第二百十五話 ゾフィーside
痛い…!痛い!何、これ…?まるで骨がバラバラになりそうな痛み…!
身体に変化が起こったのは痛みだけじゃない。気持ち悪くて、吐き気もしてきた。
目が霞んで、視界が揺れる。
「どうした!?しっかりしろ!おい…!」
倒れ込んだゾフィーを抱き起し、黒猫が必死に呼びかける。が、ゾフィーの口からは苦痛の叫びしかでてこない。
「まさか…!」
黒猫は何かに気付いたようにハッとした顔をする。ゾフィーの肩を掴んだ。
「阿片を吸わされたのか…!?そうなんだな!?」
ゾフィーは意識が朦朧となりながらもコクン、と頷いた。
あの店に売られてすぐに、逃げられないように無理矢理身体を押さえつけられ、煙管を使って、阿片を吸わされた。その後も定期的に阿片を吸わされ続けた。
「あの糞男…!どこまで汚い真似を…!」
黒猫は苛立たし気に舌打ちをし、ゾフィーの身体を抱きかかえた。
ゾフィーはそこで意識が途絶えた。気が付いたら、薄暗い部屋の中でベッドに寝かせられていた。
「ここ、は…?」
「起きたか。」
すると、傍には黒猫がいた。黒猫は水が入ったグラスを差し出した。
「今の内に飲んでおけ。」
黒猫の言葉の意味が分からない。が、喉は渇いていたのでゾフィーはグラスを受け取り、ゴクゴクと水を飲んだ。
「あの、私、どうしてここに…?」
「俺が運んだ。悪いが、あんたを今すぐ帰すことはできない。」
「え…?」
「あんたは阿片を吸わされたんだ。阿片は中毒性の強い麻薬だ。例え無理矢理だったとしても、一度でも阿片に手を出せばやめられなくなる。あんたの身体は今、阿片に依存している状態だ。さっきのあれは阿片の効果が切れて、禁断症状を引き起こしていたんだ。このままだと、あんたは阿片を吸い続けないと生きていけない身体になる。薬が切れたら、何をするか分からない。だから、このままあんたを返す訳にはいかない。」
「で、でも…!今の私は何ともないのに…、」
「そんなの今だけだ。後、数時間もしない内にまた禁断症状が現れる筈だ。今、あんたが何ともないのは禁断症状を抑える薬を飲んだからだ。けど、これは大した効果はない。もって、後、数時間だ。依存性が高いやつは一時間ももたない。…薬はさっきので使い果たした。俺はあの分しか持っていないんだ。
だから、次に禁断症状がでたとしても、あんたはそれにひたすら耐えるしか手はない。」
ゾフィーは愕然とした。あの症状がまた襲う…?想像するだけで恐怖した。
「阿片が身体から完全に抜け出すまであんたをここに閉じ込める。」
「そ、そんな…!嫌!嫌…!お願い!今すぐ私を帰して!」
「…それはできない。」
黒猫は首を振り、目を伏せた。ジャラ、と足枷を取り出した。
「な、何…?」
「悪く思うな。あんたをここから逃がさない為だ。」
そのままゾフィーの足に枷を嵌め、ベッドの柱に鎖を繋いだ。
「辛いだろうが…、耐えろ。」
そう言って、黒猫は顔を歪めながら、扉を閉めて、出て行った。
それから暫くして…、ゾフィーの身体に異変が起こった。禁断症状が襲ったのだ。
「あああああ!い、痛い…!痛い!痛い!」
ギシギシと骨が軋むような痛み…。苦しい…!痛くて、痛くて死んでしまいそう…!
ゾフィーが痛みに泣き叫ぶ中、不意にゾフィーの目の前に男達が現れた。
「ヒッ…!?」
男達の手が伸ばされる。
「嫌ああああ!」
髪を、腕を、足を掴まれ、服に手をかけられる。そのまま男達に乱暴される。
「止めて!止めてー!助けて!助けて!ゼリウスー!」
「ゾフィー!」
不意に腕を掴まれる。黒猫がこちらを覗き込んでいた。先程、男達に犯されたせいかゾフィーはヒッ…!と悲鳴を上げた。
「嫌あ!触らないで!私に…、触らないで!」
「ッ!?」
バシッと黒猫を叩き、ゾフィーは必死に抵抗する。嫌だ!嫌だ!もう誰にもこの身体を触らせたくない!
「落ち着け!ゾフィー!」
「離してー!嫌よ!嫌あ!…ああ!やめてえ!」
最初に自分を犯したあの豚のような男がゾフィーの足を掴んだ。また、犯される…!そう恐怖していると、ガッと顔を掴まれ、黒猫がゾフィーを覗き込んだ。
「しっかりしろ!あんたは誰にも犯されてない!全部、幻だ!」
黒猫の言葉にゾフィーははあはあ、と肩で息をする。嘘!だって、そこに…、そこに男達がいる。私を犯そうと今にも手を伸ばしてきているじゃない!
「あんたは今、幻覚を見てるんだよ!男に犯されているって幻覚を見てるだけだ!あんたはまだ綺麗な身体のままだ!そうなる前に俺があんたを逃がしたんだ!忘れたのか!」
嘘…。嘘…。だって、だって、確かにあたしは…、あれ?でも、私は客に犯される前に彼が私を助けてくれたから無事…。え?じゃあ、今までの男達は一体…?黒猫が助けてくれたのが現実?そして、男達に犯されたのは幻覚?いや。もしかして、黒猫の事が幻かもしれない。願望のあまりそんな幻を見たのかも…。
駄目だ…。頭がぼんやりして何も考えられない。どれが現実で何が幻なの?
