『奴隷市場の瞳』
燃えるような陽光が、石畳の街を白く照らしていた。
王都を滅ぼしてから数週間。リオとリアナは北方の交易都市〈レジル〉へと辿り着いていた。
「ここが……この国で一番栄えているという街、ですか」
リアナが金髪を風に揺らしながらつぶやく。行き交う人々の喧騒、荷馬車の音、香辛料と鉄の匂い――活気に満ちた街並みは、彼女がかつて過ごした森の王国とはまるで違っていた。
「活気はあるが、根っこは腐ってるな」
リオは淡々と答え、通りを見回す。路地の奥に、痩せた子供が座り込んでいる。兵士がそれを無視して通り過ぎる。貴族風の商人が笑いながら袋をはたく音。
この世界では、生と死、富と貧困の差が露骨だった。
「リオ様は、これからどうなさるおつもりですか?」
「金がいる。しばらくここに滞在する」
「……金、ですか?」
「どの世界でも、力と金があれば大抵のことは解決する」
その言葉にリアナは小さく息を吐いた。
「あなたは、いつも答えが明快ですね」
「曖昧なものは嫌いだ」
リオは街の中心にある冒険者ギルドへと足を運んだ。
ギルドの内部はざわめきに包まれていた。武装した男女が依頼書を漁り、受付嬢が声を張り上げている。
リオが扉を押し開けて入ると、ざっと視線が集まった。
金髪碧眼の青年。年齢は二十歳そこそこ。背筋の通った姿勢と、無駄のない動き。どこかこの場の誰よりも“完成されている”雰囲気を持っていた。
「登録をしたい」
受付嬢が顔を上げ、慌てて対応する。
「え、えっと……お名前とご職業を」
「リオ。職業は……勇者、でいい」
その一言に、ギルド内がざわめいた。
「勇者、だと……?」
「またイカれた新人が来たか」
リオは周囲の嘲笑を完全に無視し、黙々と登録用紙に名前を書いた。
ステータス測定の水晶に手をかざすと、周囲が息を呑む。
測定値の針が振り切れ、装置が微かな悲鳴を上げたのだ。
「……な、何ですかこれ、数値が……っ!」
受付嬢が狼狽する。だが、リオは肩をすくめただけだった。
「壊したなら弁償するが?」
「い、いえっ! そ、その必要はありませんっ!」
登録が完了すると同時に、リオは依頼書の掲示板を一瞥した。
どれも低報酬で退屈そうな仕事ばかり。だが、上位ランクの欄にあった討伐依頼――〈灰狼の群れ討伐〉の文字で足を止める。
「これをやる」
「……え、でもそれはBランク以上のチーム向けで――」
「問題ない」
その口調に一切の迷いがなかった。
翌日。
街の北方、草原地帯。群れを成す灰狼たちがリオの前に現れる。
十体、二十体、いや三十体以上。普通の冒険者なら怯んで逃げ出す光景。だが、リオは静かに息を吐き、腰の剣を抜いた。
「これくらいなら……ウォーミングアップだな」
刹那。
風が鳴り、光が閃いた。
彼の動きは目で追えない。斬撃は無音で、次の瞬間には灰狼たちの喉が一斉に裂け、倒れていく。
数分後、群れは一体残らず沈黙していた。
「……全部終わり、ですか?」
リアナが呆然とつぶやく。
リオは血を払うこともなく剣を鞘に戻した。
「この程度で驚いてるようじゃ、まだまだだな」
リアナは笑うしかなかった。
彼の強さはもはや異常だ。それでも、彼の背にある孤独の影を見逃さなかった。
レジルの街に入って三日が経った。
喧噪と人の熱気、商人の声と香辛料の匂い――王都の空気より、ずっと生々しい。
リアナはまだこの街の喧騒に馴染めず、時折フードを深く被っていた。エルフの金の髪は、どこにいても目立つ。
リオは、そんな彼女を気にも留めず、淡々と動いていた。
宿を借り、ギルドへ登録し、依頼をいくつか受けて金を稼ぐ。彼の仕事ぶりは異常なほど正確で、迅速だった。
そのせいで、街の冒険者たちの間ではもう噂になっている。
「“無表情の勇者”だってよ。昼には討伐依頼、夜には遺跡の探索。寝てるのか、あいつ?」※
「連れてる女も綺麗だしな。何者なんだ?」※
酒場でそんな声が漏れるたび、リアナはわずかに眉をひそめた。
彼女にとって、リオは命の恩人であり、同時に理解不能な存在でもあった。
「リオ。あなた、あの依頼……やりすぎよ」※
「どれのことだ?」
「南門のゴブリン巣窟。二十人で討伐に行く予定を、一人でやったって……」
「依頼内容は“討伐完了”だ。方法まで指定はされていない」
淡々とした声。怒りも誇りも、何も滲まない。
リアナは言葉を探すように、息を呑んだ。
「あなた、本当に……怖いわ」
「俺が?」
「そう。あなたの“平然”が怖い。人を殺しても、魔物を斬っても、何も感じていないように見える」
リオは小さく笑った。だがその笑みには、どこか空虚な響きがあった。
「感じてないわけじゃない。ただ、どうでもいいだけだ」
彼の言葉は、重く、冷たい。だが、どこかに“壊れた優しさ”のようなものが潜んでいる気がして、リアナは黙った。
その夜、彼女は宿の窓辺に立って、月を見上げた。
リオの背中を思い出す。誰よりも強く、誰よりも孤独なその背中を。
