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山荘の怪談 その二

作者: 小松八千代

悲鳴を上げるレイコの口が男の口によって塞がれた。男の舌が固く閉じた口を抉じ開けて、唾液と共に押し込まれた。もはやケンスケでもない、タツミでもない。ミツルでもない。恐怖と戦慄で張り裂けそうになった鼓動が身体を揺り動かすように音を立てる。顔を左右に振って必死に抵抗するが、男の腕力の上には無意味で、噛みしめた歯の周りを薬の粒のようなものが転がる。反射的に飲んではいけないと意識が働くが、小さな粒はすぐに溶けて唾液とともに喉の奥へと流れ込んでいった。抵抗に反して、ゴクッと喉が鳴る。

男は一度起き上がって、水を含んだ口を近付けてきた。


レイコは薄らと目を開けた。山荘の寝室のベッドに寝かされていた。パジャマに着替えられていて、昨夜寝た時のままだ。

サダコ、ミツル、ケンスケ、タツミの顔がぼんやりと見えてきた。

「気が付いてよかったよ」と、ミツル。

「いったいどうしたんだよ!」ケンスケ。

「アハハハ」サダコが口を大きく開けて笑ったが、どこか無理を感じさせる笑いで表情が強張って見える。

「キャー!!サダコ!?」と悲鳴を上げてから「サダコ、サダコ、く、くびを吊っていたのでは!?」

「違うわよ。あれは雨に濡れた服を干してただけよ」

「ええっ!!?でも、顔があったような気がするけど」

「そんな気がしただけよ。暗くて見えなかったでしょう」

そういわれてみれば、顔はよく見えなかった。レイコは額に手を当てた。大木にぶつかったところがコブになっている。

「レイコ、道路脇の草の上に倒れてたのよ。動転して雨の中を家に帰ろうとしたんじゃないの。服は汚れてたから、洗って干しといたわよ」と、サダコが言った。

「ええっ、別に洗わなくてもよかったのに」

「ざっと、洗っただけよ」と言ってレイコから眼を逸らした。

レイコは不可解な疑問が湧いてきて、サダコの横顔を凝視していた。

暫しの静寂の後、ケンスケが

「もう、夜が明けてきたよ」と、言った。

窓外が明るくなっている。昨夜の雨を含んだ木々が、生き生きと窓越しに映っている。

「私、もう帰るわ」レイコは起き上がろうとした。

「ま、ま、うん今日もう帰るから」ミツルが肩を掴んで慌てたように言った。

「今日は昼ごろまで寝て、それから帰ろうよ。昨夜まともに寝てないよ」

ケンスケが言うと、ミツルも

「俺も、とにかく寝るよ」と、遠慮がちに小さい欠伸をした。


とにかく無事に帰宅して三日が過ぎた。あれからサダコとは口も利いてない。もちろんミツルとケンスケにも嫌悪感を覚えて、顔も見たくなかった。

あれは、夢ではない。レイコの額のコブが夢ではないことを証明してくれる。いったい私を犯したのは誰なのよ。でも犯されたという印しはなかった。強引に口づけされて、錠剤のようなものを押し込まれたところまでは覚えているが、その後は何も覚えていない。あれは睡眠薬ではなかったのだろうか。服も下着もはぎ取られて、裸にされてしまったのではないか、と思うと羞恥心で顔が赤らんでくる。でも、そこまでして、なぜその後何もしなかったのだろう。

サダコからは「この間の事は誰にも言っちゃだめよ」と、堅く口止めされていて、いつも監視されているような気がして落ち着かない。勉強にも身が入らなくなって、こんなことでは志望大学に入学できるかどうかわからないと不安になって来た。

母には「どう楽しかった?」と聞かれた時

「うん、楽しかった。涼しくてよかったよ」と答えておいたのだが。

あの四人には、レイコの知らない何か秘密がある。どうしても腑に落ちない。

私を車で連れて行ったのは一体誰だったんだろう。睡眠剤を飲まして叢に捨てたのは誰なの。私は車から逃げ出したりしてない。車から出たのは連れて行かれてからだ。ミツルに訊こうか、何か知ってるかもわからない。いや、あのとき、車で私を連れて行ったのはやっぱりミツルだったら…。

