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第十八話 女は醜い生き物だ

弟、ルイの回想です。

ルイ・フォルネーゼはフォルネーゼ家の第三子として、生を受けた。

娘しかいなかった当家に待望の男子が生まれ、屋敷中は祝福と歓喜の声に満ち溢れた。

特に母親は息子が生まれたこと、父親そっくりの容姿で生まれたルイを見て、大層喜んだらしい。

それを聞けば愛情深い母親だと誰もが感心しそうだがルイはそんな崇高な感情ではないことを知っている。幼い頃は気付かなかったが母はルイを心の底から愛してはいない。

母が愛しているのは嫡男としての自分とこの父親にそっくりの容姿だ。

ルイを見ている様で実際はルイを見ていない。

ルイを通して、父を見ているだけだ。

そして、母にとって自分は父を繋ぎとめるための道具にすぎないのだと理解していた。


父を異常なほど愛した母の歪な愛情を受けてルイは育ってきた。

五大貴族の嫡男として、貴族の世界に身を置き、教育を受けてきたルイは小さい頃から人の感情に機敏だった。

だから、すぐに気づいた。母が本当の意味で自分を愛していないのだという事実に。

母にとって、ルイはお人形のようなものだ。

機嫌がいい時に構い、機嫌が悪い時は放置する。


『ルイ!ああ。あなたは、本当に綺麗だわ。エドにそっくり。髪も目の色も…、全部…。ねえ、ルイ。お願い。お母様を愛しているって言って?』


ルイの頭や頬を撫で、うっとりと恍惚とした眼差しで母はルイを見つめる。

その瞳に映っているのは紛れもない自分だが母が見ているのは自分ではない。

ルイは舌足らずな口調で愛していると呟いた。


『もっと、もっと呼んで…!違うわ!ルイ!もっと、愛情を込めて呼びなさい!…ああ。そう!そうよ…!フフッ…、フフフ…、ああ…。愛している…。私も愛しているわ!絶対に誰にも渡さない…。渡すものですか。あなたは私だけの物…。私だけの物なのよ!』


