【4話】 ジジイとパンと悪魔の関係
ファーデの商店が立ち並ぶ通りは今日も賑わいを見せていた。武器や防具といった装具の店は勿論、生活雑貨や食品のお店、飲食店から衣類など、ある程度のものはここで手に入るようだ。昨日の靴屋もこの活気ある通りに並んでいる。
「人が沢山居るなあ」
あちらを見てもこちらも見ても人、人、人といった具合だ。一様に買い物や食事を楽しんでいる。私は朝ごはんどころか昨日の夜さえ食べていない事に気が付いたが、よくよく考えれば無一文だ。見て楽しむのも悪くないが、お腹の音は正直だった。
(ぐー…)
どこからでも漂ってくる美味しそうな匂いに惹かれそうになるが、無銭飲食なんて認められない。今度は別の施設に入れられしまう。せめて色々なものを見て心だけでも満たされようと、私は地図看板を確認し町の中心にある噴水広場へと向かった。
向かう途中にも色々な発見や初めてが転がっている。少し路地に入れば人通りは少なく、静かで、時間がゆっくりと流れる穏やかな気持ちになった。路地を流れる水路には小魚が見えた。それをしゃがんで見ていると隣に猫がやってきて、私と同じように小魚を目で追っている。撫でようとするとパッと逃げてしまったのが、何だか可笑しかった。
路地を抜けると目の前に現れたのは背の高い市壁だった。ファーデの街は周囲をぐるっと壁に囲まれており、いくつかの見張り塔や門が設置されているようだ。近場の見張り塔には軍服姿の兵士が見え…あれ? その兵士が着ている軍服はエリシアたちと同じものに見える。黒を基調としたロングコートが外見の大半を占めるが、服の裾が黄色で縁取られているデザインや、大き目の金のボタンがまるでそれだ。
気になってフラフラっと近づいたが、私よりずっと高いところに居るせいできちんと確認は出来なかった。もし同じ服なのだとしたら、エリシアは本当は傭兵ではなくて街の兵士なのかもしれない。若しくは、事情があって傭兵をやっているのかもしれない。
考え事をしていると周りが見えなくなるのは悪い癖だ。私はそのまま誰かにぶつかってしまった。
「うあっ…いたっ!」
私がぶつかったのは弾力ある大きなお尻だった。その人はどうやら軒先で前屈みに作業していたようで、「何じゃ?」と立ち上がってこちらを振り返る。
大きい。見上げる大きさだ。振り返ったのは私より横に2倍、縦に 1.5倍ほど大きいおじいさんだった。白い半そでと白い長ズボン。前掛けまで白なら髪の毛も白い。強面な面にかかった四角い横長のメガネだけが黒だった。
「お嬢ちゃん、ちゃんと前を見て歩きなさい」
「あ、ごめんなさい」
おじいさんは心配するでもなくそう言うと、また背を向けてしゃがんで作業を始めた。そりゃそうだ。後ろから歩いてきた人間にぶつかられた方に落ち度なんて無い。大きくて怖かった分、怒られた私はシュンとしてしまう。なるべく早く横を通り過ぎようとした。
(ぐー…)
通り過ぎようとするまさにその時だった。大きめに鳴ったお腹の音に、おじいさんは顔を上げる。私は逆に恥ずかしくて顔を下げた。その居た堪れない空気の中、一瞬足が止まった私をおじいさんが「おい」と呼び止める。
私は半泣きの顔で振り返る。
「ご…ごめんなさい…」
「あ? 何言ってるんじゃ嬢ちゃん。ちょっと待っとれ」
おじいさんはそう言うと、大きな体を揺らしながら立ち上がり目の前の家の扉を空けた。中から良い匂いが漂ってくる。パンの香りだ。
パッと見上げるとそこはパン屋だった。人通りの少ない街の外れ。市壁のすぐ脇にポツンと建っていた。周りに他のお店は無く、住宅が立ち並んでいる。おじいさんの外見とは似ても似つかず、深い緑でまとまった落ち着いた雰囲気の外観は何ともお酒落で、商店通りの賑やかな装飾をしたパン屋とはまた違った趣がある。
私が店の前で待っていると、一人、また一人とお客さんが入っていった。まばらな人影が、皆一様にここに吸い込まれていくようだった。
「おい、入っといで」
