25 ソウル・ケージ
アカツキは石の床に叩きつけられた。
重い衝撃に一撃で意識が飛びそうになる。
間髪を入れずに二撃目が襲う。
アカツキの機体がひしゃげて嫌な音を立てた。
ふらふらと立ち上がったアカツキの左右から鉄の拳が飛んで来た。
巨大な鉄の塊に挟み撃ちにされ、アカツキは圧し潰されたように見えた。砕けた装甲の破片が拳の隙間から弾け飛ぶ。
鉄の拳が離れ、アカツキは糸の切れた操り人形のように床に頽れた。
グリーディ・アームズが胴体を引き摺りながら近づいてくる。
倒れたアカツキを見下ろし、高笑いを上げた。
「このクソが! 簡単に騙されやがった!」
グリーディ・アームズは巨大な拳を揃えて頭上に振り上げた。
「愚か者は、罰をうけるがいい! 死にやがれ!」
その動きがぴたり、と止まった。
「俺の『先生』はこういったよ……」
アカツキは倒れたままグリーディ・アームズに向かって片腕を伸ばしている。
握りしめた日本刀の切っ先が、ぶよぶよの胴体に差し込まれていた。
「最後まで隙を見せるなってね」
刀を真横に振り払った。
切裂かれた腹から緑色の溶液が噴き出し、グリーディ・アームズの絶叫が反響した。
アカツキは窓に向かって突進した。
しかしその背後からすぐに鉄の拳が襲いかかり、激しく突き飛ばされる。
アカツキは石の床を転がりながら体勢を立て直した。
床を蹴って跳躍し、垂直の壁を斜めに駆け上がった。その後を二つの黒鉄の拳が怒り狂った大蛇のように追撃する。
大広間の空間を縦横に逃げ回るアカツキを追って、『貪欲な腕』はその拳を走らせた。
しかしアカツキは鉄の拳を上回る速さで疾駆した。
垂直の壁を一気に駆け上がり、天井の梁に掴まり、すぐに床に飛び降りる。
拳がつながった腕の先端は伸び続け、空間はどんどん狭くなっていた。拳を飛ばす隙間は、もう僅かしかない。
幾重にも交差した腕の隙間から、庭に面した窓が見えた。
再びアカツキは窓に向かって突進した。
背後に迫った鉄の拳が激突する寸前、アカツキは宙に身を翻した。
拳は目標を見失い、そのまま窓を突き破って飛び出した。伸びきった腕が建物の外壁にだらりと垂れ下がる。
アカツキは破れた窓をくぐり抜け、雪に覆われた中庭に降り立った。
吹雪はいっそう激しさを増している。
アンリミテッドのステージとは、本当にこんな設定なのだろうか。
背後で爆発のような衝撃が起こった。
振り返ると館の石壁を突き崩しグリーディ・アームズが落下して来た。
怒りの雄叫びを上げながら絡み合った腕を収縮させ、見る見るうちにほどいている。
アカツキは中庭に面した扉から再び館の中に駆け込んだ。
廊下を玄関へ向かって突っ走る。
後方から鉄の拳が壁に跳ね返りながら、狂ったような勢いで追って来た。
最初の攻撃とは比べ物にならないスピードだ。
拳は火花を上げて堅い石の壁を削り、建物を崩壊させる勢いで迫ってくる。
それはすべてを破壊し尽くそうという衝動そのものだった。
ケインは直感した。
─このバトラーは『破壊衝動のリミッター』が外されている!