ケンスケの方がいいかもわからない。

レイコはケンスケに訊くことにした。ケンスケとはクラスが違うので学校の廊下ですれ違った時

「ねえ、私と会ってくれない?」

ケンスケは驚いたような顔をして

「うん…いいけど、どこで?」

「今日、一番近いコンビニの前で待ってるわ」

「うん、いいけど…」と、ちょっと当惑したような顔をした。

お互いに、家も知らなければ電話番号も知らない。山荘に行くまでは、親しく口を利いたこともなかった。ケンスケは、足早に去って行くレイコの背中を眼で追った。

レイコはカバンを両手に持って、買い物にでも来たような格好でコンビニの中に並べられている雑誌をガラス越しに覗き込んでいた。

「おい!」後ろで声がした。振り向くとケンスケとミツルが立っていた。

「あれ!ミツル!」と、驚いて目を丸くしているレイコに一端下を向いて、また顔を上げると

「俺も言っておきたいことがあって…」と、顔を窺うようにして言った。

レイコは周りを見回して

「私、いつも誰かに監視されてるような気がするのよ。ここじゃ話出来ないわ」

「うん、そうだな。じゃあ、俺んとこ行かないか」ミツルが言った。

「どこなの、近いの?」

「電車に乗ればすぐだよ。俺はいつも歩いて帰ってるけど」

レイコはちょっと考えてから

「うん、じゃあ行こうか」とケンスケの方を見た。

「うん、そこの駅からだから近いよ」レイコを促すように言う。

コンビニの前をまっすぐ歩いて、踏切を渡って右側が駅だった。レイコもこの駅はよく利用する。電車に乗って一駅、歩いて五分位なところに、ミツルの家があった。建売住宅なのか、同じような二階建ての住宅が密集していて、前の道も狭くてやっと車が入れる位だ。道に沿って車庫があって、すぐ横の階段を三段上がると玄関だ。

誰もいないのか、カバンから鍵を取りだして開けた。

「誰もいないのか?」ケンスケが訊いた。

「皆、仕事だよ。ママは六時ごろじゃないと帰ってこないよ」

「姉さんがいただろ」

「姉貴も仕事」と言いながら、玄関口にある階段を上がりかけて「上がれよ」と二人を促した。

ミツルの部屋は狭くて、二人はベッドに座って、レイコには丸いクッションをよこしてそれに座るように言った。二階には二部屋しかない。たぶん、一部屋は姉の部屋だろう。

レイコは漫画ばかり並んでいる本棚を見ながら、大学に行く気あるのかしらとふっと思いながら

「こないだ、睡眠薬飲まされたような記憶あるんだけど」

「うん、飲まされたんだよ」ケンスケが言った。

「誰に飲まされたのか、それがわからないのよ」とミツルの方をちらっと見た。

「俺じゃないよ」ミツルは慌てて首を振った。

レイコは怪しいなあこいつ、と思いながら

「誰も、あんただなんて言ってないでしょう」

「だって、俺の顔見るからさ」

「でも、あのとき車から降りて、どうしてすぐに戻ってこなかったの?」

「え、あ、あれはサダコがいたからだよ。首吊ったはずのサダコがいるから吃驚して、どうしたのか訊いてたんだ」ミツルが弁解するように言う。

「なんか、変だよな。あいつら二人」ケンスケが言った。

「首吊ったはずのサダコがどうして生きてたのよ」レイコが言う。

「サダコとタツミがなんかおかしいんだよ。話の要領も得ないし、何か隠そうとしてるみたいだったよ」と、ケンスケ。

「じゃあ、サダコはどこに居たんだって、訊いたらここに居たっていうんだ。でも、俺達が出るときはサダコはあの家のどこにもいなかったよ。あの時外に出てたら雨に濡れてると思うけど濡れてもなかったし」ミツル。

「あの家には隠し部屋があるんだよ」ケンスケ。

「隠し部屋?」レイコが山荘を思い浮かべながら呟くように言った。

「そうだよ、あるんだ。それと第三の男がいるんだ。そいつがレイコを連れて行ったんだよ」

第三の男?ふっと、雨の窓越しに人影が見えたのを思い出した。

また、ケンスケが話し始めた。

「車がなくなったことに気が付いて、皆で手分けして探しに行ったんだよ。俺達は雑木林の中に入って、道に迷ってしまって一時間ぐらい掛かったんだ。帰ってみたらもう見つかったって」

