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二輪三脚  作者: 三月悠希
3/3

不可視可知

 埼玉県川越市の街並みの一角に零の帰る家が待つ。辺りはすっかり暗くなり、ライトアップされた時の鐘がきらびやかに輝く。

 戸建ての庭の隅にバイクを止めると、零は未桜を引き寄せ、バイクの影に隠れる。


「なぁ、俺がいきなり家に女の子連れてきたら完全に怪しまれるんだが、どうするつもりだ?」


 零は未桜に小声で語りかける。


「まぁ、そうね。でも大丈夫、見えないから」

「見えないって……さっきのコンビニ店員には見えてるように思えたんだけど」

「誰に見えるかはコントロールできるのです!」


 未桜は想定済みとでも言うように腰に手を当て胸を張る。


「母さんはたぶんまだ仕事だから、問題は妹だな」

「あぁ、京華ちゃんね。久しぶりに会うわね」

「……まさか、父さんと一緒に家に来てたのか?」

「ええそうよ。零があんなことやこんなことしてるのまで全部しっかり見てるんだから」


 未桜はにやりと笑う。


「勘弁してくれ……」

「ふふっ、冗談よ。でも来てたのはほんとよ」


 なにもそういうことに心当たりが無いわけではない。零は少し動揺しながら、ポケットから家の鍵を取り出す。


「寒いしさっさと入ろう」

「さんせーい」


 零は玄関の扉を開けると、土間にこげ茶色のローファーが一足散らばっているのを見つけた。零と未桜は下駄箱に靴をしまいリビングへ向かう。こげ茶色のローファーも踵をそろえて置いておく。

 扉を開けると、高校の制服姿のままソファのひじ掛けから足をぶら下げ寝転がる京華の姿があった。


「ただいま」

「あ、お兄ちゃんお帰りー」

「制服しわになるぞ」

「んー」


 京華はスマートフォンを弄りながら興味が無いといった様子で答える。軽くあしらわれてしまった零がヘルメットをしまいに京華の傍を通ったそのとき、


「……ねぇ、お兄ちゃん、香水使い始めたの?」


 京華はスマートフォンを操作する手を止め、脱力していた表情は鋭くなる。扉から半身ほどリビングに入っていた未桜はその動きを止め、忍び足で後退する。


「いや、使ってないぞ」


 京華は意外そうな表情をしながらも視線を緩め、再びスマートフォンを操作する。


「……そう。なんか懐かしい香りがした気がした」

「なんだそれ」


 零は平静を装いながら奥のクローゼットにヘルメットを収納し、ハンガーにジャケットを掛ける。そしてそのまますぐにリビングを出ると、未桜を引き連れて二階にある零の自室に向かう。


「さすが京華ちゃん、恐ろしく鋭いわね」


 未桜は零のベッドに腰掛けると、大きく伸びなら寝転がる。布団の柔らかさを気に入ったようで、体を大きく十文字に開いた未桜は左右の手で布団を揉んでいる。


「ふふっ、柔らかい」

「それはなにより」


 零は勉強机に備え付けられた椅子に座り未桜の方へ向き直す。


「それで、色々聞きたいことがあるんだが」

「ま、そうでしょうね」


 未桜は上半身を仰向けにしたまま天井に答えると、両腕で勢いをつけて起き上がり零と向かい合う。


「それで、何から聞きたい?」


 未桜は含みのあるような笑みを浮かべる。


「君と父さんとの関係かな」

「君、じゃなくて未桜。そういえば一度も名前で呼んでくれてないわね」


 未桜は頬を膨らませながら、零の言葉にかぶせるように答える。


「質問に答えてくれ」

「名前で呼んでくなきゃやだ」


 優位に立っていると判断した未桜は強情になる。その表情にはどこか期待が含まれている様子だ。


「……未桜」

「……ふふっ、うん。よろしい」


 未桜は微笑みを漏らすと体を左右に揺らし足をばたつかせる。


「私と司君との関係はね、今の私と零の関係と同じよ」

「じゃあ父さんと出会ったのもさっきみたいな感じだったのか」

「うーん、まあ大体そんな感じね」


 未桜は過去を思い出すというよりも、どこかはぐらかすように答える。


「初めて会ったときの『やっと会えたね』ってどういう意味だ?」

「それはね……私を見えるようになるためには条件があるの」

「どんな条件なんだ?」

「それはね……」


 未桜は右手でライトの明かりを遮りながら天井を眺める。


「今はまだ内緒」


 未桜は零に視線を落とすと微笑みを浮かべる。どこか悲しげな未桜の表情は、零の追及を暗に制止した。


「……でもコンビニの店員には見えてただろ。その『条件』とやらが何なのかは知らないが、とても満たしているようには思えない」

「うーん、それは零が私を認識したからじゃないかな」


 未桜は部屋の時計を指さし視線を送る。


「例えばあの時計、時間を刻むごとにカチカチと音がするわね」

「ああ、そうだな」


 未桜は再び視線を零に向ける。


「なら私と零がこの部屋を出て誰もいなくなったとき、時計は音を発するかしら?」


 アイルランドの哲学者ジョージ・バークリーは、何かが存在するためには誰かが認識する必要があると説いた。零が未桜を認識したことで、この世界にその存在が確定し第三者が知覚できるといったところだろうか。


