第二百三話 お邪魔だったかな?
「り、リエル…。その…、き、聞きたいことがあるんだ。ここにいるってことは娼婦として入ったって事だよな?そ、それってつまり、その…、」
アルバートがリエルをチラチラ見ながら、言いにくそうに…、けれど、知りたそうな顔をしていた。
リエルはアルバートが何を聞きたいのかすぐに察した。
「ああ。その事なら、大丈夫。実は、アレクセイ様に秘薬を分けて貰ってそのお蔭で客を取らずにすんだの。」
「は?ってことは、あの秘薬はリエルが持っていったものなのか!?」
「ごめんね。アルバートに頼んだら反対されると思ったから…。」
「当たり前だろ!誰が惚れた女を娼館なんかに行かせるか!っていうか、父上はリエルの事を知っていながら俺に黙っていたのか!」
「私がお願いしたの。アルバートには言わないでって。だから、アレクセイ様を責めないで。」
「ま、まあ…、リエルが無事で何もされていないならいい。けど、そっか。良かった…。お前、他の男に酷い事はされていないんだな。」
「うん。特に酷いことは何も…、」
「そっか。そうだよな。そういえば、お前からは男の匂いがしないもんな。」
「え…。に、匂い?」
リエルは思わず髪を嗅いだり、腕を近づけて嗅いだりもした。
接客に出るからと他の娼婦の人から、薔薇の香水を振りかけられたのでリエルは香水をつけている。
嗅いでみても強烈な薔薇の香りしかしない。
「リエルの匂いは前と同じで全然変わっていないしな。」
「え、私って普段からそんなに匂うの?」
私って、そんなに体臭きつかったの?思わずショックを受けるリエルだったが…、そんなリエルにアルバートは慌てた。
「ち、違うからな!?お前の匂いはその、何ていうんだろうな…、こう自然な香りというか…。甘くてすごくいい匂いがするんだ。」
「そ、そうなの?」
アルバートはじっとリエルを見つめ、スン、と鼻を吸った。
「けど、今は香水のせいで匂いがあんまりしないな。勿体ない。俺は香水とかより、何もつけないままの方が好きなんだけどな。」
そんな事初めて言われた。まさか、匂いだけでそんな事まで分かるなんて…。
これも薔薇騎士の能力の一つなのだろうか。そんな能力、聞いたことないけど。
それにしても、アルバートって、まるで…、
黙ってしまったリエルにアルバートは焦ったような表情を浮かべると、
「わ、悪い!気持ち悪かったよな!?け、けど俺は別に匂いで興奮するような変態でもなくて…!」
必死に弁解するアルバートにリエルは笑いながら、
「気持ち悪いだなんて思ってないわ。」
「ほ、本当か?」
不安そうにおどおどと聞くアルバートにリエルは笑って頷いた。
「うん。何だか、犬みたいでかっこいいなって。」
「!そ、そうか。か、かっこいいか。」
照れたように頬を掻くアルバートにリエルは可愛いと思った。
思わずアルバートをじっと見つめてしまう。そんなリエルにアルバートは一瞬、たじろぐが唇を引き結ぶと意を決したようにこちらに向き直った。
「リエル…。」
「アルバート?」
そっと頬に触れられる。アルバートは真剣な表情でリエルを真っ直ぐに見つめている。
熱の籠った視線にリエルはドキッとした。
キス、される…。そっと目を閉じようとしたその時、いきなり扉が開かれた。
「ああ。アルバート。ここにいたんだね。急にいなくなるから心配したよ。そうそう。例の娼婦の件だけど…、」
現れたのはサミュエルだった。サミュエルは気障な仕草で部屋に入るがリエルの姿を見て、おや、と目を瞬いた。
「もしかして、お邪魔だったかな?」
サミュエルがそう言った途端、アルバートがギロッと睨みつけた。
睨まれていないリエルですらも恐怖を感じる程の殺気だった。なのに、睨まれた当の本人は然して気にした様子もなく、飄々とした態度で両手を上げ、
「おやおや。ご機嫌斜めだね。アルバート。そんなに睨まないでくれよ。」
「誰のせいだと思ってんだ!大体、何で今、扉を開けたんだ!ふざけんな!」
「アルバート!落ち着いて!こんな所で騒ぎを起こしちゃ駄目だよ!」
リエルは慌ててアルバートを止めた。すると、サミュエルはん?と訝し気な視線をリエルに向けた。
サミュエルを睨みつけながらも拳を下ろしたアルバートにリエルがホッとしていると、
「君…、どこかで…、」
サミュエルは顎に手を置いて、リエルを見つめた。
「片目に包帯が…。それに、その声…。もしかして…、リエル嬢?」
もうバレてしまった。リエルは観念して、サミュエルに向き直った。
「お、お久しぶりです。サミュエル様。」
リエルはぺこり、とお辞儀をした。サミュエルは目を瞠ったが、すぐに優雅な微笑みを浮かべると、
