第二百二十六話 これでも、信じられない?
「う、嘘だろ…。じゃあ、父さんが家に帰ってこなかったのは…。ずっと母さんを…、俺達を守る為…?」
クレアは呆然と呟いた。見る見るうちに顔が青褪めていく。
「そ、それが本当なら、何で母さんは俺に教えてくれなかったんだよ!教えてくれたら、俺だって…!父さんも父さんだ!何でそんな大事な事を俺に隠すんだ!」
「隠していたのはカイルさんの意思なの。…クレアとリシールはまだ幼い。あんな小さい子達に自分と同じものを背負わせたくない。何より…、クレアはとても優しい子だから、真実を知ったら自分がしたことを責めるだろう。だから、真実を話すのは二人が大きくなってからにしようってエリザさんに言ったらしいの。カイルさんはちゃんとクレアを愛していたんだよ。あなたが思っている以上に。とても…、」
「お、俺は信じない!そんな話、信じないからな!」
「クレア…。」
「だって、それじゃ…!それじゃ、俺が今までしたことは…!」
クレアは否定するように頭を振り、目を瞑った。
リエルはクレアに何と声を掛けていていいのか分からなかった。クレアは頭を押さえながら、俯き、震えた。俯いているのでその表情は窺えない。
「父さんは…、死んだのか?」
「うん。リシールが生まれる前にね。」
「…何で死んだんだ?」
「カイルさんは…、最後の対決で実のお兄様と戦ったのだけど…、その時に受けた傷が原因でそのまま亡くなってしまったそうなの。」
暗殺者が使う暗器や武器には毒が塗られていたりする。
だから、例え掠り傷だったとしても、わずかでも傷を負ってしまえば致命傷となる。
裏の世界で生きてきたクレアもその事はよく分かっているのだろう。
クレアは、グッと唇を噛み締めた。
「…父さんが死んだことすら、俺は知らなかった。」
「エリザさんはあえて、クレアに教えなかったみたい。…カイルさんと約束したから。」
「何で…。」
「クレアがまだ小さかったからだよ。エリザさんはクレアが大人になったら話すつもりだったの。
カイルさんはね…、クレアに嫌われても、憎まれてもいいから、家族を守りたかったの。ただ、それだけなんだよ。カイルさんはちゃんとクレアの事も愛していたんだよ。」
「ッ…!」
クレアは息を吞み、肩を強張らせた。そのまま黙ったまま動かない。やがて、小さな声でポツリ、ポツリ、と語り出した。
「父さんは…、俺に父親らしいことは何一つしてくれなかった。」
「…うん。」
「抱き上げてもらった記憶も手を繋いだり、頭を撫でてもらった記憶もない。一緒に遊んでもらったことも一度もなかった。」
「うん…。」
「父さんが俺に優しくしてくれたことなんて一度もない。いつも、いつも…!俺を無視して…。俺は嫌われているのだとばかり…!」
「……。」
「なのに…!全部違ってただなんて…、そんな事…。今更、知った所でどうしろって言うんだよ!もう、父さんはいないのに…!」
「…ねえ、クレア。その事で確認したいことがあるの。あなたのお父様との記憶の事なんだけど…、カイルさんはもしかしたら、あなたに何かしらの術をかけていたんじゃない?」
「は?術?何だ。それ。」
リエルの言葉にクレアは俯いていた顔を上げた。
「カイルさんは元々、暗殺者の一族だったって話したでしょう?実は、カイルさんにはもう一つ秘密があるの。カイルさんのようにあの三日月の痣を持って生まれた人間は特殊能力を持っていることがあるらしいの。」
「特殊能力…?」
「薔薇騎士の能力と少し似ているかも。ただ、この特殊能力は人それぞれ違うらしいの。姿を消したり、動物を操ったり、相手の心を読んだりすることができた人もいたみたい。でも、皆それぞれ受け継いだ特殊能力は異なっていたらしいの。勿論、カイルさんも特殊能力が使えた。カイルさんの特殊能力は記憶を消す、もしくは記憶を塗り替える能力だったらしいわ。」
「記憶を消す…?」
「エリザさんははっきり、言ってなかったけど…、私思い出したことがあるの。あなたからカイルさんの話を聞いた時、少し不自然な点があったことに気が付いたの。あなたの話には…、時々、辻褄が合わなかったり、記憶が抜けている時があったわよね?」
「え…?」
「もしかして…、それも覚えてない?」
クレアはリエルの言葉に頷いた。
「そう、だよね…。」
クレアの反応から、本当に自分に関する記憶がない事を実感してしまい、落ち込んだ。
でも、今は落ち込んでいる場合じゃない。リエルは気持ちを切り替えると、自分の考えを口にした。
「あの、これはあくまでも私の推測なんだけど…、もしかして、カイルさんは特殊能力を使ってクレアの記憶を一時的に消してたか塗り替えたりしてたんじゃないかな?」
「父さんが…?俺の記憶を…?何でそう思うんだよ?」