「あいつ、知ってたんだな、何処に居るか。車だって何処にあるか分かってたんだよ」ミツルが言った。

この二人は何も知らない。タツミが知っていて、私を助けて連れ帰ってくれたのかもわからない。でも、なぜ二人に言わなかったのだろう。レイコにはそれが不思議だった。

「ねえ、もう一度あの山荘に行ってみようよ。隠し部屋があるかどうか」

「レイコ、なんかお前積極的になったな」ケンスケが驚いたように言う。

「だって、もやもやして勉強が手に着かないわ」

「俺もそうだよ。行ってみようよ」ミツルが言った。

それで、三人で今度の日曜日あの山荘に行ってみることにした。


日曜日、最寄りの駅をスマホで検索して、一時間に一本しかないバスに時間を合わせて電車に乗った。

バス停から五分の所にあの山荘があった。山荘もうっそうとした辺りの雑木林も、この間のままの姿だった。でもこの間とは、気持ちは一変していて、緊張感と好奇心で武者震いさえ覚える。

鍵がなかった時の事を想定して、ハンマー、ペンチ、ドライバーを持って来た。いざという時は抉じ開けるつもりだ。玄関口まで階段を五段程上がって、観葉植物が植わっている植木鉢を持ち上げた。鍵はない。サダコが持って帰ったのだろうか。でも、あの時この植木鉢の下に鍵を押し込んでいたのを見た。

「変ね。確かにここに鍵を置くのを見たわ」

「うん、俺も見たよ」ミツル。

「後から取りに来たのかな?」と言いながら、ケンスケはガシャガシャとドアのノブを上下に動かしている。

「何処か入るところがないか探そう」ミツルが言って階段を駆け降りた。

「秘密の部屋があるのなら、外からでもわかるわよ」レイコも下に降りた。

山荘の周りをぐるりっと周って、ここが寝室で車庫の上がリビングで玄関脇がキッチンでその横がトイレ風呂場だった、と外から見て中の間取りを想像しながら寝室の方に周る。カーテンが閉まっていて見えない。お風呂の中は見える。キッチンのカーテンの隙間から覗くと、リビングまで見えたが、見える範囲内はこの前と何も変っていない。

床下の車庫の横に物置がある。少し戸が開いている。

「ねえ、ここって物置?」レイコが戸の傍に立って開けようかどうしようかと迷っている。

「うん、もしかして、ここかも…」と言ってケンスケが戸を開けた。雑なつくりの戸がギ―と不気味な音を立てて開いた。嫌な臭いが鼻を突いた。異臭、何かが腐ったような臭いだ。インスタントラーメンのカップや、弁当の食べ残し、缶詰の缶が散らばっている。スコップや鍬等が壁に立てかけてあって、鋸が棚の上で埃をかぶっている。棚の中には鉈や鎌が押し込んであって、一応山仕事の道具は揃っている。樵の真似事でもしたかったのだろう。

段ボールが床に敷かれていてくしゃくしゃになった毛布が二枚置いてある。汚い棚の上に小瓶に入った錠剤がある。ミツルが三本あるうちの一本を取りあげて「これ、睡眠薬だよ!」

「ええっ、睡眠薬!」ケンスケが吃驚してミツルから小瓶を取りあげて、中を透かしてみたり、振ったりしている。錠剤は薄茶色の瓶の中で跳ね上がった。

「レイコ、お前ここで睡眠薬飲まされたんだ」大発見でもしたように言う。

ケンスケが言うまでもなく、レイコもさっきから薬瓶に目を奪われていた。

「ここで…私、叫んだのに誰にも聞こえなかったの?」

「雨、降ってたからだよ」ケンスケ。

「そうかしら、凄い悲鳴だったと思うけど」

「それとも、もしかして、俺達が雑木林で迷ってる時だよ。最初車で連れ出したんだ。そして、ここへまた戻って来たんだ」

「ええっ、なんでそんなややこしいことするの?」

「睡眠薬を飲ませるためと、かく乱させるためだ。暗いしぐるぐる回って戻って来たって、何処に来たのか分かんないぜ。レイコはどこか遠くに連れて行かれたように思ったんだ」ケンスケは探偵のような口調で自信ありげに喋る。

