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第二百二十九話 堕ちたものだな

セイアスは薄暗い廊下を歩きながら、一人の犯罪者が収容されている牢屋に向かっていた。


「何で。何で。何で…。何であたしがこんな目に…、」


牢屋の中には、冷たい石の床に座り込み、ブツブツと呟く女の姿があった。

栗色のふわふわした髪はパサつき、肌もボロボロになり、薄汚れた衣服を身に纏った女がそこにはいた。何日も風呂に入っていないせいか身体から異臭がしている。

そこには、貴族令嬢だった面影は欠片も見当たらない。

以前はその愛らしさで下級貴族の男達を誑かしていた女と同一人物だとは誰も気付かないだろう。


「堕ちたものだな。ロンディ子爵令嬢。いや。元、と呼ぶべきか。今はもうただの罪人だったな。」


「ッ!?え。あ、青薔薇騎士様?」


セイアスに話しかけられた女はバッと顔を上げ、それがセイアスだと気が付くと、顔を輝かせた。


「セイアス様!」


頬を紅潮させ、期待に満ちた表情を浮かべる罪人の女…、ソニアは嬉しそうに鉄格子の柵を掴んで、駆け寄った。


「助けて下さい!セイアス様!あたしは何も悪くないんです!」


「……。」


「あたしは何も知らなかったんです!セイアス様なら、分かってくれますよね!?」


「ずっとそうやって否定し続けているようだが…、いい加減、認めたらどうだ?嘘を吐き続けても罪が重くなるだけだぞ。」


「でも、あたしは本当に何もしてないんです!信じて下さい!セイアス様!」


「何もしていない、か。なら、何故お前の部屋から阿片が発見されたのか説明して欲しいものだな。」


「そ、それはっ…、し、知らなかったんです!あれは、魔法の薬だってあの人から渡されたもので…!まさか、あれが阿片だったなんて…!」


ソニアは瞳を潤ませ、セイアスを見上げる。


「阿片だって知っていたら、絶対に受け取ったりしなかった…!」


「あの人とは誰だ?」


「そ、それが…、あたしもあんまり覚えてなくて…、名前も顔も知らないんです。フードを頭からすっぽり被っていたし…。と、とにかく!あたしは何も知らないんです!ねえ、セイアス様。あたしはただ、騙されていただけなんです!」


僅かに目を逸らしながらソニアは言い逃れをした。

そんなソニアをセイアスは無言でじっと見つめる。

凛々しい美貌の青薔薇騎士に見つめられ、ソニアはこんな状況にも関わらず、ポッと頬を染めた。


すると、セイアスはそんなソニアに向けて、ニコッと微笑んだ。

常に顔が無表情だといわれているセイアスは人前では滅多に笑わない。

でも、その無表情がいい、と女性達の間では絶大な人気を得ていた。

そんなセイアスが笑ったのだ。普段笑わない人間が笑うと、凄まじい威力を発揮する。

それが美形となるとその破壊力は計り知れない。

そんな破壊力のある笑顔を目にしたソニアは最早、思考を放棄したようにポー、と見惚れた。


「そうか。それは気の毒な話だ。分かった。お前の話を信じよう。よく考えれば、お前はまだ若い。こんなにうら若く、美しい女性が酷い目に遭うだなんて理不尽な事は見過ごせないからな。」


「ッ!そ、そうでしょう!やっぱり!セイアス様なら、分かってくれると思ってました!

それなのに、ここの人達は酷いんですよ!あたしのことを罪人だとか、犯罪者だなんて言ってきて…!

取調室でもすごい怖い顔であたしのことを睨みつけてきて、酷い事ばかり言ってくるんです!」


セイアスの言葉にソニアは一瞬、ニヤッと口元を歪めた。

しかし、すぐに弱弱しい女の表情を浮かべ、胸の前で両手を組んでうるうる、と目に涙をためて、セイアスを見上げた。

ソニアは心の中で歓喜した。やったわ!これでこんな汚い牢屋の生活とはおさらばね!