カランコロンと可愛い入店ベルが鳴って、おじいさんが顔を出す。私は自分の中に芽生えた淡い期待を胸に店内へ入った。
壮観だった。息を吸えば一気にパンの匂いに包まれる。イチゴだバナナだクリームだが乗ったような煌びやかなパンこそ無いものの、フランスパンはバゲット、バタール、エピ、クロワッサンと他にも幾つか陳列しているようで種類が豊富だ。1斤ごとで売られた食パンには値札に【世界一美味しい】と殴り書かれている。見上げた自信だ。ベーグルやデニッシュ、ソーダブレッドや揚げパンなんかも見える。
先程入っていったお客さん達の会計もおじいさんがしていた。「計算がめんどくさいから 500G でいい」とか「いつも来るから 300G にしてやる」とか、到底商売には向いていない会計だったがお客さんは「美味しかった」「ありがとう」と笑顔で退店していった。
「嬢ちゃん待たせたな。ほら、これ持ってって食べな」
そう言うとおじいさんはクロワッサンを何度か適当にトングで掴み取り、ゴソゴソっと紙袋に入れたかと思うと私に突き出した。その入れる量も尋常じゃない。四つか五つ入れたように見えた。
そりゃ私もお腹が空いてパン屋に入れてもらって厚意で一つくらい貰えるかとは思ったが、流石にこんなに貰ってはばつが悪い。
「こんなに沢山…」
「そうかい、じゃあ全部で150G でいいさ」
おじいさんはそう言うとトングを元の場所に戻した。クロワッサンの値札をチラッと見ると、一個150G と書いてある。太っ腹な値引きだ。ただ、無一文の私にはそれさえ払えない。私が紙袋を見つめて黙っていると、おじいさんが紙袋を引っ手繰った。
ビックリしたが、お金も無い遠慮がちな人間に愛想が尽きたのだろうと思った。こんなことなら厚意に甘えておけば良かった…と少し後悔した時だった。私の口に目掛けて、ゴツゴツした手とクロワッサンが飛び込んでくる。
「んぐっ!? んっ…!」
クロワッサンの端が口に入ったのを反射的に噛み切った。甘い。美味しい。バターの香りが息をする度鼻から抜ける。空腹も相まって幸せな気持ちが溢れてくる。おじいさんがクロワッサンから手を離すと私はそれを鷲掴み、無我夢中で頬張った。こんな美味しいパンは初めてだと心から思った。あっという間にパンは胃袋へと消えた。
「美味しいか?」
おじいさんは目を細めてニィッと笑う。目を輝かせた私がコクコク何度かと額くと、その目が一段と細くなる。しゃがみこんだおじいさんが二個目のクロワッサンを私に差し出して「ほら」なんて言うもんで、我慢できずに貰って頬張った。二個目でも美味しい。涙が出てくる。
「泣くほど美味しいか! そうかそうか! ワッハッハ!」
おいじいさんは今度は大きく太い声で笑った。私の反応が相当嬉しいようで、紙袋の中のクロワッサンは結局五つとも全部無くなってしまった。両手の平サイズのパンを五つ食べ、私のお腹もすっかり満足していた。ついでに飲み物まで貰って、結果至れり尽くせりのタダ飯を食らってしまったのだ。
「おじいさん、ありがとう.」
すっかり餌付けのような形でパンも飲み物も貰った私は、無我夢中でパンを頬張っていたのが途端に恥ずかしくなってきた。お礼はちゃんと言おうと決めていたが、声は小さく、モジモジとしてしまった。
おじいさんは最初会ったときとは別人のように、またニイッと笑う。
「美味かったならそれでいい。金を貰うよりずっと嬉しい」
せっかくこんなに美味しいならもっと沢山の人に食べて貰いたかった。私がそう進言すると、おじいさんは「俺の味が分かる人間にだけ食べて貰いたい。だからここでいいんだ」とまた私に紙袋をくれた。
中にはあれもこれも、色々なパンが入っていてどれも美味しそうに見えた。持ってけと言うが流石にそれは悪いと伝えると、おじいさんは店の奥から雑巾とバケツを取り出してきて、私に手渡した。
「さっきは店先の掃除の途中だったんじゃ。頼むよ」
