第二百二十五話 父さんの物だったのか?
戦意喪失したクレアと首から血を流したリエルに慌てて、傷の手当てをしようとするアルバートだったが、リエルは簡単に手当てをしただけですぐにクレアと二人だけにして欲しいと言われ、アルバート達は部屋の外に待機していた。
リエルのお願いにルイはあっさりと応じたが、アルバートは自分は残る!と言い出し、最後まで粘っていたがリヒターに力ずくで引きずられ、無理矢理部屋の外に連れ出された。
最終的にリエルに「大丈夫。私を信じて。」の言葉に渋々…、本当に仕方なく、了承した。
「おい。本当に大丈夫なんだろうな?やっぱり、リエルの傍にいた方が…、」
のはずだが…、部屋の外に待機して、数分も経たない内にアルバートはそわそわとしだした。
「大丈夫ですよ。あの様子なら、クレアがお嬢様に危害を加える可能性は低いでしょうし。…まあ、あなたがどうしてもお嬢様の傍にいたいというのなら、わたしは止めませんよ。お嬢様を信じると約束したにも関わらず、ものの数分で約束を破るような男だとお嬢様に幻滅されてもいいのでしたらどうぞご自由に。」
「うっ…!」
リヒターの言葉にアルバートは扉に伸ばした手を下ろした。
「クレアは姉上に任せて問題ありません。正直、クレアは復讐心に囚われすぎて僕達の話に耳を貸してくれるどうか分かりませんでしたが…。さすが、姉上です。あそこまで身体を張って、彼女が話し合いに応じるように説得するとは…。」
リエルを称賛するルイにアルバートは噛みつく勢いで叫んだ。
「お前な!何、呑気に感心してんだよ!一歩、間違えればリエルが殺されてたかもしれないんだぞ!
幾らリエルの頼みだからって馬鹿正直にハイハイ、と頷きやがって…!とりあえず、無事だったからいいが…、いや!怪我しているから全然無事じゃないけどな!大体、あそこでリヒターが止めなければ俺の能力でクレアを拘束すればすぐに済む話で…!」
「煩いですよ。アルバート。ちょっと黙っててください。…お嬢様たちの会話が聞こえないじゃないですか。」
「本当ですよ。耳元で怒鳴らないでくれます?君のせいで僕の鼓膜が破れたら、慰謝料請求しますから。」
こ、こいつら…!誰のせいでこんな大声を上げていると思ってるんだ!そんな思いでわなわなと拳を震わせるアルバートを見ながらルイは呆れたように溜息を吐き、
「言っておきますけど、別に僕は何の策もなく、あそこで突っ立っていた訳じゃありませんよ。クレアが姉上を殺そうとしたら、僕はあの場であいつの動きを封じ込めるつもりでしたし。」
「は?嘘つけ。全然そんな風には見えなかったぞ。」
「ここは僕の屋敷ですよ。つまり、僕の領域でもある。クレアを治療したあの部屋には幾つかの仕掛けが施されてる。…ここまで言えば馬鹿な君でも分かりますよね?」
「ま、まさか…。ルイ。お前…、」
「正直、姉上があそこで動いたのは想定外でしたが…、もし、あそこでクレアが姉上を本気で殺そうとしたら僕は仕掛けを発動するつもりでした。即効性の催涙、催眠ガスなので数秒で昏倒すること間違いなしです。何せ、象でも一瞬で眠った位ですから。」
「何て怖ろしいもんを仕込んでいるんだよ!お前は!そんな事したら、リエルにだって…!」
「姉上を昏倒させるのは心苦しいですけど、姉上の安全を最優先するにはこれしかないと思ったので。
勿論、人体に害はないのは検証済みです。」
「…お前用意周到過ぎるだろ。っていうか、既に実験もしてんのかよ。ん?ちょっと待て!というか、その場合、俺達も危ないんじゃ…、」
「君は平気でしょう。何せ、君もリヒターも家の教育で毒物には耐性があるんですから。僕も父上の教育でそういうものには身体が慣れてますし。まあ、例え被害に遭ったとしても死にはしないので問題ないでしょう。」
「問題大有りだろ!何、勝手にそんな事俺の了承もなく、決めてんだ!大体、そういう大事な事は早く言え!」
「緊急事態でしたので。そもそも、あの状況で自分の手の内を明かせるわけないでしょう。君、馬鹿なんですか?ああ。そうでした。君が単純馬鹿なのは昔からでしたね。失礼しました。」
こ、こいつ…!一発、ぶん殴ってやりたい…!
