07
「はぁー」
積星高校に向かう中、俺は何度目かのため息をついた。
あの日、俺はギジオレのコックピットでひっくり返っている所を源治おじさんに救出され、どう言う風に帰って来たのかは覚えていないが、気がついたら自室のベッドにいた。あれから三日。始業式までに腫れはどうにか引いたが,青あざの残る顔でなぜ学校に行かなければならないのだろうか。すれ違う人達がこちらをチラチラ見ている。
本当は休もうかとも思ったのだが、母の『ケンカしたなら仲直りしなきゃダメよ』と言う言葉に押されて、家を出ることとなった。誰かとケンカしたとは一言も言っていないし、源治おじさんから説明されただろうからそうは思わないはずだが、何か感じるものがあったのかもしれない。しかも実際にケンカした訳でもない。まあ、正当防衛と言えるか。
とは言え、どうにか可奈子には謝らなければならない。しかし行為が行為なだけに、顔を合わせるのもなんとなく憚れる。だからと言ってこのままにしていいとも思っていない。揺れ動く気持ちを抱えたまま、積星高校までの通学路を歩いていた。
「よぉ、洸平。って、お前顔どうしたんだよ」
言って肩を叩いてきたのは長月晴人。中学校の頃からの親友で、夏休みにも可奈子の次くらいには一緒に遊んでいたので久しぶりという感じではないが、顔がこうなってからは初めて会う。
「ケンカか?可奈ちゃんと。今日は一緒じゃないし」
今その名前を言われると心臓が跳ね上がる。デリカシーのない奴め。
「違う。木から落ちてこうなったんだ」
右目の下の青ざを指差して俺は言う。母親には階段から落ちたって言ったっけ。
晴人はふーんと気のない返事をして、
「そうじゃなくて、フラれたみたいな顔してたからさ」
どうやら晴人が言ったのは青あざの話では無かったらしい。途端に恥ずかしくなる。すれ違う人達も青あざを見ていたわけではなかったのだろうか。
「まあ、気にすんな。女なんか星の数ほどいる」
「だから違うって」
俺を慰めるように肩を抱いてくる晴人の手を振り払って俺は言う。俺と可奈子は昔から一緒に行動する事が多いので、晴人はその関係についていつもからかってくる。実際にそう思ってるのか、ただからかっているだけか。
俺がよほど深刻な表情をしていたのか、晴人はそれ以上は深く聞いて来なかった。聞かれたところで話す気も無いが。
それを感じ取ったのか、晴人は話を変えたきた。
「宿題終わったか?先週会った時は半分くらいって言ってたよな」
「あー。あれ以来進まなかった」
あの日源治おじさんに邪魔されて中断して以来、問題集を進める事が出来ないまま青あざを作ってしまったので、さすがにそれ以上進める気にはならなかった。
それはそうと、あの頃は楽しかったな。と、気分が沈む。
「あれ?何か悪い事聞いた?」
「いや、何でもない」
「変だぞお前」
「ほっといてくれよ」
ふーんと言って晴人は黙った。いつもの軽口を叩けないくらい暗い顔をしていたのだろうか。
下を向いて、とぼとぼ歩く。
「あ、おはよー」
ん?前で聞き覚えのある声がする。恐る恐る目を上げると、やはり見覚えのあるセーラー服姿にポニーテールがゆらゆら揺れている。クラスメイトと会って挨拶しているところだった。
「あ、可奈ちゃんじゃん。おーい―」
可奈子を呼び止めようとした晴人を、俺は無理矢理電柱の陰に引っ張り込んだ。恐らくまだ見つかっていない。
「何だお前。どうしたんだよ」
「しっ!」
晴人を黙らせて、電柱の陰から通りを覗く。見覚えのある後ろ姿が交差点を曲がって行ったところだった。
ほっと胸を撫で下ろし,通りに出る。
俺の後について電柱の陰から出てきた晴人が呆れたような顔をしている。
「やっぱり可奈ちゃん関係か。どうせ隠し事なんか出来ないんだから、素直にそう言えばいいものを」
