召喚 ―傲慢なる勇者―
眩い光が、世界を焼いた。
視界が白に塗りつぶされ、耳鳴りだけが残る。
足元が確かなものを取り戻した瞬間、
重厚な石の床の感触が、足裏を通して伝わってきた。
光が薄れ、世界が形を取り戻す。
金と白を基調にした荘厳な大広間。
巨大な柱、緻密な装飾、整列する兵と魔導師。
そして、玉座に座るひとりの女。
白金の髪が揺れ、透き通るような声が響いた。
「――ようこそ、勇者様。私たちの世界へ」
その言葉を聞いた瞬間、理解した。
ここは自分のいた世界ではない。
重力、空気、光の反射、そして……魔力の流れ。
全てが異質だった。
(異世界、か)
胸の奥で、久しく感じていなかった“高揚”が跳ねた。
退屈を覆う灰色が剥がれ、鮮烈な色彩が視界を満たす。
王女が優雅に立ち上がり、微笑みを浮かべながら口を開く。
「勇者様。あなたのお名前を、聞かせていただけますか?」
リオは一拍おいて、淡々と答えた。
「……リオだ」
その一言が空気を震わせる。
王女が「美しい響きですね」と笑うが、リオは反応しない。
(……相変わらず、退屈そうな人間だ)
彼は周囲を見回す。
衛兵たちの緊張した表情、魔導師たちの怯え。
そして王女の、芝居がかった仕草。
(俺を“勇者”として利用するつもりか)
だがそれでも――愉快だった。
――脳裏に、過去の光景が浮かぶ。
白い屋敷。磨き上げられた床。
幼い自分が、無表情でピアノを弾いている。
周囲で笑う教師たち。拍手を送る両親。
完璧に計算された音色は、ただの反復だった。
何をしてもできてしまう。
見れば覚える。やれば成功する。
世界はすでに“解き終えたパズル”だった。
(くだらない)
そう感じてから、心が止まった。
感動も、敗北も、存在しない。
だから、願ったのだ。
壊れてもいい、“未知”を。
理解できないほどの、“混沌”を。
――そして、今。
それが現実になった。
王女の声が現実に引き戻す。
「これより、神々の賜物――“スキル”の鑑定を行います」
魔法陣が床に浮かび上がる。
青い光が、リオを中心に渦を巻く。
やがて、ひとりの魔導師が目を見開いた。
「す、スキル名……《概念操作》……!?」
どよめきが走る。
「聞いたことがない」「戦闘向きではないな」「地味だ」
王女が、演技じみた柔らかな声で微笑む。
「珍しい力のようですね。ですが――導き方次第で価値が出るでしょう」
リオは、彼女の言葉を聞きながら、
自分の内側に広がる“何か”を感じていた。
※
空気が震えていた。
思考ひとつで、世界の“法則”に触れられる感覚。
(……なるほど。これは)
心の中で呟く。
たとえば、「重力」という概念を“軽くする”と考えれば、
床に置いた小石がふわりと浮かび上がる。
意識するだけで、力が“世界に届く”のがわかる。
(……本質を書き換える能力、か)
戦闘に限らない。
存在そのものの定義、時間、熱量、感情――
それら全てが“概念”として扱える。
その強さに、リオは思わず笑った。
(これ、世界を壊せるな)
ぞくりと背筋が震えた。
喜びか、恐怖か、それすら判別できないほどの興奮。
王女たちはまだその意味を理解していない。
だが、リオにはもう見えていた。
この力の先にある“可能性”が。
「……ふむ。いいね」
低く呟く声。
その瞬間、彼の中に確信が生まれる。
この世界は、壊すに値する。
そして、自分がその中心に立つ。
王女が玉座に戻り、ゆっくりと微笑んだ。
「リオ様――これより、あなたは我が国の勇者として……」
「好きに呼べ」
王女が言葉を止める。
