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第二十四話 この勝負、わたしの勝ちです

「今頃、姉上は薔薇園か…。」


ルイは書類に目を通しながら呟いた。


最近、貴族の間では青薔薇騎士と姉の噂が囁かれている。

凡庸で落ちこぼれの姉が母と姉への嫉妬から身の程知らずにも青薔薇騎士に近づき、略奪しようとしていると。

実際は青薔薇騎士がリエルに近づいているのだが。


ルイは青薔薇騎士の派手な女性関係を知っていた。

何を企んでいるか知らないが大事な姉にあんな爛れた女性関係を持つ男はふさわしくない。

さっさと排除するべきだと考えていたのに何故か姉は青薔薇騎士の接近を許した。

むしろ、関わりを持とうとした。

反対するルイに姉は優しく諭した。


「ルイ。あなたの言いたいことは分かるわ。青薔薇騎士は貴婦人の火遊びをして、異性のトラブルが絶えない方…。だから、私が彼に近づいたら傷つくだろうからと心配してくれているのでしょう?」


「姉上。そこまで、分かっているのならどうして…!?」


「旦那様。心配しなくても、お嬢様は薔薇騎士というステータスにもあの美貌にも惑わされたりしませんよ。お嬢様が青薔薇騎士と接点を持とうとしているのは彼の思惑を探る為。そうでしょう?」


リヒターが紅茶を淹れながらリエルに問い返した。 リエルは頷いた。


「ええ。私は別にただの色恋だとか興味本位で彼と接点を持とうとはしていないの。考えてみて。お母様の愛人と噂されているあの青薔薇騎士がどうして、私に近づいたのだと思う?何か理由があるのだと考えられない?」


「どんな理由でも碌なものではありません」


「もしくは、お嬢様を利用しようとしているかもしれませんね。お嬢様から何かの情報を引き出そうとしているのではないかと。」


「その通りよ。彼の表情を見れば分かる。あれは、恋の駆け引きをしようとする人の目ではない。でも、だったら私はそれを逆手にとる。」


「姉上?それは、つまり…、」


「あちらが利用するつもりなら、私も向こうを利用するの。一体、どんな思惑で私に近付き、何が狙いなのか。彼はフォルネーゼ家に害を及ぼすのかそうでないのか。母の事も…、きちんと見極めなくてはならないわ。」


「成程。さすがはお嬢様です。ですが、お嬢様。一つ忠告しておきます。これは、いわば仮初の恋愛遊戯です。その場の雰囲気や一時的な感情に左右されませんように。」


「…相変わらず、あなたは手厳しいわね。大丈夫よ。青薔薇騎士ともあろう方が私など相手にするわけないし、本気にしたら、火傷をすること位よく分かっているわ。だから、心配しないで。」