私は笑顔で頷くと店先に飛び出した。靴屋に行く事なんかすっかり忘れて、感謝の気持ちをこめて店先の陳列窓を磨く。秋口の水はちょっとだけ冷たかったが、それ以上に心も体もポカポカしていた。何せ帰れば土産話を聞いてくれ、貰ったパンを一緒に食べる人が居るのだ。
---×---
通りを歩く荷物がいる。訳の分からない事を言っているのではない。本当に荷物が歩いている。目の前から見れば、山のような買い物に足が生えて歩いているように見える。しかしその足取りは迷いが無く、前など絶対見えていないはずなのに何かにぶつかる事もない。但しその異様な光景に、周りを歩く人も居ない。
「アミュー? ちょっと買いすぎじゃない?」
荷物が少し苦しそうにそう言うと、色素の薄い少女は買い物メモと荷物を交互に見ながら「必要だから」と呟いた。買い物メモを作り、一本ずつ赤線を引いてクリアリングしていく様子は何とも几帳面だ。
「次、テツ爺のとこ…」
「お、またオマケして貰わなきゃな!」
そういうと少女と荷物は歩き出す。後ろをついてくる荷物を特に気にかける様子も思いやる様子も無く、大通りから少し狭い路地へと入っていった。水路が流れ、少し奥には革加工場の水車も見える。足の生えた荷物の登場に、ウトウト転がっていた猫が一目散に逃げていく。
「エリシア、荷物水に落としちゃだめ..」
「分かってる分かってる! ちゃんと見てるから大丈夫だって!」
エリシアの顔の先には視界を完全に遮るだけの荷物があり、周りなど絶対に見えていない筈なのだ。だがどうだろう、道を外す事も躓く事も無く、何なら普通に歩いているのと変わらない早さでアミューについていく。
アミューも心配はするが後ろは振り向かない。見えているという言葉にも特別突っ込まない。
「いやあこういう時に【千里眼】は便利だな! 何でも透けるしどこまでも見えるし!」
エリシアはそう言って笑った。アミューも「うん…便利…」とクスッと笑う。
通りを抜けると市壁が見える。壁と言っても何かから街を守っているわけじゃない。大昔の大戦期の名残で今や景観の一部だ。街の保安用にファーデの自警団が各所に常駐しているが、エリシアは正直効率が悪いと思っていた。善も悪も自ら足で探した方が良いに決まってる。
壁に沿って少し歩く。見張り塔を二つ横切って、線路を二本横切る。この線路は街の外と中心を結ぶ汽車が通っている。日に何十本か通るがこの道だけ踏切は無い。通るときはきちんと左右を確認しないと、ボーっと歩けば様かれてお釈迦だ。
線路を横切れば、その先に深緑の庇テントが顔を出す。テツ爺のパン屋だ。今朝食べた食パンはここで買っている。店主のテツと呼ばれているじいさんは自分の味が分かる人にしかパンを売らない偏屈ジジイだが、腕は惚れ惚れするほど確かだ。多少の偏屈には目を瞑ろう。
「よー! じいさん元気か!?」
エリシアが勢い良く店の戸を開ける。来店ベルが右へ左へ大きく揺さぶられ、カランカンコンと煩く鳴った。丁度焼きあがったパンを陳列していたテツ爺は、横目でエリシアとアミューを見ると「ハア…」と大きな溜息をついた。
「何じゃお前らか。せっかく気分良く居たのに、台無しじゃ」
テツ爺はそう言うと並べている途中のパンを適当に棚に流し入れ、定位置であろうレジ台向こうの椅子に座って新聞を開いた。エリシアはお構いなくトレーとトングを手にとって、店内をうろつき始める。アミューはテツ爺に軽く会釈するとエリシアの後ろをついて回る。
先程弄っていた陳列棚を確認すると、丁度焼きあがったのはクロワッサンだった。焼き直すなんて、今日は多く出たのかもしれない。
「あ、アミュー。食パン取ってきてくれ。じいさんのは世界一美味いからな」
わざとらしいエリシアの言葉を、テツ念はフンと一息であしらうと新聞を接る。いつもなら「好きなパン二、三個持ってけ」と続けて言うはずだが、今日は調子が悪いのかもしれない。エリシアは「含水率が~」「食感が~」「発酵時間が~」と思いつくものを褒めてみたが、今日のテツ爺の牙城は崩せそうではなかった。新聞を読みながらこちらには目もくれない。