やっぱり、あたしはついている。

あの青薔薇騎士ですら、可愛いあたしに夢中だ。

青薔薇騎士の妻も悪くないわね。それに、セイアス様は侯爵家の嫡男。

つまり、彼と結婚すれば、侯爵夫人になれる。子爵令嬢のあたしが侯爵夫人!

いえ。でも、やっぱり、五大貴族の妻も捨てがたい。もうソニアの頭の中は自分が助かることが前提で動いていた。

ソニアの話にセイアスは笑顔を浮かべたまま、頷き、それは可哀想にと言った。そして、


「ソニア…、と呼んでもいいか?」


「え、ええ!勿論ですわ!セイアス様!」


ソニアの言葉にセイアスはありがとう、と微笑み、


「ソニア。一つだけ、お前が助かる方法がある。」


「ッ!」


ソニアは目を輝かせた。セイアスは目を細めた。


「今回の一件はロンディ家から阿片が摘出されたが、その入手経路や阿片を売りつけた人間は不明のままだ。今回の件はお前が騙されていたのは分かっている。そういう事なら、情状酌量の余地がある。そこで、だ。お前に一つ提案がある。司法取引をする気はないか?」


「し、しほう取引?な、何ですか?それ?」


「司法取引とは、簡単に言うと、こちらに協力することで無罪、もしくは、罪を軽くすることができるというものだ。例えば…、情報を提供するなりして、事件や問題を解決してくれるよう協力してくれれば、その見返りとして、牢から釈放されたり、罪に問われずに無罪となるということだ。」


「そ、その取引をすれば、あたしは助かるの!?」


「それはお前次第だ。…ただ、これはソニアが司法取引に使える情報を知っていることが前提だ。

もし、ソニアが阿片を渡した人間の情報を提供してくれるのなら…、取引をすることができる。

だが、それすらも知らないのなら…、残念だがお前を助けることはできない。」


「ええ!?な、何で!どうしてよ!?」


「お前がロンディ家の人間である以上、関係者である疑いは消えないのだ。この国は阿片に対する法律が厳しい。特に貴族の場合は余計に罪が重くなる。このままだと、お前は貴族の身分を剥奪され、一生、牢屋暮らしになるだろう。その法律の罰則から抜け出す方法がこの司法取引なんだ。」


「い、嫌よ!そんなの!あたしは騙されただけなのに…!」


「それが事実だったとしても…、裁判官や陛下が有罪だと判断したら、それが適用される。それが現実なんだ。」


「せ、セイアス様…!お願い!何とかしてください!あ、あたしを助けて…!薔薇騎士の力を使えば何とかできるでしょ!?」


「すまない。俺は薔薇騎士といっても、司法機関への影響力はそこまで強くないのだ。司法取引をするしか他に助かる方法はない。」


「そ、そんな…!」


ソニアは一瞬、言ってしまおうかと迷った。で、でも…!あたしはずっと何も知らないって言って、突き通してきたのに…!迷っていると、セイアスが口を開いた。


「ソニア。悪いがあまり時間がない。決めるのなら、今ここで決めてくれ。」


「ッ、じ、時間がないって…。ど、どうして?」


「実は、ロンディ子爵と子爵夫人にも司法取引を持ち掛けようという意見が出ているんだ。もし、二人のどちらかが取引に応じてしまえば、お前が助かる道はなくなる。そうなってしまえば…、」


「!ま、待って!お父様やお母様には言わないで!」


ソニアは必死にセイアスにそう叫んだ。じょ、冗談じゃない!お父様やお母様に先を越されてなるものですか!大体、こうなったのも全部、お父様とお母様のせいなのに!

