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26 別離


 霧雨が降っている。


 教授、イワン・マルコヴィッツの葬儀に集まったのは、僅かな人々だった。

 黒い喪服を着たエヴァ・イグレシアスは、子供用の小さな棺が、四角く掘られた地中に降ろされるのを放心したように眺めていた。



 教授は収斂したソウル・ケージと共に意識を持っていかれ、ロストしてしまった。


 エヴァは病室で眠り続ける教授の傍らに付き添い、彼の目覚めを待った。

 もしかしたら虚ろになった魂の器を乗っ取って、別の人格が現れるかもしれない。そういった例が過去にあったことも知っている。

 エヴァはベッドの教授の耳元に語りかけ、詩集を読み、教授が好きだった歌を口ずさんだ。

 そんな一日が、このまま永遠に繰り返されのかもしれないとエヴァは思った。


 しかし、精神の抜けた肉体は根を絶たれた植物のように衰弱していった。

 生命の灯火は燃え尽きるように消え、教授は眠ったままその人生を終えた。



 葬儀に集まった人々が散会しても、エヴァはその場を動かなかった。

 涙は出ない。どうしても泣けなかった。泣けばこの現実を認めることになる。

 ましてやこれを運命として受け入れることなど到底できはしない。

 エヴァは傘もささずに、霧雨の中に立ち尽くしていた。





 芝生が霧雨に濡れ、青々と輝いている。

 ケインはアッシュの部屋の窓際から離れ、ベッド脇の椅子に戻った。

 ベッドでは痩せた少女が静かに寝息を立てている。

 バイタルセンサーの音が単調に響く。


 アンリミテッドから生還したアッシュは、眠り続けていた。

 ソウル・ケージからアッシュとなって脱出しているため、ロストしたわけではない。

 サラによる脳神経組織の検査でも異常は見いだせなかった。

 それでも、アッシュは眠り続けた。

 まるで、妹のミオのように。


 気が付くと、肩にそっと手が置かれていた。

 ぼんやり見上げると、明るい金髪の女性がケインを覗き込んでいる。


「サラ……」


「少し休みなさい、ケイン」

 サラは低く言った。

「眠っていたわよ」


「いや、大丈夫だ」ケインは目をこすった。


 サラは溜息をつくと枕元のデータパッドを取り、バイタルをチェックした。


「サラ、アッシュの脳波は?」


「浅い覚醒状態。夢をみているようね。……ずっと」


「……夢?」

 ケインは聞き返した。


「何か原因があって、浅い夢の領域から出てこられないのかもしれない」


「どうすればいい?」


「……ケイン」


 サラはケインの前に椅子を置いて座ると、主治医の顔で言った。


「あなたに出来ることはないわ。残念だけど」

 手を伸ばし、ケインの手をにぎる。

「明日、アッシュをセント・トーマス病院に移送する。精密検査を行い、場合によってはアッシュの脳にダイブするわ」


「ダイブ? 深層記憶探査か?」


「そう、覚醒を妨げている障害を取り除けるかもしれない」


「俺がやる!」


「だめよ、ケイン」

 サラはケインの手を強く握りしめた。

「これは医者の仕事よ。そして、私は十年以上も前からアッシュの担当医なの。アッシュのことは、私が一番良くわかっているわ」


「だが、俺は……ミオの深層記憶に」


「それは知っているわ。でもこの子は違う。あなたはアッシュの何を知っているの?」


 ケインは絶句した。


 それは、わかっている。


 しかし。

 しかし。

 しかし!


「あなたは何もできない」

 別人のように冷たい顔で、サラは言った。

「本当にこの子を大事に思うのなら、私たちに任せてちょうだい」


「……」


「いいわね、ケイン?」

 ケインは、何も言えなかった。



 サラは部屋を出て行った。

 二時間後に、ヘリコでNYまで送ると言っていた。

 ケインはもう、ここにいてはいけないのか。


 俺は強い。

 ブレイン・バトラーとして、そう勝ち誇っていた。

 しかし俺は。


 無力だった。


 ケインは眠っているシンシアのベッドに突っ伏した。

 細く冷たい手を握り、頬に押し当てる。


 シンシアの手が濡れているのは、自分の涙らしかった。


 どうしてこの少女に深く関わろうとするのか、わからない。


 施設を出てからは、人との関係を極力避けてきたはずだ。

 理由はわからない。


 それでも、俺は。


 この少女を。


 救いたい。





 気がつくと。


 ケインは深い闇の中にいた。


 ─どこだ、ここは?


