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第二百二十八話 どうして忘れていたんだ

『立て!クレア!剣を取るんだ。』


『クレア。さっきの太刀筋は中々良かったぞ。その感覚を忘れるな。』


『遅い!重心もブレているぞ!』


『強くなれ。クレア。』


『本当は…、お前に戦い方を教えるつもりはなかったんだ。』


『ごめんな。クレア。こんな方法でしか…、お前を守ることができなくて…。』


『俺は父親失格だ。あの子には…、クレアには普通の女の子として生きてほしいと思っていたのに…。結局、この様だ。自分の身を守る為に戦い方を教える事しかできない…。』


『クレア。父さんを許さなくていい。恨んでも、嫌っても、憎んでも構わないから…。』


『どうか、お前だけは生き延びてくれ…!』


怒涛の勢いで記憶が甦ってくる。

硬くて、ゴツゴツしていて、ざらついた手…。

母さんの白くて、柔らかい手とは全然違う。

クレアはこの大きな手に頭を撫でられるのが好きだった。

父さんに頭を撫でられると、とても安心したからだ。


そうだ…。俺はずっと、父さんに守られてきたんだ…。

あの時だって…、


『ああ。クレア…。君は本当に愛らしい…。やはり、女は幼いままが一番可愛いな。

女は成長すると、我儘で醜くなる。叶う事なら、このままずっと時が止まればいいのに…。』


クレアを見て、うっとりと目を細め、恍惚とした表情で呟く聖職者の男にクレアは危機感を抱いた。

だけど、しょせんは子供の力。大人の力には敵わない。


『大丈夫だよ。クレア。いい子だから…、目を瞑っていなさい。そうすれば、すぐに終わるからね。これは、儀式だ。君の中の悪魔を追い払うための清めの儀式なんだよ。さあ…、そのまま僕に身を委ねて…。』


そう言って、まだ子供だったクレアの服に手をかける変態聖職者。

まだ子供だったクレアは怖くて、動けなかった。

その瞬間…、風を切るような音がしたかと思えば、黒い何かが視界を覆った。

フワッと何かに包み込まれる感覚…。気が付いたら、クレアは父に抱き締められていた。

父の手には、血で濡れた長剣が握られていた。見れば、聖職者の片腕が肘から先がなくなっていた。

床には切断された彼の腕が落ちている。直後、劈くような悲鳴が上がった。聖職者が痛みで床をのたうち回った。

傷口を押さえながら、聖職者が喚き散らす。そんな彼を見据える父は今まで見たことがない程、冷たくて、怖い目をしていた。

罵詈雑言を浴びせる聖職者に父は一言だけ、言った。

「お前は俺の娘に手を出した。その代償は払ってもらうぞ。」と…。

殺気が込められた言葉と視線にクレアはゾクッとした。

自分に向けられたものでもないのに身震いがした。

聖職者の男は一瞬、怯むがすぐに余裕そうな表情に変わった。

聖職者の男が合図をすると、教会の私兵が現れ、自分と父を取り囲んだ。武装した兵士が何十人もいる。対して、こっちは二人だ。

クレアは思わず父の服の裾を掴んだ。焦燥感に駆られるクレアだったが、父が「クレア。」と名前を呼んだ。父は取り乱した様子もなく、自分の上着をクレアに被せ、クレアの視界を覆った。


「少しだけ…、目を瞑ってくれないか?…三十秒、数えるからその間、何があっても絶対に目を開けないでくれ。」


父に言われるがままに目を瞑る。父が数を数えていく。

その間、男達の悲鳴や何かが飛び散ったり、剣と剣がぶつかり合う音、地面に誰かが倒れる音、壁に激突する音、何かが潰れるような音、窓が割れる音等が聞こえる。

何が起きているのか分からない。でも…、不思議と怖くはなかった。

父がちゃんと口に出して、数を数えてくれているから。

時々、距離感が近かったり、遠かったりするけど、それでも確かに声は聞こえる。

段々と人の気配がなくなっていく気がする。それに、変な匂いがする。生臭くて…、鼻が曲がりそうだ。

あまりの異臭に思わず吐きそうになる。

三十秒数えると同時に父がクレアの目の前に立った気がした。


「クレア。ここはかなり汚れてしまっているから、お前は見てはいけない。俺がクレアの手を引いてやるから、このまま父さんについてくるんだ。いいか?絶対に上着を外すなよ。」


そう言って、父はクレアの手を引いて、外まで誘導してくれた。時々、何かを踏みそうになったり、ピシャリ、と水たまりのようなものに靴が汚れてしまったような気がするが、気にせず進むようにと言われ、クレアは歩き続けた。

父親と一緒に教会の外まで出たがクレアが覚えているのはそこまでだった。

気付いたら、クレアは自分の部屋で寝ていた。母さんから気絶したクレアを父が抱えて帰ってきたと言われたが、クレアが目が覚めた時、傍に父さんはいなかった。

父さんは何処?と聞くと、母さんは一瞬、黙り込んだがすぐにいつもの笑顔でお父さんは仕事で今日は帰ってくるのが遅いから、と言われた。

父さんが帰ってきたのは真夜中の事だった。クレアは父さんが帰ってくるまで起きているつもりだったが気付けば寝てしまっていた。寝ている時、大きな手がクレアの頭を撫でた気がした。