「姉上…。」


姉の瞳に一瞬だけ見えた寂しげな光…。


姉はきっと、心の中で自分などが本気で女として愛される訳がないと思い込んでいるのだ。

ルイは姉の苦しみを考えると思わず胸が痛んだ。

姉の言い分は理解できる。

この役目は男の自分にはできない。

だが、やはり、自分は賛成できない。

いっそのこと、姉の代わりに誰か信頼のおける誰かをも考えた。

だが、メリルはそもそも演技がド下手くそだし、サラはああいう腹芸は苦手だ。


そもそも、青薔薇騎士は姉に近付いたのだから他の人間では無理だ。

目的の為とはいえ、こうならざるを得ない状況に苛ついた。


普段のルイならこんな思いに駆られることはない。

姉の事になると、冷静さを欠いてしまうこの性分は中々、直らない。


姉は貴族令嬢として育てられた為、感情を隠し、相手の意図や思惑を読み取るのに長けている。

姉はそこらの貴族令息よりも遥かに頭の回転は早いし、臨機応変に動ける人間だ。


昔から、姉は女ではなく、男に生まれていればと残念そうに呟かれたことも一度や二度ではない。

だが、幾ら知恵が回ろうと姉は元来、心の優しい人間だ。

非情になり切れない部分がある。

そして、本人は強がっているがその心は傷つきやすく、繊細だ。


青薔薇騎士と関わることで周囲の人間…、特に外見を取り繕うことしか能のない傲慢な貴族令嬢達が姉に変な横やりをしてこないかが気がかりだ。


そもそも、姉にあんな男はふさわしくない。

近づくことはおろか、視界に入れるのもおこがましい。


「セイアス・ド・レノア…。あいつ、姉上に妙な真似をしたらただじゃ済まさない…。」


全てが片付いたら、あいつは二度と姉に近づけさせない。

ルイは忌々し気に呟いた。

結局、彼は最愛の姉に男が近付くことが気に食わないのだった。




「ここは…?」


「私の屋敷だ。」


馬車から降り立った場所は大きな屋敷がそびえたっていた。

セイアスが手を差し出してくれたのでその手を取り、馬車から降りた。

通された先は客間だった。


「わあ…。」


リエルは所々に置かれた飾りや絵画、美術品に目を見張る。

どれも興味深い物ばかりだ。


「絵に興味があるのか?」


「ええ。嗜む程度ですが…、異国の文化がとても好きなのです。ここには、見たことのない珍しい絵や置物がたくさんあるのですね。…あ。」


リエルはぐるりと室内を見回した。

すると、窓際の机の上に置かれた物に目を留めた。

卓盤の上に置かれたやりかけたチェスだった。


「ほお…。チェスも好きなのか?」


面白そうに呟くセイアスに気づかず、リエルは頷いた。


「はい。よく弟のルイと対戦するのです。あの、このチェスはまだ途中の?」


「ああ。それは、同僚が訪れた時に戯れでやったのだが帰る時間になったのでそのままになっていたのだ。」


「そうだったのですか。ちなみに、セイアス様はどちらの駒を?」


「黒だ。」


「わあ!凄いですね。セイアス様が圧倒的に勝っていらしゃいます。でも…、白の駒も頑張れば…、」


確かに、白の駒は黒の駒に比べて不利な状態にいる。有利なのは、黒の駒だと客観的に見て取れる。


が、不意にリエルは白の駒を手に取った。

怪訝な表情を浮かべるセイアス。

リエルはそのまま白の駒を動かした。

そして、たった一手で駒を形成逆転させたのだった。

驚くセイアスにリエルは微笑んだ。


「勝てたのかもしれませんね。」


邪気のない笑顔のリエルにセイアスは感じた。


―この娘…、


その後、何事もなかったようにリエルは勧められた長椅子に座った。


「リエル嬢。」


「リエルで結構ですよ。セイアス様。」


「…リエル。よければわたしのチェスの相手をしてくれないか?」


「ええ。喜んで。ですが、私いつも弟には負けていますのであまり、強くはありませんがよろしいですか?」


「構わない。」


セイアスはリエルの言葉が嘘だと知っていた。

先程の駒の一手を見れば分かることだ。

たった一手で形勢逆転をすることができるのは相当な強者である。


よく考えたら、リエルはフォルネーゼ伯爵とよくチェスをすると言っていた。

遊び心で伯爵がチェスの相手をしていると思ったがそれは間違いだ。


フォルネーゼ伯爵はチェスの名人と名高い。

チェスで負けたことがないと豪語している大人を今までも負かしてきた少年伯爵だ。

あの伯爵は無駄な勝負は嫌いだと言っている。


つまり、リエルとは対等の立ち位置でチェスの勝負をしているのだと予測できた。

結論的にリエルはあの伯爵と張り合える程にチェスが強いということだ。


―ただの人付き合いが苦手な令嬢かと思ったが…、


気を抜けばひとたまりもなくやられる。

セイアスはそう感じていた。


チャスをやりながら二人は会話をしていた。


「リエル。…あなたとアルバートは一体どういう関係が…、」


「元婚約者です。」


あっさりと答えるリエルにセイアスは眉を顰める。


「元?」


「ええ。私とアルバートは家同士が親しくしていた仲でしたので、幼い頃からよく遊んでいたのです。幼馴染という間柄ですね。私が十二歳の時にお互いの両親の間で婚約が成り立ったのです。」


「幼馴染なのか?それにしては…、」


「その通りですわ。実は、私とアルバート様はあまり仲が良くなかったのです。というよりも…、彼が私の方を嫌っている様でした。私もアルバート様も性格が正反対ですので…、合わなかった部分も多かったのです。それに、婚約の時もアルバート様は私よりもセリーナお姉様と婚約を交わしたかった様でしたので。…恨まれていても当然だと思いますわ。」


「それは、リエルのせいではないだろう。」


「そうかもしれません。けれど、私は婚約を承諾しましたから。非は私にもあります。」


「承諾した?何故?」


解せぬといった表情にリエルは当然のように答えた。


「お父様からのお言いつけだったからです。断る理由などありませんでしょう?」


「父親の?」


「貴族の結婚は政略結婚がほとんどの場合はそうです。私は五大貴族の娘として、政略結婚は当然の義務だと教えられてきました。同じ貴族のセイアス様なら、ご存知でしょう?」


「それで…、アルバートと?」


「はい。両親が決めた相手に私が否を唱えるつもりはありません。だから、承知したのです。」


「貴族の若い令嬢は、愛や恋だと浮ついた事を言うが…、」


「政略結婚にそんな物は不要ですから。」


あっさりとそう言い切り、リエルは駒を進める。


「でも…、正直アルバート様で良かったと思ったのです。何だかんだ言っても、彼は幼い頃から知っていますし、どうせ結婚をするならお互いを知っている相手が良いだろうと思っていたのです。さすがに、親子の歳ほども離れた生理的に受け付けない容姿の方と結婚しろと言われたら、さすがの私も承諾しなかったでしょうし。」


冗談交じりに笑うリエルをセイアスは訊ねた。


「元…、と言っていたな。理由を聞いても?」


「二年前に婚約破棄したのです。」


「二年前…。確か、先代のフォルネーゼ伯爵が…、」


「ええ。父が亡くなって…、喪に服した時に婚約は破棄することにしたのです。父が突然の死でしたので、その事後処理もありましたし、ルイもまだ幼かったですし、私もとても結婚どころではなかったので心が落ち着くまで…、と言っている内に婚約も流れてしまって…、」


「不自然だな。」


「え?」


「身内の葬儀でまとまりかけていた縁談が流れることはよくある。だが、婚約破棄にまでなることはないだろう。落ち着くまで待つ位は妥当だと思うが?」


「…。」


「リエル。あなたが婚約破棄したのは、ルイ・ド・フォルネーゼの後継人を務めたからだろう?」


リエルは目を見開いた。


「知っておられたのですか?」


「わたしは薔薇騎士だ。当然だろう。」


「それもそうですね。」


一部の限られた人間しか知らない事実…。

三大機関の人物が知っていてもおかしくはない。

リエルは納得した。


「陛下から聞かされた時は耳を疑ったがな。…よもや、これだけ年若く女の身で後継人が務まるとは思わなかった。…よく隠せたな。」


「表面上は、執事のリヒターを筆頭に使用人一同がサポートしてくれましたので。」


「ああ。…リヒターか。」


成る程と納得した様子のセイアス。


「セイアス様。勝負は決しました。」


「何?」


リエルはにっこりと微笑んだ。チェスの駒を掲げて見せる。


「この勝負、私の勝ちです。」


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