頬を上気し、歓喜に身体を震わせ、弾んだ声を上げる母は狂っていた。

仕事で多忙な父はあまり、家には帰っておらず、その寂しさを母は様々な方法で発散した。

これもその一つだった。

ルイに愛の言葉を囁かせ、母はそれを興奮した眼差しで見つめ、べたべたと身体を触り、頬や額にキスの雨を降らせる。

母親からのキスや触れ合いをルイは心底、気持ち悪いと思った。

ルイはいつからか、そんな母を冷めた目で見つめ、嫌悪した。


これが自分の母親か。ルイは早々に母親の愛情というものを諦めた。

伯爵夫人としての務めは碌に果たさず、ドレスや宝石を散財し、男遊びにふける母親。

息子の前でも公然と夫以外の男といちゃつく母の姿は見苦しいことこの上なかった。

母は父にあそこまで執着しているにも関わらず、平気で他の男とも戯れていた。

理解できなかったし、したくもなかった。

そんなのが男女の愛だというのなら、自分はいらない。

あんな母親を持ってルイが腐らなかったのは姉のお蔭だった。


『ルイ。お庭に薔薇が咲いているのよ。一緒に見に行かない?』


そう言って、姉は屋敷に引きこもりがちなルイをよく外に連れ出してくれた。


『凄い!ルイ、もうできたの?ルイは本当に物覚えがいいのね。フフッ、あたしも負けられないわ。』


姉と一緒に本を読んだり、勉強をするのは楽しかった。

ルイが問題を解けば自分のように喜び、ご褒美にお菓子をくれた。


姉は母と違って惜しみない愛情を与えてくれた。

父もルイを愛してくれたが仕事で忙しかったので必然的にリエルと接することが多かった。


小さい頃から天才だと持て囃され、ある程度の事は何でもそつなく簡単にこなしてしまった。

言葉を覚えるのも計算も知識の吸収も誰よりも早くに身に着いた。

どうも、自分はかなり成長が早いようで基本的に一度やったり見聞きすればすぐにできてしまった。

正直、つまらなかったし、飽き飽きした。

けど、ルイは毎日に退屈しなかった。

リエルがルイを引っ張って色々な場所に連れ出してくれ、遊んでくれたからだ。


姉の傍にいるのは心地よかった。

姉がいたから、この時のルイは母親を嫌悪したがまだ女性に対して嫌悪の対象としては見ていなかった。

姉のような女性もこの世の中にはいるんだ。

そう思えると、希望を持てた。


将来は姉のような穏やかで優しい女性がいい。

母のような美しい女性でなくても構わない。

むしろ、美しくても性格の悪い女と一生一緒にいるなんて御免だ。

だったら、平凡でも少し位、不細工でも性格のいい女が余程いい。

そう思っていた。あの時までは。


『初めまして。ルイ坊ちゃま。…サリーと申します。』


ある時、紹介されたのは一人の画家だった。

その女は薄茶色の髪と目をしたパッとしない地味な顔立ちの女性だった。

何処となく、姉に似た穏やかな雰囲気のある女性にルイは好感を抱いた。


サリーの画家としての腕は優れていたがその性格も好ましかった。

姉にも親切にしてくれたサリーにルイは自然と心を許した。


『ルイ坊ちゃま。何か困ったことがあればいつでも、私に相談してくださいね。』


ふわりと優しく微笑むサリー。


いつしか、ルイはサリーにも甘えるようになった。

あまり、触れ合う事が好きではないルイだったがサリーには頭を撫でるのも手を握るのも許した。


ルイは自分でも気づいていなかったが母親の愛情に飢えていたのだろう。

ルイはサリーに母親の疑似的な愛情を見出すようになった。


『坊ちゃま。』


ある時、父親と姉と一緒に視察に出かけていたルイは孤児院の子供と遊んでいる所にサリーが現れた。


『サリー!何故、ここに?』


『院長に頼まれていた物を届けに来ていたのです。そうしたら、フォルネーゼ家の馬車があったのでもしかしたら、と思って…、』


サリーの手には手製で作られた手芸品が入った籠があった。

サリーは手先が器用でよくこういった物を作っていたのを思い出し、ルイはなるほどと頷いた。


『きっと、皆も喜ぶよ。サリー。君も子供達と遊ぼう。』


『ありがとうございます。ですが、まだ他にも届けなければならない荷物があって…、それを取りに戻らないと…、』


『なら、僕も手伝うよ。』


サリーはお坊ちゃんに手伝わせる訳には、と遠慮をしたがルイが気にしないでと言うと、サリーは恐縮しながらも礼を述べた。

こちらです。と案内された荷馬車に着いた所で、首に衝撃が走った。

そのままルイは意識を失った。



目が覚めた時はルイは薄暗い部屋で寝台に寝かされていた。窓には鉄格子が嵌められ、扉には鍵がかけられ、手首には手錠が繋がれていた。

そして、ルイの前に現れたのは、


『お目覚めですか?坊ちゃん。』


サリーだった。その表情はいつもと変わりない穏やかな笑みを浮かべている。


『サリー…。貴様…、何故…、』


『ああ。坊ちゃま。どうか、怒らないでください。あなたの愛らしい顔が歪むのは私の本意ではないのです。私はただ…、あなたを救って差し上げたかった。それだけです。』


サリーはうっとりとした眼差しでルイの頬を撫でる。


『ああ…。やはり…、いつ見ても坊ちゃまはお美しいですわ。絹のような手触りの輝かしい金髪に深く、澄んだ瞳…、白磁の肌にまろやかな手触り…。私の手にすっぽりとおさまるこの小さな手…。可愛らしくて、可愛らしくて…、誰にも触れさせたくない程に。』


サリーはルイの頬に手を添え、爛々と輝いた瞳でルイを見つめた。


『坊ちゃま。あなたの憂いは全て私が取り除いてあげます。ここで私と暮らしましょう?私と一緒に…、永遠にこの部屋で…、坊ちゃまは何もしないでいいのです。ただ、ここでこの部屋にいて下さるだけでいい。お食事もお風呂も着替えも下のお世話も全部全部、私がしてあげますわ。だから…、私だけのものでいて下さいな。坊ちゃま。』


