08 タイムズ・スクエアの迎撃戦
ビル街を震わせ、岩石の巨人は戦闘開始の雄叫びを上げた。
地響きと共にゴーレムの全身の岩石が分離する。
巨大な岩のブロックが空中を飛び交い、がりがりと音を立てて四角い塔に変形する。堅牢な岩石を組み上げた石塔は、最も高い防御力を誇る形態だ。
「ルーサー!」
赤い猫が叫ぶ。
「トラップを全部撒いて! 奴らを接近させない!」
猫は石塔の中に飛び込んで姿を消した。
キャンディマンはポケットから大小のキャンディをつかみ出し、空中に放り投げた。ポップキャンディは右に左に混乱しながらも、大急ぎで流星のように飛び去っていく。
数十個のキャンディボムはトラップとして、周囲にリング状に配置された。
「すまん。これ以上は、把握できねぇ」
キャンディマンは息を荒げ、ダンサーのように水平に伸ばした指先を震わせた。一つ一つのキャンディに細い糸が指先から繋がっているイメージだ。
遠隔系の武器はすべてを意識の中で結びつけなくてはならない。
だから、その数に応じてバトラーの負担は増大する。
四角い石塔の中から、エヴァの声が響く。
「ケイン! さっき本体って言ったわね?」
ケインはダガーを構えたまま答えた。
「ああ。あの黒くて小さいのは、きっと分身だ」
「分身? その根拠は? どうしてそう思うの?」
「直感だよ」
「なんですって!」
「じゃぁ、なぜギアをマトリョーシカに偽装する?」
「それは……」
「マトリョーシカなら分身するイメージを共有できる。もともと、内部にいくつも重なっているからな」
「いくつって、いくつだ?」
両腕を伸ばしたルーサーがかすれ声で訊く。
「たしか、普通は六つだ」ケインは言った。
「教授!」
エヴァの声。
「最初の大きなマトリョーシカが本体じゃないの?」
ゴーレムが、ゆっくりと答えた。
「おそらく、あれは……一番外側の『器』だ」
「器……。そのイメージを、四人が共有しているのね」
「そう、あの中に」
教授の声が重い。
「本体が隠れている……」
「エヴァ!」
ケインは周囲を警戒しながら赤い猫に叫んだ。
「あいつらの攻撃を予測してくれ!」
猫は少し考えてから言った。
「分身は複雑な機動はできない。ヒット・アンド・アウェイね。武器は弓矢、積み木、手鏡、あと、花火だったわね? これらの意味はわからない。何か隠された機能があるのかもしれない」
ケインはその言葉を聞いて、はっとした。
ミーティングの時の『未知の攻撃』という言葉を思い出したからだ。
「教授!」
ゴーレムを振り返った。
「教授、さっき当たった手鏡は?」
ゴーレムから返事はない。ケインは再び叫んだ。
「教授!」
「……鏡、だった」
石の塔はゆっくりと答えた。
「黒い鏡。何も映らない、鏡だった……」
「教授?」
妙に弛緩した口調だ。様子がおかしい。
「おい!」
突然、ルーサーが叫んだ。広げた両手をわななかせている。
「来るぞ!」
タイムズスクエアから南に向かうブロードウェイ・ストリート。
その先で、閃光が走った。
爆発音とともに激しく爆炎が上がる。キャンディボムの射程内に相手が侵入したのだ。
赤い炎と真っ黒い噴煙が噴き上がり、ビル外壁のガラスやコンクリートが飛散する。その中をいくつもの黒いシルエットが猛スピードで左右に飛び交う。
やはり、分身している。
「くそっ、射撃手がいれば!」
ルーサーがわめく。
「なんで斬撃系しかいねぇんだ!」
有効な攻撃ができても、連携して攻撃し続けられない。
ゴールドバーグの狙い通りだった。
エヴァが叫び声を上げた。
「誘爆している!」
閃光が連続し、炎の壁が左右に広がってゆく。
ケインはルーサーに向かって叫んだ。
「キャンディボムを回収しろ!」
「うるせぇ!」
ルーサーは怒鳴り返した。
「行け! キャンディケイン!」
棒キャンディが光の尾を引いて爆炎に向かって飛んでいく。
「ルーサー、攻撃をやめなさいッ!」
エヴァの低く押し殺した声に、ルーサーは動きを止めた。
「トラップを誘爆させ、攻撃ポイントを大量に消費させられているのよ!」
エヴァは苛立たしげにまくしたてた。
「積み木や弓矢に意味はないわ。こちらを混乱させるためのまやかしよ! なんで早く気がつかなかったのかしら!」
「そういうことか、くそったれ!」
キャンディマンは赤白シルクハットを道路に叩きつけ、指を鳴らした。
「解除だ! みんな戻ってこい!」
周囲からキャンディが次々に飛んできて、キャンディマンの服のポケットに吸い込まれる。その数はばらまいた半分にも満たない。
キャンディの中に、黒い影が見えた。
ケインは一瞬でダガーを投げつけた。黒い影が落下してゴロゴロと転がって来る。
それは小さな黒マトリョーシカだった。
「キャンディの中に紛れ込んでいる!」
ケインは振り返って叫んだ。
「気をつけろ! ルーサー!」
ルーサーは左肩に視線を落とした。
小さな黒いこけし人形がこちらを見上げている。
次の瞬間、追尾してきたキャンディケインが肩の人形を直撃した。
「があっ!」
激しい爆発に、キャンディマンは背後のビルまで吹き飛ぶ。
「信じられない!」
エヴァの声が響いた。
「見て! 分身は100体以上いるわ!」
ケインたちを取り囲み、回遊する魚群のように、黒マトリョーシカが渦を巻いて飛んでいる。
同じ黒いマトリョーシカの形だが、大小様々な大きさがある。
だが、分身にしても数が多すぎる。
とてもコントロールできるとは思えない。
ケインはゴーレムに向かって叫んだ。
「教授! こんなにたくさんの分身を、どうやって操作しているんだ?」
教授がぼんやりとした声で答える。
「操作している感覚さえ、ないだろう……」
「なんだって?」
「おそらく、意識下の深い層まで、イメージが刷り込まれている……」
「やはり、洗脳されているのね」エヴァは声を落とした。
その時。
ケインはかすかな気配を感じ、上空を見上げた。
銀色の満月の中に小さな黒い点が見える。
アカツキは初動もなしに急上昇した。
同時に黒い点が猛スピードで動き出す。
ケインは空中で反転し、見えない壁を蹴ったように加速した。
黒い点にみるみる接近する。それは中型の黒マトリョーシカだ。
黒マトリョーシカが急降下した。
小刻みに軌道を変えながら地面すれすれを飛翔する。
ケインもアカツキを急降下させ、両手のダガーを黒マトリョーシカの前方に投げつけた。交差した二本のダガーはビルの壁面を切り裂き、多量のガラス片を空間に散乱させる。
回避しようと上昇した瞬間。
黒マトリョーシカはアカツキのダガーに貫かれていた。