不器用な貴方、それから
カッ、コッ、カッ、コッ、カッ、コッ…………。
ヴェルトラント皇立天涯騎士団のとあるオフィスの廊下にて、がっしりとした体躯の背の高い男が歩いていた。
30代半ばだろうか。
サラサラと風になびくダークブラウンの髪、鋭利なヘイゼルの瞳、キリリと引き締まった口元・・・。
彫りの深い強面だが、端正な顔立ちのこの男は、マニアには垂涎の的である指揮官クラスの制服を身に纏い、颯爽とした足取りでどこかに向かっているようだった。
「クリューガーさん、お久しぶりでございます」
「復職されたのですね」
すれ違う者がみな、深々と頭を下げるか最敬礼で自分を迎えるその姿が馬鹿馬鹿しくてならない・・・などと思っていることをおくびにも出さず、ただ端正な顔にかすかな笑みを浮かべて軽く頷いてみせる。
第十空挺団ハルトヴィヒ・クリューガー一等騎士佐。
年齢は37歳。
19歳で小隊長を任されたというエリートで、元々第七空挺団に所属していた彼がその実績を買われ、戦艦持ちの隊長に抜擢されたのはつい最近のこと。
先の大戦での活躍により天涯騎士団内では“アリステアズウォー”を戦い抜いたパイロットとして有名であるが、彼の交友範囲は極めて狭い為に声をかけてくる者が誰であるか知らない。
彼としても慇懃無礼に年上の者から挨拶なんかされたくもないのだが、まあ仕方がないと最近は諦めていた。
なんといっても英雄の一人なのだ。
特別扱いを受けるのも慣れつつある今日この頃、いちいち挨拶するのも面倒くさい。呆れつつ、ため息をこぼしそうになりつつ、クリューガーは目的地へと急いでいた。
走りたい。さっさと走っていってこの状況から逃れたい。だが緊急事態でもないのに隊長が走っていては不振に思われてしまう…。
自分にとっては緊急事態にも等しいことなのだから、媚びへつらうように廊下をうろうろしている者どもを吹き飛ばしても咎めはされないだろう…などと本気で考えてはいるのだが表情に変化はない。
戦争後、しばらくの間ヴェルトラント中央政府に出向し、政府高官として活動しているうちに身につけた『ポーカーフェイス』を駆使し、なるべくトラブルを避けるように努めているのだ。
かつてのライバルであるアイシス・ディーンが今のクリューガーを見たら何と言うか。「何か悪い物でも食べたか?」と言うかもしれない。第七空挺団にいた頃のクリューガーの癇癪は有名だったのだ。
今のクリューガーからは、同僚の言動に怒鳴り散らしていた姿など微塵も感じられなかった。
クリューガーは少しだけ足を速めることにした。
あいにく休日が一日しか取れなかったのだ、こんなところで無駄にするわけにはいかない。白を基調とした丈の長い制服が、速度に合わせるようにふわりとひるがえった。
「クリューガー様、すてき…」
クリューガーの心中を知らない輩が声をかけてくる。
「クリューガー隊長、うわぁ、本物だ」
またか。
いくら人間的に成長したといっても、こうも煩いと怒鳴ってしまいそうになる。
クリューガーは気付いていなかった。非公認ファンクラブの存在を。そして自分がいかに無表情であるかを…。
昔のクリューガーは表情豊で、眉間に皺を寄せようものならまわりの人がみんなして避けていた。しかし今は、親しい人物以外の者に向ける顔には何の表情もないのである。
どんなに内心ボロクソに相手のことをけなしていようが、欠伸をかみ殺すほど退屈していようが、見せる顔は真面目な表情の仮面を被っているのだ。
ええい、ここの奴らはそんなに暇なのか?
自分に気を止めるくらいなら仕事をしろっ!!
