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18 破壊衝動の暴走


 高層ビル最上階。広く豪華なオフィス。

 壁一面の窓からは、マンハッタン島のビル群が遠望できる。

 しかしジェイミーはその素晴らしい眺望にではなく、正面のデスクに緊張した顔を向けていた。


 オフィスの中央に鎮座する重厚なマホガニーのデスク。

 その向こうに、たっぷりと太った白髪の老人が座っている。

 巨漢の老人はヒューバート・トーマス・マックスウエル評議委員。

 国際共通通貨連盟のブレイン・バトル運営委員であり、査問委員長でもある。


「さて、どう説明するつもりかね、ジェイミー・パッカード?」

 老人は青い眼で若者をじろりと睨み、太い人差し指を立てた。

「まずカジノ・ライツ・ニューヨークで開催されたブレイン・バトルでのケイン・ミカドの猟奇的な加虐行為について専属マネジャーとしての率直な見解を聞こう」


「マックスウエル評議委員」

 ジェイミーは椅子の上で、ジャケットの背筋を伸ばした。

「あれは、ケインではありません」


 沈黙が流れる。

 老人は黙ったまま、先を促すように指を組んだ。


「ケインの心理分析データには」

 ジェイミーは冷静な口調で言った。

「あれほど激情的で残忍な嗜虐性は認められません」


「心理分析ではわからないこともある」老人はそっけなく言った。


「更にあの時、ケインは心神喪失状態でした」


「それについては脳波の解析結果を待っている」


「問題なのは」 

 ジェイミーは肥満した老人をまっすぐに見つめた。

「ケイン・ミカドが相手チームから、何らかの知覚攻撃を受けたことです」


 再び、沈黙。

 老人は眠たげな目になり、ゆっくりと言った。


「今、なんと言ったのかね?」


「知覚攻撃です」


「……続けたまえ」


「それは今まで誰も体験したことのない、全く未知の攻撃です。この攻撃は知覚に働きかけ、人間の持っている破壊衝動を強制的に高めるものと思われます。その結果ケイン・ミカドは心神喪失状態となり、一種の狂戦士バーサーカーモードに陥りました」


