02 最悪のチームメイト
特別貴賓室の分厚いドアが左右に開いた。
巨漢のボディガード四名を従え、カジノ総支配人のフィル・ゴールドバーグが悠然と現れる。
最高級スーツを着こなした銀髪オールバックのゴールドバーグ。
猫のようにしなやかな足取りで、深い絨毯を踏みしめて進む。
ゴールドバーグはケインたちに向かい合うひときわ豪華なソファにそっと腰を下ろした。
彫像のような冷たいポーカーフェイスの総支配人は、カジノの管理だけでなく、いくつものアンダーグラウンドの非合法組織を金で動かしている。
すべて、カジノ・リッツの利益のために。
ゴールドバーグはケイン達を見渡し、猫撫で声で言った。
「皆さん、大変、お待たせしました」
「大変、お待たせされました」
ルーサー・ローマンは顔を歪め、ソファから身を乗り出した。
「おい、相手チームの情報は来たのか?」
「先ほど届きました。予定よりも遅くなり、大変申し訳ありません」
ゴールドバーグは慇懃に答えた。
「何しろロシアの新人チームですので」
「ロシア……?」
エヴァ・イグレシアスが小さく呟く。
「新人とか関係ねぇだろ!」
ルーサーは苛立ち、ばかみたいに声を荒げた。
「バトルまで一時間もない。どこが『当日』だよ! ああ!」
ゴールドバーグの背後に並んだボディガートが身体を硬くする。
片手を上げて部下を制すると、ゴールドバーグは再びケイン達を順に見渡した。
「では皆さん、最終的な確認をとらせていただきます。今夜のブレイン・バトルの契約内容について、問題はありませんね?」
「問題はない」
ケインは即答した。契約書はすでに法務部でチェック済みだ。不利益な条項が隠されていれば、この場所には来ていない。
「あるとすれば、ここに書かれた報酬を、あんたが確実に支払えるかどうかだ」
「それは御心配なく」
ゴールドバーグは感情の読めない灰色の瞳を日本人の少年に向け、不思議そうに言った。
「必ず保証いたします」
「へっ、そりゃ勝ったらの話しだよな?」
ルーサーは隣のケインに顔を向け、酒臭い息を吐いた。
「そうだろ、坊や?」
ケインはゆっくりと首を曲げた。
中年男は薄笑いを浮かべているが、その青い瞳は憎しみに溢れている。
「当然、勝つ」
ケインは傲然と言い放った。
「ただし、あんた以外だ。負け犬」
ルーサーは絶句し、眼を見開く。
「な……!」
「酒を抜いてこい」
ケインは声に低く力を込めた。
「あんたはそんな状態で勝てると思っているのか?」
白人男はソファから跳ね上がった。
「このクソガキ!」
「ルーサー!」
ピシリと鋭い声。エヴァ・イグレシアスだ。
白人男はびくっと体を震わせ、動きを止めた。
エヴァは美しく整った顔を、ケインとルーサーに向ける。
強く意志のこもった黒い瞳が、射すくめるように輝いている。
「ケイン・ミカド! ルーサー・ローマン! 諍いはやめなさい!」
エヴァはネイルアートで飾った人差し指を左右に振った。
「これからバトルなのよ!」
「OK、エヴァ。しかし、俺はただ」
訴えるルーサーに、エヴァはきっぱりと言う。
「黙って!」
ルーサーはどさっとソファに腰を落とした。
こいつは、なかなか。
ケインは、ちょっと感心した。
エヴァには強いリーダーシップがある。
ブレイン・バトルでは常に指揮官として活躍しているエヴァ・イグレシアス。その歴戦の実績は自信となり、本来持っているカリスマをさらに高めている。
彼女なら、この初顔合わせのチームを、まとめられるかもしれない。
「エヴァのいう通りだ!」
子どものような甲高い声が響いた。
ソファに埋まるように座っていた小男、イアン・マルコヴィッツだ。
「私たち全員が国際級のライセンスと戦歴を持っている。しかし連動経験のない初顔合わせのチームであることは否定しようのない事実だ」
「教授」
ゴールドバーグが視線を向けた。
「この二人のオフェンスで、どんな戦略を?」
教授はぶ厚い眼鏡越しに、相手をじろりと見た。
「……とても賭け屋がする質問とは思えないが?」
「今夜のバトルには、私も大変注目しています」
ゴールドバーグは真顔でいった。
「アメリカの実力派と、未知の新人チームとの激突。展開が予想できません」
「しかも、ぎりぎりまで本当の情報を明かさない」教授は言った。
「あこぎな演出ね」エヴァが言った。
「いいパブリシティになりました」
銀髪の支配人は眉一つ動かさず、平然と答えた。
「刺激的なニュースです。今夜のバトルは全米が注目しています。きっとエキサイティングなバトルになるでしょう」
「確かに最近のブレイン・バトルは安定しているわね。良くいえば」
エヴァが長い足を組み直す。
「悪くいえば、チーム構成は固定化され、戦術優先でポイントの剥がし合い。意外性がない。スペクタクルがない」
「判定ではなくダイナミックなノックアウトが見たいという心理は理解できる」
教授は同調してうなずいた。
「人々は『劇的な勝利』というカタルシスを常に求めている」
「お前ら、なに格好つけてんだ?」
ルーサーは呆れて声を上げた。
「ふざけんな! 勝てばいいんだよ、勝てば!」
教授は顎を引き、部屋の中に視線を巡らせた。
「いずれにせよ、我々の戦術は明かせられない。まだ賭けは締め切られていない」
支配人は初めて表情を曇らせ、不快を示した。
「……ここから情報が漏れるとでも? この貴賓室の防諜レベルは」
教授は黙ったまま短い腕を伸ばし、貴賓室の奥を指差した。
奥は壁全面が窓になっていて、観客で埋め尽くされたアリーナが見下ろせる。
中央の円形ステージでは、激しく明滅するライトを浴びてメタルロックバンドが演奏中だ。
「わからないの?」
エヴァが腕組みして言った。
「アリーナの天井にニンジャ・バグがいるわ。どうして放置しているの?」
ニンジャ・バグだと?
ケインはガラス越しに薄暗い天井を凝視した。
確かに黒い甲虫のような小型飛行カメラが浮いている。たいした視力だ。
ゴールドバーグは表情を変えずに言った。
「もちろん、ニンジャ・バグは探知しています」
「ならば、なぜ捕獲しない?」と教授。
「警告が返ってきました。あれは連盟の監視用バグです」
ケインとエヴァは同時に声を上げた。
「連盟の?」
ケインの向けた視線にエヴァは小さく眉を上げる。そこまでは予想していなかったらしい。
ゴールドバーグはゆっくり首を振ってみせた。
「残念ながら、我々には手が出せない」
「おかしいじゃない?」
エヴァは美しい眉を寄せる。
「今夜はインディペンデント・マッチなのに、どうして連盟が監視するの?」
「さぁ、私にはわかりません」
エヴァの生真面目な物言いにケインは憮然とした。
ゴールドバーグが、いや、マフィアがまともに答えるわけがないからだ。
それより、なぜ『連盟』が絡んできているのか?
……今夜のバトル、面倒なことになりそうだ。