リオの目が、氷のように冷たく彼女を射抜いた。
「俺はお前たちの道具じゃない」
その言葉に、広間の空気が凍りつく。
王女の笑顔がわずかに引きつくが、リオは興味を失っていた。
(……本当に、面白くなってきた)
胸の奥で熱が灯る。
退屈が、ようやく終わる。
この日、異世界にひとりの男が召喚された。
だがそれは救世の勇者ではない。
善悪を超えた、ただの天才。
“概念”という力を得た傲慢なる存在。
世界はまだ知らない。
この瞬間、破滅が生まれたことを。
重く閉ざされた扉が、静かに軋む音を立てた。
召喚の儀から数時間後。
リオは城の一室に通されていた。
豪奢な家具、煌びやかな装飾、
それらすべてが「王の権威」を象徴している。
(……金と見栄の塊だな)
視線を走らせるだけで、この空間の構造と罠の配置を理解する。
部屋の四隅に魔力の線――転移封じ。
「抜け出せないように、か」
呟いた瞬間、扉の向こうから軽い足音が近づいてきた。
「お待たせしました、勇者様」
白金の髪を揺らして現れたのは、召喚の儀で自ら名乗った王女――セレスティア。
口元には完璧な笑み。
その裏に、浅ましい計算が透けていた。
「あなたを正式にこの国の勇者として迎えるため、
“加護の儀式”を行います」
(加護? ……言い換えだな)
リオは微動だにせず、ただ彼女の手元を見た。
そこにあったのは、黒い輪。
魔力が脈打ち、わずかに血のような赤を帯びている。
「これは?」
「勇者と主君を繋ぐ“信頼の証”です。
あなたが無事にこの国で過ごせるように――」
「隷属の首輪、だな」
王女の表情が一瞬止まる。
その刹那を見逃さず、リオは淡々と続けた。
「拘束魔法陣が埋め込まれてる。
発動条件は“主君の意志”。 つまり、お前が合図を出せば俺は死ぬ」
沈黙。
セレスティアの指が震える。
その仕草すら計算しようとするが、
すでに彼の目は、彼女の“浅さ”を見抜いていた。
「勘のいい方ですわね」
笑顔の裏で、唇が強張る。
「勘じゃない。視ればわかる。
俺の世界では“詐欺”って呼ぶ類のものだ」
リオは首輪を軽く指先で弾いた。
――その瞬間。
魔力の流れを感じ取る。
紋様、起動条件、発動範囲、構成式。
全てが脳内に展開されていく。
「“拘束”の概念、無効化」
呟いた瞬間、黒い輪が粉々に砕け散った。
魔法陣が消え、空気が震える。
「な……!? そんな馬鹿な!」
セレスティアが後ずさる。
衛兵たちが剣を抜く。
(予想通りの反応)
リオはため息をついた。
「一つだけ教えてやる。
俺は、お前らに従うつもりはない」
「お黙りなさい!」
剣が閃く。
衛兵が突進した瞬間、リオの視線がわずかに揺れる。
「――圧壊」
空気が潰れる音がした。
次の瞬間、兵士の身体が床に叩きつけられ、
骨が砕ける鈍い音が響く。
「ひっ……!」
王女が息を呑む。
リオは淡々としたまま、残りの衛兵たちに視線を向ける。
「攻撃という概念を“無力化”した。
もう、俺に刃は届かない」
その言葉の意味を理解できる者はいなかった。
ただ、見えない“恐怖”だけが部屋を支配する。
リオはゆっくりと歩み寄り、
セレスティアの目の前に立つ。
「俺を支配しようとしたのは、お前の判断か?」
「ち、違っ……!」
「そうか」
リオはわずかに笑った。
だがその笑みには、温度がなかった。
「支配は嫌いだ。
俺は自分の意思で動く。
それを奪おうとするなら――相応の報いを受ける」
そう言い残し、踵を返す。
王女が震える声で叫んだ。
「ま、待ちなさい! あなたは勇者でしょう!?
