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「いいもんだなぁ」
リビングの食卓に座った父親が、台所を眺めながら言った。母親に負けず劣らず穏やかな人で、声を荒げたところなど見た事がない。俺も二人に怒られた記憶はないが、それでもわがままに育たなかったのは、可奈子にずっと怒られて来たからだ。
そんな可奈子は俺の母親と二人で台所に立っている。
「何が?」
ドーナツを咥えながら言うと、ご飯の前なんだからおやつ食べないの!と可奈子に怒られる。
真向かいの父親はそんな様子も楽しそうに眺めながら、
「いや、お嫁さんが来たらこんな感じなのかなって」
「何言ってんだよ」
そう言って残ったドーナツを口に放り込むと、食べるなって言ったでしょ!とまた怒られる。
そんな可奈子をにこにこと眺めながら、母親は夕食の準備を一緒に進めていた。
事の顛末はこうだ。先程可奈子とクリオナを救出して秘密基地に帰ったのだが、そこで待っていた源治おじさんが言ったのが、『トー・レ・ヴィオにギジオレを引き渡す日まで、可奈子を預かってほしい』との事だった。
源治おじさんは新ギジオレの制作に忙しく、なかなか家へ帰れない中で今回の誘拐事件が起きてしまった。そうなると女の子一人を家に置いておくわけにはいかないという事で、隣の家であり家族ぐるみの付き合いのある桜川家に預けたい、となったのだ。おじさんによると、一週間ほど。
とは言えクリオナの話によると実際に狙われていたのは俺で、可奈子は巻き込まれたような形になるので、狙われている俺の近くに置くのはどうなのか、と言ったのだが、『洸平くんを誘うために可奈子を狙うかもしれない。ならば、一緒にいても別でいても同じだろう。だったら、一人にはしたくない』という、分かったような分からなかったような理由で、結局預かる事になった。
晴人にさんざんからかわれながら帰って来たのがさっき。可奈子は着替えと必要なものを持ってくるために一度帰ってからやって来て、母親の料理を手伝い始めた。
可奈子が俺の家にやってくるのは珍しい事ではない。なんなら、朝学校へ行く時に、鍵さえ開いていれば勝手に入って来て俺を叩き起こす事もある。そのために我が家は朝は鍵をかけないのではないかという疑惑がある。
だが今回はそう言うのとも違う。可奈子が泊まりに来ている。
まあ、泊まりに来ていると言っても学校から帰って来てご飯を食べて寝るだけだし。さほど気にする事もないか。シャワーをする時に少し気をつけなければならないくらいか。
シャワー?
・・・
いやいや、やめておこう。
ギジオレに乗るようになってから、なぜかよく妄想に耽るようになった。自分を抑えられないとか、興奮するとかではないのだが、なんだか悪い事をしているようでモヤモヤする。これは妄想ロボに乗った事による弊害に違いない。今度源治おじさんに言ってどうにかしてもらおう。
「どうしたのよ。変な顔して」
可奈子はそう言って、俺の前にハンバーグの乗った皿を置いて俺の顔を覗き込んだ。
「なななな、何でもない」
わかりやすくうろたえる俺。こんな時に可奈子の顔を見ると、心臓が跳ね上がる。はあ、平常心平常心。
可奈子は自分の分のハンバーグを俺の隣の席に置くとそのまま席についた。正面に座る両親がにこにこしている。
その日の夕食は楽しかった。いつもはいない可奈子のおかげで話が弾んだと言うのもあるが、可奈子がいつもよりイキイキしているように見えたかもしれない。
「私、最近ずっと一人で晩御飯食べてたんですよ。パパが帰ってこないもんだから」
「まあまあ。それならうちにいつでも来ていいのよ」
「そうだよ。いつでもおいで。洸平も喜んでるし」
勝手に俺の名前を出すな。
「そうだ、可奈子ちゃんの食器も用意しておきましょうか。それで、洸ちゃんの隣の部屋が空いてるから、可奈子ちゃんの部屋って事にして」
「いいかもねぇ。それならいつでもうちに来れるね」
勝手な事を言う二人に、聞いて笑っている可奈子。まあ、こんな雰囲気も悪くない。
夕食が終わると、
「私お皿洗います」
「あら。洸ちゃん、手伝ってあげて」
「あ、うん」
テーブルの上の皿をまとめてシンクへ持って行くと、可奈子に布巾を渡された。
「私が洗うから、洸平は拭いて」
「わかった」
そうして並んで皿を洗う二人。それを見て両親はまたにこにこしながら、何やらコソコソと耳打ちを始める。子供みたいな二人だな。
「洗い物が終わったら、シャワーしちゃうのよ。洸ちゃん」
「子供じゃないって」
「可奈子ちゃんが先に入る?」
「お、俺が先にはいる」
いかん。可奈子の後だと何を考えてしまうかわからない。
ほとんど一瞬でシャワーを終わらせた俺は、自室に戻って机に向かっていた。前回のテストが壊滅的だったため、再テストを受ける事となっていた。俺の場合は、進級に関わるかもしれない。
すると、
「洸平、いる?」
突然可奈子がノックもせずに扉を開ける。これで、俺が何かしてたらどうするんだ。
「い、いるけど、急に開けるなよ」
「いつもそうじゃない」
可奈子はそう言って、部屋に入って来た。柔らかな生地のショートパンツに、大きめのTシャツというルームウェア姿の可奈子は、シャワー上がりのようで我が家のシャンプーの香りを漂わせながら、ベッドに腰掛けた。
「肩が出てるぞ」
「ああ、これ?持ってきてみたらちょっと大きめだったみたい」
肩どころか紐も見えてるぞ。いや、だめだ。俺は可奈子の方を見ている事が出来ず、机に向かって勉強するフリをした。何でこんな無防備な格好で男の部屋に来るんだ。男として見られてないのか?
