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序章―毒― 3



 井戸水に腕をさらしながら、少女――藤原菫子(すみこ)は困惑していた。


 参内の要請は、橘侍従と名乗る人からであった。帝の側近の一人である侍従の名を使うということは、ひいては帝の命と言っても過言ではない。正直、菫子はその命を受けた時点で死を覚悟していた。殺されると思っていた。……それでも良いと思っていた。こんな毒の体を持つ者など、いない方がいいに決まっている。


「傷が痛みますか?」

「えっ、いえ、大丈夫です」


 菫子が黙っていたからか、彼が心配そうに声を掛けてきた。清涼殿での口ぶりからして、この人が菫子を呼び寄せた橘侍従その人なのだろう。毒の調査と言っていたが、どうして菫子を選んだのだろう。


「ああ、申し遅れました。橘俊元と申します。橘侍従とお呼びください」

「はい。わたしのことは、お好きに。毒小町とでも」

「一つお聞きしてもいいですか」

「何でございましょう」

「どうして鈍色の着物を身に着けているのですか」


 俊元は、喪服という言葉を使わなかった。喪に服す期間は、亡くなったのが父や母、夫の場合は一年、祖父母や養父母は五か月、曾祖父母や兄弟、嫡子は三か月、継母や異父兄弟は一か月など、細かく決められている。菫子の周辺で、最近亡くなった人はいないということは知っているのだ。参内させようとしている者が喪に服していては都合が悪い。そのあたりは予め調べてあるのだろう。


 菫子は、どう答えるべきか考え、正直に言うことにした。


「……十年前、亡くなった方々を弔い、忘れぬためでございます」

「そうでしたか、優しいのですね。私からも、安らかな眠りであることを祈ります」

「あり、がとうございます」


 不吉だの、不気味だの言われてきたのに、優しいなんて、初めて言われた。十年前、菫子は六歳である。七歳以下の子は喪服を着ずともよいとされているため、着る必要はなかった。そのことに気が付かないはずがないが、俊元はそれ以上聞いてはこなかった。


「さて、戻りましょうか。これをどうぞ」

 俊元は、菫子に手拭いを手渡してきた。菫子はそれを慎重に受け取る。水滴を拭い、じわりと滲む血を押さえつけた。

 先に歩き出した俊元は、清涼殿へと戻るようだ。菫子は、先ほどから気にかかっていたことを聞くため、口を開いた。


「わたしも、一つお聞きしてもよろしいでしょうか」

「何でしょう」

「どうして、主上は()()()()()()()()()()を、否定なさらなかったのでしょうか」

「……何故、そう思いました?」


 それまで穏やかな笑みであった俊元の顔色が、明らかに変わった。触れてはいけないことだったのかもしれないと今更ながらに思ったが、もう遅い。菫子はありのままを答える。


「先ほどの蟲毒の件、主上が毒の効かないお体であるのなら、毒蛇を恐れることはありません。蛇そのものへの嫌悪はあるにしても、命の危険はお感じにはならないでしょう。ですが、主上の表情と身の引き方、あれは本能から来る恐怖、命を守るものでございました」

「なるほど」

「反対に、橘侍従様は蛇への恐怖が全くありませんでした。主上の御前、侍従というお立場からそう振る舞ったのだと思いましたが、つい先ほど、あなたはわたしに手拭いを渡してくださいました。それも、手渡しで」


 目の前で毒蛇が菫子の毒で死んでいくところを見た直後だ。菫子の毒を理解していないわけではない。理解した上での、あの行動、つまりは。


「本当に毒が効かないのは、橘侍従様、ですね」

 少しの沈黙の後、俊元は驚きと喜びの入り混じった表情を浮かべて、拍手をした。


「素晴らしい洞察力です。あなたの言う通り、本当に毒が効かないのは私です。生まれつきこういう体質でして」

「あの、怒ってはいらっしゃらないのですか……」

「確かに公表していないことではありますが、今回、毒についての調査をお願いするにあたって、お伝えしようとは思っていましたから。まさか先に見抜かれるとは予想外でしたけれど」


 俊元は、楽しそうな笑みを浮かべた。相手に不快感を与えないための笑顔ではなく、自分自身のために笑っているような、そんな表情。


「さて、調査のことを何もお話し出来ていないままでした。参りましょう」


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