世界を救うために――」
リオは振り向きもせず、ただ呟く。
「俺が救うのは、俺が価値を感じたものだけだ」
扉を押し開け、光の差す廊下へ出る。
冷たい空気が頬を撫でた。
背後で、王女が小さく息を吐く音が聞こえる。
リオは足を止めず、静かに思考した。
(この世界……“概念”が根幹にある。
ならば、俺の能力は――神にも等しい)
喉の奥から、笑いが零れた。
自嘲でも歓喜でもない。
ただ、世界の仕組みを理解した天才の笑い。
「退屈じゃないな」
夕日が差し込む回廊の先で、
彼の影が静かに伸びていく。
この日、勇者リオは“王国の鎖”を断ち切った。
支配を拒む天才が、自由を手にした瞬間だった。
王都はすぐに色を変えた。
セレスティアが城で震えを潜めるのに対し、広場では別の興奮が蠢いていた。
「勇者を掌握した」と喜んだ者、逆に「思うように動かぬ」と怒り狂う者。
噂と不安が街路を駆け、王の宣旨が太鼓を通じて周辺に伝わる。
――討伐令。
玉璽に鷹の紋が押され、奏者が厳かな声で告げる。
「異端の勇者リオ――王の名において討伐せよ」
矢尻のように命令は諸侯へ、教会へ、近隣の領主へと飛んだ。
一夜にして王国の軍が動員され、旗が林立する。
「王女殿下の命、王政の秩序を守るためだ」
と、貴族たちは胸を張って言った。
だがその胸の奥には、利用されることへの焦りと、失敗を恐れる色が混ざる。
(愚かだ)
リオは、遠くからその知らせを知るでもなく、自分の足で王都を出る選択をした。
だが情報は早く、王城の腹心たちは即座に動いた。
深夜、月が低く世界を漆黒に染める頃。
数個の旗を掲げた軍勢が、城門を出て南の街道へ駆け下りていく。
騎士団、傭兵団、教会の聖剣隊。総勢は三百、四百と膨れ上がっていった。
彼らは言葉を交わさない。軍律と命令だけが音となる。
「異世界の脅威を討て。戻れば褒章あり」
誰もが、勇ましく喉の奥で唱えた。
その多くが、リオを“制御可能な道具”としか見ていない。
彼らの何もかもが、的確にターゲットを外していた。
山道。狭い渓谷。森が生い茂り、風が樹間を走る。
軍勢は列を伸ばす。先頭の騎兵が小声で愚痴る。
「情報が浅い。召喚術師の檻の中にいるだけだと――」
背後から、影が流れ込むように近づいた。
木陰に紛れた一人の男。だが彼の姿は軍勢の誰にも映っていなかった。
リオは、兵の一団を観察していた。
列の間隔、指揮官の癖、魔力の渦が作る“脈”。
目に見えるものすべてを設計図に変え、最短で破壊する方法を算出する。
(数で攻めるというのは、愚かだ)
まずは先頭の哨兵が、ふと視界の端に何かを見た。
「影か――!」と叫ぶより早く、喉が裂ける音。
喉の中がねじ切れ、文字通り声が消えた。
周囲に広がるのは混乱の始まり。だがそれを「混乱」と呼べるのは人間側の都合だ。
リオは淡々と指を鳴らす。
「重心、再配置」――彼の言葉は呪文でもなく、ただの内的操作だが、世界は応じる。
先導の騎兵の馬が、突如として全ての重心を失う。鞍から人を投げ、金属が滑り落ちる。
刃は宙に浮き、意味を失った金属塊となる。
地面に打ちつけられた鎧の音、叫びが断続的に続く。
討伐隊は、気づかぬうちに壊滅への流れに入っていた。
彼らは組織を信じていた。戦術を信じ、命令を信じた。
だが“概念”を破る者の前では、信頼などただの薄紙に過ぎない。
リオは次々と概念を触り分ける。
「視界、歪曲」「重力、偏心」「時間、瞬間低速化」――単語は単純だが、その作用は致命的だった。
矢の概念が“曲がる”と宣言された瞬間、放たれた矢は放物線を無視して互いに干渉し合い、空中で崩壊した。