彼が剣を振るうたびに、何かを失っていく気がして、胸がざわつく。
「……あの人は、どこまで行くの?」
翌朝、リオは淡々と装備を整えていた。
リアナが顔を出すと、彼は少しだけ視線を上げた。
「今日は依頼は受けない。街を見て回る」
「観光、ってこと?」
「いや。金を稼ぐ方法を探す。魔物だけじゃ、足りない」
その言葉に、リアナは驚いたように目を瞬いた。
“金”に関心を見せたのは初めてだったからだ。
街の市場を歩くリオは、珍しく目を細めていた。
露店が並び、香辛料や宝石、魔導具が並ぶ。喧騒の中でも、彼の動きは無駄がない。
「……リアナ」
「なに?」
「この世界、金さえあれば大抵のことができるらしいな」
「まぁ、そうね。王族でさえ金で兵を買うもの」
リオは短くうなずくと、近くの広場に立ち寄った。
剣技の試合をやっていた。勝者には高額の賞金。
興味があるというより、“稼ぐ効率”を見ている目だった。
「出るの?」
「簡単に金が稼げるなら、出ない理由はない」
試合が始まった。
リオが剣を抜いた瞬間、会場の空気が変わる。観客のざわめきが止まり、剣士たちは息を呑んだ。
一撃。
二撃。
まるで舞うように、相手が倒れていく。
どの斬撃も致命ではない。必要最低限。
だが、すべてが完璧だった。
あっという間に優勝。
賞金袋を受け取る彼の横顔に、リアナは思わず言葉を失った。
「……あなた、ほんとに“人間”なの?」
「少なくとも、そういう分類だと思ってる」
その夜。
宿に戻ったリオは、賞金の袋を机に置き、静かに呟いた。
「これで……少しは、自由が買える」
リアナは意味を測りかねて彼を見た。
彼の“自由”とは何を指すのか。彼自身も、それをわかっていないようだった。
そして翌日。
街の外れ、黒い鉄門の向こうに“奴隷市場”があった。
リオはそこで――運命の瞳と出会うことになる。
レジルの西端。城壁の影に、薄暗い路地が伸びている。
その奥に、鉄格子の門があった。掲げられた札には、簡潔にこう書かれている。
――奴隷商組合。
リオは門を押し開けた。重い金属音が、通りの喧騒から切り離された空間へと響く。
空気が違った。湿り気と、わずかな血と薬草の臭い。
鉄檻の中で膝を抱える人影が並ぶ。人間、獣人、エルフ。
「……ひどい場所ね」
隣でリアナが吐き捨てるように言った。
「需要があるから供給がある」
「それでも……!」
リオは足を止めた。視線はまっすぐに進む。
その態度に、リアナはそれ以上何も言えなかった。
奴隷商が近づいてくる。
黒衣の男が、慇懃に頭を下げた。
「お客様、どのような品をお探しで?」
「……品、ね」リオは淡々と呟く。「見せてもらうだけだ」
男は嬉々として檻の列を案内する。
「戦闘用、鑑定用、夜の相手……お望みのものを」
「……」
リオの目は、そのどれにも留まらなかった。
だが――一番奥の檻。
視線が、釘付けになる。
小さな少女がいた。
まだ十代にも届かないような年齢。
痩せた体、擦り切れた衣。
だが、その瞳――琥珀色に光るそれだけが、異様なほど澄んでいた。
リオは無言のまま、鉄檻の前に立つ。
少女は怯えもせず、ただ真っすぐに彼を見返した。
「この子は?」
「そいつは、魔族の混血ですよ。扱いに困ってましてね」
奴隷商は笑う。
「魔力が暴発しやすい。手を出せば指が飛ぶ」
「だからこの価格、と?」
「ははっ、ええ、誰も買いませんから」
リオは視線を少女に戻した。
少女の唇が、わずかに震えた。だがその瞳だけは、光を失っていない。
「……気に入った」
「へ?」
「買う」
奴隷商の笑みが固まる。
リアナが小さく息を呑んだ。
「リオ……あなた、本気で?」
「気に入った。目が、いい」
淡々とした声。それ以上の説明はなかった。
支払いは、賞金で得た金貨をそのまま。
奴隷商は目を丸くし、震える手で首輪の鍵を渡した。
「……外してやれ」
「ですが、奴隷の――」
「言っただろう。外せ」
鍵が金属音を立てる。
鎖が外れた瞬間、少女は小さく息を呑んだ。
だが逃げようとはしなかった。
リオはしゃがみ込み、目線を合わせた。
「お前、名前は?」
「……ミナ」
「そうか。俺はリオだ」
そう言って立ち上がると、背を向けた。
「行くぞ。――ついて来い」
リアナはしばらく、何も言えなかった。
歩き出した二人の背を見つめながら、ぽつりと呟く。
「あなたって……本当に、何を考えてるのかわからない」
リオは振り返らずに答えた。
「俺もわからない。ただ、あの瞳が――生きていた」
夕暮れの街。
新しい影がひとつ、リオとリアナの後を追う。
ミナの裸足が石畳を叩く音が、静かに響いた。
それは、彼にとって“初めての選択”だった。
利用ではなく、興味でもなく――わずかに、心が動いた瞬間。
そして彼らは、夜の灯を背にレジルを去った。
次なる目的地は、北方の戦乱地帯。
まだ誰も知らない“勇者の国”の始まりが、静かに動き出していた。




