08.追跡
俺とレナルドは、クロードと思われる男を追い、居住区奥へと歩いていた。
とっぷりと沈んだ深い夜空の下、生ぬるい風が肌を撫ぜる。砂埃が舞い、浮いた小石や砂粒が硬質な音を響かせている。レナルドの光魔法で視界は確保しているけど、廃屋が並ぶ通りの薄気味悪い事には変わりなく、否応無しに緊張感が高まっていく。
「……レナルド、何か感じないか?」
「ああ、見られているな」
通りを挟む廃屋は、どれも人が住めるような状況ではない。剥がれた屋根、割れた柱、穴の開いた壁から覗く暗闇。でも、じっとりとまとわりつくような視線を感じる。そして、身を潜めているような人の気配。衣擦れの音、漏れ出る呼吸まで聞こえてくるようだ。
「……ブラント」
びくりと肩が跳ねる。レナルドが心配そうに俺を見ている。どうしたんだろう。
「それは必要ない」
レナルドが指差す先には俺の手。今にも銃を抜かんと腰のホルスターに添えていた。
「……気づいてなかった」
「緊張と不安からだろう」
初日に銃を渡された時なんて抵抗感の方が強かったのに、まるですがっているようじゃないか。手のひらはじっとりと汗ばんでるし、少し落ち着こう。深呼吸。
「警戒を怠らないのは良いが、気を張りすぎるのは良くない」
「……そうだね」
「それに、彼らなら大丈夫だろう」
「というと?」
「襲ってくる気配はない。どちらかというと、我々を警戒しているようだ」
「警戒されるような事なんてーー」
してたよ。銃を抜こうとしていたよ。言葉に詰まると、レナルドが軽く笑った。
「確かに君の緊張が伝わった可能性もあるな。だが、それは本質ではないように思う」
レナルドは視線を落とし、足跡を辿り歩を進めた。
警戒している本当の意味か。レナルドの後を追いながら考えてみようか。
ここはいわゆる貧民街。治安の悪さ故の警戒? チェイスもここ最近この地域は荒れていると言ってたし。ただそれは、治安所に対する不信感にも繋がる。俺達への警戒? 公権力への反抗心。でも攻撃性はみられない。だとすれば、もっと根本的な安全の侵害……既に何かあった後なのか?
俺達が来る前に居た人達ーー
「レナルド、住人達が警戒していたのは狂暴化した人達じゃないか?」
「なるほど。それならば納得できる」
今しがた戦闘になった狂人達。獣のような叫び声がありありと思い出される。警戒するのは当然だろう。でも、それだけじゃ足りない。
「それともう一人」
「……クロード氏だな」
「そうだ。証拠があるわけじゃないけど、無関係とも思えない」
「そうだな。そればかりは、本人に聞くしか無い」
レナルドは確信を持った表情で道の先を指さした。
「近いぞ。準備はいいか?」
少し前のような強い不安感はない。思考と状況の整理と、頼れる相棒。程よい緊張感で、この先に進めそうだ。
* * *
酒場からしばらく、拭えない視線を感じながら、クロードの足跡を辿った。そして、見覚えのある後ろ姿を見つけた。革製の装備とポンチョのような外套。腰に携えている短剣。酒場で見たクロードの格好。でも様子がおかしい。ややおぼつかない足取り。それと、クロードを覆う淡い赤光。
「レナルド、あれは……」
「酒場に居たクロード氏だな……ただ、魔力が漏れ出ている?」
「それは大丈夫なの?」
「わからない……」
レナルドが珍しく困惑した表情を浮かべる。
「それに、妙な視線も感じる」
「視線?」
「ああ、我々よりも、クロード氏に向いているようだが……」
まさか住人か? やっぱり警戒対象はクロードなのか?
「接触するならば、注意した方が良い」
俺はレナルドに頷き返し、意を決してクロードに声をかける。
「……クロードさん」
ゆっくりと振り向いたその顔は、俺が記憶しているクロードの顔そのものだった。
「ああ、酒場に居た奴だな。お前も俺を知ってるのか?」
「……いえ、詳しくは」
「そうか、でも俺は確かにクロードだ。チェイスとかいう奴が俺を知ってたようだがーー俺は奴を知らない」
やはり別人なのか? 同名のそっくりさん……そんな事あるのか? 本人に聞く?いや、聞くにしてもどんな質問をすれば良いかわからない。
迷っていると、クロードは俺を見てニヤリと笑った。それは喜びや嘲りではなく、不安や恐怖を感じているようだった。
「知らないはずなんだけどね……知ってるんだよ、チェイスを」
「……どういうことですか?」
「さてね。なんなんだ? この記憶……洞窟? に行って、何か探して」
もしかして、お宝情報があった洞窟の事か?