 一瞬、エントリー・フェーズの中にいると錯覚してしまった。

 しかし、コクーンには、入っていない。

 ここは仮想空間ではない。


 ─夢、なのか?


 だが、自分が眠りの中にいるようには思えなかった。

 そう、これは……。

 この漠然とした、有機的な感覚は……。


 ミオの記憶領域に似ている。


 ─いったい、どうなってるんだ?


 何かに引き寄せられる強い感覚があった。

 ケインはその方向に意識を向けた。


 暗闇の中に、ぼうっと光る点が現れた。

 その淡い光はどんどん大きくなり、近づいてくる。

 光の中心に、何かの風景が見えた。

 ケインの意識はその中に飛び込んでいった。



 窓の外はセントラルパークの緑が広がっていた。

 晴れ渡った秋空の穏やかな光の下で、公園の樹々の緑が風に揺れている。

 樹の間からは湖水がキラキラと銀色に輝く。


 ─ここは、NYなのか?


 どうやらセントラルパークを見下ろす建物の最上階、ペントハウスらしい。

 だがケインは、今まで一度も、こんな場所に来たことはない。

 まさか、これは……。

 ケインは、はっとして目の前の窓ガラスを見た。


 ガラスに幼い少女が映っている。

 年齢はおそらく五、六歳。

 上質な白絹のワンピースを着た金髪の女の子。

 眉の上で切りそろえられた前髪、聡明で気品のある顔立ち。


 ─シンシア!


 ケインは驚愕した。

 これは、シンシアの記憶。

 いや、眠っているシンシアが見ている、幼いころの夢。

 つまり。

 ケインは今、シンシアの夢の中にいる。 



 部屋の奥でドアの開く音がした。

 シンシアは眼を閉じると、ゆっくり振り返る。


 誰かが分厚い絨毯を重く踏みしめ、シンシアに近づいて来る。

 大きな歩幅でゆったりと歩いているが、それだけで空気の波が押し寄せる。

 しかしシンシアは恐れを感じることなく、むしろワクワクとした感情でいる。

 歩みが止まると、少女は目を閉じたまま、顔を上向けた。


「すまない、待たせたね」

 低く知的な男の声が言った。


「いいえ、お父様」


 身体が軽々と持ち上がり、高く抱きかかえられる。

 甘い香水が鼻腔をくすぐった。

 少女は小さな頭を男の肩に持たせかけた。


 ドアが開く音がして、少女と父親は隣室に入る。

 何も見えないが、待機している人々の気配とざわめき、そして多くの電子機器の稼働音が聞こえる。


「さぁ、お座り」


 父は少女を一人用のソファにそっと降ろした。

 自分はすぐ横のソファに座ったらしく、重く軋む音がする。


「シンシア」


「はい」


「練習したかね?」


 少女は、こくりとうなずいた。


「本当に?」


 シンシアは首をすくめ、小さく言った。


「少し……だけ」


 父は愉快そうに低く笑った。

 チェロの弦が響くようだ。少女はほっとした。


「よし、始めよう」


 父のその言葉で、周囲の人々が一斉に動き出した。

 素早くキーを叩く音、小声で交わされる技術用語ばかりの会話。

 不意に頭に堅い金属製の帽子が乗せられ、少女はびくっとする。

 密着するパッドが目を覆い、視界は完全な暗闇になった。


「最新のブレイン・デバイス」

 父の声が言う。

「一時間前に完成した」


 軽い耳鳴りがして、鼻の奥がつんとなった。

 頭の中がもやもやと動き、後頭部に刺すような痛みが走った。

 少女は反射的に革の肘掛けに指を立てた。


「大丈夫」

 父の声が言った。

「息を吐いて。リラックスするんだ」


 少女はいわれた通りに息を吐き、身体の力を抜いた。


 ─いったい、何が、始まるんだ……?


 暗黒だった少女の視界に、突然、青い空間が広がった。

 上下左右に網目のような細いグリッドが瞬くと、細分化された無数のピースがちかちかと明滅しながら裏返っていく。

 次の瞬間、少女の周囲に立体感のある映像が現れた。


 少女は首を回した。

 壁一面に本棚が並ぶ大きな書斎。

 大勢の白衣の科学者に、いくつものコンピュータや電子機器。

 すぐ横のソファから大きな男が微笑んでいる。


 ケインは、息を呑んだ。


 男はガッシリとした体躯の、見上げるほどの巨漢だった。

 銀色の髪を音楽家のように肩まで伸ばし、黒いスーツを着ている。

 

 ─この男が、シンシアの父親だと?