鉄の拳はすぐ背後まで迫っていた。
アカツキは廊下を直角に曲がり、最初に入って来た玄関から外に飛び出した。
雪の上に身体を投げ出す。二つの鉄の拳は腕を伸ばしてアカツキの頭上を超え、地面に落ちてようやく停止した。
すぐさま重い拳を引き摺り、玄関の中へ腕が戻されて行く。
アカツキは素早く立ち上がり、アッシュが地面に突き刺した白いスピアに突進した。
スピアを引き抜き、高く跳躍する。
グリーディ・アームズの重なった腕に、渾身の力を込めて槍を突き立てた。
中庭の方から苦痛と怒りの雄叫びが上がる。
アカツキは吹雪の中に舞い上がり、館を飛び越えた。
中庭のグリーディ・アームズは、館の中に突っ込んだ両腕を引き抜こうと、狂ったようにのたうちまわっている。
ケインは強風に煽られながら、アカツキを空中に停止させた。
グリーディ・アームズは罠にかかった野獣のように、凄まじい咆哮を上げる。
何かをわめいているのだが、一言も聞き取れない。
もう同じ人間とは思えなかった。
「お前は、『貪欲な腕』だったな」
ケインは片手を伸ばし、頭上の空間に大きく円を描いた。
その円に沿って、銀色に輝く細いダガーが次々に現れる。
ダガーは見えない糸で吊り下げられたように、鋭く尖った先端を地表に向けている。
ゆるやかな螺旋を描き、銀の短剣はその数を増やしていった。
「ここはアンリミテッド。際限はない」
ダガーは増え続ける。
「しかし、お前には、これで充分だ」
空中に銀色の螺旋塔が出現した。その先端が、のたうつ怪物に向けられる。
千本のダガーがいっせいに放たれた。
グリーディ・アームズのいた場所に、銀色結晶の華が咲いた。
ケインはアカツキを中庭に降下させた。
グリーディ・アームズはずたずたに切り裂かれた灰色の塊になっている。
命をかけたバトルとはいえ、後味の良いものではなかった。
ケインは周囲を見渡した。雪が吹き荒れる中には動くものの姿はない。
「アッシュ!」
ケインは叫んだ。白いブレイン・ギアはどこに消えてしまったのか。
不意に吹雪が止んだ。
スイッチを切ったような唐突さだった。
空中を舞っていた雪片がひらひらと流されていく。
その先に、黒衣の男が立っていた。
「なかなか興味深いバトルだった」
男はロシア訛りの英語で言った。
中世の修道僧のようにケープを深くかぶり、顔貌は影の中に隠されている。
ケインは無言のまま居合い抜きの構えを取った。
考えるまでもなく、この僧侶がもう一体のブレイン・ギアだ。
遠隔操作する黒い犬には知覚ウイルスを送り込む槍が仕込まれていた。しかし持っている攻撃オプションは当然それだけではないだ。
突然の攻撃に備えながら、ケインはじりじりと距離をつめた。
「その腰の刀で斬ろうというのか?」
男は金属が擦れるような耳障りな声で笑った。
「懲りない奴だ」
ケインは間合いを詰めながら叫んだ。
「アッシュをどうした?」
「アッシュ? ああ、あの愚かな小娘か」
「なんだと!」
「その娘なら、ここにいる」
黒衣の僧はケープの胸元に手を差し入れた。
警戒するケインをじらすように、ゆっくりと何かを取り出す。
それは木の格子で組まれた小さな箱で、白い卵のようなものが入っている。
「なんだ……それは?」
ケインは眼を凝らした。
それは。
アッシュの頭部だった。
ケインは一瞬で間合いを詰め、黒衣の僧を薙ぎ払った。
黒いケープが雪の上に残り、男の姿は空中にあった。
「欲しければくれてやる」
黒衣の男は格子の箱を無造作に投げ捨てた。
アカツキはダガーを投げて男を牽制すると、落下する箱を片手で受け止めた。
「能力はあっても戦う術を知らぬ。連盟直属のギアとは、この程度か?」
男のざらざらとした声が響く。
「コレクションにもならぬ」
ケインは空中の男を降り仰いだ。
露になったその顔を見た途端、ケインは痺れたように動けなくなった。
男には、顔が、頭がなかった。
いや。
頭があるべき場所には、黒雲が渦巻く塊ができている。
その黒雲の中で稲妻が激しく明滅し、雷鳴が轟いている。
ケインは戦慄した。
─こいつ、人間なのか?
様々なブレイン・ギアを見て来たが、これほど異様な姿はなかった。
この暗鬱な混沌とした異様な世界は、もう人間の精神の表象とは思えない。
ケインは刀を構え、男に向かって飛ぼうとした。
しかし、アカツキは動かない。
─どうした!
