第二百七話 ゾフィーじゃない
「それより、この男は?こいつがこの娼館の親玉なのでしょうか?」
「あ、ううん。この人は…、」
「ゾフィー!」
その時、階段を駆け下りてくる足音と共にゼリウスが現れた。
「ゼリウス!」
「ゾフィーは!?見つかったのか!?」
ハアハア、と荒く息切れをしたゼリウスは切羽詰まった表情を浮かべている。
前よりも頬がこけ、やつれている気がする。
「いいえ。まだ…。」
「ッ、ゾフィー!どこだ!」
ゼリウスはリエルの返事を最後まで聞かずにそのまま駆け出した。
そうだ。ここに突っ立っている場合じゃない。
リエルもゾフィーを捜そうと奥の部屋に向かった。
「…!鍵がかかってる…。」
「リエル。どいていろ。」
アルバートがそう言って、リエルを下がらせ、扉を蹴破って扉を開けた。
そこはさらに下に降りていく石畳の階段があった。階段を降りていくと、そこは牢屋らしき部屋だった。
中に足を踏み入れた瞬間、鉄の匂いがした。足を踏み出すと、ビシャ、と音がして、足元がぬかるんだ。
ランプを照らして見るとそれは血だった。
「ヒッ…!?」
リエルは驚いて、壁に肩をぶつけてしまった。
室内をランプの光で照らしてみると、そこには三人の男の死体があった。
「これは…、」
一緒に来ていたルイも息を呑んだ。
「リエル。お前は見ない方がいい。」
そう言って、アルバートは上に戻るように言うが、リエルは首を横に振った。
「…だ、大丈夫。」
「けど、お前、酷い顔色だぞ?一瞬だけ見たけど、あの死体はかなりえげつない殺され方をしている。無理するな。」
「そうですよ。姉上。このような血生臭いもの姉上の目に触れさせるわけには…、」
「大丈夫。…ゾフィーがあの中にいるかもしれないし…、」
リエルは奥にある牢屋に目を向けた。部屋が薄暗いので牢屋の中までは見えないが、あそこにゾフィーがいるかもしれないのだ。
「姉上…。分かりました。でも、無理はしないで下さい。」
「ええ。ありがとう。」
リエルの懇願にルイが折れた。
アルバートは無言で死体を見下ろした。
「一人目は首を斬られて即死、もう一人も急所を一発でやられているな。」
「こっちの死体が一番悲惨ですね。」
リエルも三人目の死体に目を向ける。
ルイの言う通り、三人目の死体が一番惨い殺され方をしている。
全身を何か所も刺され、思わず目を背けたくなる光景だ。
でも、どうして彼らは殺されたのだろうか?
仲間割れでも起こったのか、シーザーの命令で口封じに殺されたのか。
疑問は他にもある。
他の二人は急所を的確に狙って仕留めているのにこの人だけどうしてこんなに…。
もしかして、複数犯いるのだろうか?でも、この殺され方はまるで怨恨のようなものを感じる。
ゴクッと唾を飲み込み、リエルは死体から目を背けて、牢屋に向かった。
牢屋を一つ一つ確認するが誰もいない。一番奥の牢屋を覗けば、そこには一人の女性が仰向けになって倒れていた。
「ッ…!ゾフィー!?」
髪はボロボロで泥や汚物で汚れて何色か判別つかないが、光を灯せば赤っぽい色をしている様に見える。リエルは鍵を開けて、中に入ると倒れている女性に駆け寄った。
女性に触れると血がべったりと付着した。よく見れば、女性は胸を刺され、血を流していた。
「ゾフィー!?ゾフィー!しっかりして…!」
リエルは慌てて赤い髪の女性を抱きかかえた。冷たい。女は息をしていなかった。
リエルはサッと顔を青褪めた。その時、前髪で隠れていた女の顔が露になった。
「ッ!違う…。ゾフィー、じゃない…。」
リエルはまじまじと女の顔を見るがそれはゾフィーじゃなかった。どれだけ姿形が変わってもリエルがゾフィーを見間違う筈がない。髪色は似ているが顔立ちが全然違う。
「じゃあ…、ゾフィーはどこにいるというの?」
リエルの声に答えられる者は誰もいなかった。
「姉上。この女性はゾフィー嬢ではありません。ですから、まだゾフィー嬢が生きている可能性があります。」
「ルイ…。」
リエルはゾフィーではない別人の女性を抱きかかえながら、ルイに目を向けた。
でも、その言葉に頷くことはできなかった。
ふと、リエルの頭の中にシーザーの言葉が甦った。
死体でも見つかるといい。シーザーは確かにそう言った。
まさか、本当にゾフィーは…、
目の前が真っ暗になり、じわっと涙で視界がぼやけたその時、
「ん…?」
不意にルイが通信機を取り出した。
「リヒター?どうした?何かあったのか?…そうか。分かった。すぐ行く。」
ルイは短くそう答えると、通信を切った。