分からない。分からない。分からない。誰か教えて…!
「う、ああ…!あああ…!」
私に組み敷く男の姿にやっぱり、これは現実だと痛感する。
アハハ…。何だ。やっぱり、こっちが現実なんだ。そう乾いた笑いを浮かべると、目の前に誰かが立っていた。何気なく顔を上げると、
「!?ぜ、ゼリウス…!?」
ゾフィーは目を見開いた。間違いない。ゼリウスだ…!あ…、来てくれた!来てくれたんだ!
「ゼリウス…!会いたかった!」
が、彼に手を差し伸べた途端、フッと彼の姿は掻き消えた。真っ暗だ。何も見えない。
「ぜ、ゼリウス!?ゼリウス!」
どこ?どこにいるの?お願い。置いて行かないで!助けて!ゼリウス!遠くの方で笑い声が聞こえる。
ゼリウスの声…?ゾフィーは声のする方に走っていく。そこには…、庭園が広がっていた。
遠くの方では男女が仲睦まじそうに笑い合っている。癖の強い金髪の精悍な男はゼリウスだ。
あ…、とゾフィーは涙を流して駆け寄ろうとする。が、その隣にいる女性の姿にゾフィーは立ち止まった。女が振り返る。茶色の髪をした愛らしい少女は…、ソニアだった。
「ねえ、ゼリウス。あたしの事、愛してる?」
「ああ。勿論。ソニア、愛しているよ。」
ゼリウスはソニアの髪を一房手に取り、そこに口づける。愛おしそうにソニアを見つめる彼にゾフィーは胸が張り裂けそうになる。
「じゃあ、お姉様は?どう思っている?」
ソニアの言葉にゼリウスがスッと表情を打ち消した。冷たい…。まるで汚物を見るかの表情…。ゼリウスがゾフィーを冷ややかな眼差しで見つめる。
「ああ。あいつか。どうだっていいよ。あんな他の男と寝た薄汚い女なんて、いらない。俺はもうゾフィーなんて愛していない。」
世界が崩壊した。地面に膝をつくゾフィーにコツ、と足音がした。目を上げれば、そこには、綺麗に着飾った妹の姿が…。
「アハハ!いい様ねえ。お姉様。ねえ、…、今、どんな気持ち?愛しい男を取られて、他の男達の玩具になった気分は?苦しい?悲しい?」
アハハ!と楽しそうに笑うソニアにゾフィーは言葉を失くした。ソニアはゾフィーに優越感と嗜虐心に満ちた笑みを浮かべ、
「お姉様の物はあたしの物!ゼリウス様も、彼の妻の座も全部全部あたしの物になったの!あたしは侯爵夫人。お姉様は場末の娼婦!アハハ!惨めなものねえ!お姉様!」
ソニアの笑い声にゾフィーは耳を塞ぎ、絶叫した。
「…い!おい!」
ハッと目を開ければ、目の前には黒猫が焦った表情を浮かべてゾフィーを見つめていた。ゾフィーはハッハッと過呼吸のような息をしながら涙を流していた。
「ゼリウス…。ゼリウスが…、あたしのこと…、いらないって…。もう、愛してないって…!」
うわあああ!と泣き叫ぶゾフィーに黒猫は無理矢理ゾフィーの顔を上げさせ、
「だから、それは幻覚だって何度も言っているだろ!あんたの婚約者はここにはいない!ただの幻だ!」
「あ、ああ…。でも、でも…!私は男達に…、」
「それも全部、幻だ!あんたの身体は誰にも汚されてない!」
黒猫の言葉にゾフィーは漠然とした。今のは…、全部幻?そんな…、そんな事って…、直後、ゾフィーの身体をまたしても激痛が走った。地獄のような苦しみだった。全身の痛みだけでなく、幻覚と幻聴に苛まれ、おかしくなりそうだった。死んだ方がマシだとすら思った。でも…、それでも…、耐え続けたのは…、
「婚約者や親友に会いたいんだろ!?だったら、耐えろ!何が何でも耐え抜くんだ!」
黒猫の言葉にゾフィーは歯を食い縛って耐えた。会いたい。会いたい…!ゼリウスに…!リエルに会いたい…!その一心でゾフィーは地獄の数日間を耐え抜いた。
「はあっ…、はあっ…!」
身体が軽い。視界もしっかりと見える。幻覚も幻聴も起こらなかった。
「どうだ?」
「ええ…。もう、平気、みたい…。」
「そうか!良かった…!」
黒猫は心底、安堵したように笑った。ゾフィーも笑いかける。ふと、ゾフィーは黒猫がボロボロであることに気が付いた。頬や額に引っかき傷や叩かれた跡があった。
「あ…、その傷…。もしかして、私がつけた…?」
記憶は曖昧だが禁断症状に苦しんで暴れている時に黒猫にも当たり散らして叩いたり、引っ掻いた覚えがある。
「ご、ごめんなさい!私ったら…!何てことを…!」
「ああ。これ位、掠り傷だから気にすんな。」
「わ、私…!手当てしますから!」
誠心誠意、心を込めて手当てしようとゾフィーは心に誓った。
三日三晩の禁断症状を耐え抜いたゾフィーはやっと地下室から出ることができた。
阿片を身体から抜け出すには初めの数日間が山だといわれている。その後の数日間は軽い症状で済むらしい。阿片はまだ抜け切れていないがその最大の試練をゾフィーは乗り切ることができたのだ。
後は数日間ここで大人しくしているようにと言われ、ゾフィーは黒猫の言いつけに従った。
ゼリウス達の元に戻るのは完全に身体から阿片が抜けきってからにしよう。