「再テストなんでしょう?」
「ああ、二教科も赤点取っちまった。可奈子は大丈夫だったのか?」
「私は赤点なんか取らないわよ。どう?教えてあげよっか?」
「!!いやいやいい。自分でやるから。自分で」
「ふーん」
危ない危ない。こんな意味のない所で妄想力を発揮するところだった。
そうしてしばらく無言が流れた後、
「トー・レ・ヴィオの事なんだけどさ」
無言を埋めるかのように可奈子が言った。
「本当の狙いって何だと思う?」
「本当の狙い?ギジオレが欲しいんじゃないのか?」
「うん。そうなんだけど。本当の狙い」
そんなものがあるのか?ギジオレが欲しい以上の事が?
「だって、どうして妄想を理解していないトー・レ・ヴィオが妄想が必要な兵器を欲しがるの?どうせなら自分たちで扱える兵器を手に入れた方が簡単じゃない?」
「まあそうだね。でも、クリオナが言うには調べて代わりのエネルギーがあるかどうか調べるって言ってたから、エネルギー源の問題じゃないんじゃないの?」
「例えば?」
「うーん、そうだな。ギジオレに使われている、何らかの技術とか」
「漠然としてるわね。でも、そうかもね」
「それで何をしようとしているか分からないけど、それを手に入れるためにわざわざおじさんにギジオレを作らせる・・・かなぁ。それを作らせれば済む話か」
考えてみるが、あまりいい考えが思い浮かばない。妄想を理解していない者たちが狙う妄想ロボの使い道とは何だろうか。
「中央政府には人が居るっていってたわよね」
「言ってたね。少ないらしいけど」
「その人達のために何かするのかしら。人間様に献上するとか?」
「それなら・・・調べてこんな物です、って渡すだろうから、可能性はあるかもね」
「そもそもその人達は妄想を理解してるの?」
「さあ」
「妄想って地球人だけが持ってる能力じゃないでしょうね」
「まさか」
色々考えてみるが、答えは出ない。
「一番分からないのは、クリオナなのよね。何かまだ隠してる気がする」
「素直ないい子だけど、本音は見えないよね」
「せめて晴人の気持ちには応えてもらいたいけど」
「気にしてるんだ」
「友達だもん。どっちも」
「晴人と言えばさ」
俺は思わず振り向く。と、可奈子はベッドにうつ伏せになってこっちを見ていた。見てはいけない物を見た気分になって、慌てて机に向き直る。
「晴人と言えば、結局今回は映画に行けなかったよな。また今度行くのかな」
「さっき約束してたみたいよ。今度は私達は誘ってくれないかもね」
そう言われればさっき二人でコソコソしてたな。
「可奈子はさ、観たい映画とかないの?」
「ん?何?誘ってくれてるの?」
「あ、いやぁ。晴人とクリオナが二人で行っちゃうなら、可奈子はどうするのかな、って。可奈子はあんまり自分の行きたい所とか言わないよね」
「そうね。誰かの付き合いで行ってばっかり。でも」
可奈子はふっと笑った。
「そうやって誘ってくれるようになったんだ」
その声に背中がぞくっとする。なぜだろう。
少しの沈黙。俺は次の言葉がなかなか出てこなかった。
「じゃ、じゃあ今度の——」
俺が振り向くと、可奈子は静かに寝息をたてていた。
「可奈子?」
呼びかけても目を覚ます様子はない。眠っている可奈子は初めて見るかもしれない。
いつも俺を怒るときは吊り上げている目は、眠っていると子供のように穏やかだ。整った鼻筋に、小さくピンク色した唇。少し濡れた髪の毛は、白い首筋を通って少し上気した胸元へと流れている。思ったよりも小さな背中からくびれを通り、形のいい小さめのヒップへと流れるラインは柔らかな丸みを帯びていて、健康的な太ももへと続いてゆく。
気がつくと俺は眠っている可奈子をじっと見続けていた。なぜか目が離せない。無心になって可奈子の体の隅から隅までを眺め続けた。
「んんっ」
!!
可奈子が身じろぎをして、仰向けになった。Tシャツの下に隠れた、二つの膨らみが確認できる。
!!
我に返った俺は弾かれるように扉から飛び出した。転がるように階段を降り、リビングのソファに頭から突っ込む。クッションを頭から被って音も光も遮断する。
可奈子の姿が目の裏から離れない。
俺は何てことを・・・きっとこれもギジオレのせいに違いない。
自己嫌悪に陥りながら、夜が開けるのを待った。