槍は手から滑り、刃は己の柄を噛むように折れた。
兵隊の命令系統は断たれ、統制は灰となった。
混乱で動く者ほど、概念操作の“圧力”に晒され、身体が粉砕されていく。
指揮官は怒鳴る。だが怒声は届かなかった。
彼らの怒りもまた、ある種の概念である――リオはそれを軽くねじり、指揮官の感情を“虚無”に変えた。
一瞬、将の瞳が空虚になり、そのまま斃れる。
「抵抗できないのか?」と、誰かが叫ぶ。
「抵抗が、無意味だ」リオは冷たく答える。
死人の山は速い。
兵士が数を頼りに集結し直す暇も与えられず、次々と動きを奪われ倒れていく。
血は流れるが、リオはそれを気にしない。彼にとってこれは“実験”であり、世界の反応を知るための試作だった。
「数百を相手にしても、こんなものか」
笑い混じりの声は、夜風に溶けるだけだった。
戦いは十数分で終わった。
残ったのは、歪んだ武具と静止した身体、そして軍旗の黒焦げた裂け目。
森は元の無垢なざわめきを取り戻しつつあったが、人間の秩序は消え、再構築されることはなかった。
リオは立ち尽くす。指先に兵士の血の温かさが残るが、彼の表情は変わらない。
ただ、遠くの方で城の鐘が鳴り続けるのを聞いた。
(王は何を思うか)
逃げ延びた者の中には、死に際に王都へ矢文を飛ばした者もいた。言葉は簡潔だった。
「討伐、失敗。勇者の力は異常――撤退を」
その矢文が王都に着く前、セレスティアは冷やりと汗をかいていた。
自分の手で撒いた騒乱が、自分に跳ね返ってくることに愕然としていた。
(利用できない――)
王女の顔色は蒼白だ。政略と権力の間で、彼女の計算が崩れかける。
だが王座はまだ残っている。命令は新たに出るだろう。
夜が完全に落ちた頃、王都の中心、王城だけが異様なほど静まり返っていた。
見張りの兵は誰もいない。
否、彼らは“気づかない”のだ。王城を包む概念そのものが、静寂という名の帳を下ろしていた。
リオは歩く。
足音はなく、影すら存在しない。彼の通った後には、ただ“存在があった記憶”だけが残る。
玉座の間に辿り着くと、そこには王と王女セレスティアがいた。
王は焦りと怒りの入り混じった声で叫ぶ。
「勇者リオ! 何をするつもりだ! 貴様は――」
「貴様らが決めた物語の筋書きに、俺を当てはめる気か?」
リオの声は淡々としている。
王女が震える唇で言葉を紡ぐ。
「わ、私は……国のために……あなたを呼んだだけ……」
リオは笑った。
「なら、その国ごと、責任を取るんだな」
空気が一瞬、歪む。
ろうそくの灯が波のように揺れ、玉座の上の二人の姿が、淡い光の中で霞んでいく。
叫びも、命令も、届かない。
リオの指がわずかに動く。
その瞬間、王の王冠が、音もなく石の床に落ちた。
「お前たちが支配したかった世界は、もう壊れた」
彼は静かに背を向ける。
背後では、王も王女も何も語らない。
ただ、永遠に沈黙が続いていくだけだった。
翌朝、王城は不思議な静けさに包まれていた。
王も王女も姿を見せず、玉座は空席のまま。
城内の者たちは口を閉ざし、“神罰が下った”と囁くばかりだった。
王都の空には、夜明けの光が淡く差し込む。
リオはその光を見上げ、小さく笑った。
「やっと、少しは面白くなってきたな」
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※お読み頂きありがとうございます。
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