 そうであれば、あの屋敷の主人でもある。

 王のような威厳と風格を漂わせた、人間離れした巨躯の持ち主。

 この大男は、いったい、何者なんだ?


 銀髪の大男は、シンシアを観察するような視線を向けている。


「見えるかい?」


「とても良く見えます。今までで一番きれい」


 周囲で電子機器を操作している白衣の研究者たちが喜びの声を上げる。

 

 少女の前にもうひとつ、ソファが置かれている。

 そこに、痩せた男性研究者が向かい合って座った。

 スタッフが少女と同じブレイン・デバイスを頭にかぶせる。

 ブレイン・デバイスは後頭部から顔の上半分を覆い、口元だけが見える。

 

 二人の間に若い金髪の女性研究者が立った。


「あなたのブレイン・ギアを想起して……」

 女性は、幼いシンシアを見て言い直した。

「ええと、いつもの『あなたの人形』を思い浮かべてね」


 父は低く笑った。

「普通に話せば良い。この子は理解している」


 女性研究者は、学生らしさの残った顔に戸惑いの表情を浮かべる。

 その顔を見て、ようやくケインは気づいた。


 ─おい、嘘だろ? サラじゃないか!


 ずっと若々しく、そして垢抜けていないサラ・アルブライトだ。


「では問おう。ブレイン・ギアとは?」


想像的構築体イマジナリー・ストラクチャー

 少女は即答した。

「人間の知覚を電子情報空間に送り込み活動させるための仮想装置」


「つまり?」


「ブレイン・ギアはイメージで構築され、イメージのままに動きます」


「その通り」

 向かいに座った痩せた研究者が感嘆する。

「全くその通り。素晴らしい答えだ」


 口元が笑っている。

 親愛の笑みなのか、子どもだと馬鹿にしているのか。

 少女の夢の中にいるケインは、少女の心理を感じた。


 ─シンシアは、警戒している。


 この男は、味方か、敵か、と。

 しかし。

 まだ幼い少女がそんなことを考えるなんて……。


「エントリー」


 父の声と共に、周囲の風景が一瞬で掻き消えた。


 少女は灰色の空間にいた。

 自分の手も足も、何も見えない。

 靄がたちこめたような空虚な空間に『視点』だけが浮んでいる。


 白いドレスをまとった女の子の人形が現れた。

 肌の色も三つ編みの髪の毛も真っ白で、その顔には目鼻もない。


 「スノーホワイト!」


 少女はギアの名を名乗った。


 前方に人型が現れた。

 木製デッサン人形のような、形態も関節も単純化された人形。

 これはあの痩せた研究者のブレイン・ギアだ。


 白い人形の手にスピアが現れた。

 長さは身長ほどで両端が鋭く尖っている。

 対峙する木製人形の両手には抜き身のサーベルが現れる。


─これは、ごく初期のブレイン・バトル……?


 シンシアは夢を見ている。

 その夢は、まだ格闘ゲームのようなブレイン・バトルの記憶だ。


─そいつに気をつけろ、シンシア。


 思わずケインはつぶやいていた。

 ケインには経験がある。地味なデザインのギアは、大抵何かを隠している。


 スノーホワイトは白い槍を構え、低い姿勢を取った。

 いきなり木製人形に向かって突っ込む。

 一瞬で胸元に飛び込むと、槍の先端で相手の二本のサーベルを跳ね上げ、即座に反転して胴体に槍を突き刺した。

 その瞬間、火花が飛んだ。

 槍の穂先は弾き返され、スノーホワイトは反動で大きく仰け反る。


装甲アーマーだ!


 木製のテクスチャーは偽装で、本当は堅牢な甲冑のイメージで固められていた。

 木製人形は跳ね上げられた両手のサーベルを振り下ろした。

 少女は両肩に激しい痛みを感じて悲鳴を上げた。


「このバージョンから『痛み』を加えた」

 灰色の空間に、父の声が響く。

「今までのようにはいかない。慎重にな」


 木製人形の両腕がスライドして伸び、関節が増えた。

 手長海老のように伸びた腕を振るって、二本のサーベルが頭上や背面から避けきれない軌道で襲いかかる。

 スノーホワイトのドレスはずたずたに切り裂かれ、身体に走る痛みに少女は悲鳴を上げた。

 夢を見ているシンシアは痛みに叫んでいる。

 苦痛と恐怖を、忘れることができないのだ。


 ブレイン・バトルの開発過程で痛覚が加えられた。

 しかしそれを、こんな小さな子供に体験させるなんて!


