14 破壊進化
ゴールドバーグは、虚ろな眼でアリーナを見下ろしていた。
特別貴賓室から見渡すアリーナは、無数の人間が重なり合って入り乱れ、混乱の極に達している。
まるで、沸騰する鍋のように。
観客の頭上に投影された巨大な立体映像のアカツキは黒い子供だったものを刀で嬲るように切り刻み、その凄惨な映像にパニックを起こした観客が出口に殺到していた。
怒号や悲鳴が飛び交い、人を押しのけて先に進もうとする観客の間でつかみ合いが起きている。観客同士の乱闘はあちこちで始まっていて、自分から殴り合いの中に飛び込む者さえいる。
その激しさは、明らかに常軌を逸していた。
これは、異常すぎる。
ゴールドバークはグラスの酒を口に運んだ。震えるグラスが歯に当ってカチカチ音をたてる。
まさか、観客までが、破壊衝動を……?
アリーナの中央ステージは戦場のようになっていた。
コクーンすべての上蓋が開き、医療スタッフが慌ただしくバトラーを運び出している。
どのバトラーもぐったりとして、その場で救命措置を施されている者もいる。確かにあのバトルでは、誰一人として無事ではすまないだろう。
ゴールドバーグは暗い眼でステージ上空を見た。
点灯しているのはチーム・レッドの一つのみ。
最後までポイントを残していたのは、アカツキだった。
ソードマスター・アカツキが回収される前に、試合は終了した。
それは猟奇的な行動を起こしたアカツキの強制回収を待たずに、隠れていたレフェリーが終了を宣言したためだ。それはとんでもない致命的なミスだった。
しかし宣言を覆すことはできない。全ての責任はレフェリーを任命した興行主側にある。
そして、ロシアチームの勝ちを前提としたこの独立興行は、カジノ・ライツに期待された利益ではなく巨額の損失と、興行主としての信用の失墜をもたらした。
それだけではない。
最大の目的であった、ロシアチームの超常的な能力を全米の非合法組織に売り込む計画そのものが霧散したのだ。
カジノの経営者からは厳罰が下るだろう。
ゴールドバーグは過去に権勢をふるった幹部達が消されるのを幾度も眼にしている。また自分自身がそれに係わったこともある。
そのリスクへの覚悟はできていた。そうでなくては巨大カジノの総支配人など勤まる訳がない。
しかし……その前に、やることがある。
ゴールドバーグは傲然と顔を上げた。
気がつくと、窓にニンジャ・バグが蝉のようにへばりつき、レンズを向けている。
ゴールドバーグは手にしたグラスをニンジャ・バグに投げつけた。
グラスは強化ガラスに当って砕け散る。
連盟め。どこから情報をつかんだ。
計画は完全に極秘だった。
それでも連盟は事前に察知していた。
情報収集の精度と分析において、相手が一枚も二枚も上手だったのだ。
くるりと踵を返すと、ゴールドバーグは隣室のドアに歩み寄った。ハンドガンを構えた巨漢のボディガード四名がドアの左右に立つ。
暗証コードを入力して解錠。ドアを押し開ける。
ボディガードたちは滑るような動きで室内に足を踏み入れた。
「ボス」
射撃姿勢を取ったボディガードが肩越しに言う。
「どうぞ」
部屋の奥のソファに男が座っている。
黒いベンチコートのフードを目深にかぶり、その顔は影の中に沈んでいる。
ゴールドバーグは男に向かい、ゆっくりと進んだ。
心を占めていたのはこの男に対する怒りよりも、この男が持ち込んだ計画に乗った自分自身に対する怒りだった。確かに知覚ウイルスに関する資料はあったし、ロシアでの対戦成績がそれを実証していた。しかしそれが、こんな結果になろうとは。
ソファの前に立ち、ゴールドバーグは男を見下ろした。
「……これは、どういうことだ?」
「愚問だな」
フードの男はロシア訛の英語で言った。
金属が擦れ合うような、ざらざらとした耳障りな声だ。
「アレクシス・アレクセイエフ」
ゴールドバーグは、男の名をゆっくりと発音した。
「では確認したい。知覚ウイルスは相手の精神を破壊するものではなかったのか?」
フードの影の中で、男はくつくつと嗤った。
「お前は、全く理解できていないようだ」
ゴールドバーグは顔を歪めた。
手を前で組むと、背後のボディガードたちが銃を構えたまま距離を詰める。
アレクシスと呼ばれた男は、落ち着いた口調で言った。
「知覚ウイルスは破壊衝動の抑圧を解放する。その破壊衝動は自身を破滅させるほど強力だ。だが他者に向けられれば、止めようのない暴威となる」
「あのブレイン・ギアは、暴走状態になった」
ゴールドバーグは目を細め、ささやくように言った。
「そうなると、予測できたはずなのでは?」
「……」
アレクシスは考えるように間を置いた。
「あのサムライは、途方もないほどの破壊衝動を秘めている」
「なんだと?」
「本来ならば、人が持ち得ないほどのものだ」
「それがどうした……?」
支配人は声を低く放った。
「俺の質問に答えろ!」
「……ふん」
アレクシスは鼻で笑うと、耳障りな声音で言った。
「人間は太古から他者を攻撃し破壊し続けてきた。それは肉食動物の狩猟本能とは大きく異なっている。人間は、必要がなくても他者を攻撃したのだ。それが破壊衝動だ。近代において闘争心と呼ばれるものも、その本質は破壊衝動にある。それが人間の持つ本能であらば、抑止こそ生命進化の妨げでしかない」
ゴールドバーグは背後に腕を伸ばした。
「貴様はいったい、何を言っているんだ?」
手渡されたハンドガンを男の頭に向け、怒りを押し殺して言った。
「バトルは負けた。大損害だ。貴様にも相応の覚悟はしてもらうぞ」
「……まだ、終わりではない」
「なんだと?」
「続きを見せてやろう。アンリミテッドで」
ゴールドバーグの眼がすっと細くなった。
「知っているのか……アンリミテッドを?」
フードの男はざらざらした声で言った。
「無制限の地下バトル。あの狂戦士には、ふさわしい場所だ」
ゴールドバーグは息を止めた。
数瞬の間に、頭の中でプランが組み立てられる。
ハンドガンの銃口を下げ、カジノ支配人は言った。
「アンリミテッドを開催する」
「計算が速いな。それで損失は充分取り戻せる」
アレクシスは嘲るように笑う。
「これでお前も、生き延びられよう」
「条件がある。あのサムライを殺せ」
「当然だ」
「違う!」
ゴールドバーグは声を荒げた。
「この上もなく残酷に、無残に、惨めにだ! 俺の顔に泥を塗った者がどうなるか見せしめにしてやる!」
「よかろう」
「貴様には監視をつける」
ゴールドバーグは本来の声、冷たく凄みを帯びた声で言った。
「逃げようなどと思うなよ」
うつむいたアレクシスの肩が小さく震えている。
男は、声を立てずに、笑っていた。
「貴様ァ!」
ゴールドバーグの中に、一瞬、本物の殺意が膨れ上がった。
それを感じたように、アレクシスはゆっくりと顔を上げた。
その角度でも目鼻は現れず、フードの中は黒い闇がぞわぞわと蠢いている。
ゴールドバーグは息を呑み、後ずさった。
それは明らかに。
人間が見てはいけないものだった。