現代西洋哲学の趨勢およびその展望 ニヒリズム 現象学 実存主義 精神分析 構造言語学 分析哲学
現代思想を準備したものとは、フロイトの深層心理学、ユングの心理学。サルトルの実存哲学、
マルクスの弁証法的唯物論、フッサールの現象学と、ハイデッガーの存在論と、ウイトゲンシュタインの分析哲学(言語哲学)、ニーチェの超人思想などである。
ジャンル別に言うならば、
ニヒリズム
現象学
実存主義
精神分析
構造言語学
分析哲学
などである。
私が現代思想で特に重要と考える人物とその著作を以下に列記する。
フーコー 「言葉と物」
彼は系譜学という手法を使って歴史分析して見せた。
16世紀から今まで人類はどのように知の体系を築いてきたかを精緻に分析して見せたのである。
ラカン 「ディスクール」
人間の幼児だけが「寸断された」状態で生きななればならない、しかしそれはやがて「鏡像段階」に達して初めて、自己を認識する。つまり他我によって自己を認識するということは本来的に自己という実態があるわけではなくてあくまでも鏡像にすぎない。しかも人間は自己があると信じるという狂気に陥ってるのだ。
レヴィストロース 「悲しき熱帯、」「親族の基本構造」
未開社会の分析によって構造主義の基いを築く。社会の構造が逆に人間を規定しているのだ。
ドウルーズ 「リゾーム」
リゾームとは、張り巡らされた樹状の概念、社会も自然界もこのような「リゾーム」が真実の姿であり。単純な一列構造などというのはまやかしでしかない。そしてそのような中で生きてゆくというのは常に変わり身をしてゆく一か所のとどまらない、逃げろ、絶えず解体しまた構築するという「ノマド」こそが正当なのだ。
デリダ 「エクリチュールと差異」
デリダと言えば「脱構築」ということ場が有名ですね。
この概念で彼は今までの西洋哲学を批判しまさに「脱構築」したのです。
言語の絶対性。絶対の物自体。などをまさに「脱構築」したというわけです。
バルト 「零度のエクリチュール」
多彩な文筆活動があるが、記号と構造が社会を動かしていると考えた。
記号意味論でヒトは己を規定し構造化している。
リオタール 「ポストモダンの条件」
彼は今の時代を「大きな物語が終わった時代」だという。
つまり前世期のような、絶大な思想や主義が今や崩壊して、小さな思想や主義が小さく主張してるだけの時代、それが現代だというのだ、。その典型がソ連の崩壊である。
これでマルクス主義という「大きな物語」が完全に崩壊したのである。
そして今現在多様な「小さな物語」がひしめき合っている、その混とんとカーオスに人は耐えるしかない、。
ボードリヤール 「シミュレーションの時代」
彼は現代の足し風sh会を分析するのに「シミラークル」という概念をつかう。シミラークルとは簡単に言えばコピー。シンボルです。現代社会はそのコピーに意味を付与し、シンボルを交換することで成り立っている。
シモーヌヴェイユ 「重力と恩寵」「工場日記」
女性が哲学すると、こうもマリア的な発想になるものなのか?
意味のない苦痛の単純労働現場にあえて身を置き、その無意味な苦の果てに神の恩寵を見るとは、そこにしか神の恩寵がないのだとしたら?
ソシュール 一般言語学講義
言語の恣意性を指摘する、つまり、簡単に言えば「チョウ」を「チョウ」という必然性はどこにもないということである。
そのうえでソシュールは「ランガジェ」と「パロール」と、「ラング」を言語の構成要素として提示した、
ブランショ 来るべき書物
文学評論に画期的な地平を切り開いた書物。文学への「死亡通知」とも評される。これを読んでなお私は小説を書きたいななんて言える人は相当の猛者かあるいはまったくの馬鹿かでしょうね。
コリンウイルソン アウトサイダー
アウトサイダーの意義と意味を再提示して見せた、
イリイッチ 脱学校社会 脱病院社会
学校そして病院という最も、堅固で固陋な閉鎖社会構造からの脱出。
そこからしか人類に未来は見えてこないのだろう。