「うん…そうみたい」レイコもそんな気がしてきた。でもその後がわからない。

「あれ、このロープ、この間サダコが首を吊っていたロープだ」ミツルが、秘密を発見したように声を上げた。ロープは輪に巻かれて床に置かれている。

「そうだよ、間違いないな」ケンスケが言って辺りを見回した。そして、懐中電灯を取りだして壁を照らしている。壁際に梯子があった。よく見ないとただ梯子を根太に立てかけているだけのように見える。

「こんな所に梯子があるぞ」とケンスケが興奮したように言って、掴んで揺すると根太に沿って滑るように動くが、梯子自体はがっちりとしている。懐中電灯で天井を照らすと、根太と根太の間に隙間があって、床板が外れるようになっているのが分かった。

「ここから上に上がれるぞ」と、言って梯子に足を掛けた。

ミツルも上を見上げながら「ほんとだ、ここから上に通じてるんだ」

ケンスケが梯子を上がった。ゴンと鈍い音がして頭を押さえた。

天井に頭をぶつけたのだ。「痛えぇ~」と顔をしかめて、頭を押さえながら床板を持ち上げた。絨毯が敷かれているのかひっかかってなかなか上がらない。力任せに床板を跳ね上げてリビングに顔を突きだした。カビ臭いにおいは立ちこめているがこの間のままの状態だ。ソファの横に小さめの絨毯が敷かれていて、その下に切り抜かれた床板があった。

やっと、通り抜けて、リビングに出て、寝室を覗いてみたが、別に変ったことはない。ミツルが上の梁を見ながら

「あのロープでサダコが首を吊っていたんだよ。いや、吊ったように見せかけてぶら下がっていただけだ」

サダコの狂言?でも何のために、そんな面倒なことをしたのだろう。人を高い梁に吊り下げるなど大変な作業だ。ケンスケが、急に思いついたように口を開いた。

「でも、変だぞ!あんな芸当できるか。死なないように首を吊る方法ってあるのか!?」

「えっ!!」ミツルもレイコもハッと気が付いたように同時に声を上げた。

そしてミツルが

「それもそうだな。確かにあの時首吊ってたし…手や足も見えたよ。もしかして、別人じゃないか。顔は見えなかったから」

「別人?じゃあ誰なんだ?」と、ケンスケはちょっと考えてから「下に居るのは誰なんだ。ホームレスか?サダコに電話してみるか」

「やめとけ、サダコが知ってることは分かってるんだ」と、ミツル。

その後、寝室やトイレ、キッチンを三人で調べてみたが、別に変ったことはなかった。冷蔵庫を開けてみると、牛乳、ヨーグルト、お茶とちょっとした野菜も入っていた。

「腹減ったな。これ飲もうか」ケンスケがヨーグルトを取りだした。

「やめとけよ。何時のか分かんないだろ」と、ミツル。

「うん…」と言ってケンスケはヨーグルトの賞味期限を見ている。そして

「これ、新しいよ。九月〇日って書いてあるよ」

「ええっ、ほんとうか。じゃあ、ホームレスが買って来て入れたんだよ」

「じゃあ、飲んじゃえ」と、ボトルに口を付けて流し込んだ。

ミツルは顔をしかめながら「もう帰ろうぜ」

「もう帰るの?何しに来たか分かんないわ」レイコが言った。

「分かったじゃないか、下の倉庫に連れ込まれたんだって。それに、俺たちじゃないってことも分かったんだから。疑いが晴れたってことよ」と、ミツルは梯子に足を掛けて降りようとしてギョッとなった。下から男が上を覗いている。慌てて這い上がって

「出た!!に、逃げよう!!」

「えっ、なに?」ケンスケが口の周りにヨーグルトを付けたまま振り向いた。

「帰って来たんだよ。男が!」と言いながら玄関の戸をガタガタやって、開けようとするが開かない。

「出るところはここしかないんだ!」ケンスケが梯子の方に走った。男が梯子を上がってくるところだった。素早く二枚の床板で塞いで体重を掛けて押さえつける。床板が持ち上がる。

「ミツル、早く来い」ミツルも走って来て二人で押さえつける。

「レイコ、その椅子持ってこい」とケンスケが叫んで視線をソファに向ける。こんな時、機転が利くのはケンスケの方だ。レイコはソファを引きずって、近くに持って行くとケンスケとミツルが床板の上に置いた。持ち上がらないこともないが、暇いるだろう。