わなわなと拳を握りながらも、必死に怒りを抑えるアルバートを見て、リヒターは呆れたように溜息を吐いた。全く…。この愚弟ときたら…。
それにしても…、リヒターは黒い瞳を細めながら、先程の光景を思い出した。
シーザーに記憶を消され、洗脳されながらもクレアはリエルを殺さなかった。
リエルを復讐するべき相手だと刷り込まれていたにも関わらず…。
それに、アルバートから聞いたクレアが気絶する前の反応…。
もしかすると、クレアは…、リヒターはフム、と呟いて顎に手を置いて、思案した。
クレアを寝台に寝かせ、リエルは傍の椅子に座り、クレアを見つめていた。
「クレア。喉…、渇いていない?」
クレアは無言だった。室内には沈黙が続いた。
「母さんが言ってた本当の事って…、どういう意味だよ?」
「私がエリザさんから聞いたのは、あなたのお父さん、カイルさんの事だよ。」
「父さん…?あいつが何だって言うんだ。俺達家族を捨てたような男だぞ。」
リエルはスッと短剣を差し出した。
「これ…、カイルさんの形見だったんだって。エリザさんがずっと大切にしていた宝物なの。」
「その短剣…。見覚えがある。確かに母さんが持ってた…。これ、父さんの物だったのか?」
リエルは頷いた。
「これはね…、カイルさんの家に代々受け継がれる特別な物らしいの。」
「父さんの家…?どういう意味だ?父さんはただの平民だぞ。」
「クレア。驚くかもしれないけど、カイルさんは…、クレアのお父さんはただの平民じゃないの。」
「は?父さんが平民じゃない?じゃあ、何だ。まさか、俺の父さんは貴族だったとでも?」
リエルは首を横に振った。
「ううん。クレアのお父さんは貴族でも王族でもない。カイルさんは…、元暗殺者だったの。」
「あ、暗殺者!?父さんが!?」
「私も初めて聞いた時は驚いた。でも、エリザさん本人から聞いたの。だから、間違いないわ。」
「う、嘘だろ…。父さんが暗殺者だって…?だって、そんな話、一度も…。」
「それはそうだよ。自分の父親が暗殺者だなんて子供に話せるわけないもの。でもね…、カイルさんはエリザさんと出会ってから暗殺者から足を洗おうとしたの。だけど…、カイルさんはただの暗殺者じゃなかった。」
「な…。ただの暗殺者じゃないってどういう…、」
「この短剣の鞘に刻まれた三日月…。クレアは見覚えがない?」
「三日月…?あれ、そういえば、俺の腕にも同じ形の痣が…。」
クレアはその時、ハッとした。
「そ、そういえば…、父さんにも同じ痣があった。左肩の所に三日月の形の痣があって…、」
クレアはバッと短剣を取って、まじまじと見つめた。この三日月の形…。同じだ。俺と父さんの痣と同じ形の…。
「ど、どういう事だ?」
「クレアのお父さんの家は代々暗殺者の一族だったらしいの。
三日月の痣は一族の中でも特に優秀な人間にしか受け継がれないものらしくて…。
その三日月の痣を持って生まれた子は戦闘能力に天賦の才を持っているといわれているの。
そして、その三日月の痣を持った人が一族の当主に選ばれるという伝統があったみたいなの。
実際、その痣を持った人間に一族の中で勝てた人はいなかったと言われてて…。
だから、カイルさんは一族の中でも最強の強さを持っていた。でも、時代の流れと共に一族は衰退していってしまった。昔は一族の間にも暗殺者としての心得や掟があったみたいなのに段々とそれが軽んじられるようになってしまって…。その内にお金の為なら何でもするようになってしまったみたいなの。」
クレアはじっとリエルの話に耳を傾けた。
エリザさんから聞いた話をリエルは話した。
カイルは物心ついた頃から、暗殺者として育てられた。侯爵家専属の暗殺者として雇われていたカイルは表では侯爵家の使用人として働き、裏では暗殺者として暗躍していた。
そんな時にカイルはエリザと出会った。
侯爵家の侍女として働くエリザはその器量のよさから使用人の男達から人気があった。
