あ
ハアハア…。
壁伝いに手を置いて、荒い息を吐きながら、クレアは歩いた。
懐には短剣を忍ばせて…。
殺意を目に宿して、クレアは目当ての人物を探した。
「えー、コホン。あ、あら。トム。今日も精が出るわね。い、いつも庭の花を世話してくれてありがとう。よし!これで行きましょう。」
ブツブツと独り言を呟いているエメラルドグリーンのドレスを着た黒髪の女がいた。
あの黒髪…!チラリと見えた横顔…。間違いない。オレリーヌだ。
クレアは音もなく、短剣を構え、呼吸を整えた。
女はこちらに気付く様子もなく、緊張した足取りで庭に行こうとした。
足音を立てず、素早く距離を詰め、クレアは背後から女の腕を掴むと、首元に短剣を突き付けた。
「キャッ…!?え?な、何…?」
「声を立てるな。」
「ッ…!?」
状況に気付いたのだろう。女はガタガタと震えだす。
「よくも、今まで俺を騙してくれたな。オレリーヌ。お前には殺す前に聞きたいことがたくさんあるんだ。」
「へ?オレリーヌって…、それって、お母、」
「許可なく、喋るな!」
「ヒイッ!?わ、分かったから、殺さないで!」
女は恐怖に青褪め、泣き出した。…?妙だな。あの悪女がこれ位で泣くとは思えないんだが…。
「何してるんですか。クレア。」
その時、割って入った声に振り返ると、ルイが立っていた。
「止めるな。こいつは俺の家族を殺した仇だ。」
「その様子だと、記憶を取り戻したのですね。何があったのかは後で聞くとして…、とりあえず、クレア。その女を解放してやってください。」
「る、ルイ!」
助かったとばかりに瞳を潤ませるセリーナ。
「ふざけんな!お前、実の母だから庇う気か!」
「そもそも、それは母上じゃありませんよ。その女は一番上の姉、セリーナです。子供の頃に話したでしょ?姉上には一つ年上の姉がいると。今、あなたがナイフを突き立てているその女がその姉ですよ。
母上にそっくりだから、よく間違えられるんですよね。」
「は?姉?リエルの!?」
クレアはまじまじとセリーナを見た。確かにオレリーヌによく似ているがオレリーヌよりも若い。
ってことは、本当に人違いだったのか。
「わ、悪い。」
パッと手を離すと、セリーナは床にドッと崩れ落ちた。
腰が抜けたのだ。
「い、い、いきなり何するのよ!この野蛮人!突然、喉元にナイフを突きつけるなんて…!」
ギャンギャンと泣き喚くセリーナにクレアは気まずそうに頬を掻いた。
「悪かったって。人違いしたんだよ。」
「人違いですって!?私、死ぬかと思ったのよ!大体、誰よ!あなたは!」
「セリーナ。怪我は?」
ルイがセリーナに怪我はないかと訊ねた。
「ルイ!あ、あら。あなたったら、可愛い所あるじゃない。私を心配してくれるなんて…。」
そう言って、セリーナが少し照れたように言うがルイは無表情で
「傷が付いたら、嫁の貰い手がなくなってしまうじゃないですか。」
「は、はあ!?ちょっ!ルイ!あんたって子は弟として姉を心配する情はないわけ!?」
「これが姉上なら、心配もしますが、あなたは図太い神経の持ち主ですから大丈夫でしょう。
それに、ちょっとナイフを突きつけられただけで大袈裟なんですよ。」
「はああああ!?ちょっとですって!?そりゃ、ルイやリエルは仕事でこういう荒事慣れているかもしれないけど、あたしは生粋の貴族令嬢なのよ!?」
「じゃあ、これから慣れて下さい。いつ、またこういう事態になるとも限りませんから。我が一族は敵が多いですからね。」
「無茶言わないで!」
「それより、クレア。あなたは母上を殺すより、先にすることがあるんじゃないんですか?姉上にはまだ話していないんでしょう?」
セリーナを無視して、ルイはクレアにそう言った。
「ッ、それは…、」
「姉上なら、部屋にいますよ。リヒター。案内しろ。」
「
「あ、トム。セリーナが腰を抜かした様だ。」
「ん…。」
「リエル!気が付いたか!」
「…アルバート…。私、一体…、」
目を開けると、すぐ傍にアルバートの姿があった。あれ?私はクレアと話をしていた筈なのに…。
ぼんやりした頭でリエルは上体を起こそうとするが、頭がクラッとしてしまい、起き上がることができなかった。
「あ、リエル!まだ休んでろ。血を流したせいで今のお前は貧血状態なんだから。」
「あ…。そっか。私…、確か怪我して…。」
リエルはそっと首元に手を当てた。そこは包帯が巻かれていた。
「リエル。喉は乾いてないか?水は飲めそうか?」
そう言って、アルバートは水の入ったグラスを差し出す。リエルは礼を言って、それを受け取ると、
「もしかして、ずっとここで看病してくれたの?」
「いや…。別に看病って程の事は…。傷の手当ても主治医がやってくれたし…。ただ、お前の目が覚めないんじゃないかって思うと、気が気じゃなくて…。」
「ありがとう。アルバート。ずっと傍にいてくれたんだね。」
「こ、恋人なんだから、あ、当たり前だろ。」
照れくさそうにそう言うアルバートにリエルは微笑んだ。
恋人という単語にまだ慣れていない様子のアルバートを見ていると、何だか微笑ましい気持ちになる。
「全く…!肝を冷やしたぞ。屋敷に帰ってくる前もクレアとやり合って怪我をしていたのに、また更にあんな無茶をして…!無事だったから良かったが下手したら、命を落としていたかもしれないんだぞ。何でお前はいつもこんな無茶ばっかりするんだ!」
「ごめんなさい。私を家族の仇だと思い込んでいるクレアが私の話を聞いて貰うにはあれしか方法がないと思って…。ああでもしないとクレアは私の話を聞いてくれないだろうから…。」
「だからってあそこまで身体を張ることはないだろ!傷が残ったりしたら、どうするつもりだったんだ!」
「あの時はクレアを説得することしか頭になくて…。」
「頼むから、もっと自分を大事にしろよ!お前は女なんだぞ!そこら辺、もっと自覚して…、」
リエルはそんなアルバートに既視感を抱いた。
ローランの爆弾で爆発した時も同じような事を言われたなあ。
声を荒げているアルバートを見ても、リエルは怖いとは思わなかった。
だって、アルバートが怒っているのはそれだけ私を心配してくれているということだから…。
「ごめんなさい。次からは、気を付けるから…。」
「クレアとやり合った時も同じ事言ってたよな?」
「うっ…、」
アルバートはじっとりとした目でリエルを見つめる。
し、信用されてない。
アルバートははあ、と溜息を吐くと、リエルの頭にポン、と手を置くと、
「ま、まあ…。次、何かあったとしても、俺がその…、リエルを守ってやるから…。だから、あんまり一人で抱え込むなよ。」
「っ、アルバート…。うん!ありがとう。」
嬉しくて、満面の笑顔で頷くリエルにアルバートは息を吞んで口を手で覆って、顔を背けた。
「アルバート…?」
「わ、悪い…。その、ちょっと…、少しだけ待っててくれ。俺、今すっげえ情けない顔してるから…。」
よく見れば、アルバートの耳が真っ赤になっていた。
もしかして…、照れている?さっき、私が笑顔でお礼を言っただけで?
そんなアルバートにリエルは思わずフフッと笑ってしまう。
「なっ…!?わ、笑うなよ!仕方ないだろ!好きな女にあんな可愛い顔でお礼言われたら、動揺するに決まって…!」