「お、俺はデカい奴に、ふ、踏み潰されて、メイジーが飛ばされて、血まみれで……メイジーって、誰だ?」
クロードはゴーレムに踏み潰され、メイジーは壁に叩きつけられ亡くなっていた。なんで、死人の記憶がある?
明らかに混乱しているクロード。ふらふらと動くその姿は、彼の精神状態を表しているようだ。俺もわけがわからない。動くに動けない……どうする?
クロードの様子を伺う視界の端、左から複数の人影、近づく足音。なんだ?
「どけっ!」
「うおっと?!」
不意に突き飛ばされる。見知らぬ男、怒りを感じる視線。
「お前か! ウチの連中をおかしくしたのは!」
詰め寄る五人の男は、ぐるりとクロードを囲んだ。誰もがボロを着ているから、貧困街の住人だろう。知り合いにしては、物騒な予感がする。もしかして、クロードを見ていたやつらか?
「あ? お前も俺を知っているのか?」
「とぼけてんじゃねぇぞ、小僧!」
腕を振り抜く男。たたらを踏むクロード。いきなり殴った?! これはまずい、止めないと!
「待て、ブラント」
腹に衝撃、レナルドの硬い腕に制止された。
「……クロード氏の様子がおかしい」
「え?」
クロードが俺を見ている。
その瞳は赤く揺らめき、怪しく笑った。
ぞくりと背中が冷える。嫌な予感が、俺の勢いを殺した。
「オマエは知らない? おれも知らナイ? オレは何を知ル?」
2、3m手前、動くのを躊躇う……いや、動けなかった。
これ以上近づいたら、危険な気がする。
男達も金縛りを受けたかのように動けていない。
クロードは体を起こし、口を開いた。
「オレは ダれdア゙???」
途端、視界いっぱいの強烈な赤い光。
猛烈な圧力が襲ってくる。
これは……息ができない。
頭が割れそうに痛い。
立っていられない。
「ぐうおおお……」
漏れ聞こえる苦悶の声。
視界の端に膝をつくレナルド。
「……精霊、よ」
レナルドが両手を前方に出すと、ふわりと青い光が浮かぶ。
そして、振り払うかのように、腕を動かした。
青い光は周囲に広がり、ひんやりとした空気に包まれる。
「……っ! かっはああ!」
息ができる。でも、まだ頭痛が少し残っているけど、動ける。
「大丈夫か?」
「……あ、ああ、なんとか」
「強大な魔力に当てられたんだ」
「魔力?……あの赤い光か」
視界の先、直立するクロード。
その胸からは、四方に溢れ出る赤い光。
レナルドのお陰で息苦しさはないけど、未だ強風にあおられるような圧を感じる。
「うあははあはは」
「オ゙ア゙ア゙ア゙ぁぁぁ」
獣のような声、剥き出しの歯、殺意のこもった目……あれは、狂人?
よく見ると覚えのあるボロを着ている。という事は、クロードを取り囲んでいた男達だった?
「あれも魔力のせいなのか?」
「……おそらく。直撃したのか、尋常ではない影響が出ているようだ」
三人は泡を吹いて倒れ、痙攣している。
そして、残る二人は錯乱し、今にも暴れだしそうな様子。
「じゃあ、狂暴化させていたのは、クロードさんの、魔力……」
無言のまま深く頷くレナルド。何か言いたげな表情だけど、なんとなく察する。
クロードの魔力がある限り、接触した人は狂ってしまう。それを止めるには、クロードを倒さなきゃいけない。さっきまで会話できたんだ、元に戻す方法だってあるかもしれない。
でも、最悪の場合、殺す事も……俺にできるのか?
ーーいや、迷ってる場合じゃないだろう!
「止めないと」
レナルドは驚きの表情を見せつつも、しっかりと応えてくれた。
「……ああ、行こう、ブラント」