これは誰だ。

目の前にいるのは本当にサリーなのか。

サリーの皮を被った偽物ではないか。

そう思ってしまう程にサリーは豹変していた。


『坊ちゃまは本当に美しい…。今まで私が出会った異性の中で一番素敵な子ですわ。あの子達よりもずっとずっと…、』


『あの子達…?』


『ええ。私の恋人達ですわ。』


そう言って、サリーは天井に吊り下がった紐を引いた。

壁を覆っていた黒い布が取り除かれ、そこからあらわれたのは…、たくさんの肖像画だった。


ルイは目を見開いた。

肖像画に描かれた人物は全員がまだ年端もいかぬ子供でルイと同じか変わりない年齢の子ばかりだったのだ。

髪と目の色は違えど皆が皆、美少年だった。


『坊ちゃまの絵もいつか、飾って差し上げますね。この子達と同じように…。』


『サリー…。この、子達は…、今どこに?』


聞いてはいけない。

そう思っても、聞かずにはいられなかった。

すると、サリーはにこっと無邪気に微笑むと、


『壊れちゃったんですの。でも、この子達が悪いんですのよ。私を拒んだりするから…、』


ぞっとした。

ルイは初めて母親以外で女を恐ろしいと思った。


『でも、大丈夫!今度は間違えない。坊ちゃま。私はあなたを愛していますの。あなたの為なら何でもしますわ。ねえ、坊ちゃまは私を拒まないでしょう?』


サリーはじりじりと近づいた。

狂気が宿ったその目にルイは足が竦んだ。

そのままサリーに抱き締められ、口づけられた。

初めての口づけは吐き気を催す程に酷く、苦い味がした。


『坊ちゃま。坊ちゃま…!ああ…。嬉しい…!漸く…、漸くこの日が…!あなたに触れられる日が来るなんて…!私の愛しい坊ちゃま…!』


サリーに身体を触られ、肌を舐め回され、興奮したように呟くサリーの声が何処か他人事のように聞こえた。

気持ちが悪いと思った。

吐きそうな位に。

自分もいずれはこの女に殺されるのか。

これが僕の最後か。

女に心を許したばかりにこんな…、

そんな愚かな自分に自嘲していると、不意に外が騒がしくなった。


サリーが異変に気付き、顔を上げた瞬間…、扉が蹴破られた。


『ルイ!』


入ってきたのは父とその護衛達だった。


『ルイ…。良かった…!生きて…、遅くなってすまなかった。』


父に救出され、抱き締められたルイはそのまま外に連れ出される。

外には執事見習いのリヒターと涙目のリエルが立っていた。


『ルイ!』


リエルは駆け出し、ルイを抱き締めた。

わあわあと泣き出すリエルにルイもじわじわと涙が滲み出し、涙を零した。


あの事件以来、ルイは女に心を許すことはしまいと誓った。


女は皆、身勝手で欲望に塗れた醜悪な生き物だ。

美しかろうか平凡だろうが根本的な部分は変わらない。

一見、見た目が人畜無害に見えてもその本性は汚い欲望に満ちている。

そう実感した。


サリーは結局、あの後捕らえたが牢の中で首を吊り、自殺したらしい。


サリーの自宅からはあの肖像画の少年の遺骨が見つかり、行方不明だった彼らは遺族の元に返された。

サリーは見目麗しい少年を攫ってはその少年を監禁し、愛でるという変態嗜好の女だった。


調べて分かったがサリーは昔から、成人の男性に興味を示さず、幼い少年に性的欲求を見出す幼児愛好家であったことが判明した。


ルイはあれから、よく人を観察するようになった。

自分が人の感情には機敏だと思っていたがそれは間違いだったと気付かされたからだ。

人の感情に聡いとはいっても所詮は子供だ。

母のようにあからさまな感情を露にする者ばかりではない。


世の中には感情を隠す術を持った人間もいるのだと痛感した。

善人面して悪事を働く者はたくさんいるのだから。

何より、そうした人の思惑を見抜けないと今後も貴族社会を生きていく上で必要だ。

そう思い、ルイは注意深く人を見るようになった。


信じられるのは自分と身内、そして、信頼できる使用人だけだ。


『ルイ。サリーのことがあなたの心に大きく傷を残しているのは知っているわ。でも、これだけは忘れないで。世の中にはサリーみたいな人ばかりじゃない。サリーは本当に例外なの。中にはちゃんとあなたをあなた自身を愛してくれる素敵な人だっている筈。だから…、希望は捨てないで。』


姉はそう言って、ルイの手を握ってくれた。

その温かい手は慈しみに溢れていた。

自分だって母に愛されず、苦しんでいるのに姉はいつだって他人を案じてくれる。

歪んでいるとはいえ、母に愛されている自分をリエルの立場からしたら恨まれてもおかしくないのに姉はそんな事はせず、いつも自分を気遣ってくれた。

その優しさにルイは何度も救われた。


救われているといえばあの時もそうだった。サリーに捕まった時も異変に気付いたのはリエルだったらしい。

弟の姿がないことに気づき、孤児院の子供に聞けばその一人が偶然、サリーと一緒にいたルイを見たと聞き、すぐに父に伝えてくれたおかげでルイを助け出すことができたのだ。

元々、サリーに疑惑を抱いていた父は彼女にそれらしい理由をつけてルイから遠ざけようとしていたらしい。


それを察知したサリーはこの凶行に及んだとのことだった。

もう少し遅かったら自分もあの少年たちと一緒に庭に埋められていたかもしれない。


姉は命の恩人だ。

だから、今度は自分が姉を守ろう。

そう誓った。

だから、姉を苦しめる元凶の母親はどうしても許せなかった。


いっそのこと、貴族の称号を剥奪して、国外追放にしてやろうか、隣国か辺境伯の貴族と再婚させて、二度と姉に手出しできないようにしようかと画策したこともある。

だが、あの心優しい姉の事だ。

真相を知れば傷つくだろう。

それはルイの本意ではない。

姉を守るのに傷つけては元も子もない。

あの聡い姉なら真相に気づいてしまうだろう。


だが、もしもあの母がこれ以上、姉を傷つけ、脅かすなら…、姉の身が危なくなればそんな悠長なことは言ってられない。

姉には申し訳ないが多少の痛みは残してもその身の安全をルイは選ぶ。

今はまだ母はギリギリの境界線を保っている。


それを超えてしまえば、その時は…、容赦はしない。


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