雰囲気が大人びいているがこうして見ると、年相応の娘の様だ。

ばかりか、少しだけ子供っぽく見える。

セイアスは興味深げにリエルを観察していた。

異性や恋愛事情に疎いリエルをときめかせることができる貴重な一つが、本である。

まるで、異性に熱を上げる娘のように楽しそうにはしゃいでいる。


「キャッ!?」


リエルは綺麗な挿絵に引かれて、詩集の本を取り出そうとした。

その本を引き出した拍子に上から本が落ちてきた。

その一つの本の角がリエルの眼帯に思いっきり当たった。

その激痛にリエルは片眼を抑えた。


「っ…!」


「リエル!大丈夫か?」


痛みに耐えるリエルにセイアスは駆け寄った。

答える余裕がないのかリエルは必死に唇を噛み締め、苦痛の表情を浮かべている。


「痛むのか?一度眼帯を外して…、」


状態を確認するために眼帯を外そうと手を伸ばしたセイアスの手をリエルは振り払った。

乾いた音を立て、セイアスは手を叩かれた。


「!…リエル?」


「だ、だい、大丈夫、です…。ご心配なさらず。すぐに…、おさまりますので…。」


片眼を抑え、そう言い張る姿は、今までの冷静なリエルの姿とは異なり、必死の表情を浮かべている。

まるで片眼を見られまいと守っているかの様だった。


が、すぐに落ち着きを取り戻したリエルは言った。


「これは…、昔事故に遭って…、片眼を失ってしまったのです。これを外すと…、あの事故の日を思い出してしまうので…、人前では外さないようにしているのです。」


あの事故の傷跡を誰にも見られたくないのだとリエルは言った。


「それは…、配慮が足らず、済まなかった。」


「いいえ。こちらこそ、叩いてしまって申し訳ありません。」


リエルはそう言って、笑みを浮かべた。


「…あ、私…、そろそろ帰らなければ。セイアス様。楽しいひと時をありがとうございました。これで、失礼させて頂きます。」


お辞儀をし、リエルはセイアスと別れた。

古い傷跡が痛むのを感じつつ、リエルは帰途の道を急いだ。



「あ、お嬢様!お帰りなさいませ!…?お嬢様?」


出迎えたメリルの横を通り過ぎ、そのまま自室のベッドに倒れ込んだ。

荒い息を吐くリエル。


―苦しい。息が…。もう二年も前のことなのに…。あれは、未だに私を苦しめる…。一体いつになったら、この呪縛は私から解き放ってくれるのだろう。


リエルは手汗でべっとりし、震えた手を押さえつけた。

あの時の絶望と恐怖が身体に染み付いているのだ。

まだズキズキと痛む片眼に手をやった。

そっと眼帯を取り外した。

起き上がり、おぼつかない足取りで鏡台の鏡に映る自分の顔を見る。

髪を掻き上げると、そこには醜い傷跡があった。

以前、この傷跡を見た母はリエルの顔を見て、化け物、と叫んでいた。


「化け物…。か…。」


確かに化け物のようだ。

リエルは鏡に映る自分の姿に自嘲した。

こんな醜い顔などとても人に見せられない。

あの頃…、二年前の事故直後、リエルは酷く荒れていた。

リヒター達も手を焼いただろう。


ぼんやりと空を眺めていたと思えば鏡に映る自分の顔を見て、リエルは鏡を叩き割り、部屋中の物を散らかした。

毎夜、悪夢に苛まれ、眠れぬ夜を過ごした日も少なくない。

今では随分と落ち着いたが未だにリエルの中であの日は、忘れられない。


既に傷を負ってしまったのは、仕方がないことだ。

むしろ、片眼だけで済んで不幸中の幸いだといえる。あの時は、命を落としてもおかしくなかった。

それに、両眼を失ってしまっていたかもしれない。

だからといって、リエルはこの傷を人目に晒す程に心が強くはない。

誰にもこの傷は見られたくなかった。

誰にも見せたくなかった。

人に嫌悪の目で、見られたくなかったのだ。


だから、リエルはこの眼帯の下を人前で見せたことはない。

見せるのは弟や気の許せる使用人の前だけだ。

これを人に見られると考えるだけでリエルは恐ろしさに身が震えた。


いつもの自分ではいられなくなる。

冷静でいられなくなってしまう。

リエルにとって、この片眼は唯一の弱点だった。


―こんな醜い傷跡を見れば…、どんな人も拒むに決まっている。


リエルはとうに結婚を諦めていた。

片眼の己を愛してくれる男性がいる筈がないと思っていた。

そんな酔狂な男がいたら、是非お目に掛かってみたいとリエルは乾いた笑いを浮かべた。


そこには、愛を諦め、悲しい微笑を浮かべた弱々しい少女の姿があった。


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