心の中でののしりつつも眉間に皺を寄せてはいない。
かなり成長したもようである。
「そんなに急いで何処に行く?クリューガー」
物思いに沈んでいたクリューガーは不快な声によって現実へと引き戻されてしまった。
「これはフォーザム隊長、何か?」
第三空挺団の隊長の一人であるフォーザムはクリューガーのことが気に入らないのか、何かにつけ敵対してくる。
こいつに割く時間が惜しい。早くどこかに行ってくれないか。
フォーザムのためになど足を止めたくないので、不本意ながら速度を落として目だけを向ける。
見たくないものを見てしまった…ああ、ああ、魔法が禁止でなければ吹き飛ばしてやるのに…宇宙の果てに。
などと思いながらわざと立ち止まり、わざとゆっくり敬礼し、さも今しがた気付いたといわんばかりに、一緒にいたフォーザムの副隊長にわざとさわやかに微笑みかけてから白の制服の効果を生かし、裾を思いっきりはためかして踵を返した。
思わず周りにいた者の間からため息が漏れる。
クリューガーの目の端で顔を歪ませるフォーザムと副隊長が見えたが、あえて無視して今度はゆっくりと優雅に歩いていった。
アリステアで逃げ出した腰抜けが。
コネを使ったか何か知らんが、奴ほど白服が似合わない者は天涯騎士団広しとはいえそうそういないだろう。
あの時、同僚の魔導戦闘機がこの男の所為で大破し、あわや命を落としかねない状況にあったのだ。
今思い出してもむかむかする。
それから誰とも一言も会話を交わさず黙々と歩き続けること五分、もんもんとしながらクリューガーは目的の場所に着いた。
着替える間さえも惜しんで銀河の彼方から遥々帰ってきたのだ。帰りのこともあるのであと3~4時間しかいられないが、それでも嬉しい。
第七空挺団魔導戦闘機格納庫 兼 待機所
このプレートを見ると、昔の記憶がよみがえってくる。
何の連絡も遣さずに来たが昼時だから多分大丈夫だろう。
指紋と虹彩チェックを受け、柄にもなくドキドキしながら足を一歩踏み入れる。
これは隊長が育てていたサボテンか?かなりでかくなってないか?
なんで受付に人がいないんだ。
おおかた昼飯か休憩か、仕方がない。
IDカードで事務所に入るが、ここも見事に誰もいなかった。きちんと整理された書類の山、シャットダウンされたPC、何よりそこに人がいた形跡がない。ロッカールームにも気配がなかった。
「神隠し?いや、そんなはずは…」
ここが閉鎖されたとは聞いていない。もう長いことここに来ていないが、サボテンが立派に生長していることから人がいることには間違いないのだが。
とりあえず、見て回るか…。
第七空挺団魔導戦闘機整備班班長の執務室から始まり、整備部、エンジン部、武器庫、休憩所、遊撃隊舎、格納庫…思い当たるところすべてを回ったが、誰一人として整備士の姿は見当たらなかった。訓練所も鍵がかかっており、中に人の気配もない。
班長が全員に休暇を与えたとしか言いようがないが…警備担当までいないとはどういうことだ?
カティア…今どこにいる?
クリューガーがわざわざ休暇をもぎ取ってまで会いに来た人物はここの班長であるカティア・バラデュールである。
大戦時、クリューガーの魔導戦闘機専属整備班に配属になった整備士で、恋人でもあるカティア。大戦終結間際では複座式の魔導戦闘機に乗って共に戦い抜いたが、戦争後はまた整備士に戻っていた。
元クリューガー付き整備班はリアクション系が大きいため、こっちが呼ばなくとも向こうからやってきて少し痛い歓迎を受けるのだが…。
いつもは騒がしい場所が妙に静かなのはあまりいいことではなかった。
どこに行ったんだ、カティア。
本部に連絡を入れるか…。
クリューガーはドック中を走り回り、誰もいないことを確認するとあせる気持ちを抑えながら通信室へ向かおうとした…が、まだひとつ調べていない場所があったことを思い出した。
自分たちの待機室。
大戦中の赤の遊撃隊パイロット待機室。
まさか…そんなところにいるわけがない。
淡い期待を抱きつつ、期待を裏切られたときのショックを思いつつ大きな扉の前にたどり着く。
この部屋の中に全員入るわけがないのに。でもあいつらのことだ、何かしでかして避難しているとかそんなのだろうとか、先ほどフォーザムが何か言いたそうだったような、といろいろ無表情で考えながら扉を押した。
「「「「「「「「「「「「「「「「「お帰りなさい、クリューガー隊長!!!!!!!!!!」」」」」」」」」」」」」」」」」」