 この大男はシンシアの父親じゃないのか?

 ケインはそう思っていた。


 次の言葉を聞くまでは。


「さぁ、どうする?」

 父は言った。含み笑いをしながら、愉しむように。

「このままでは、死んでしまうぞ?」


 サソリの毒針のように高くかざしたサーベルが襲いかかる。

 少女は槍を振ってその切っ先を逸らした。

 鈍い衝撃があって下を見ると、もう一本のサーベルが腹に突き刺さっている。


 少女は槍を落とし、身体を折ってサーベルの刃を握りしめた。

 経験したことのない激烈な痛みが下腹部から脳に突き抜ける。


 少女は獣のようにうめきながら顔を上げた。


 もう一本のサーベルの鋭い剣先が喉元に当てられる。

 木製人形は亀裂のように裂けた口に、歪んだ笑いを浮かべていた。

 本気で止めを刺すつもりだ。


─やめろ!


 ケインは思わず叫んだ。


─こいつをやめさせるんだ!

 

 灰色の空間に、見えない父親に向かって叫んだ。


─あんたは父親じゃないのか! 


 喉に当てられた剣先が、ずぶり、と沈んだ。


─シンシア!


 その瞬間、少女の中で、何かが起きた。

 両手がずしりと重くなる。

 朦朧とした意識のまま、それを構え、点火した。



 目の前で真っ白い閃光が炸裂した。

 猛烈な爆発音が轟き、スノーホワイトは後方へ吹き飛ばされる。

 回転する視界の中で、頭部を失った木製人形が遠ざかって行くのが見えた。


─どうなったんだ?


 ケインは暗黒の闇の中にいた。

 小さな女の子のすすり泣く声が聴こえる。


「……痛い」


─シンシアか?


「……痛い……痛いよ」


─シンシア!


 闇の中に、白い服の少女がぽつんと立っている。


─俺だ! ケインだ!


「……ケイン?」


─目を覚ませシンシア! ここから出るぞ!


「……」


─どうしたんだ?


「……いや」


─え?


「こわい……外は、こわい……出たくない」


 少女はかすれた声で言うと、膝を抱えてしゃがみこんだ。


「……ここにいる」


 ケインは呆然とした。

 シンシアは、幼い頃からブレイン・バトルを開発するための実験体にされていた。それも、実の父親にだ。

 どれほどの苦痛と恐怖を与えられ、それに耐えてきたのだろう。

 そしてアンリミテッドでは黒衣の男により首だけにされ、ソウル・ケージに囚われた。

 もう現実の世界に戻りたくはないのだ。

 きっと、ミオと同じように。

 戻ればまた、味わわなくてはならないから。

 恐怖と、苦痛を。


 しかし。

 それでもケインは、取り戻したい。

 この少女を。


─シンシア! 


 ケインは懸命に叫んだ。


─俺を見ろ! 俺がわからないか?


 幼い少女は泣きはらした目をケインに向けた。


「……ケイン?」


─そうだ、これは夢だ。わかるか?


「夢?」


 幼い少女はきょとんとした。


「違うよ」


─え?


「ここは、セントラルパークだよ」




 背景が差し替わったように、周囲が明るくなった。

 ケインは木立の中の遊歩道に立っていた。

 目の前に三十代くらいの男女が立っている。

 黒髪の女性がしゃがみ込み、ケインの顔を覗きこんだ。


「まぁ、ケイン。その子は誰?」


「あっちで泣いてた」


 幼い男の子の声が答える。これは、俺なのか?