ケインは焦った。飛ぼうと思えばいくらでも飛べたはずだ。
それがブレイン・ギア、ソードマスター・アカツキだった。
しかし、動かない。いや、動けない。
ケインは愕然とした。
─足が、竦んでいる。
「恐れるがいい」
黒衣の僧はケインを見下ろし、傲然と言い放った。
「これが人の進化した姿だ」
「なん、だと?」
「ブレイン・テクノロジーは脳内世界への扉を開いた。それは人類を新しい進化の階梯に導くことを可能にした」
空中に浮遊する男は予言者のように両手を広げ、厳かに声を上げた。
「しかしその階梯を上るためには、人間の脳を変えなければいけない」
再び風が強く吹き始めた。ケインは空中の男を見上げ、叫んだ。
「どういうことだ?」
黒衣の僧は地上を指差した。
「その醜い姿を見るがいい」
地面には、ずたずたに裂けた『貪欲な腕』の残骸が散らばっている。
「人間の精神は抑圧され歪められている。その歪みがこの様な怪物を生み出してしまう。本能を抑止する理性の戒めを解くことで、人は本来の姿となり、新しい階梯に進むことができるのだ」
黒衣の男は詠うようにいった。
「ブレイン・テクノロジーにより人は進化の時を迎えた。しかし、すべての人間が進化できる訳ではない」
「進化、だと?」
「答えよ」
男は鋭く言った。
「人間は進化するべきなのか?」
「ふざけるな!」
ケインは憤然として叫んだ。
「進化するとか、すべきとか、誰が決められるんだ!」
「……愚か者め」
黒衣の僧侶は吐き捨てるようにいった。
黒雲の顔の中から鋭い視線が向けられているのがわかる。
身体が痺れるような威圧感がのしかかり、握りしめた刀が小刻みに震える。
ケインはぎりぎりと歯を食いしばり、見えない視線に耐えた。
「お前は『過去の矢』によって破壊衝動を解放された。しかしそれは、本来なら人が持ち得ないほどの巨大な衝動だった」
黒衣の僧は空中に浮遊したまま、両腕を水平に広げた。
上空の黒雲が男を中心とした巨大な渦巻きになって回り始める。
「なぜお前がそれを持っているのか、確かめねばならない」
「なにを言っている……」
ケインは、はっとした。
「まさか、このバトルを仕組んだのは、そのためか?」
ケインは強風に逆らって叫んだ。
「グリーディ・アームズはそれを確かめるための相手か?」
「何を植え付けられた?」
男は答えず、逆に問うた。
「いったい誰がお前にそれを与えたのだ?」
「与えた?」
ケインは混乱した。
この黒い僧侶は、いったい何を言っているのか。
「……お前の名は、ミカドといったな」
男はつぶやくように言った。
「ミカド……御門……お前は、日本人か」
突然、黒衣の男は笑い始めた。
金属をこするような洪笑が、低くたれ込めた暗雲に反響する。
「そうか、そうか、そうだったのか!」
男は狂ったように叫んだ。
「貴様だったか、荒神!」
頭部の黒雲の中で、雷光が激しく明滅する。
ケインは戦慄して男を見上げた。
「確かに貴様のいう通りだ! すべては大きな流れの中にある!」
男は暗い空を見上げ、耳障りな声で叫んだ。
「そしてこの世界で起きることは、皆、必然なのだ!」
男の黒い頭部が爆発した。
真っ黒い雲が猛烈な勢いで周囲に広がった。空はより低い暗雲に覆われ、稲妻が光り、暴風が吹き荒れる。
男の姿は黒雲の中に消えていた。
ケインは小さな箱を抱え、地面にうずくまった。
「アッシュ!」
大地も、空も、鳴動している。
轟々と地面が揺れる。姿勢を保てなくなり、ケインは片手をついた。
─ステージが崩壊するのか?
周囲を見回し、ケインは自分の眼を疑った。
小さな島だったステージの四方が折れ曲がり、垂直に立ち上がった。
地表が崩れ落ち、その下から太い格子状の構造体が現れた。空からも巨大な格子が降下して来て、四方の壁と合体する。
ステージ自体が巨大な格子の箱に変形した。
それはケインが胸に抱え込んだ、アッシュの箱と同じものだった。
ようやくケインは悟った。
この仮想空間のステージ、浮島そのものが、黒い修道僧のブレイン・ギアだったのだ。
「これはソウル・ケージ」
吹き荒れる風の中で、ざらざらとした男の声が響き渡る。
「お前には想像もつかないだろう。だが次の階梯に進めば、児戯にも等しいものだ」
「ふざけるな!」
ケインは空に向かって叫んだ。
「お前は、何をしようとしているんだ!」
「まだわからぬのか」
暴風の中で男の声が響く。
「進化は必然なのだ。そして、ふさわしいものだけが進化する。それ以外は、必要ない」
「まさか……!」
ケインは息を呑んだ。
「あの光パターンはそのための?」
「……選別は、始まった」
黒雲の中から男の気配が消えた。
地面は揺れ続ける。ケインはがっくりと膝を突いた。
地響きを立てて周囲の格子が迫ってくる。
箱全体がどんどん狭くなっているのがわかる。
アッシュと同じように、このまま『魂の檻』に閉じ込められてしまうのか。
その時、耳をつんざく衝撃音が轟いた。
雷鳴をも掻き消す凄まじい轟音だ。ケインは思わずアッシュの箱を抱え込んだ。
再び爆発するような衝撃音。
これは、どこかで、聞いたことがある……。
三度目の衝撃。
天井から砕かれた格子の巨大な破片が落下してくる。
─スレッジハンマーだ!