「何だ?!…は、全員こんなところで何を?」
部屋の中は食べ物と飲み物があふれ、ついでに人もあふれていた。受付嬢も、警備担当の人も。
「やあ、クリューガー。遅かったじゃないか」
「ジャスティン!?お前仕事はどうしたっ?」
「隊長ってばさ~、準備中に来ちゃうんだから」
思いもかけず現副官のジャスティン・フェアチャイルドの姿を確認し、クリューガーはしてやったりという表情でニヤニヤしている副官の顔をぶちのめしたい衝動に駆られる。
拳を握りわなわなと震えるクリューガーめがけてちょっと痛い歓迎が出迎えてくれた。
「寂しかったぜ、色男!!」
痛い!!叩くな、アルフレッド!!。
「驚かそうって思ってたんだけど…」
「よう、隊長!!様になってるぜ~~、その制服!!!」
バシバシ、バシバシ来る人来る人がクリューガーを叩き、制服を引っ張っていく。
「クリューガー隊長、飲んでるか~?」
「ウィラード、俺はまだ来たばかりだっ!!しかもここで酒を飲むなっ!!」
ああ、なんだかんだで、心配した自分が馬鹿みたいだ…。
決して狭くはないが、それでも全員が集まると小さく見える待機室(それにしてもよく入ったな)。机はそのままに、ちゃんとネームプレートが置いてあって…窓際のお気に入りの青い花瓶には花が飾られ、確かに、自分はここに帰ってきてもいいのだと…。
「クリューガー隊長、お帰りなさい」
この声は、カティア。
「カティア…ただいま、と言いたいところだが、また戻らなくては」
「今は帰ってきてるんだしよ~」
「今いるんだからいいじゃん。よっ、マイナス思考!」
「誰がマイナス思考だ!」
カティアと話たいのだが、誰かかれかが邪魔をする。
「隊長、さっさと帰ってこねぇと、埃で部屋が埋もれちまうぞ~」
「ちょっと、私は隊長ではありませんよっ」
クリューガーと勘違いされたジャスティンは酔ったウィラードに引っ張られるようにして集団の中に埋もれていく。
どこからともなく笑い声が広がり、暖かな大家族の中に帰ってきたような錯覚を覚える。
毎日のように宇宙を飛び回り、慣れない隊長としての責務と環境、それに地獄のような特訓といった殺伐とした雰囲気の中に頭の先からつま先までどっぷり浸かっていると、こういった騒がしさが心地よく感じられる。
まるであの頃に戻ったようだ。
「カティア、少しいいか?」
「はい、いいですよ」
クリューガーは久しぶりに会った恋人のそばに少しでも長くいたくて、そっと待機室から抜け出す。
「おい。のぞきは野暮なこって。行くんじゃねぇぞ、お前ら」
その後について行こうとした何名かの騎士たちは、扉の前に立ちはだかったアルフレッドによって阻まれた。
後で、アルフレッドにお礼でもするか…。
喧騒から離れて、クリューガーとカティアは魔導戦闘機格納庫から外に出た。
クリューガーは遠くに見える市街地の明かりを何気なく見ながら、この心地良い雰囲気を壊したくなくて話すのをためらう。
「その制服、似合っていますよ」
そのまま黙っていると、カティアから話し掛けてきた。
「今度は正式に隊長だからな」
「…居なくなったりしないですよね?」
クリューガーははっとした。
最近になって色々と情勢が不安定になり始め、アリステアの暫定政府ととうとう開戦してしまったのだ。
また、罪もない人々の命が失われるかもしれない。
それを阻止するために、死に近い場所で死に近い任務をこなす、パイロットとしての特殊な任務を。
「大丈夫だ。」
「アイシス副隊長に会ったって」
「…ああ。何故か、アリステアの戦闘機に乗っていたぞ」
カティアの遠くを見ていた目が急にクリューガーのほうに向いたため、なんとなく焦ってしまう。
カティアのその目は、とても真剣だった。
「私は、隊長が禿げてなくて、私の目の届かないところで死なない限り、それでいいの」
「禿げ・・・か?」
「禿げはいやです。あんまり帽子とかかぶらないで、ストレスも溜めないで、ちゃんと休息も取って」
カティアの真剣だった目がふっと優しく笑った。
寂しいとか、会いたいとか、そんな我が儘を言わないけれど、守ってほしいこと。
「我が儘、言わないんだな」
カティアは強い。
「大変ですよ?死なないことは…」
「わかった、努力する」
「生きているってわかっていれば、また会えるってことですから」
寂しいなんて小さなこと。
「それに、なにかとメールとか通信でお話していますし」
「確かに。最近時間がなくてできなかったが」