「その未知の『知覚攻撃』があの残虐きわまりない行為を引き起こしたと?」


「はい」


 マックスウエルは呆れたように唇をへの字に曲げた。

「ケイン・ミカドのアカツキは、三人、いや四人の黒い子供を刺し殺した」


「仮想空間では殺人に該当しません」


「失礼、刺し殺したではなく」

 老人は顔をしかめた。

「切り刻んだ。素晴らしい斬れ味の日本刀でね。黒い子供達はみじん切りになった」


 ジェイミーも眉根を寄せた。

 確かに、あれは酷かった。あの流出映像を見たときの不快感がよみがえる。


「とても人間のすることとは思えない」

 太った老人は、また口をへの字に曲げた。

「知覚のどこを刺激すれば、人間があれほど劇的に変化すると言うのかね?」


「通常なら考えられないことです。でも現実に、それは起こりました」


「信じがたい」


「同感です」


「証明できるかね?」


「できません。しかし」

 ジェイミーは声に力を込めた。

「他のバトラー二人も極めて異常な行動をとっています。偶然ではあり得ません」


「確かに……」

 老人は革椅子に深く沈み込み、ため息をついた。

「……まさか、ブレイン・ギアが自爆するとはな」


「おそらく、教授とルーサーも、同じ知覚攻撃を受けたと思われます」

 ジェイミーは声を落とした。

「あのバトルは衛星回線トラブルで一時モニターできなくなっていました。その時、なにかが起きていたとしか考えられません」



 ヘリコプターのエンジン音が急速に近づいてくる。

 二人は広々とした窓の外に眼をやった。

 最上階にあるオフィスと同じ高度を、NYPDのヘリコが猛スピードで通過し、飛び去っていく。

 ジェイミーはヘリコが向かうマンハッタン島に視線を移した。

 摩天楼の谷間から狼煙のろしのように細く煙があがっている。



「またテロか」

 マックスウェルはうんざりした顔で言い、丸い顎を撫でた。

「爆弾を仕掛けて要求が通るのなら、私が真っ先に爆弾魔ボマーになっているよ」


「このところテロの発生件数が急増していますね」


「テロだけではない。ここ一週間、NY周辺で傷害や死亡事件が多発している。傷害、暴行、殺人。そして」

 マックスウェルは渋面を作った。

「自殺」


「マンハッタンではいつものことではないですか?」


「本当にそう思うかね、ジェイミー?」


「え?」


 ジェイミーは唐突な問いに戸惑った。


 マックスウェルは急に黙り込み、目の前にいる若者を透かすような眼で見つめる。全存在を値踏みされているような、息詰まる数秒間が過ぎた。


「それらのほとんどが」

 マックスウェルはようやく口を開いた。

「あの夜、カジノ・ライツのアリーナにいた観客だったとしたら?」


 その言葉の意味を悟り、ジェイミーは思わず椅子から立ち上がった。


「まさか!」


 室内が一瞬で暗くなる。

 巨漢の老人がデスクキーに触れて窓の電子ブラインドをすべて閉めたのだ。


「これを見たまえ」


 窓と反対側の壁面ディスプレイで動画ファイルを開く。


「ライブ中継は途中で打ち切られた。ここから先はカジノ内の施設、つまり3Dアリーナにいた8000人、ブレイン・シアターでブレインデバイスを装着し、バトラーと知覚同調していた数十人のセレブリティ、そしてブレイン・ギア・システムの中継スタッフしか見ていない」


 ディスプレイに岩の巨人、ゴーレムが現れた。

 巨大な超重量ハンマーを振り上げ、渾身の力で振り下ろす。教授のゴーレムは狂ったように叫び声を上げながら、路面を何度も激しく打ち叩いた。

 衝撃で陥没した道路には、赤黒い染みが広がっている。

 自分のノートブックでも見た映像だが、ジェイミーは思わず眼を背けた。


「エヴァ・イグレシアスは無事だ」

 マックスウエルはジェイミーに視線を向けた。

「防御ポイントを使い果たす寸前に、管制室コントロールに回収された」


「それは良かった……」


 その事実は初めて知った。ジェイミーは安堵の息を吐いた。


「そうとも言えん」

 巨漢の老人は即座に否定する。

「仮想体験とはいえ、想像を絶する死の恐怖を繰り返し受けたのだ。精神的ダメージが激しい。どこまで回復できるかは、わからない」


 老人の言葉にジェイミーは暗然とした。

 だが少なくともエヴァが生きていることはわかった。ケインに伝えなければ。


「後の二人は?」


「同じ病院に入院している。ルーサー・ローマンは廃人だろう」


 ジェイミーは絶句した。


「……教授は?」


「重度の抑鬱状態だ。自殺しないように拘禁されている」


「そんなに……」ジェイミーは表情を曇らせた。


「何しろ最愛の女性を何度もハンマーで叩き潰したんだからな」

 マックスウェルは太った体を居心地悪そうに揺すった。

「それにもまして、自分自身の嫉妬心や残虐性が暴走したことの方がショックだったかもしれん。理知的な人間であれば、なおさらだ」


「やはり、知覚への攻撃だと思われます」

 はっきりとジェイミーは言った。


「仮にそうだとして、ジェイミー、君ならば」

 マックスウェルは太い指を伸ばし、デスクキーに触れた。

「この関係性をどう説明する?」



 壁面ディスプレイに多数の電子書類が表示される。

 ディスプレイは小さな書類であっという間に埋め尽くされた。


 マックスウエルは険しい顔で言った。

「ここ一週間、NYで起きた暴行、傷害、殺人、自殺の記録だ」


 ジェイミーは唖然とした。

「これが皆、あのアリーナの観客達ですか? まさか?」


「全ケース調査済みだ。中でも一番まずいことは、ブレイン・シアターでアカツキに知覚を同調させていたセレブ達が、最も強い影響を受けている」


 ディスプレイの中で、セレブが起こした事件記録がいくつも拡大される。

 ジェイミーは壁面を見つめ、腕を組んだ。


「つまり、ケインと同じように、破壊衝動が暴走した……」


「そうだ」

 マックスウェルは憮然とした顔でうなずく。

「オフィスで秘書の言葉遣いに突然怒りだし、興奮状態で殴る蹴るの暴行を加える。ウエイターの態度に激怒し高級レストランで大暴れする。ホームパーティで夫婦喧嘩を始め、激昂した夫が妻を射殺する」