「今のうちに逃げよう」ケンスケ。

「どこから逃げるんだ?」ミツル。

「窓だよ、レイコ寝室の窓見て来いよ」と、ケンスケに言われてレイコは寝室に走り込んで、カーテンを引いて鍵を開けた。

「ここから出られるわよ!!」

レイコの声に二人が走って来て「お前先に上がれよ」とレイコのお尻を突きあげるようにして窓を越えさせた。その後、二人とも窓を乗り越えて、レイコを促して、バス亭の方へと走った。三人とも膝に手を突いてぜえぜえと肩から荒い息を吐いた。

そして思い出した。リュックもカバンもあの物置に忘れてきたことを。


お昼過ぎ、サダコの叔父の家に電話があった。〇〇村の山荘の百メートル先に住んでいる奥さんからだった。退職している老夫婦は殆どここに住居を構えている。めったに山荘にいかない叔父は、何かあったら知らせてくれるよう電話番号を渡しておいたのだ。

「もしもし、お宅の別荘誰か居ます」

「いえ、誰も?」

「今日見たんですよ。窓から出て行く若い男二人に女一人」

「ええっ!!何時ごろですか」

「今さっきです。買い物に行ってて、帰りに車の中から見たんですけど」

「空巣かしら?」

「なにも持っているふうはなかったですけど。警察に連絡しときます?」

「あ…はい、でも、姪がこの間行ったから何か忘れ物したのかもしれません。ちょっと姪に訊いてみます。また折り返しお電話します。ありがとうございました」

叔父の奥さん、サダコの母親とは義理になる節子は、すぐにサダコの家に電話した。母親が出て

「あら、節子さん、サダコは出掛けていませんけど」

「すみません、携帯の番号教えてください」

「うん、いいけど。どうしたの、慌てちゃって」と、訝しげに訊く。

「いえ、別に何もたいしたことじゃないんだけど。〇〇村の家に誰か入ったみたいなの。サダコちゃん、この間行ってたから、何か知ってるかなと思って」

「あら、そう…」と、ちょっと驚いたような声を上げて、すぐに携帯番号を教えてくれた。

早速サダコに電話してみると留守電になっていて繋がらないので、メッセージを吹き込んでおいた。

一時間程してサダコから電話が掛かって来た。

「どうしたの、叔母さん山荘で何かあったの?」

「あ、サダコちゃん、別荘に誰か入ったみたいなのよ。窓から出るところを見たって、電話があったのよ」

「ええっ!泥棒?」サダコは当惑した。もしかして…。

「さあ、分からないわ。若い男二人女一人だって言ってたけど。サダコちゃんこないだ別荘に行ったでしょう。だから何か知らないかと思って」

サダコは直感した。ケンスケ、ミツル、レイコの三人だわ。

「あのう、それで警察に連絡したの?」

「ううん、まだ…」

「こないだ一緒に行った三人かも分からないわ。何か忘れ物したから取りに行ったのよ」

「そお…それなら言って下さればいいのに…」

「じゃあ、すぐ連絡取ってみるね。間違いないと思うから、警察に言う程の事じゃないわよ。叔母さん」

「そう…」

叔母の節子は、何か腑に落ちないような感じで電話を切った。その後、すぐに電話が鳴った。

「警察です」

「えっ!警察!?」仰天して電話機を取り落としそうになった。山荘でなにかあったと直感した。

「〇〇村の派出所の者です。バス亭のちょっと下にある家はお宅のですか」

「はい、そうですけど」

「床下の物置に誰か居るんですけど、管理人ですかね」

「いいえ、管理人は置いていません」

「若い人から連絡があったんですよ。今パトカーを呼んだところです。鍵を持って来てもらえますか」

警察の声は何か焦っているようにも聞こえた。

「すぐにですか?」ますます不安が募ってくる。

「はい…」

「はい、ではすぐに車で向かいます」

節子は車で向かう途中、会社にいる夫に電話した。もう、行きもしないのに別荘なんかいらないのに、安くても早く売ってしまえばよかったのに、とブツブツ文句を言いながら車を飛ばした。