きっとそういう気分じゃないのだろう。エリシアは食パンを持ってきたアミューに小声で「ケチだ」と言いながら残念そうな顔を見せる。
「エリシア…サイテー…」
アミューでさえこれだ。分かってる。分かってるとも。別にオマケして欲しくて来たわけじゃない。なんて冗談の通じない奴らだ。
エリシアは不満そうにトングをカチカチ鳴らすと、ディアが食べそうなパンを探すことにした。何が好きかとか嫌いかとか、食べれないだとか何も知らない。アミューがクロワッサンが欲しいと言うので、とりあえず同じものを六つ買うことにした。
一通り回って、会計をするのにトレーをテツ爺の前へと差し出す。テツ爺は新聞を開いたままトレーをチラッと見て、「1400G」と愛想無く言うとアミューからお金を受け取った。今日は終始ご機嫌斜めだ。そんな悪い事を言った覚えは無いのに…。
パンの袋を受け取り店を出ようとした所で、後ろからテツ爺の咳払いが聞こえた。長い付き合いだ。こういう時は決まって私に不要な事を言う。エリシアは極力めんどくさそうな顔をして振り返ってやった。
「おいエリシア、お前新しいの迎えたな?」
「何だ、気付いてたのか。さっき来てただろ?」
ディアの事は特に隠す気も無かった。テツ爺が気付いてようがいまいがどっちでもいいと思っていた。さっきまで来ていたことはずっと見ていたから知っている。だから何だって話だ。
「あれはお前の思うようなモノにはならんぞ。素質なんて微塵も無い。とっとと家政婦にでもしてしまえ。無理させるくらいならワシが貰う」
依然としてテツ爺は新聞に目を落としたままそう言うので、エリシアはツカツカと近寄ってその新聞を引っ手繰った。雑巾を絞るようにグシャっと丸めると、近くに置いてあった水の入ったバケツに放り込んだ。みるみる新聞がふやけていく。
「悪いなジイさん。もうそのつもりでしか無いんだ。もし上手くいけばディアはずっと手放さない。もし失敗したらその時は考えておいてやるよ」
「あの子はまだ未来がある! 素質の無い子を贄にするのはやめろエリシア!!」
立ち上がったテツ爺は突如面前に現れた鋭い3本の鉤爪に制された。あと少し身を乗り出していれば、顔から喉まで食い込んでいたのは間違いない。いや、態と当たらない様に制したのが正しいかもしれない。
エリシアは先程の位置から微動だにしていない。いつの間にかテツ爺の背後を取り、ゆとりのある袖口から鉤爪を光らせていたのはアミューであった。手甲鉤。暗器だ。
「アミュー…貴様…」
「そういう…契約…」
アミューは眉間にしわを寄せ、光の無い目でテツ爺の後ろ頭を睨み続ける。しかしロはへの字に曲がっており、下唇を軽く噛んでいる様子はどこか申し訳無さそうにも見えた。
エリシアがその様子を見てニヤリと笑う。
「ジジイ、未来って何だ? ここで隠居した耄碌ボケ老人と一緒にパンを焼いて、慎ましく暮らす幸せな未来の話か? 悪いがそんな下らない事で、これ以上私の邪魔をしないでくれよ」
そう言うとエリシアは、懐からドサッと帯付の札束を一本テツ爺の前に投げ捨てた。それに気を取られた一瞬で、アミューはいつの間にかエリシアの隣に移動している。
「悪かったな。また来るけど相手はしたくないだろうから、それの範囲内で適当に持って帰るわ」
つまりは前払いということだ。本当は今回の件、エリシアを意地でも止めようと思っていたが爺一人ではまあまず敵わない。二人はそう言って出て行った。残ったのは何万個でもパンが買えるだけの大金だけだ。一体何個持っていく気か。
テツ爺は、無造作に置かれた札束を掴んで店の奥へ放り投げた。
「ワシには分かるんじゃエリシア…。あの子ではワシにはなれんのじゃ…」
テツ爺は大きく息を吐くと CLOSE の札を店頭に出し、店の奥へ消えていった。店の奥では、エリシア達と同じ軍服が静かにそれを見守っていた。