ソニアは両親を見捨てて、自分だけが助かる道を選んだ。


「するわ!その取引!あ、あたし、思い出したの!阿片をくれたのは、オレリーヌ様とシーザーよ。」


セイアスは然して驚いた様子もなく、目を細めた。


「オレリーヌ…。先代フォルネーゼ伯爵の妻、オレリーヌ・ド・フォルネーゼか?」


「そうよ!あの黒い真珠と呼ばれているフォルネーゼ伯爵のお母様よ。」


「シーザーとは、羊の救済者の指導者シーザーか?」


ソニアは頷いた。


「お前が実の姉を売り飛ばした娼館の名は?…ゾフィー嬢はどこにいる?」


「し、知らない!あたしはただ、眠り薬の入った紅茶をお姉様に飲ましただけで…。その後の事は全部、シーザーが…、」


「そうか。」


セイアスはスッと表情を消した。今までの雰囲気が一変して、一気に冷たい表情になったセイアスはソニアから離れると、冷ややかな眼差しで感情の籠らない口調で言った。


「情報提供に感謝する。三日後、裁判が開かれる。必ず出頭せよと皇帝陛下からのご命令だ。それまで、ここで頭を冷やすんだな。」


「さ、裁判…?な、何で…?あたしのことを助けてくれるんじゃ…?」


「何を言っている。物的証拠がある以上、裁判や処罰からは免れない。情報提供をしたからと言って、無罪放免になる訳がないだろう。」


「や、約束が違うじゃない!情報を教えれば、無罪になるって言ってたのに!」


「お前は人の話を聞いていたのか?俺が話したのは司法取引の説明や過去の一部の例だ。司法取引は、その罪状や状況次第で取引の内容も変わってくる。考えれば分かる事だろう。情報を吐けば、無罪になるというのなら、殺人ですらも無罪の対象になってしまうという事だ。そんな理屈が通る筈がないだろう。

それに、俺は言った筈だ。助かるのはお前次第だと。それをお前が勝手に勘違いしただけの話だ。」


「あ、あたしを騙したのね!この、卑怯者!」


「卑怯?その言葉そっくりそのまま返してやる。己の欲の為に騙し打ちのような形で実の姉を陥れる女に卑怯者といわれてもな…。全く説得力がないぞ。」


「ふ、ふざけないで!ふざけないでよ!嫌よ!やっとここまできたのに…!もう少しで五大貴族の妻になれたっていうのに…!」


「…お前が何を思って、もう少しと判断したのかは知らないが…、ティエンディール侯爵がお前を妻に選ぶことは絶対にない。夢を見るのは結構だが、妄想と現実の区別はつけたほうがいい。」


「そんな事ないわ!あの姉様がゼリウス様の婚約者になれたのよ!?だったら、あたしだってゼリウス様の妻になる資格があるわ!」


「だから、ゾフィー嬢を売ったと?…愚かな女だな。姉を排除すれば、自分がその後釜に座れると本気で思っているのか?言っておくが、ゾフィー嬢がいなくなったところで侯爵がお前を妻に選ぶことは絶対にない。」


「どうして、そんな風に決めつけるのよ!そんなのやってみないと分からないじゃない!あんな堅物の姉様に落とせたんだから、可愛いあたしならもっと簡単に落とせるに決まってる!」


「ティエンディール侯爵はゾフィー嬢に惹かれたから、婚約を申し込んだんだ。同じ子爵家の娘であっても、お前が選ばれることはない。何故なら、お前はゾフィー嬢ではないからだ。」


セイアスはゾフィーとはほとんど面識はない。

セイアスがゾフィーと話をしたのはたった一度だけ。

ゾフィーがアルバート宛てへの手紙を渡してほしいとセイアスに頼んだ時が初対面だ。

話しかけられた時、ゾフィー嬢が若い令嬢だったので初め、セイアスは警戒していた。


今までの経験上、若い女に話しかけられるのはほとんどが面倒事ばかりだったからだ。

薔薇騎士の称号、侯爵家の身分、容姿。それらに惹かれた女が虫のように集ってくる。

ほとんど話したことも関わったこともないほぼ初対面の女にお慕いしていますと告白されることも少なくなかった。

また、面倒事かと内心げんなりしていたが…、ゾフィーから渡されたのは手紙だった。それをアルバートに渡してほしいと言われた時、彼女の目当てはアルバートだったのかと思った。