「これはこれは…。まさか、本当にリエル嬢だったとは。いや。驚きましたよ。いつものチョコレート色の髪も魅力的ですがその亜麻色の髪も素敵ですね。
それにしても、一瞬、別人かと思いました。いつもと雰囲気が違って、とても…、」
そう言って、サミュエルがリエルの手を取って口づけをしようとしたが、その手はアルバートに叩き落とされた。
「サミュエル!何度言えば分かるんだ!リエルに気安く触るって言っているだろうが!」
「ちょ、アルバート…。」
何も叩かなくてもいいのに…。サミュエルは手を叩かれたにも関わらず怒ることなく、呆れたように溜息を吐いた。
「やれやれ。少し挨拶しようとしただけでしょう。嫉妬深い男は嫌われますよ。アルバート。」
「余計なお世話だ!」
アルバートはサミュエルを睨みつけた。
不意にサミュエルが笑みを消し、真剣な表情を浮かべた。
「リエル嬢がここにいるということは…、ご友人であるロンディ子爵令嬢の行方を探っているということでしょうか?」
「サミュエル様。何か知っているのですか?」
「妙な噂を耳にしましてね。ここに赤毛の娼婦が売られたということ。それから、この娼館では裏で阿片の密輸売買をしていると。」
「え!?」
初めて知る事実にリエルは驚愕した。
「アルバートが赤毛の娼婦を探していると耳にしたものですから、気になりましてね。
それに、この娼館は元々、調査対象であったのですよ。なかなか、実態を掴めませんでしたがこの機会に乗じて証拠を掴めれば一網打尽できるかと。」
「そのついでに赤毛の娼婦がゾフィー嬢なのかどうかを確かめようと思ったんだ。」
そうだったんだ。まさか、この店が阿片を売り捌いているかもしれないだなんて…。とすると、一番怪しいのはあの真紅の間だ。あそこに阿片の証拠があるかもしれない。
「リエル嬢のご友人であるその子爵令嬢がここにいるのは間違いないのですか?」
サミュエルの言葉にリエルは頷いた。
「はい。確かにゾフィーが売られたという証拠を見つけました。でも、ゾフィーの姿はどこにもありませんでした。真紅の間と呼ばれる部屋以外は全部探してみたんですけどどこにも見つからなくて…、」
「真紅の間?」
「最上階の奥にある部屋の名前です。そこは娼婦でも立ち入り禁止となっていて、問題を起こした娼婦がそこに入られているみたいで…。でも、そのほとんどは無事に帰って来ることはなかったと言われているみたいなんです。」
「何だ。それ。この店の娼婦でも入れないって…。」
「随分、怪しい匂いのする部屋ですね。」
「真紅の間には見張りの男達がいて、誰も近づけないようになっています。
娼婦の人達の反応を見ると、ゾフィーについて何か知っている様子でした。でも、それ以上は教えてくれなかった。まるで何かを隠しているような…。そんな印象を受けました。手がかりがあるとすればもうその部屋しか…。」
「じゃあ、そこに行けば、何か分かるかもしれないってことか。なら、話が早い。」
アルバートは剣の柄を握り締めてそう言った。
「リエル。お前は危ないからここに隠れていろ。」
「え!?でも…!」
「何が起こるか分からない以上、お前を連れて行くのは危険だ。」
「だけど…!」
「しかし、アルバート。もし、万が一、リエル嬢を一人にして彼女が狙われてしまったら誰が彼女を守るのです?」
「っ、それは…、」
「ここは、彼女も一緒に同行させた方がいいのでは?何かあったら、君がリエル嬢を守ればいい。そうでしょう?」
サミュエルの提案にリエルは弾かれたように顔を上げた。
「だ、だが…、」
リエルをチラッと見て、渋るアルバートにサミュエルははあ、と溜息を吐いた。
「どうやら、アルバートはリエル嬢を守り切れる自信がないようですね。はあ…。嘆かわしい。
同じ薔薇騎士として恥ずかしい限りです。ということで…、リエル嬢。このように弱気で臆病者なアルバートは放っておいて、あなたを守るという名誉な役目を是非、このわたしに…、」
そう言って、サミュエルはリエルの手を恭しく持ち上げるが、
「ふざけんな!誰がお前なんかに…!リエルは俺が守る!お前は引っ込んでろ!この女たらし!」
アルバートは慌ててリエルの肩を掴むと、そのままサミュエルから引き離した。
ガルル…、と威嚇する獣のような眼差しを向けるアルバートにサミュエルはあっさりと引き下がった。
「そうですか。では、仕方ありません。ここは、後輩である君に花を持たせましょう。」
そう言って、サミュエルはリエルにパチン、と色っぽくウィンクした。
サミュエル様…。もしかして、私が同行できるように…?
感謝の意を込めて、リエルはニコッと微笑んだ。
さすがだ。やっぱり、余裕のある大人は違う。これは、女にモテる訳だ。
リエルはサミュエルが女性に人気がある理由が分かった気がした。