パトカーが二台停まって、物々しい様子に、節子は驚きながら車から降りた。すぐに、警察が気付いて

「この別荘の方ですか」と近寄って来た。

「はい、そうです」

「この物置、見てください。住んでいた男は逃げたので、今捜索中です」

節子は、物置の散らかった食べ物や、異臭に驚きながら覗き込んで

「家の中も見てください。今開けますから」とすぐに玄関先に向かった。

山荘の中は別に変ったことはなかったが、ソファだけが動いている。

どうして、ソファが動いているんだろうと、不思議そうに見ていると

「おばさん、そのソファの下に梯子が付いてるんです」

振り向くとまだ学生風の青年が立っていた。青年というより少年だろう。ケンスケだった。警察が二人でソファを動かして、床板を持ち上げた。そして、節子の方を見て

「知らなかったんですか。物置に通じてるのを?」

「いえ…私は知りません。主人に電話してみます」と、後ろへ回った。

そして、夫に電話した後

「今、電話で訊いてみました。物置と繋がってたそうです。私は知らなかったもんですから」それから、思い出したように「誰か、窓から出たって聞いたんですけど」と言いながら背中を向けて寝室に向かおうとした。その背中に警察の一人が

「奥さん窓から出たのはこの三人ですよ」

「えっ!」と振り向くと、さっきの少年と、まだ幼さを残したような二人の男女が立っていた。ミツルとレイコだ。三人とも頭を下げながら節子の傍に歩み寄って

「すみません、勝手に入って…」と、きまり悪そうにまた頭を下げた。

「あのう…あなた達…」どうして入ったのか訊こうとしたら

「こないだ、変なことがあったんです」

「変なことって?」

「あのう…」と言って三人が顔を見合わせていたが、ケンスケが

「サダコさんが首を吊って」と言いかけると、後ろから刑事風の男が

「それは警察で訊かせてもらうよ」と、言った。

ええっ、サダコが首を吊った!?節子は不安になって

「あのう、なにか大変なことでも」

「いやいや、後からまた連絡します」

と言われて、節子はもやもやしたまま、暫し呆然としていたが、寝室に入って見回してみたところ何も変ったことはなかった。


男はその夜のうちに、雑木林の中で捕まった。もう二年程前から山荘の物置を使っていた。たまに入り込んで寝るだけだったが、三ヶ月前少女を拉致してからは、生活の拠点を移していた。出て行く時は睡眠薬で少女を寝かせ、両親のもとに戻って金をせびって、買い物をして山荘に帰る。ある時は老女のカバンをひったくって現金を奪い、空き巣に入ったこともある。振りこめ詐欺のグループにいたが、少女を拉致してからは、詐欺グループとは連絡が途絶えている。二十二歳にして悪事の限りを尽くして来たような男だった。

少女が行方不明になったあくる日から捜査願いが出されていた。警察には十日ほど前、〇〇村の近くで少女を見かけたという通報が入っていたので、近辺に刑事が張り込んでいたのだ。


あの時、ケンスケ、ミツル、レイコは、リュックやカバンを忘れたことに気が付いて、取りに行ったが男が中に潜んでいるので入ることができない。車庫の柱の陰に隠れて男が出て行くのを待っていたが、一向に出てこないので痺れを切らしたケンスケが