が、ゾフィーの表情を見て、違和感を抱いた。何というか…、他の女達のように獲物に狙いを定めた肉食獣のような目をしていないのだ。

必ず渡してほしいと頼んだ時のゾフィー嬢の目は真剣そのものだった。


後でゾフィー嬢がリエルと親しい友人であったと知り、あの二人は貴族によくある表面上の友情ではなく、本当の意味で友情を築いているのだと察した。

ティエンディール侯爵がゾフィー嬢を婚約者に選んだと聞いた時は驚いたが何となく、彼女が選ばれた理由が分かった気がした。恐らく、ティエンディール侯爵もアルバートと同じでゾフィー嬢でないと駄目なのだろう。他の女では代わりにならないのだ。


「はあ!?何よ!それ!意味わかんない!姉様より、あたしの方が劣っているというの!?」


恐らく、この女には何を言っても無駄だ。そうセイアスは結論付けた。この自己中心的で我儘な女に事実を述べた所でこの女が受け入れる事はないだろう。セイアスはソニアから離れて、そのまま距離を取った。そして、最後にソニアを見下ろすと、


「ああ。そうだ。お前は知らないだろうが…、ゾフィー嬢が無事に見つかったそうだ。ついでに言うと、ゾフィー嬢の身体も無事だ。この意味が分からない程、子供ではないだろう?まあ、そういうことだ。ゾフィー嬢はティエンディール侯爵に嫁ぐのに何も問題はない。つまり、お前の出る幕はないということだ。」


「な、何ですって!?そんな…、そんな馬鹿な事が…、シーザーの奴…!話が違うじゃない!

娼館に売り飛ばして薬漬けにしたら、真っ先に客をとらせるって言ってたのに…!

それなのに…、姉様は無事…?有り得ない!有り得ないわ!こんなの…!」


その時、ソニアはハッとした。


「そう…。そういう事…。これが姉様の復讐なのね…。ゼリウス様に泣きついて、五大貴族の権力を使って裁判を起こそうっていうのね…。如何にも陰険で意地汚い姉様らしいやり方だわ…。」


ソニアは忌々しそうに歯軋りし、


「どこまで性根が腐っているのかしら。実の妹を訴えるなんて…!大体、何もなかったのならそれでいいじゃない!それなのに、こんな見せしめのようなやり方で仕返しするなんて…!」


「……。」


セイアスは呆れた。あれだけのことをしておいて、どの口が言うのだろうか。


「いいわよ…!そっちがその気なら、あたしも黙ってないわ!フフッ…!アハハハハ!考えてみれば、いい機会じゃない!姉様の醜聞を曝け出す絶好の機会だわ!馬鹿なお姉様…。あたしに復讐することに必死で気付いていないのね!裁判を起こすという事は自分の恥を晒すことに他ならないのに!

どうせ、あたしは終わりよ…。だったら、姉様も道連れにしてやる!これで、姉様は終わりよ!貴族の娘が娼館に売り飛ばされただなんて知られれば、もう社交界では生きていけないわ!ざまあみろだわ!アハハハハ!」


「何やら勘違いしているようだが…、今回の裁判はお前が阿片を所持し、使用した件に関する罪状だけだ。ゾフィー嬢は一切、関与していない。」


「は…?何、それ…?」


「それがティエンディール侯爵とフォルネーゼ伯爵の意向だ。…お前が裁かれるのは阿片の件だけだ。心配しなくても、お前は両親とは違ってそこまで重い罪には問われないだろう。…取引は取引だからな。」


これ以上、話すことは何もない。セイアスは背を向けて、歩き出した。

後ろで喚く声が聞こえたがセイアスは一切、振り向くことはしなかった。

セイアスは牢屋を出て行くと、そのまま王城を出て、馬車に乗り込んだ。


「フォルネーゼ邸まで頼む。」


そう御者に告げて、セイアスはフォルネーゼ家へ向かった。


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