「それは先週、銀行頭取が起こした事件ですね」


「そうだ。そして、破壊衝動は他者だけではなく、自分にも向けられる」

 マックスウェルは大きく息を吐いた。

「ルーサー・ローマンのように自分の犯した罪に打ちひしがれ、悔恨の淵に沈み、絶望する。忌まわしい自分という存在を破壊したくなる」


「……いつから、あなたは」

 ジェイミーは静かに言った。

「いや、連盟は気づいていたんですか?」


「何がだね?」老人はとぼけた。


「ロシアチームが行った」

 ジェイミーはマックスウエルに向き直った。

「破壊衝動を暴走させる、知覚攻撃です」


「それなら、20年前から知っている」


「な?」


 ジェイミーは完全に言葉を失った。

 この巨漢の老人は、いったい何を言っているのか?


「正確にはある研究者の論文に書かれていた」


「論文?」


「この研究者はブレイン・ギアの開発途中でそれが存在することを確信したらしい」


 ジェイミーは勢い込んで言った。

「その論文はどこに? 読めますか?」


 マックスウエルは大きな頭を左右に振った。

「連盟の第一級極秘文書だ。研究は封印された」


「……封印」


 中世のような言葉が、重く響く。


「しかし、ロシアのチームは見つけたのだ。未知の領域だった破壊衝動を司る脳の部位を。そして、多くの人間の破壊衝動を暴走させた」

 マックスウェルは唸るように言った。

「つまり、花火だ」


「花火?」


「バトルの途中で、アカツキは黒い子供から花火を見せられている。流出した映像素材には映っていなかった」

 太った老人は頬の肉を震わせ、大きく息を吐いた。

「本当に、不幸中の幸いだった」


「それでは、その花火が人々を狂わせた原因だと?」


 マックスウエルは顎を肉に埋めて、うなずく。


「花火の閃光は光パターンだった。脳神経に働きかける一種のプログラムだ。知覚のウイルスと言ってもいい。このウイルスはアカツキと知覚を同調させていたセレブ達の脳にダイレクトに送り込まれた。しかしアリーナの観客達はそれを映像として肉眼で見ている」


「どういうことですか?」


「網膜を通すならば、あれには10秒以上、《《凝視する時間》》が必要らしい」


 ジェイミーは考えながら言った。

「なにか、まだ不完全なもののような気がします」


「完成する前に探し出し、壊滅させる」

 不意に、老人の声は低く冷たいトーンに変わった。

「連盟に悪さをするとどうなるか示さねばならん」


 ジェイミーは密かに息を呑んだ。


 マックスウェルの言葉には、権力を持つものの獰猛さと冷酷さが滲んでいる。

 目の前の老人は、巨大組織の中で重要な地位に居続けているしたたかな人間なのだ。


「ケイン・ミカドに対する連盟の処分について伝える」

 マックスウェルは唐突に言った。

「国際S級ライセンスを没収し、活動は日本国内に限定する」


 ジェイミーは即座に声を上げた。

「ケインに責任はない! 受け入れられません!」


「当然だろうな」

 老人はうなずき、眼を細めた。

「当然だ」


 ジェイミーは困惑した。

「どういうことですか?」


「すべては君次第だ」


 ジェイミーは老人の眼を見つめ、探るように言った。

「ケインの処分を軽くする……交換条件ですね?」


「取引だ」


「交渉の余地は?」


「非常に少ないだろう」


 ジェイミーは溜息をついて言った。


「……どうぞ」

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