「おい、もうどっかへ行って居ないんじゃないか」

「でも、出て行ったとしたら見かけるはずだけど…」ミツル。

「下の方へ行ったらわからないよ」

「下って?雑木林の中を通って、俺たちに見つからないようにか」

「この林の中を通って行けばバス通りに出られないわけもないわ」レイコが言った。

「別に焼いて食われるわけじゃないだろ。ちょっと戸を叩いてみるか」と、ケンスケが物置の方へと向かった。それを見守るようにミツルとレイコの視線がケンスケを追う。

トントンと戸を叩いて「すみません、すみません。カバン忘れたので開けてくれませんか」

返事がない。戸を引っ張った。異臭が鼻を突いたが、誰もいるふうはない。

ケンスケが振り向いて手招きした。ミツルとレイコが小走りに物置に近づいて、一緒に入って行く。

「薄暗くて見えないな、何処に置いたんだっけ?」と、ケンスケがガサガサとガラクタを動かして探していると、不意に後ろで男の声がした。

「おい、何を探してるんだ?」

ケンスケとミツルはギョッとして振り向いた。

レイコは「キャー!!」と悲鳴を上げていた。

男はじろっとレイコを睨んだ。無精ひげが生えて顔半分を覆っているが、まだ若い男のようだ。三人とも男の顔を窺った。襲って来るような体制ではない。

「あ、あのう…」と、ミツルがどもった。「カ、カバン忘れたんです」

と、やっと言って、男を凝視して呆然と突っ立っている。

ケンスケの方は落ち着いていて「すみません、あのうカバン見なかったですか…」と、後ろに気を配りながらリュックを探す。

男は無言のままケンスケを見下ろしている。怒っているのか、笑っているのか表情は髭に隠されて分からないが、窪んだ眼が異様に光っている。

「あ、あった!このカバン、レイコのじゃないか?」ケンスケ。

「あ、そうよ」よかった、とホッとしながら受け取る。ミツルのリュックも見つかって、三人は逃げるようにバス亭の方へ走った。レイコはハアハア言いながら、財布を取り出そうとカバンの中をまさぐった。

「あれ、ない、ないわ!!」

「なにが?」

「財布よ。携帯もない。皆あるの?」

慌ててケンスケもミツルもリュックの中を調べる。

「ない!?」ミツルが言った。続いてケンスケも「俺のもないよ!」

これじゃ、バスにも乗れない。レイコはスイカを持っているので帰れないこともないが、携帯も盗られている。

「警察に電話しようよ」

「うん、だけど!?」ケンスケとミツルは渋っている。

「ちょっと携帯貸してよ」レイコが苛々して言った。

「俺掛けるよ」ケンスケが携帯を耳に当てた。

五分もしないうちに派出所のお巡りさんが自転車で来た。お巡りさんが男と立ち会ってくれることになった。しかし、戸を開けて警察が立っているのを見ると、押しのけて一目散に逃げ出した。

「あ、君、待ちたまえ」と呼びとめたが振り向きもしない。

お巡りさんは物置に入って「この異臭、何かおかしいなあ」と携帯で警察署に連絡した。


サダコが両親に連れられて警察に出頭した。

実は夏休みに山荘に来た夜、女の人を車で跳ねてしまったのだ。サダコとモーテルへ行っての帰りだった。まだ快楽の余韻が頭の中を占領していた。

ドンと鈍い音がして人影が宙を浮いた。一瞬の出来事だった。大雨で視界は遮られていて、悲鳴を上げる間もハンドルを切る間もなかった。

タツミが慌てて車から出て

「しっかりしてください!!」と、抱きあげたが既に息をしてなかった。「ど、どうしよう!」狼狽したタツミはどうしていいかわからなかった。跳ねたのは、抱き上げた時の細い骨の感触からすると女性か子供のようだ。ライトの明りでよく見ると、やはり女性だった。

サダコが「誰も見ていないんだから、逃げようよ」

「逃げたってすぐに見つかるよ。俺達山荘に来ていたことも分かってるし、車の塗料などからもすぐに割り出せるんだ。急に飛び出してくるからだよ。なんで…なんでなんだ!!」

「あの山荘に物置があるわ。そこに連れて行きましょうよ」

「連れて行ってどうするんだ?」

「わ、私もわからない。でも、今すぐ自首することないわ」

タツミもそれもそうだと思い、女性を車のトランクに乗せた。痩せていて軽い。頭がおかしいのか、それとも俳諧していたのか。でも若い女だった。

車を車庫に入れて暗い物置に女性を運び込んだ。

「電気ないのか?」

「点けないほうがいいわ。誰かに見つかったら怪しまれるわよ」

「うん…」

その時、暗闇の中にのっそりと男が起き上がった。

「俺の女をどうしたんだ?」

と、女性の方に歩み寄った。

「キャー!!」サダコが悲鳴を上げたが、雨の音にかき消されてケンスケやミツルには聞こえなかったようだ。

「おい、どうしたんだ!?」と、男は動かない女性を揺さぶって、死んでいることに気が付くと「お前ら俺の女を殺ったな」

暗くてよく見えないが若い男の声だ。

「すみません、急に道に飛び出してきたんです。避けられなくて…」

タツミは両肘を突いて頭を床に押し付けた。

男は少し考えてから

「自殺したことにしろ」

「ええっ!!どうしてですか?」

「いいからそうしろ!」それから、どこからかロープを取りだしてきて「これを首に巻け」

タツミは訳がわからなかったが、言われるままにロープを首に巻いた。

「吊るところがないな」男は梯子を懐中電灯で照らして「上に誰か居るんだったな、見て来い」とサダコに向かって言った。そして「誰もいなかったら、ここの床板を外せ」と、梯子の上部に首を廻して目線をやった。