「うるさい」
「ん?ひょっとして俺に協力して欲しいのか?一人じゃ仲直り出来ないからって、うじうじしてるだけか?」
「うるさいって。仲直りくらい出来る」
売り言葉に買い言葉で思わず言い返す。
「やっぱりケンカしてんじゃん」
晴人がにやりと笑った。
「いいパンチしてんな、可奈ちゃん」
そう言って晴人は俺の青あざ部分に拳を軽くあてた。
ギジオレに乗った時も思ったのだが、俺はどうやら隠し事が苦手らしい。表情に出るのか態度に出るのか、もしくは両方かは分からないが、晴人にもよく言い当てられる。今思えば、母親にも気付かれていたのかもしれない。
俺はため息をついた。
「そうだよ。まあ、あの、ちょっと、色々あって怒らせちゃったんだよ。それで、謝らなきゃならないんだけど、顔を合わせにくくて」
「ちょっととか色々あってとか濁してるのが気になるが」
そこは突っ込まなかった。
「絶対に謝った方がいいぞ。そこまで落ち込むって事はどう考えたってお前が悪いんだろうからな。あんな良い子と仲違いしたままなんて、俺だったら耐えられないな」
晴人はいつも軽口を叩いてくるが、いざと言う時はこうして力になってくれる。それもあって未だに親友として付き合っていられるのだ。
「ああ、そうだな」
「ま、謝りに行くんなら付き合ってやるよ。それも出来ないなら代わりに謝ってやろうか?」
「そんな事したら余計に怒られる」
「そうだよな」
晴人が笑う。晴人に相談した事で、少し心が軽くなる。
「でもいいよなぁ。俺も可愛い幼なじみが欲しかった」
そうしていくらか気持ちにも余裕が出来、いつもようにバカな話をしながら学校に到着した。クラスの連中に顔の事を心配されたが、晴人が適当に言ってくれたおかげでさほど大事にはならなかった。俺は木から落ちて青あざが出来たことになっている。
晴人は一年生の頃から同じクラスだが、可奈子とは二年生になってからクラスが違う。隣のクラスではあるが、学校にいる間はさすがに訪ねる事が出来ず、始業式が終わるのを待つしかなかった。
「だからって正門前で待つなんて、青春だねぇ」
「正門はみんな通るじゃないか。ここで待つのが確実だろ」
「家に行けばいつでもいるだろうに。 そっちの方が確実だ。隣だろ?」
「いや、そうだけど。それが出来たらこんなに悩んでないよ」
「そりゃそうか」
そんな事を話しつつ、可奈子が出てくるのを待った。三十分、四十分――中々来ない。可奈子は学級委員なので遅くなる事もあるかもしれないが、もう正門をくぐる学生の姿もほとんど見られなくなった。普段なら一日のどこかしらのタイミングでそのような予定も話してくれるのだが、さすがに今日はそうもいかない。だから待つしかない。
でももう一時間になる。まさか、もうすでに帰ったって事はないよな。
不安になって、正門から中を覗き込むと、
「あ」
「あ」
可奈子と目が合った。
「・・・」
「・・・」
その場の空気が止まる。可奈子の顔を見た途端、頭が真っ白になる。
そんな俺を見かねて晴人が肘で俺をつついてきた。
はっと我に返り、
「あ、あ、あの。可奈子、ごめん。この前は。いや、なんて言っていいか分かんないけど、とにかくごめん」
下手な言い訳も思い浮かばず、俺はただただ頭を下げる事しか出来なかった。
数秒の沈黙。
「――わよ」
顔を上げる。
「いいわよ。もう。パパの機械が悪いんでしょ。もう気にしてないから」
その割に頬を膨らませて唇をとがらせているのは何故だろう。
「・・・出来るなら二人でいる時にしてほしかった」
ああ、晴人がいる事が気になったのか。それは俺の勇気のなさゆえ――
「こんにちは」
そこで、可奈子の背後に誰かいる事に気づいた。