そして、パチン、と指を鳴らす音も…。


次の日、あの聖職者の遺体が崖の下で発見された。

まるで獣に食い散らかされたような跡があり、見るも無残な姿になっていたそうだ。恐らく、森の狼か熊にやられたのだろうと言われ、暫く森には誰も近づかなくなった。

村の女達からは中性的な容姿が素敵だと持て囃されていた聖職者の死は村中の…、特に女性達は嘆き悲しんだ。


そうだ…。どうして、俺は忘れていたんだ。

あの聖職者は森で狼に襲われた訳でも、崖から落ちたわけでもない。

父さんが…、あいつを殺したんだ。俺を守る為に…。

あの死体を処理したのはきっと、父さんだ。あのままだと、明らかに誰かに殺されたと分かってしまう。

だから、事故死に見せかけて、偽装したんだ。


俺と母さんが森で狼の群れに襲われた時も…、人攫いに攫われて、奴隷に売り飛ばされそうになった時も…、たった一人で立ち向かい、父さんが俺を助けてくれたんだ。

俺は何度も父さんに救われた。ずっとあの広い背中に…、守られてきたんだ。

俺はそんな強くて勇敢な父さんに憧れて…、自分も強くなりたいと父さんに言ったんだ。

父さんのように強くなりたいと…。それなのに、俺は…!


『クレア。父さんが教えられるのはもうここまでだ。…よく頑張ったな。お前は強い子だ。』


ある日、突然そう言われた。父さんに頭を撫でられる。

父さんに認められたと思い、クレアは思わず笑顔になった。

しかし、父はどこか複雑そうな顔で笑っていた。


『父さん?』


『…すまなかったな。クレア。』


『?何が?』


『こんな方法でしかお前を守ることができなくてすまなかった。…クレア。今ならまだ引き返せる。今からでも普通の子として生きるんだ。』


『?何言ってんの?俺は元から普通の子だよ。』


父はクレアの頭に手を乗せた。


『クレア。俺が父親としてできるのはここまでだ。お前は…、母さんと一緒に…、幸せになるんだ。普通の女の子として。』


『父さん?』


何を言っているんだろう。何だか父さんの様子がいつもと違う。まるでこれが最後の別れのような…。


『クレア。今からお前の記憶を上書きする。父さんは悪い父親で…、家族の事を捨てた碌でもない父親だ。それでいいんだ。…最低な父親でごめんな。どうか…、お前は生き延びてくれ。クレア。』


『父さ…、』


『愛しているよ。クレア。俺のたった一人の可愛い娘。叶うなら…、最後までお前の成長を見守ってやりたかった。』


父の手がクレアの目を塞いだ。パチン、と指を鳴らす音がした。

その直後、クレアは急激な眠気に襲われ、そのまま眠ってしまった。

そして、目が覚めた時には…、クレアは父との記憶を失った。

代わりにクレアの記憶に残っていたのは…、リエルに話したのと同じ…。

母親を泣かせて、悲しませてばかりの最低な父親の記憶だ。

でも…、違う。あれは父さんじゃない。これは…、父さんが俺に見せた偽りの記憶だ。

父さんが能力を使って俺の記憶を上書きしたんだ。


「と、父さん…。」


クレアはぽつりと呟いた。

あの記憶を失った日の次の日の夜に母は泣いていた。父が残した短剣を胸に抱いて。

もうあの時、既に父さんは死んでいたんだ。父さんは…、自分が死ぬことを分かっていたんだ。

だから、最後にあんなことを…。


「っ、あ……、ああああああああああああああああ!」


何で!何で!何で!どうして、忘れていたんだ!どうして、俺は…!こんな大事な事を今までずっと忘れていたんだ。

頭の片隅では父が特殊能力で記憶を塗り替えたのだと理解しても、クレアの心はそんなことで納得できるものではない。


自分はちゃんと父親に愛されていた。守られてきた。

それを理解した瞬間…、クレアは自分が今まで父親にどんな態度を取ってきたのかを思い出し、後悔と罪悪感で押しつぶされそうになった。

最後のお別れすらもできなかった。クレアの目からは涙が止め処なく流れた。

何で…、何で母さんは何も教えてくれなかったんだ。教えてくれたら…、話してくれたら…、俺だって父さんに…!


後悔したところで父さんも母さんもこの世にはいない。

酷い態度を取ってごめんと謝る事も…、守ってくれてありがとうと感謝することも、父さんの娘として生まれて幸せだったと伝える事すらできない。

クレアは何度も父の名を呼び、泣きながら謝った。もう亡くなった父には届かないと知りながらも…。


「うっ…!ご、め、ッ、ん…!ごめん、なさ…!父さん…!」


それでも謝らずにはいられなかった。

気付けば、クレアは泣き疲れたせいかそのまま眠ってしまった。


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