サダコはこんな所に地下に降りる梯子があったのかと思いながら

「で、でも何処ですか?」

「ソファの横の絨毯の下だ」男は凄みのある低い声で言った。

ソファの横に絨毯があったかどうか覚えてないが、とにかく物置を出て雨に濡れながら上に回った。

玄関を入るとリビングは静まり返っていて、皆もう寝てしまったようだ。

ソファの後ろに小さめの絨毯が敷かれていた。サダコは絨毯を持ち上げて、床板を外して手で大丈夫だと合図した。タツミが女性を抱えて梯子をあがって来た。そして、梯子も持ち上げて、男に言われた通り、梁にぶら下げた。体重が三十キロ程しかないので、ロープを梁に巻き付けて引っ張ると難なく持ち上がった。梯子と床板を元に戻して、元のように絨毯で隠す。タツミとサダコにとっても、女性には悪いが自殺したことにしてくれた方が好都合だった。

ところが、トイレに起き出したケンスケが、床に映る黒い影にふっと天井を見上げて「サダコが!わわわ!!サダコが…」と始まった。それでちょうど風呂場に居たサダコは戸の陰に隠れた。サダコが見つからないので、皆サダコだとばかり思っていたのだ。

あの時、事情を知っていたタツミは、警察に通報することもできず、皆を促して逃げ出したように見せかけたが、サダコから帰って来いとメールが入ったので引き返したのだ。スマホをちらっと見ただけで読む暇はなかった。

帰ってみると、首を吊った女性は消えていて、サダコが笑って玄関口に立っていた。

女性の遺体は、サダコが男に訳を話して、床板を外して物置に落とし込んだ。

皆が帰った後、再び梁に少女が首を吊ったように男が吊り下げることになっていた。そのかわり、サダコを物置に誘い込もうとしたが、すぐに床板を閉めて外に飛び出そうとしたところへ、タツミ達が帰って来た。首を吊ったはずのサダコが笑って立っているので、皆キツネにつままれたような顔で呆然としている。それで、ケンスケが怒りだした。

「なぜだよ。確かにここに首を吊った女がいたぜ」

「女だって、どうして分かるのよ」

「えっ!?」

確かに顔は見てないんだから、女か男かもわからない。

「あれは、私が服を干してただけよ」と、言い通した。

こうしてサダコは難を逃れたが、車に乗っていたレイコが襲われた。

もうどうでもいいけど、とにかくサダコは生きてたんだから、と車に残したレイコをミツルが呼びに行った。

「車がない!!タツミさん車ないですよ!」

ミツルの声にタツミはすぐに物置の男だと気が付いた。ケンスケとミツルに雑木林の方に探しに行くようにと言って、自分は物置に入って男が飲んでいる水の中に睡眠薬を入れた。男はここに帰ってくる睡眠薬を飲ませて、レイコに暴行するため。タツミはさっき物置で、幾つもの睡眠薬の瓶を見たときここで女性に睡眠薬を飲ませて暴行していたのだと気付いていたからだ。案の定男はレイコを抱えて帰って来た。物置からレイコの悲鳴が聞こえたが、雨にかき消されて物置の傍に居たタツミだけに聞こえた。そしてすぐに静かになったので、物置に入ってみると、レイコも男も眠っていた。すぐにレイコを抱えて、山荘に運び込み、車は遠くには置いてないだろうと、探しに行ってみるとバス通りの路端に置かれていた。

ケンスケとミツルは、昨日暗くなって着いたので、この辺りの地形がわからない、うろうろしたあげく道に迷って一時間程して帰って来た。それで、叢に倒れていたレイコを見つけて連れ帰ったと言ったことに、疑いを持たなかった。

亡くなった少女は十七歳だった。少女はろくに食事も与えられず暴行され、衰弱して放心状態になっていたのだ。たまたまあの夜男が寝ているすきに抜け出して、車が来たので助けを求めようとしたのかライトの前に飛び出してしまった。

少女の遺体は雑木林の中に埋められていた。サダコの話では、再び梁に首を吊ることになっていたのだが、男はそのまま放置しておいたので、物置の中は死臭が充満していたのだ。ケンスケ達が来る前の日に雑木林に遺棄していた。

タツミはなんとか懲役は免れたが、いたいけな十七歳の少女の死にノイローゼになってサダコと別れて故郷の九州へ帰ってしまった。



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