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第十九話 母上、あまり僕を怒らせるな

フォルネーゼ家の夕食の席では静かな時間が流れていた。

カチャカチャと無機質にナイフやフォークで食事を切り分ける音が響いた。


食事が一段落したオレリーヌは上品にナプキンで口元を拭って、唐突に口を開いた。


「ルイ。…そういえば、怪盗は捕まったのかしら?」


「さあ。存じません。」


「知らない?何を他人事のように…、黒猫には我が家宝が盗まれているのですよ?それを…、」


「何を今更…。黒猫は今までもたくさんの盗みを働いていますよ。我が家宝だけではありません。一々、目くじらを立てないで頂きたいものです。」


「ルイ…!何を悠長な…、あなたがそんな事では我がフォルネーゼ家にまで…!」


「僕が何か?」


ルイは母に視線を向けた。

静かだがその有無を言わせない視線には言葉よりも重い威力がある。

気が強い母ですら、たじろいだ。


線の細い美少年でありながら、数多くの大人たちを相手に立ち回る術を持っている弟だ。

この視線一つで大の男ですらも萎縮してしまう場合もある。

それを実際に向けられれば母はひとたまりもないだろう。


「ルイ。」


「失礼。」


リエルがルイを制すると、弟は視線を外した。

黙々と食事を続けるルイに母は漸く冷静を取り戻した。


「ま、まあ…。いいわ。黒猫ならば、セイアス様が捕らえて下さるもの。」


口では強がっているものの、母のカップを持つ手は震えている。


「そ、そんな事よりも…、ね、ねえ。ルイ。今度、また夜会に招待されたの。だから、新しいドレスの調達が必要なのよ。」


「お母様もドレスを新調なさるの?なら、私も!今度、アルバートと出かける約束をしているのよね。」


セリーナが勝ち誇ったようにリエルを見やるが生憎と今は姉に構っていられるほど余裕はない。

姉の発言でルイの怒りが強まっていないかと危惧していることで精一杯だ。


「そんな物わざわざ新調する必要などないでしょう。あれだけ大量のドレスがあるのだから、そこから選んで着ればいい。」


「ルイ。あなたは殿方だから分からないかもしれないけど、夜会のドレスはとても重要なの。同じドレスを着ていたら流行に乗れなくなる。レディは常に流行に乗り、新しい波に乗らなければならないのです。…お分かり?」


「一週間前にも新しいドレスを仕立てばかりでしょう。しかも、何十着も。まだ袖を通していないドレスから選べばいいのでは?」


「それがねえ…。あの時は、仕立て屋に勧められて買ってみたけれどいざ手に入ると何だかもう、味気なく感じてしまうのよ。それに、次はもっといいドレスが手に入るかも知れないでしょう?だから…、ね?ルイ。お願い。」


母親はまるで恋人におねだりをする様に甘えた口調で話しかける。

そんな母親に対して、ルイは表情を動かさない。

が、リエルはルイの纏う雰囲気から怒りは十分に感じた。


「ドレス一着仕立てるだけで、どれほどの金がかかると…、」


「私達フォルネーゼ家の財政に比べればドレスを作るくらい訳ないでしょう?」


「そういう問題ではないのです。なら、今までのドレスは一体…、」


「もう着ないのだから捨てるに決まっているでしょう?」


そんな事も分からないの?と言いたげな態度にルイは口元を引き攣らせた。


「母上。一体、あのドレス代はどこから支出していると思って…、」


「あの人が残してくれた財産からでしょう?」


「いいえ。お母様。私達一家を支えてくださるお金はそのほとんどが領民からの税金です。」


見るに見かねてリエルは思わず、口にした。


「あなたに聞いていませんよ!リエル!行儀がなっていないわね!」


「申し訳ありません。」


「姉上の言う通りですよ。母上。あなただって、知っている筈だ。」


「ぜ、税金…?」


セリーナは初めて聞いたとでもいうかのように呆然として呟いた。

一体彼女の教育係は何を教えたのか。

リエルは姉の教育方針を疑ってしまう。

昔は、同じ家庭教師に教えてもらい、リエルとセリーナは二人共教育を同じように受けていた筈だ。

が、母親はセリーナを可愛がり、勉強よりもダンスや刺繍などに専念させた。

その結果がこれか…。リエルは溜息をついた。


「それが何だというの?税金が足りなくなればまた増やしてしまえばいいだけの事でしょう?」


母親の言葉にさすがのリエルも絶句した。


「母上。前にも申し上げましたよね?もうあなたのドレスや宝石にかける金はないと。」


「まあ!実の親に向かって何たる言い様…!」


「実の子供に金を集ろうとするあなたに言われたくありません。」


「私は侯爵家の娘にして、フォルネーゼ家の伯爵夫人ですよ?フォルネーゼ家の人間である私にもこの家の財産を使う権利が…、」


「父上の残した財産など当の昔にあなたは全てお使いになったでしょう。それでも、まだ足りないと?我が儘も大概にして頂きたい。」


「ルイ。私は知っているのですよ。あなたが伯爵となってから、事業が成功して、莫大な財産を今、手にしていること位…。そのお金があれば…、」


「何故、僕が稼いだ金を母上にやらねばならないのです。残念ですが、母上にあげる金は一銭もありませんから。」


「なっ…、私はあなたの母ですよ!?それを…、」


「それが何か?」


ルイは冷たい視線を母に向けた。

リエルは口を挟むことができずにいた。


「確かに僕を産んだのはあなただ。母上。…ですが、僕には母はいません。これが僕の答えです。…あまり僕を怒らせるな。」


最後の言葉は背筋が凍りつくような低い声だった。

ルイはそのまま席を立つと、


「今宵の晩餐はこれで失礼いたします。」


「ル、ルイ!話はまだ…、」


そのままルイは退出してしまい、リエルも弟の後を追い、席を立った。


「ッ…!」


ルイは壁に拳を叩きつけた。


「どこまで…、人を馬鹿にすれば気が済むんだ…。あのアバズレ…!」


「ルイ!」


リエルの声にルイは振り向いた。


「ルイ。大丈夫ですか?怪我を…?」


「ご心配なく。姉上。僕は平気ですよ。」


フォルネーゼ家は複雑な人間関係にあった。

母オレリーヌと長女セリーナに次女のリエルと当主であるルイ…。

この両者は決定的な対立関係にあり、その溝は深まるばかりだ。

中でも母とリエルの確執は強い。


母はリエルを憎んでいるといっても過言ではない。それは、リエルの出生の噂が原因である。


リエルには昔から、ある噂が囁かれていた。

リエル・フォルネーゼは正式なフォルネーゼ家の娘ではなく、不義の子ではないか、と。


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