「認識されることで存在が確定する……哲学的存在が目の前にいるってことか」

「言い方は気に入らないけど、まぁそんなところね」


 未桜は仕切り直しとでも言うように手を叩く。乾いた音が部屋に響く。


「じゃあ、次は何を聞きたい?」

「それなら……」


 零が言葉を続けようとしたそのとき、部屋の扉を叩く音が数回響いた。


「お兄ちゃん、お風呂沸いたけどどうする?」


 扉から京華が顔を覗かせなら尋ねる。


「疲れてるだろうから、先に入っておいで」

「そ、じゃお先に」


 短いやり取りを終えた京華は一度扉を閉めるが、瞬時に再び顔を覗かせる。


「そういえば、電話してた?」


 思い出したように京華が言う。


「いや、してないぞ」

「そう? なんか声が聞こえた気がしたんだけど」

「気のせいじゃないか?」

「うーん、そうかなー」


 京華は疑念を抱いたまま、零の部屋を後にする。

 零は京華が階段を下る足音をしっかりと聞き届けると、新しく生まれた疑問を未桜にぶつける。


「……なぁ、もしかして」


 零の疑問を察した未桜は笑顔で答える。


「見えないだけで聞こえないわけでも触れないわけでもないから」


 零はため息を漏らす。


「そういうことは早めに言ってくれ」

「ふふっ、言わない方が面白いじゃない」


 まったく他人ごとである。零は今後の立ち居振る舞いに頭を悩ませる。


「まぁ、そんなに悩むことないわよ。司君だって大丈夫だったし」

「……なるようになるか」

「そうよ」


 なぜだか未桜は自信げに応える。ほとんど未桜の行動次第だと、はたして自覚しているのだろうか。

 そんな零の心配をよそに未桜は部屋を物色する。


「この部屋なにもないわね、司君と大違い」

「悪かったな」

「お、マンガ発見ー」


 未桜はさも当然のようにマンガを読み始める。零のベッドは今や未桜に占領されてしまった。


「まだ、質問の途中なんだが」

「えーつまんない」


 飽きやすいのだろうか未桜はまったく零の言葉に興味が無いようで、寝転がりながらマンガを読み続ける。コマを追う目は真剣ながらも口元は僅かに綻びている。

 零も机に立てかけてある読みかけの小説を開き物語を進める。未桜への追及を続けようかとも考えたが、一瞬見せた未桜の悲しげな表情がそれを拒んだ。

 互いがそれぞれの物語を進める中、件の時計が秒針を刻み続けおよそ三十分ほどしたところだろうか、扉をノックする音が零の部屋に響き渡る。


「お兄ちゃん、お風呂空いたよー」


 普段はポニーテールの髪を背中までおろしたパジャマ姿の京華が現れる。


「うん、ありがとう」

「冷めないうちに入んなねー」


 京華はそう言いながら零の部屋を後にする。

 零は京華の言葉を受けて浴室へ向かう。部屋を出る時に未桜から羨望の眼差しを向けられたがただ一言


「この部屋でじっとしててくれ」


とだけ残した。なにやらぶつぶつ言っていたようだが聞こえないことにした。


 浴室に向かい、短くシャワーだけで済ませる。適当に髪を乾かしパジャマに着替えた後、零はリビングに二つの影を見つけた。


「あら、零お帰り」


 二つの影は妹の京華と母さんだった。


「ただいま」


 パンツスーツ姿のままエプロンをかけ、母さんは夕食の準備を始める。


「何かリクエストはある?」


 母さんはお玉を掲げ自信をあらわにする。


「いや、今日はいいや、あんまりお腹空いてないし」

「私も友達と食べてきちゃった」


 零の言葉に京華も追随する。


「そっかー残念。零は相変わらず小食ね。京華もあんまり外食ばかりだと太るからね!」


 母さんは年齢の割にはどこか子供っぽく大げさにふるまう。


「げ、気にしてるんだからあまり言わないでよね」

「今日はもう寝るね」

「あらそう、お休み、零」


 母さんは文句を言う京華を軽くあしらいながらフライパンに油を敷く。


「おやすみ」

「あ、お兄ちゃんお休みー」


 そう短く言い残して零は自室に戻る。

 部屋に戻ると零のベッドでマンガを読んでいた未桜はすっかり眠ってしまっていた。零はそのマンガを本棚に戻し、未桜に毛布をかぶせる。

 押し入れから敷布団を取り出し、ベッドから離れた位置の床に敷く。

 明かりを消して、零は敷布団の中で今日の出来事を振り返る。道の駅のおじさん、謎の少女との遭遇、その少女が神様なこと、死んだ父と関わりがあること、こうして同じ部屋で寝床を共にすること、今日ほど濃い日はそれほどないだろう。

 いつか気付かれてしまうその日までに、わざわざベットの横で寝ている理由も考えなければいけない。

 明日の事は明日の自分がどうにかすると、零は考えることを止め、深い眠りにつく。


 ……はずだった。


「ねぇ、今から出ない?」


 丑三つ時にこれから入ろうかという頃、聞き覚えのある彼女の声が、零の意識を呼び覚ました。

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