「あなたは昔から、異常に運動神経が良かった。クレアは忘れてしまっているかもしれないけど…、ルイやアルバートとチャンバラごっこを一度だけしたことがあったの。その時、あなたは二人に圧勝していた。まだ二人は剣を習い始めたばかりだったけど…、クレアは剣を習ったこともないのに二人に余裕で勝ってた。あの時は私も子供だったから気付かなったけど…、今なら分かる。あの時のクレアの剣捌きは訓練した人間でしか習得できない技術を持っていた。…だから、私は思ったの。あなたは本当はカイルさんから戦う術を教わってきたんじゃないのかなって。」
「!」
クレアは目を見開いた。そして、顎に手を置いて、何かを考え込むような表情をした。
「まさか…。」
「もしかして、心当たりがあるの?」
「…シーザーに、拾われた時から…、俺は初めて武器の扱い方を教わった。けど…、初めて剣を手に取った時、妙な感じがしたんだ。まるで手に馴染んでいるみたいな…、そんな感覚が…。」
シーザー。その言葉にリエルは息を吞んだ。やっぱり、あの男が絡んでいるのね。
クレアはジッとリエルを見つめた。
「…本当に、俺達は昔に会っていたのか?」
クレアの質問にリエルは頷いた。
「うん。あなたは忘れているかもしれないけど…、私達、小さい頃に会っているんだよ。その琥珀のブローチは…、初めてあなたに会った時に私があげたものなの。道に迷っていた私を助けてくれたお礼にね。」
「……。」
「それからね…、私とクレアは一緒に遊ぶようになったんだ。時々、ルイとアルバートとも一緒に遊んだこともあったんだよ。あ、四人で一緒に結婚式ごっこをしたこともあったの。誰が花婿役になるか揉めてね…。結局、クジで花婿役はクレアに決まって…、」
リエルは話した。クレアとの思い出を…。クレアは無言のまま一言も言葉を発さない。
やっぱり…、信じてくれないよね…。リエルがそんな風にシュン、と落ち込んでいると、
「俺の家族の事…、あんたはどこまで知っているんだ?」
「え?クレアの家族のこと…?えっと、カイルさんのこと?それとも、エリザさんとリシールの事?」
「母さんがどんな人だったかあんたは言えるのか?」
「エリザさんがどんな人だったか…?そうね。エリザさんはとにかく、とても綺麗な人だったわ。
クレアと同じ黒い髪に琥珀色の目をしてて…。それに、すごく温かくて、優しい人だった。
いつもクレアとリシールの幸せを願ってて…。本当にいいお母さんなんだなあって…。
私、クレアが羨ましかった。あんなに優しくて、愛情深いお母さんがいて。あ、そうそう。エリザさんはいつもカモミールの匂いがして、傍にいるとすごく安心したの。エリザさんの料理やお菓子はどれも美味しいけど、中でも一番美味しいのがアップルパイ。クレアもよく褒めてたんだけど…、覚えてない?母さんの作るアップルパイは世界一だって…、」
「ッ!じゃ、じゃあ…、リシールは?」
「リシールは銀髪に真っ黒な丸い目をしたとっても可愛い子だったわよね。まるで女の子みたいで…。
ドレスやワンピースを着せたら、そこら辺の女の子よりもよっぽど可愛いんじゃないかってよく二人で話していたよね。リシールはまだ小さくて、言葉は上手く話せなかったけど、クレアの事、ねーねって呼んでいつも後を追いかけていて…。よく笑って、泣いて、表情が豊かでとっても無邪気で人懐っこい子だった。私…、エリザさんもリシールも大好きだった…。」
クレアはギュッと手を握った。
「何で…?何で…、そんなにあんたは俺の家族について、知ってるんだ…?まさか、本当に…?」
震える声でそう言ったクレアにリエルは微笑んだ。
「言ったでしょ?私とあなたは友達だったって。…これでも、信じられない?」
「ッ!」
クレアは息を吞んだ。バッと視線を逸らし、口元を手で覆った。
「クレア…。大丈夫…?」
「う、嘘だろ…。お、おかしいだろ…。こんなの…!じゃあ、何で俺は覚えてないんだよ!何でフォルネーゼ家は俺達を…、村を襲ったりしたんだよ!」
ガシッとクレアに腕を掴まれる。痛い位に強い力…。でも、その手は震えている。
「答えろよ!何でエドゥアルトは母さんとリシールを殺したりしたんだ!?」
「クレア。落ち着いて、聞いて。あなたの村を襲ったのは…、フォルネーゼ家じゃない。」
「嘘だ!だって、あいつら、フォルネーゼって…!」
「あのね…、クレア。私達、フォルネーゼ家は敵が多いの。貴族の中には、私達一族を滅ぼそうとしたり、貶めようとする人達もいる。例えば…、フォルネーゼ家に罪を着せたりするとか…。」
「え…。」
「ねえ、クレア。その人たちは本当にフォルネーゼ家に雇われた人達だったの?」
「い、いや…。それは…、だって、シーザーが…!そ、それにあの女も…!」
リエルは確信した。やっぱり、シーザーが裏から操っていたんだ。
…許せない。リエルはギュッと拳を握りしめた。
しかも、黒幕はシーザーだけじゃなかったのだ。あの女とは誰だろう。その人はシーザーとどういう繋がりが…?
でも…、今はそれを追求するべきじゃない。リエルはそっとクレアの手を取った。