「姉上。今、リヒターから連絡がありました。ゾフィー嬢について知っている娼婦がいるそうです。その女から話を聞きましょう。」
「えっ?」
リエルは弾かれるように顔を上げた。
「ほ、本当!?」
「ええ。すぐに行きましょう。」
ルイに手を差し出され、リエルは女性の身体をそっと地面に横たえた。
ルイの手を取り、立ち上がったリエルはすぐに地上に向かった。
「アルバート。僕達は上に戻りますので後はお任せします。」
「は!?ちょっ、待っ…!」
「ごめんなさい!アルバート!また、後で!」
誰かと通信をしていたアルバートにルイとリエルはそう言い残して、足早に走り去った。
階段を駆け登り、地上に戻ったリエルはルイの案内で別室に誘導された。
「こちらです。姉上。リヒターは隣の部屋で例の娼婦と待機をしています。」
ルイは通信機を取り出し、リヒターに合図をした。
「リヒター。始めろ。」
ルイはそう言って、通信機を仕舞い、リエルを手招きした。
「この部屋は仕掛け部屋になっている様です。ここから部屋の様子が覗けるようになっています。」
そう言って、ルイに促され、リエルは隣の部屋の様子を窺った。
そこには、リヒターと一人の女性がいた。女は俯いていて、顔がよく見えない。でも、その肩は小刻みに震えていた。何かに怯えている様にも見える。
「どうしました?どうか、怖がらないで。わたしはあなたを傷つけるつもりはありません。」
「…いいえ。違うんです。あなたが怖いんじゃないんです。」
聞き覚えのある声だった。
リヒターは温かい紅茶を淹れると、
「どうぞ。温かいお茶でも飲めば気分も落ち着くかと。」
「…ありがとうございます。」
穏やかな笑みを浮かべるリヒターに女がそっと顔を上げた。
リヒターの笑みに少しだけ安堵したような表情を浮かべながら、カップを受け取った。
リエルはその女性の顔に目を見開いた。
―ルイーザさん!?
リヒターと一緒にいる娼婦はルイーザだった。
リエルの前ではいつもにこにこして、明るくて人懐っこい女性なのに今はその面影がない。
暗い表情を浮かべたルイーザは別人のようだった。
「よし。あの女、飲みましたね。あの紅茶には、自白剤を仕込んでいますから情報も引き出しやすくなった筈です。」
いつの間にそんな物用意していたんだろう。
というか、リヒターはあんな人の良さそうな顔をしておきながら、自白剤入りの紅茶を飲ませたのか。
一服盛ったにも関わらず、平然とした様子のリヒターにリエルは呆れた。
「突然、こんな騒動に巻き込まれて、あなたも混乱していることでしょう。ですが、ご安心を。
ここは摘発されますが、あなたの身の安全は保証します。」
「…。」
ルイーザは黙ったまま俯いた。身の安全を保証されると聞き、安堵したような表情を一瞬、浮かべたがすぐにその表情は曇った。
「今回の調査に協力して下されば、次の就職先の紹介もさせて頂きます。故郷へ帰りたいというのならその費用も工面しますよ。」
ルイーザはピクッと反応し、恐る恐る顔を上げた。
「あ、あの…、本当に私を故郷へ帰してくれるのですか?」
「ええ。勿論です。」
ルイーザは数秒、黙り込んだが、やがてゆっくりと息を吐きだすと決断したようにコクン、と頷いた。
「わ、分かりました。わたしの知っている事なら、全て話します。」
「ご協力感謝いたします。では、早速なのですが…、例の女性についてお聞かせ頂いても?」
「リアーヌの事ですか?」
リアーヌ。確かその名はゾフィーが娼婦として決められた名前だ。
ゾフィーが娼婦として売られた形跡のある書類にその名前が記されていた。
「源氏名ではなく、本名はご存知でしょうか?」
リヒターの質問にルイーザは首を横に振った。
「…ごめんなさい。わたし、マダムからはリアーヌという源氏名しか知らされてなくて…、本名は知らないんです。」
「そうでしたか。もしかして、その方は腰まで伸びた赤髪に深緑色の目をした女性でしょうか?」
「えっと…、髪色と目の色は確かにそうなんですけど…、ここにリアーヌが連れてこられた時、彼女の髪は短かったです。でも…、髪の長さが全然揃ってなくて…、その、無理矢理髪を切られたみたいな頭をしていました。」
リヒターは目を細めた。だが、すぐにニコッと穏やかな笑みを浮かべ、
「成程。そのリアーヌという女性はどちらに?この娼館で働いていた女性達は全員保護するようにと言われているのですがその方だけが見つからなくて…。」
さも、困ったように話すリヒターにルイーザはキュッと唇を噛み締め、
「リアーヌは…、ここにはいません。」
そう言って、ルイーザは当時の事を振り返って話した。