美人なのに謙虚で慎み深い性格も男性から好意を寄せられる理由の一つだった。
だが、エリザはその美貌のせいで侯爵家の当主に目を付けられてしまう。
侯爵は彼女を愛人にしようと企んだが、エリザはそれを断った。
けれど、それを知って、激怒したのが侯爵夫人だった。
傲慢で嫉妬深い侯爵夫人は夫を横取りした泥棒猫だとエリザを罵倒し、折檻した。
それから、侯爵夫人はエリザを目の敵にし、使用人達を使ってありとあらゆる嫌がらせをした。
そんなエリザを助けてくれたのがカイルだった。
「エリザさんとカイルさんの間に何があったのかは詳しくは知らないけど…、それがきっかけでエリザさんはカイルさんを好きになったみたい。皆、侯爵夫人を恐れて、誰も助けてくれない中でカイルさんだけはエリザさんを陰ながら助けてくれたんだって。」
そんな事されたら、好きになってしまうのは当たり前じゃない?ってエリザさんは頬を染めながら話していたのを思い出す。あの時のエリザさん、恋する女性って感じでとっても綺麗だったな。
「父さんが…、母さんを…?」
「エリザさんとカイルさんはちゃんと愛し合って結ばれたんだよ。」
「う、嘘だ!だって、父さんはいつも母さんを泣かせて…!」
「クレア。落ち着いて。まだ続きがあるの。クレアのお父さんがあまり家に帰ってこなかったのは理由があるの。」
「理由…?」
「あのね…、」
エリザとカイルは互いに惹かれ合い、秘密の恋人同士となった。
しかし、侯爵夫人のエリザに対する敵意と憎悪は激しさを増し、終いにはエリザを殺そうとしたのだ。
何度も事故に見せかけて殺そうとした。けれど、その企みはいつも失敗に終わった。カイルが事前に防いだからだ。
それでも、侯爵夫人はエリザを殺すことを諦める事はしなかった。
そして、遂には、業を煮やした侯爵夫人がカイルとその一族の暗殺者を使ってエリザを消そうとした。
侯爵夫人の企みを知ったカイルはエリザを間一髪のところで助けた。
だが、カイルのしたことは一族の裏切り行為だった。
その後、カイルは一族と決裂し、エリザを連れて侯爵邸を逃げ出した。
カイルの一族の頭はカイルの実の兄だった。
兄はカイルの裏切りに激怒し、標的のエリザと共にカイルも抹殺するように一族に命じた。
侯爵夫人はエリザを取り逃がしたと知ると、怒り狂い、どんな手を使ってでも始末するようにと暗殺者達に命じた。
その追っ手から逃れる為にカイルはエリザを連れて村へ町へと渡り歩いた。
逃亡生活は数年間続いた。しかし、その間にエリザが子を身籠ってしまった。
妊娠している身体で逃亡生活を続けるのは無理だと判断したカイルは住まいを定着させることにした。
逃げ回るには限界があると気づいたからだ。
むしろ、周囲の人間に混じって暮らした方が敵の目を眩ますことができると考えた。
そして、最終的に行き着いた場所があのクルソ村だった。
クルソ村に住まいを構え、エリザと生まれたばかりの娘のクレアは家に置いて、カイル自身は単独行動をするようになった。
それまでは、エリザを守ることに徹していたため、カイルはできるだけ戦闘行為を避けていた。
だが、単独行動をとるようになった今、その必要はなくなった。
逃げても逃げても執拗に命をつけ狙う兄達の殺意を身に沁みて感じ取っていたカイルは覚悟を決めた。
兄とその残党を殺さない限り、エリザと子供の命が危険に晒される。
カイルは妻と娘を守る為に戦う事を決意した。
カイルが単独行動をし、敵の目を引き付ける事ができたお蔭でエリザの居場所を隠すことができた。
できるだけ、敵にエリザの居場所を知られることがないよう、カイルはできるだけ家に長居はしないようにした。それでも、家族が安全に生活しているか周囲に敵の影がないかを確認するためにエリザ達の元に帰ってくるようにした。
エリザ達の無事を確認し、すぐに出かけようとするカイルをエリザが引き止めたのは彼に死んでほしくなかったからだ。
そうして、ずっとカイルは家族を守ってきたのだ。