死ぬかと思うほどの任務の連続で、訓練も地獄のような訓練なんだ。
新しい部下に囲まれて、毎日が、驚きと、時々笑いと、切なさと、哀しみに満ち溢れているんだ。
遠くの、すごく遠くの小さな小さな軍事基地にも行ったんだぞ。
カティアにも見せてあげたいものが、景色が、会わせたい人が。
でも忙しくて話せないから、天涯騎士団も開戦に伴い積極的自衛権の行使に踏み切ってしまったから、そんな日常の小さなこともを話してあげられない。
だから―――
「いつか、カティアに見せてやりたいものがたくさんある」
「ええ?それは楽しみです」
優しく微笑んでくれるカティアに会えるだけで俺は幸せだと。日常の辛いことも忘れることができるくらいに満たされる。
「カティア」
「はい?」
「愛している」
「…………」
「カティアは?」
クリューガーは自分の顔が赤くなっていることがはっきりわかっていた。
顔が、熱い。
「また、いきなりですね」
カティアはクリューガーの手をギュッと握った。
カティアの白い頬がほんのりと桜色に染まる。
「俺は気が短いからな」
少し意地悪な気がするが…。カティアがこんなこと苦手なのも知っているが…元気をもらわないとやっていけない。
「う~~、ぁ…あのですねぇ」
「何だ?」
「私も、愛しています」
カティアの細い身体を抱きしめて、クリューガーは首筋に口づけを落とす。
「ディンブラの香りだな」
これはクリューガーの好きな紅茶葉の香りだ。
「香水にしていただいたんです」
この香りを身にまとっていると、クリューガーと一緒にいるような気がするから。
「やれやれ、あと2時間しかいられないのが残念だ」
一触即発の状況には変わりないので、クリューガーの艦隊はヴェルトラントの守備を任されているのだ。
残念な思いを込めてクリューガーはカティアの唇にそっと口づけた。
俺が帰ってくる場所はここだ。
「ん、ふ……隊長」
「なんだ?」
少し苦しくなってきたのか、弱々しくクリューガーの肩を押すカティアは潤んだ目で見上げてくる。
「戻らないと、ジャスティンさんが」
なんでそこにジャスティンが出てくるんだ。
「もう、ハルトヴィヒ」
なおも深くカティアを味わおうとするクリューガーを今度は思いっきり押しやった。
「な…カティア?」
拒絶された意味がわかっていないクリューガーは傷ついた表情で途方にくれる。
何か悪いことしたか?
「ジャスティンさんが、指令を受け取ったんだそうですよ。しっかりしてくださいね、ハルトヴィヒ・クリューガー隊長!」
こんな時にいったい何だっ!?
くそっ、何で俺は隊長になんかなったんだっ!!
憤然としつつも、指令を無視するわけにはいかない。
後ろ髪引かれる思いでクリューガーはカティアの手を取り、どんちゃん騒ぎが行われている待機室に戻っていった。
人の恋路を邪魔する奴は戦艦に突っ込まれて死んでしまえっ!!
「くしゅん、くしゅん!!」
そう遠くない場所でなんの前触れもなくくしゃみをする男が一人。
「総督、風邪ですか?」
「いや、そうではないのだが…」
マーグレイヴ・コルトロウ総督、戦艦にはくれぐれもご用心を!
「何だと、アイシスの護衛?!」
ジャスティンから指令の内容を聞いたクリューガーは件の戦友の取り澄ました顔を思い浮かべて憤慨した。
「あの方は一応アリステア暫定政府の高官ですから、一人でうろうろさせられないんですよ」
2年ぶりですね~、とジャスティンがのんきに呟く。
「それと、整備班はクリューガー隊長の戦艦付きに転属!!またよろしく頼むな」
「本当ですか?戦艦付きの勤務は初めてなんです!!」
クリューガー隊長、よろしくお願いしますね。
カティアが嬉しそうにクリューガーの手を握る。
今度はあんまり戦闘機を破壊するなよー。
無理難題ふっかけるなよ。
カティアちゃん独り占めにすんなよ。
元クリューガー付き整備班の面々は好き勝手言いたい放題だ。
気心の知れた奴らなのでクリューガーとしても心強いが。
クリューガーそっちのけで盛り上がる整備士たちにやや呆れつつもクリューガーは気を引き締めた。
フラムヴェルジュのように、ヴァルキリーズのように、戦艦を沈ませるわけにはいかない。
自分の大切な人が、大切な友が乗っているのだ。
隊長として、命を預かる者として。
守り抜こう。
生きていればまた会えると言うならば。
俺が必ず守って見せる。
カティア。
SFファンタジー 宇宙の涯の物語から抜粋。
別サイトからの転載。