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第二百二十四話 私はあなたと話がしたいの

「ッ!?いっ…!」


目が覚めたクレアは勢いよく起き上がり、その反動で全身に激痛が走った。

あまりの痛さにクレアは声にならない呻き声を上げて、悶絶する。


「いっ…、てえ…。」


身体中がズキズキする。頭も痛い。じんわりと汗を掻いたクレアはふと自分の身体を見下ろすと、全身に包帯が巻かれていた。ツン、とした薬の匂いが室内には残っている。

庶民の部屋とは比べ物にならない広い部屋に高そうな調度品や家具が置かれた部屋…。

明らかに貴族の屋敷だと分かる部屋だ。今、自分が寝かされている寝台もふかふかでシーツも肌触りがよく、明らかに上流階級の人間が使う物だ。自分がいつも寝ている固い寝台とは大違いだ。


痛む頭を押さえながらもクレアは倒れる前の出来事を思い出す。

そうだ。俺は確か…、あの後、気を失って…。

牢屋にぶちこまれていると思っていたのに拘束もせずに傷の手当てを…?

クレアは自分の置かれた状況に訳が分からなかった。


「にゃあ。」


猫の鳴き声がして、反射的に見下ろすと、そこには黒猫がいた。首には赤いリボンが結ばれている。


「お前…。ずっとここにいたのか…?」


クレアが手を伸ばすと、黒猫はゴロゴロと喉を鳴らした。

どうやら、こいつはこの家で随分と大切にされているみたいだ。

俺の元にいた頃よりも毛並みは艶やかになっているし、肉付きがよくなって、ふっくらしている。前はあんなに痩せていたのにな。

クレアは毛づくろいをする黒猫を見ながら、ぼんやりとそう思った。


「うっ…!」


ズキッ、と痛む傷にクレアは顔を歪め、蹲った。

少し動いただけでこの様か…。とりあえず、状況が状況だ。

まずは現状を把握することが最優先だ。恐らく、ここはフォルネーゼ家の屋敷…。

どうして、拘束もせず、牢屋に投獄もせずにこんな風に手当てをするのか疑問は尽きないが俺にとっては都合がいい。何とか隙を突いてここから逃げ出すか、あるいは…、不意にクレアは人の気配を感じ、サッと寝台に横になると寝たふりをした。誰か来る。


直後、扉が開いた。扉が閉まり、施錠する音が聞こえる。

扉の外から騒がしい声と扉を叩く音が聞こえる。


「ごめんね。アルバート。」


そう言って、謝る女の声は聞き覚えがあった。リエル・ド・フォルネーゼ。あの女の声だ。

クレアの心臓がドクン、と音を立てた。こちらに近付く足音が聞こえる。

リエルに気が付いた黒猫がにゃあ、と鳴いた。


「クロエ。」


リエルが猫を撫でる気配がした。ゴロゴロと気持ちよさそうに喉を鳴らす音が聞こえる。

目の前に影が差した。


「クレア…。」


心配そうな声で名前を呼び、そっと髪に手が触れる。

触るな、と怒鳴ってやりたいのに彼女の手が思いのほか優しく触れてくるのでクレアは戸惑った。

温かい手だった。亡くなった母もこうやって愛おしそうにクレアの髪を撫ででくれたのを思い出し、ギュッと胸が締め付けられた。


「クレア。ごめんね…。助けてあげられなくて…、本当にごめん…。」


ポタッと水滴がクレアの頬に落ちた。まさか、これは涙…?この女が泣いているのか?

クレアは困惑した。分からない。何に謝っているのか。どうして、泣いているのか…。

思い出すのは気を失う前に見たリエルの表情…。あの時、クレアを真っ直ぐに見つめた目が忘れられない。


「あなたに話したいことがたくさんあるの。だから…、お願い。クレア。早く目を覚まして。」


そっと優しく手を取られ、ぬくもりを感じた。

気付かれないようにうっすらと目を開けてみれば、リエルがクレアの手を額に押し当てて、俯いている。リエルの膝の上には短剣があった。周囲には誰もいない。他に人の気配も感じない。

この部屋にはこいつと俺だけ…。今なら、殺れる。あの短剣を奪えば、すぐにでも…!

リエルは短剣をクレアの枕元に置いた。そのまま背中を向け、水差しに手を伸ばした。


扉を叩く音とリエルを呼ぶ声が強くなった。早くしないと…、他の奴らが来てしまう。

迷うな!殺るなら、今しかない…!

