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16 深層記憶探査


 ジョージ・ロビンス大学はアメリカでも有数の歴史ある大学だ。


 付属病院はもともと脳医科学の権威として知られ、現在ではブレイン・テクノロジーの最新研究設備を保有し、最先端の実験と理論開発が行われている。


 大学構内の旧エリアには赤煉瓦作りの歴史的な建造物が並び、街路樹が大きく枝を張り出している。

 拡張された研究エリアに入ると風景は一変し、シャープなデザインの研究施設が続く。エリアの一番奥には巨大な角砂糖のような真っ白いビルが聳えていた。どの壁面にも、一つの窓すらない。


 ビジター用駐車場に停めた黒いセダンから降り、ケインは背伸びをした。

 晴れ渡った青い空が眩しい。


 —この空を、また見ることができるだろうか。


 ケインは頭をぶんぶん振った。

 弱気になるな。今からプレッシャーを感じてどうする。

 俺はこのために生きている。

 このために、バトルで賞金を稼ぎ続けているんじゃないのか?


「ケイン?」


 エントランスに向かっていたジェイミーが振り返る。

 ケインは片手を上げた。


「今行く!」


 ジェイミーは何か言いたそうな表情を浮かべた。

 しかし、もうここまで来てしまった。今さらキャンセルなどできない。

 それはケインも、ジェイミーもよくわかっていた。


 カウンターで入館許可を受け、待合室に通される。

 セキュリティによるIDチェックと入念な身体検査。所持品は全てお預かり。

 さらに個人情報と生体認識の確認が取れるとビジター用IDカードが渡され、ようやく施設内に入ることができた。

 その間も屈強な武装警備員が二人、ずっと付き添っている。


「来る度に、警備が厳しくなってる」


 通路を歩きながら、ジェイミーはぶつぶつ言った。


 エレベーターで地階に降りると雰囲気ががらりと変わった。

 通路は車道ほどもあり、天井は空調パイプがむき出しで、化学工場の中のようだ。床に描かれた何本もの誘導ラインを無人コンテナが走って行く。

 行き交う職員や研究者のIDカードは、最高機密エリアを示す赤。

 ケインたちはこのエリアの赤服警備員にぴったり挟まれ、通路を進んだ。


「ケイン」

 ジェイミーが小さく言った。

「本当に、大丈夫か?」


「だから、心配ないって」ケインはわざとそっけなく言う。


「やはり、延期した方が」


 ケインは溜息をついた。心配なのはわかっている。

 だが。

 ケインはきっぱりと言った。


「だめだ」


「でも」


「今回の探査費用を無駄にはできない」


「金の問題じゃない」


「金の問題だ。キャンセルすれば金を失う。そしてチャンスも失う」


「しかし」


「俺にもミオにも、時間がないんだ」


 ジェイミーは沈黙し、唇を噛んだ。


 ジェイミーは後悔している。

 ケインにあのブレイン・バトルの映像を見せたことを。

 そしてそれは、ケインも同じだった。


 集中するしかない。

 これからの深層記憶探査に、全神経を集中する。

 すこしでも気を抜くと……。

 あのおぞましい映像が、頭の中でフラッシュバックしてしまう。


 通路の一番奥に、気密室のような金属製ドアがあった。

 壁面モニターで内部と通話していた赤警備員が、ケインとジェイミーに前に進むように促す。

 赤く塗られたスペースに立つと、床と天井から数十本の太い金属棒がするすると伸びて、猛獣の檻のようにケインたちを取り囲んだ。ここまでやると、もう笑うことも出来ない。


 気密ドアが開く。


 暗い通路に足を踏み入れ、分厚い隔壁分の数メートルを歩く。

 突き当りのドアが開くと、現代科学の最前線と言われるブレイン・テクノロジーの中でも、最先端の設備が広がっていた。


 その大きな空間、オペレーションルームは、巨大国際空港の集中管制室を思わせた。

 照明を落とした薄暗い中に、様々な電子機器やディスプレイが整然と並び、十数人のオペレーター達が刻々と変化する抽象的なグラフィックスを見つめている。

 オペレーションルームの中央は一段高くなったステージになっていて、その上に数人の人影が見えた。


 ケインとジェイミーはステップを登り、ステージに上がった。


 巨大なメインスクリーンが正面にあり、光る画面を背にして男たちの姿がシルエットになっている。

 影の一人が振り返り、歩み寄って来た。

 背の高い、白髪ワシ鼻の痩せた老人だ。


「よく来たね、ケイン」


 ケインに手を差し伸べ、がっちりと握手する。


「おはようございます、ハルトマン博士」


 老博士はジェイミーに目礼すると、すぐケインに言った。


「我々の準備はできている。君は、行けるかね?」


「行けます。大丈夫です」


「よし」

 ハルトマン博士は満足げに微笑んだ。

「では始めよう!」


 ハルトマン博士はここの最上席科学者であり、研究責任者だ。

 ノーベル賞受賞者であっても、ここでは常に最新の研究成果が求められる。


 そして、ケインと博士の目的は一致している。


 ケインの目的。失われたミオの記憶を取り戻し、昏睡状態から目覚めさせる。

 博士の目的。人間の脳の記憶構造を解明するための貴重な潜航ダイブデータを得る。

 

 なぜ貴重か。

 人間の記憶に潜航する実験は、過去に幾つもの悲惨な事故を起こしている。

 記憶障害、人格障害、重度の麻痺、そして、被験者死亡。

 これは、完全に、危険な人体実験。

 

 それでも俺はやる。ミオを目覚めさせる。

 今までの事故など関係ない。


 ハルトマン博士は世界最高の科学者であり、ケインほどブレイン・ギアの扱いに習熟したダイバーは過去にいなかったはずだ。ケインは、どんなに過酷で突発的な状況でも対応してみせる。


「博士、ミオの状態は?」ケインは訊いた。


「生体も、通信回線も、安定している」

 博士はメインスクリーンに並ぶ画面の一つを指差した。

「前回のマーカーが残っているのも確認できた。探査艇(プローブ)を出して、到達記憶階層までの誘導路を算出中だ」


 スクリーンには、いびつに曲がった誘導路が光っている。


「わかりました。今度こそ、ミオを……」


 ハルトマンは灰色の眼でケインをじっと見た。


「ケイン、あまり気負わん方がいい。リラックスしていこう」


 離れた場所で、ジェイミーが何か言いたそうな顔をしている。

 女性スタッフが近づき、ケインに言った。


「それでは、コクーン室に」


 ケインはジェイミーにうなずき、ステージを降りた。


 ジェイミーは博士に歩み寄り、思わず声をかけた。


「あの、博士」


「ん?」


「ケインは今日、少しコンディションが」


「……」


「大丈夫でしょうか?」


 老博士はメインスクリーンを見上げ、表情を引き締めた。


「今までここで何度もダイブをして、何も起きなかったことは」


「え?」


「……奇跡に近い」


 ジェイミーは声を失った。


「ケイン・ミカド。彼は強い。彼の強さを、信じよう」


「……そ、そんな?」


 ハルトマン博士は、ジェイミーに視線を向けた。

 その顔は、今まで見たこともないほど、厳しく険しい顔だった。


「脳の中の世界は、未だに未知の世界であり」

 博士は、低く言った。

「そこで何が起きるのか、まったく予測不可能なのだよ」

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