 知的な顔をした眼鏡の男性が周囲を見回し、冷静な声で言う。


「迷子らしいな。ああ、もう解決したようだ」


 遊歩道の奥から、金髪の女性が懸命に走って来る。

 あの書斎にいた、若い頃のサラだった。


 よろめきながら駆け寄ったサラは膝をつき、シンシアを抱きしめた。


「無事でよかった!」


 黒髪の女性が困った顔で声をかける。

「ごめんなさい。うちの子が連れて来ちゃったみたいで」


 サラは呼吸を整え、女性を見上げた。


「いえ、私が目を離したせいです。保護していただき、感謝します!」

 眼鏡の男性を見て、サラが目を見開いた。

「あ、あなたは……」


 眼鏡の男は、神経質そうに顔をしかめた。


「もう行こう、ユウ」


「でも」


 サラは幼いシンシアの手を取り、立ち上がった。

「あの、失礼ですが、カイル・ローゼンタール博士では?」


 男は小さく溜息をつき、サラに向き直った。

「私はカイル・ローゼンタール。彼女はパートナーのユウ・ミカド。息子のケインです」


 サラは目を輝かせ、華が咲いたような笑顔を向けた。

「私はサラ・アルブライト。この子はシンシア・アシュクロフトです。あら」


 シンシアと幼い男の子は手を繋いで離さない。


「サラ、私、この子と遊びたい」シンシアは言った。


「まぁ」


「ケイン、手を離しなさい」とユウ。


「やだ」


 サラとユウは困った顔で笑いあった。


「では、失礼」

 カイルは背を向け、ひとりで歩き始める。


 ユウはサラに会釈した。

「ほんとに、すいません」


「いいえ」

 サラは歩み去るカイルの背に声をかけた。

「お会いできて光栄です、博士!」


 ケインは目の前の光景に、立ち尽くしていた。


─シンシアとケインは、子供の頃に会っていた……。


 ユウは幼いケインの手を取り、カイルを追って小走りに遠ざかっていく。

 それを、名残惜しそうに見送るシンシア。


─そして、あの男が、俺の父親だと?


 眼鏡をかけた神経質そうな男。

 天才科学者のカイル・ローゼンタール。

 ケインは、前に向き直った。


─知っていたのか、サラ!


 若いサラは、じっとケインを見つめている。

 だがその視線はケインを素通りして、去っていく三人に向けられている。

 ケインは無言のまま、夢の中のシンシアを抱え上げた。


─行こう、シンシア。


「でも……」


 少女は腕の中で、不安げにケインを見上げた。


─知りたくないか?


「……」


─俺たちは、なにか、大きな流れの中にいる。


「流れ?」


─俺たちは、ずっと、流されている。


「ケイン……?」


─知りたくないか? 知らなくていいのか? シンシア!


「でも……こわい」


─俺が守る。おまえを。


「ケイン」


─絶対に、守ってみせる!


「……うん」


 幼いシンシアは、ケインの首に腕を回し、しっかりとしがみついた。


─行くぞ!


 ケインは秋晴れの空を見上げた。

 ここは夢の世界。

 戻るんだ。


 現実へ!