クレアは痛みを堪えながらも、音もなく短剣を手に取って引き抜くと同時に背後からリエルの腕を掴んで寝台に押し倒し、馬乗りになった。リエルを押し倒したと同時に喉元に短剣を突き付ける。

俺の勝ちだ…!荒い息を吐きながらも、クレアは口角を吊り上げた。


「ハッ…!油断したな。リエル・ド・フォルネーゼ…。その油断が命取りだ。怪我をした俺なら何もできないと思ったか?残念だったな。お前を殺す位の力はあるんだよ!」


「……クレア。」


リエルは突然の不意打ちにも動揺した様子はなく、クレアを真っ直ぐに見つめる。

その目にクレアはイラっとした。何で動揺しないんだ?こいつ。自分が殺されそうになってるっていうのに。焦るなり、泣き叫ぶなりしろよ。


「無理に喋らないで。傷が開くわ。」


「は…?」


何言ってんだ?こいつ。正気か?


「お前、頭でも打ってイカれてるのか?今の状況を理解してねえのかよ!お前は今!俺に!ナイフを突きつけられてるんだぞ!俺が少しでも力を加えればすぐにでも…!」


その時、扉が勢いよく開かれた。チッ!もう来やがった!


「リエル!ッ!?」


「姉上!」


アルバートとルイやメリル達が室内に足を踏み入れる。

リエルを組み敷いたクレアを見て、アルバートとルイは目を見開いた。メリルは悲鳴を上げた。


「お嬢様!?」


「あの野郎!やっぱり、リエルを殺すつもりで…!リエル!待ってろ!今、助け…!」


アルバートが剣の柄に手をかける。クレアはギロッとアルバートを睨みつけ、叫んだ。


「動くな!それ以上、動いたら…!」


「止めて!アルバート!ルイも…。それ以上、動かないで。」


「リエル!?」


「姉上…?」


クレアよりも先にリエルが口を開いて、二人を止めた。危ないのは誰がどう見てもリエルだというのに。


「私は大丈夫…!だから、動かないで。そのまま、何もしないで。…お願い。」


「リエル!?お前、何言って…、」


「アルバート。ここは姉上の言う通りに。」


「は!?お前まで何言いだすんだ!」


アルバートとルイをじっと見つめて、懇願するリエルの言葉にルイは護身用の剣を抜こうとした手を下ろした。そして、アルバートに剣の柄から手を離すように言った。そんなルイにアルバートは信じられないような表情をして、抗議した。


「リヒター。」


「はい。旦那様。」


「なっ…!何すんだ!リヒター!手を離せ!」


ルイの言葉に頷き、リヒターが音もなく背後から現れ、アルバートの腕を掴んで、動きを止める。


「どういうつもりだ…?」


クレアはリエルを睨みつけ、そう問いただした。

リエルは抵抗もせずに黙ったままクレアを見上げた。


「私はあなたと話がしたいの。クレア。」


「話…?お前なんかと話すことはない!大体、何だ!大丈夫って。お前、何か勘違いしてるな?俺を助けたから、俺がお前を殺す筈がないって思ってるのか?ふざけるな!こんなので俺を助けたつもりかよ!」


「そんな事、思ってない。…クレア。さっきも言ったけど、あまり喋らないで。それ以上、喋ったらあなたの身体が…、」


「ッ!」


この期に及んでまだクレアを気遣うリエルにクレアは苛立った。

何なんだ。こいつは…!さっきから、訳わかんない事ばっかり言いやがって…!


「黙れ!もう、お前、黙れよ!お前が喋ると、苛々するんだよ!」


「クレア…。」


「黙れって言ってるだろ!二度と口が利けないようにしてやろうか!俺がその気になればお前を殺すことだって…!」


「お、お嬢様…!旦那様!リヒターさん!こ、このままじゃお嬢様が…!」


メリルが涙声でリヒターとルイに話しかけるが二人は表情を変えずに成り行きを見守っている。

いつの間にかリヒターから手を離されたアルバートも固唾を飲んでじっとリエルを見つめていた。


「…クレアは私が憎い?今でも、私を殺したいと思っている?」


「ッ、当たり前だろうが!何度も言わせるな!俺はお前達に復讐する為だけに生きてきたんだ!

お前は俺と友達だったなんてほざくがそんな嘘に俺は騙されないからな!そんな言葉で俺を誤魔化そうとしたって無駄だ!何を言われたって、俺の気持ちは変わらねえんだよ!お前を殺して、フォルネーゼ伯爵に絶望を与えてやる!それで俺の復讐は果たされるんだ!」


「そう…。それがあなたの望みなのね…。」


リエルの表情は変わらない。ただ、その目には深い悲しみと純粋な心配の色があるだけだ。

苛々する。何でそんな目を俺に向けるんだ。俺はお前を殺そうとしているっていうのに…!