ケインは立ち上がり、黒雲が渦巻く空を見上げた。
─教授!
さらに衝撃が走る。天井から降ってくる破片は数を増していた。
教授のゴーレムが、外側からこのソウル・ケージを破壊しようとしているのだ。
ケインはアッシュの箱を抱え、破片を避けるためにステージ隅に走った。
─しかし、どうやってここが?
今までにない大きな衝撃音が轟く。
巨大な格子の塊が落下し、石造りの洋館がおもちゃのように押し潰された。
黒雲を抜けて教授のタワー・オブ・パワーが姿を表し、ぐらぐらと揺れる地面にゆっくりと降り立った。
「教授!」
強風の中で、ケインは叫んだ。
高層ビルほどもある巨大なゴーレムは、岩の顔をケインに向けた。
「ケイン、すまない。遅くなった。アクセスがブロックされ、ようやく突破して来た」
「どうしてここを?」
「君のマネジャーが教えてくれた」
「ジェイミーが?」
「私は、激しい怒りを感じている」
ゴーレムはぎりぎりと石の頭部を回し、頭上を覆う渦巻く暗雲を見上げた。
「黒衣の男よ! お前に一つ言っておく!」
ゴーレムは岩石の指で天を指差した。
「ひとの心を弄ぶな!」
教授は怒りに満ちた叫びを上げた。
「ひとの心は、侵してはならない神の領域なのだ!」
黒衣の僧の返事はない。
ただノイズのような笑い声が、空一面に虚ろに響き渡っている。
巨大なゴーレムはアカツキに顔を向けた。
「行くんだ、ケイン」
「わかった」ケインはうなずいた。「教授は?」
「私もすぐに行く。ここを破壊したらな」
アカツキは急上昇した。
黒雲の隙間から破壊された天井の格子が見える。
すぐに雲を突き抜け、はるか上空の暗い仮想空間に到達する。
ケインは手の中の小さな箱に視線を落とした。
格子の中にアッシュ・ガールの白い頭部が見える。シュールな楕円形の頭には目鼻がない。眠っているのか、意識があるのかさえわからない。
しかし。
あの男は『コレクション』と言っていた。
おそらくいくつものソウル・ケージに、様々なバトラーの意識を閉じ込めている。そして意識が檻の中にある限り、生体が目覚めることはない。
今すぐに、この箱からアッシュを脱出させなければならない。
そして、彼女にはそれができるはずだった。
「アッシュ!」
ケインは箱を覗き込んだ。
「聞こえるか? 眼を覚ませ!」
返事はない。
「バトルに勝ったぞ。わかるか? 俺たちが勝ったんだ!」
ケインは声を限りに叫んだ。
「約束だ、俺の名前を呼んでくれ!」
白い顔は黙ったままだ。
「帰るぞ、アッシュの家へ。あのでかい温室へ!」
ケインは懸命に声をかけた。
「今度こそバトルの決着をつけよう。俺をギッタギタにするんじゃなかったのか?」
白い頭がぴくりと動いたように見えた。
「帰ろう……」
ケインは小さな箱をアカツキの額に押し当て、祈るように名前を呼んだ。
少女の、名前を。
「俺と帰るんだ……シンシア!」
ソウル・ケージの中で、白い顔がほのかに輝いた。
「シンシア!」
白い頭部がさらさらと崩れ始める。
「そうだ! いいぞ! シンシア!」
白い頭部は粒子となって格子の隙間から仮想空間に流れ出す。
アッシュ・ガールは灰となって空間へ消えた。
アッシュの意識は檻から開放されたのだ。
ケインはほっと息を吐き、アカツキの機体を回転させた。
眼下には巨大な格子状の立方体が浮んでいる。
仮想ステージに擬態していたブレイン・ギア、ソウル・ケージだ。
その中で、稲妻のように激しい閃光が明滅した。
格子を打ち砕く重い衝撃音が、梵鐘のように響いてくる。
ゴーレムの超重量スレッジハンマーが、ソウル・ケージを内側から破壊しているのだ。
しかし、嫌な予感がした。
─あの男は……まさか?
次の瞬間、ソウル・ケージは音もなく収縮した。
巨大な構造物が一瞬で点となり。
虚空に、消えた。
「そんな……」
ケインは拳を握りしめ、絶叫した。
「教授─ッ!」
その叫びは木霊することなく、暗黒の空間に吸い込まれていった。