 ◇     ◇     ◇     ◇     ◇




 離陸したジェットヘリコが、森の上を素晴らしいスピードで遠ざかっていく。

 その機影を、サラは屋敷の窓際から見つめていた。

 カーテンに隠れるように立っている自分に気づき、溜息をつく。


「ごめんなさい、ケイン。隠していて……」


 目覚めたケインは血相を変えてサラに詰めより、警備員に取り押さえられた。

 そして強制的にヘリコに乗せられ、NYに向かっている。


「でも、状況を考えたら、すべてを話すことは不可能だった」


 サラは思い出していた。

 初めてシンシアと、そしてあの巨大な男と出会った日のことを。 


 あの日、ブレイン・バトルの実験で、幼い少女は苦痛と死の恐怖を受けた。

 そして一瞬で青銅砲をイメージ構築し、対戦相手の頭を吹き飛ばした。

 バトラーが槍や剣ではなく、原始的とはいえ銃火器を構築したのは、その時が初めてだった。


 そして。

 その衝撃は想像を超えていた。


 青銅砲の直撃を受けた相手の研究者は、実際にソファから後方に吹き飛んだ。

 鼻や耳から激しく出血し、瀕死の重傷を負ってしまった。

 科学者たちはパニックを起こし、現場は騒然となった。


 私はソファに倒れている少女に駆け寄った。


「しっかりして!」


 頭にかぶせられたブレイン・デバイスを外す。

 幼い少女はきつく眼を閉じて眉根を寄せ、激しい苦痛に堪えている。


 仮想世界でのダメージ数値を『痛覚』としてフィードバックする。

 その危険性を、実験前に何人もの科学者が指摘していた。

 ブレイン・デバイスを通じて『痛覚』をダイレクトに送り込まれた脳がどんな衝撃を受けるのか、まったく予想がつかなかったからだ。


 だが、実験は強行された。

 そしてその『人体実験』が招いたのは。


 最悪の結果だった。


 私は少女を抱え起こした。

 早く脳の検査と治療を行わなければ。


「……ありがとう」

 背後から、低く響く男の声がした。

「この子を気にかけてくれたのは、君だけだ」


 肩に手が柔らかく置かれている。それだけで身動きができなかった。


「君は?」


「サ、サラ・アルブライトです!」


 低く豊かな声が、耳元で暗示をかけるように囁いた。

「この子と共に、歩むがいい」


「え?」


 振り返ると巨大な男が、隣室のドアの向こうに消えるところだった。

 少女の父親であり、この『ブレイン・バトル』プロジェクトの最高統括責任者が。

 銀髪の男の大きな背中を、私は茫然と見つめていた。



「……サラ」 

 電子音声が呼びかけている。

「……サラ」


 サラは、はっとして振り返った。 

 背もたれを起こしたベッドから、シンシアが蒼い瞳を宙に向けている。


「こっちに来て、サラ……」


 サラはベッドに歩み寄り、縁に腰を掛けた。


「どうしたの、シンシア?」


「教えてほしい」


「……なにを?」


「私はサムライを忘れていたの? それとも、父が記憶を操作して……」


「ふたりとも、小さかった……」

 サラは思い出を懐かしむように言った。

「お互いを思い出せなくても、無理はないわ。それに……」


 サラは微かに眉をひそめた。

 ケインはカイル・ローゼンタールが自分の父親である記憶を消されていた。ケインの記憶は確かにいじられている。

 しかし、いったい誰が……。


 サラは手を伸ばし、少女の金色の前髪を整える。

「気にしないで、シンシア」


「……くすぐったい」

 少女は表情を変えずに言う。

「髪の毛はまだ、感じるのよ」


「そう」

 サラは微笑んだ。


「横にして、サラ。少し、眠る」


 サラはコントローラーでベッドを水平に倒した。

 シンシアは目を閉じ、小さく溜息をついた。


「どうして……」


「え?」


 サラは少女の顔を見下ろした。


「どうしてサムライは……私の夢の中に入ってこれたの?」


「あなたが好きだからでしょ?」


「真面目に答えて」


「真面目だけど」サラはぶつぶつ言う。


「ねぇ、どうして?」


 サラは少女の冷たい手を取り、何かの約束をするように握った。


「……ごめんなさい、シンシア」


 電子音声が呟くように言う。

「極秘事項、なのね?」


「……」


 サラは大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出した。


「……いいわ」

 サラは何もない空間に向かって声を上げた。

「いいわねアシュレイ? 隠していてもいずれわかること。私は、話します」


「サラ?」少女は目を開けた。


「ケイン・ミカド」

 サラはシンシアの顔を見つめた。

「母親は日本人のユウ・ミカド。彼女はシャーマン、日本語では『巫女』よ」


「ミコ?」


「古くから伝わる夢見の家系。意識の力だけで相手の脳波とシンクロし、夢の領域にダイブできる特殊能力を持っているの」


「それが、サムライにも?」


「私にも予想外だったわ。でも、彼はその能力を受け継いでいた」


 サラはヘリコが飛び去った空に視線を向けた。


「そして父親は、天才科学者のカイル・ローゼンタール。もともとカイルは、ユウ・ミカドの超常的な能力を解明するために日本のラボ・タワーから招聘されたのよ。そして、ふたりは恋に落ちた」


「なんだか……息苦しいわ」


 サラはシンシアの胸をそっとなでた。

「そうね。ラボ・タワーの中でユウ・ミカドを使ってどんな実験が行われていたのか、誰も知ることは出来ない。でも、とても恐ろしいことのような気がする」


「サムライは、その二人の子供なのね」


「天才科学者と異能のシャーマン。スーパー・ハイブリッドなのか……」

 サラは重く声を落とした。

「それとも、とてつもないモンスターか……」


「違う」

 シンシアは蒼い眼を見開き、はっきりと言った。

「サムライは、モンスターなんかじゃない」


「……」


「絶対に……絶対に……」


 サラは痛ましげな顔で、少女の頬を撫でた。


「眠りなさいシンシア。きっと、また、会えるわ」


 頬を流れる涙を、指で拭う。


「きっと、また……」

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