片道切符の宇宙旅行
~自殺とは、自ら命を絶つ行為を指す~
現代の日本の社会における最も重要な事は「物事の合理性」である。何事においても物事が合理的に考えられなければ、その企業は潰れていく。そんな世の中なのだ。その合理性の輪の中から飛び出た人間が自殺を選択するのであろうか。答えはYESであり、NOでもある。イメージは「国語の試験の記述問題と酷似したもの」といったところであろう。ここでは、そんな自殺に関して考えていく事とする。
そもそも人間とは何であろうか。人間は生まれ、様々なことを体験し、死んでいく。私たちのゴールは「死」なのだ。「死」とはそれまでの過程に関係なく、皆に平等に与えられた権利である。私たちはいつか死ぬために今を生きている。その死に対して怯える人間もいれば、待ちわびる人間もいるだろう。
これを踏まえた上で、先程の問題について考えていこう。先程私は、「自殺は合理性が無い人間が行う行為」という問題に対して、どちらでもないと回答した。まずはYESである理由から説明しよう。
そもそも合理性が無ければ、社会から「必要ない」と判を押され、社会のお荷物として生きていくこととなる。逆に言えば、合理性を持ち合わせた人間であれば、社会から必要とされる人間であり、自殺など考える暇など無いのである。社会から迫害され、自分の居場所がなくなった状態の人間が取る最終手段。それが自殺なのである。
ならばなぜ、NOでもあるのか。答えは簡単。自殺という行為が最も合理的な行為であるからである。
人間の最終ゴールは死であり、その死に最も合理的に向かう方法、それが自殺に他ならないのである。
ここからは自殺の中でもうつ病に関して話を限定しよう。
うつ病と聞いて読者の皆さんはどのようなイメージを持つであろうか。一般的によく聞く「自殺願望」や「集中力の低下」というところであろうか。
確かにうつ病になると、自殺願望が湧いたり、集中力が低下する。現に私も現在、精神科の医師からうつ病と診断された人間だ。うつ病というものは不思議なもので、全てのものが「自分が死ぬためのツール」にしか見えないのだ。例えば電車。健常者であれば、「通勤や通学時に使用するための公共交通機関の一種」といったイメージであろうか。もっと簡単に考えるのであれば「乗り物」である。しかし、うつ病の人間からしたら電車は「乗り物」という意味合いを持つ物というイメージよりも、「自分が線路に飛び込み、死ぬためのツール」という意味合いを持つ物というイメージの方が大きいのである。自分が死ぬイメージを常に抱いているのである。
そして、集中力の低下であるが、仮に文章を読んでいるとしよう。普通であれば文章を目で追って内容を理解するのである。しかし、うつ病患者は目で追うことしかできないのである。俗に言う「内容が頭に入ってこない」状態である。そして、今の私には自分が今パソコンで入力しているこの文章も、分の構成的な問題で正しいのかの判断が付かない状況なのである。それほど鬱というものは深刻な問題なのである。
自分の周囲にうつ病患者がいたならば、決して「がんばれ」と言ってはいけない。その「がんばれ」ですら、うつ病患者は重荷に感じるからだ。かけるとすれば、「あんまり無理はしないでね」程度が妥当である。うつ病患者には頑張らせてはいけない。出来る限りのことをさせてあげるのが回復への近道なのである。
周囲の人に迷惑をかけてしまうのがうつ病である。本人もその自覚があって「このまま迷惑をかけ続けるのも嫌だ」と考え始めたらもう最後。その先にある答えは「自殺」。
周囲の人に一つお願いがあります。たとえ本当に迷惑だったとしても、うつ病患者の前では決してその表情を見せないでください。それを見せたらタイトル通り「片道切符の宇宙旅行」へと旅立ち、その患者は星となるでしょう。
うつ病患者の事を少しでも知ってもらえたら...
そう思って書きました。
どうか身の回りにうつ病患者の方がいらっしゃったら、その方の味方になってあげてください。