「いいよ。」


「あ?」


リエルの言葉にクレアはピクッと眉を顰めた。いいよ?何が?


「あなたが私を殺したいというのなら…、それでも私は構わない。…それがあなたの望みなら…。」


「なっ…!?」


「リエル!?おまっ!何言いだすんだ!」


クレアは予想外の言葉に動揺した。白薔薇騎士が何やら焦ったように叫んでいるがクレアの耳には入らなかった。

こいつは、今…、何て言った?

俺に殺されてもいいとそう言ったのか?自分が死ぬかもしれないのに?

どうして…、どうして、こいつはそんな事を言うんだ。どうして、そんな目で俺を見るんだ!

止めろ!俺をそんな目で見るな!

迷うな…!迷うな!こいつはフォルネーゼ家の女だ!今が絶好の機会なんだ!復讐を果たせ!

あの伯爵の前で最愛の姉を殺して、絶望を与えてやれ!俺と同じ苦しみをあいつにも…!


それなのに…、クレアの手は震えていた。

どうして…?人を殺すのは初めてじゃない。それなのに…、どうして、俺の身体は動かないんだ。

動け!動けよ!俺の手…!俺が少し手を動かすだけでこいつの命は一瞬で奪える…!なのに、何で…!


「…?あいつ…。」


アルバートがぼそりと不思議そうに呟いたと同時にリエルがグッと前に首を押し出した。

そのせいでナイフの刃がリエルの首に食い込み、プツッ、と皮膚が切れ、血が滴り落ちた。


「!」


反射的にクレアは短剣を持つ手を下げ、後ろに下がった。


「な、何してんだ!お前!今、この状態で首を動かすなんて馬鹿じゃねえの!死にたいのかよ!」


自分でも何を言っているのか分からなかった。俺はこいつを殺したいはずなのに…。

どうして、真逆の事をしてしまったのだろう。

完全に無意識の行動だった。無意識のうちにクレアはリエルを傷つけないように後ろに下がったのだ。

俺は…、目の前のこいつに死んでほしくないと思ってしまった。何で…。何で…!

リエルは苦痛に顔を歪めながらも、必死に言葉を紡いだ。


「クレア。どうして、今、下がったの?そのままあなたが動かなかったら、私を殺すことができたのに。どうして、私を助けようとしたの?」


「そ、それはっ…!お、お前がまさか、あんな風に首を差し出してくるなんて思わなくてっ!それで…!」


「ねえ、クレア…。本当はあなた…、私を殺したくないんでしょう?」


「っ!そんな訳あるか!俺はずっとお前を殺す為に…!」


「なら、どうして、私を殺さなかったの?今も…。あの時も…。あなたは私を殺さなかった。」


リエルが真っ直ぐにクレアの目を見つめた。クレアはギクッとした。

まさか、こいつ…。気付いていたのか?


「あなたは路地裏で私を追い詰めた時も…、私を殺さなかった。あの時、私を殺す機会は何度もあった。

最初は気付かなかったわ。でも、追いかけられている途中で気付いたの。あなたは…、私に攻撃する時、外している様に見せかけて、実際はわざと外していた。それに、あなたが私にナイフを振り下ろした時…、私と目が合ったわよね?その時のあなたの目には迷いがあった。それを見て、気付いたの。あなたは…、本当は私を殺したくないんじゃないかって。」


「ち、違っ…!」


「あなたが否定するというのなら、それでも構わない。でも!もし、あなたの心にほんの少しでも…、迷いがあるのなら…、まずは私の話を聞いて欲しいの!私は…、あなたのお母様と約束したの。自分に何かあったら、本当の事をクレアに話してほしいって!」


「!母さんの…?本当の事って…。」


「私が知っていることは全部、話すわ。私とクレアの間に何があったのかも全部…!私の話を信じてくれなくても構わない。でも!せめて、エリザさんが私に託した話だけは聞いて欲しい!それだけは信じて欲しいの!全て話終わった後であなたがどうしたいか決めて欲しい。…駄目、かな?」


リエルの言葉にクレアは目を見開いた。どうして…、どうして、そんな目で俺を見るのだろう。

何でこいつの目はこんなに綺麗で…、澄んでいるのだろう。

俺は…、俺は…!クレアの手から短剣がカラン、と音を立てて、床に落ちた。


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