09 狂った戦闘
ケインはアカツキを道路に着地させた。
爆炎に煽られた墨衣が、はたはたと翻る。
落下した黒マトリョーシカを踏みつけ、ダガーを引き抜いた。
この中に、別の『存在感』を感じる。
「いるのか?」
アカツキはダガーを逆手に握り直し、つぶれたこけし人形を覗き込んだ。
人形の裂け目から、黒い溶液が流れ出している。
その中から、ぬるぬると光る黒いものが這い出そうとしていた。
それは全身が濡れたゴムのような黒い皮膜で覆われた、小さな子供だった。
風船のように大きな頭部、短い手足。異様なアンバランスさだ。
「助ケテ」
異形の黒い子供は頭部を持ち上げ、哀れな声で言った。
「殺サナイデ」
ぬめっとした黒い顔の中、小さなボタンのような眼がケインを見つめている。
その不気味さに、ケインはぞっとした。
これがあのロシア少年の、いや、人間のブレイン・ギアなのか。
「ボクハ悪クナイヨ。ダカラ、殺サナイデ」
ロシア訛りの英語で子供は必死に訴える。
怯えた声だが、演技しているとも考えられる。
ケインはためらった。今すぐに攻撃すべきだろうか?
「お前はいったい……?」
その時、後方でルーサーの怒声が聞こえた。
仁王立ちしたキャンデイマンの周りを、大量の黒い分身たちが輪になって飛び、小さな石のようなものを盛んに投げつけている。
小さな四角いかたまり。
それは、積み木だった。
その時、痺れるような悪寒が走った。
反射的にアカツキの体をひねる。だが、何かが顔に当たった。
地面に落ちたそれは、おもちゃの矢だった。
「キャハハハハハハハハ!」
おもちゃの弓を持った黒い子供が、よたよたと走って逃げていく。
ケインは無言のまま、腕を振り抜いた。
黒い子供は背後からダガーに刺し貫かれ、ものもいわずに地面にくずおれた。
ケインはアカツキの顔に当たった小さな矢を拾い上げた。
先端には丸い重りがついている。どう見てもおもちゃの矢だ。
こんなものが武器になるのだろうか。
ホタルのような仮想カメラが、わらわらと集まってきている。
ケインは倒れている異様な黒い子供を見下ろした。
背中にダガーが深々と突き刺さっている。
—まずかったか。
倒れた黒い子供の姿がすっと消える。
地面に残ったダガーを見つめ、ケインはどんよりと気が重くなった。
今の攻撃は立体映像としてアリーナの観客も見ており、またライブ配信もされている。
いくら異様で不気味な姿とはいえ、子供のようなギアを背後から刺した行為は、強い非難を受ける可能性がある。ブレイン・バトルを非人道的と批判する人々にとって、これは格好の攻撃材料だ。
「ケイン! 何をしているの!」
エヴァの鋭い声。
ケインは、はっとして顔を上げた。
「早く! ルーサーを援護!」
キャンディマンの周囲に多数の黒い分身が飛んでいる。
—何をぼうっとしているんだ、俺は!
黒鞘の太刀をずらりと引き抜く。前傾姿勢をとり、ぐっと沈み込む。
「疾駆!」
アカツキは一瞬で黒い分身の渦に突っ込んでいた。
独楽のように回転しながら斬りまくる。
斬撃を逃れた分身は、蜘蛛の子を散らすように四方に飛び去った。
「ちっくしょうッ! なんだこの気色悪いのは!」
ぼたぼたと落下した黒いマトリョーシカを、キャンディマンは罵りながら踏みつぶして回る。
「気をつけろ! 本体が潜んでいるかもしれない」
ケインは注意したが、興奮したルーサーの耳には入らない。
「ケイン、大丈夫?」
石塔の上に、エヴァである赤い猫が姿を現した。
「大丈夫だ。一体、撃破した」
「そのようね」
赤い猫は夜空を見上げた。
空には残り時間と、赤と青の光点が浮かび上がっている。
ロシアチームの青い点のひとつが、暗く沈んでいる。
「おい、一体やったのか?」
荒い息を吐きながらキャンディマンが戻ってきた。
「残り時間はもう10分を切った。このまま逃げ切ろうぜ」
「賢明ね。同意するわ」エヴァが言った。
突然、雷が落ちたような声が響いた。
「エヴァーッ!」
その声の激しさに、ケイン達は驚いて石塔を振り返った。
「教授?」
「エヴァ! どうして外に出たんだ?」
ゴーレムが責めるように声を荒げた。
「中に入るんだ! 早く私の中に!」
赤い猫がびくっと体をすくめた。
「え?」
「私から出るな!」
教授は切迫した調子で叫んだ。
「でないとお前を守れなくなる!」
理知的な教授とは思えない、うわずった口調だった。
「どうしたの、あなた?」
赤い猫は恐れるように言った。
「はやく、は、入れーッ!」
教授は悲鳴にも似た声を上げた。
石がこすれ合う音がして、石塔の壁に小さな穴があく。
赤い猫は一瞬ためらう素振りを見せたが、すぐにその中に飛び込んだ。
石の壁は重い軋り音を立てて閉じ、教授のくぐもった声が低く響く。
「エヴァは私が守る。私が守る……」
ケインはアカツキを動かし、キャンディマンの隣に寄せた。
「教授の様子がおかしい。どうしたんだ?」
ルーサーは息苦しそうに答えた。
「……わからん。それより、このまま逃げ切れるか?」
画像が乱れるようにキャンディマンの輪廓がぶれている。
かなり精神力を消耗しているようだ。
ギアの構造を保てなくなれば即座に失格になる。
その時、ケインは妙な違和感を感じた。
周囲の空間が何かしら『空虚』な感じに変化している。
空を見上げた。
ブレイン・バトルの間、常に感じている上空からの存在感。
それが、なくなっている。
「まさか……!」
アカツキを急上昇させる。数秒でビル街を見下ろす高度に達する。
マンハッタン島ステージは宝石のように煌めいている。ケインはアカツキを水平回転させた。
五角形の頂点にある光点が、すべて消えていた。
ケインはアカツキを地上に降下させた。
「聞いてくれ」
ケインは静かに言った。
「審判が、全員離脱している」
沈黙が流れた。
「はっ、おい冗談、だろ?」ルーサーが苦しげに言う。
「本当だ。上空には誰もいない」
「信じられない……」
エヴァのかすれた声。
「審判がいなければ何が起きても正式な記録にならず、訴えることもできない」
「教授!」
ケインはずっと黙っているゴーレムに呼びかけた。
「非常事態だ! これから……」
その時、信じられないことが起こった。
周囲のビル街が、どんどん暗くなっていく。
キャンディマンやゴーレムの姿が闇に飲まれて消えていく。
—なんだ、これは!
次の瞬間。
すべての光が消え、ケインの視界は暗黒になった。