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二輪三脚  作者: 三月悠希
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バイクときどき少女


 セルモーターが駆動し一定のリズムで爆発が起こる。エンジンから伸びる三本の管は各々の役割を共有し、その音色を響かせる。冷えていた彼女は少しばかり心拍数を上げ、その真紅の車体を奮い立たせている。


 十八才、大学一年生の夏、瀬川零はライダーになった。


 別にバイクに興味があったわけではない。事故で亡くなった父の書斎から「零、二輪免許代」と書かれた白い封筒を見つけたことがきっかけだ。父の残したバイクを遊ばせておくわけにもいかなかったし、処分せずに済むと母も前向きだった。なにより趣味の一つもない零にとっては自己紹介で使える程度には都

合がよかった。


「そろそろ行きますか」


 彼女の鼓動が落ち着くのを待ってから、少し重いクラッチレバーを握り、衝撃とともにギアを入れ、穏やかに発進する。


 如月の風は冷たさよりは痛みをもって、ヘルメットを包み込む。情熱的なエンジンの排熱も、いまでは頼りない。


 重い空気を引き裂きながらバイクを走らせ国道二九九号線を西へ進む。飯能市から秩父市へ向かう途中のワインディングはときどき不気味に光り、スロットルを鈍らせる。


 長いトンネルを抜けると左手方向が何やら騒がしい。


 道の駅果樹公園あしがくぼ。


 この時期名物の氷柱目当てか、いつにもまして賑わいを見せている。日によってはまるで展示場の様にずらりとバイクが並び、あちらこちらから談笑が聞こえてくるこの場所はライダーの中では定番の休憩所になっている。


 大勢の人の気配を感じ、かえって寒さを意識させられた零はウィンカースイッチを左に倒した。


 駐車場を見渡すと、寒さのおかげかバイクの数はそれほど多くない。活気の大半は車輪が四つの乗物からで、寒さの割には薄着でどこか火照った様子の家族連れの姿が目立つ。


 零は駐車場を八分程度周ったところにある駐輪場の隅にサイドスタンドをおろした。

 地域物産展で賑わう売店の端にある自動販売機で暖かいカフェオレ缶を買い踵を返してバイクに向かう。


 ふと、零は自分のバイクを眺める年配の男性の姿を認識した。カーキ色のロングコートに身を包み、白髪の上にはボーラーハットを載せている。

 カフェオレ缶を握りしめバイクに戻るやいなや、件の老人がこちらに向かってくる。


「こんにちは。きれいな赤色の単車ですね」


 安定感のある声とともに老人はいかにも穏やかそうに微笑む。


「ありがとうございます」


 零はそう簡潔に答えて上がりかかったステイオンタブを元に戻し、カフェオレ缶をバックにしまい出発の準備をする。


「お乗りになられて長いんですか?」

「半年くらいです」

「お若いのになかなか良い単車にお乗りで羨ましいですな」


 零はヘルメットの顎ひもを通す。


「父のバイクだったんです……事故で死んだ」


 零はグローブをはめながら答える。


「ああ、それは……申し訳ない」


 老人の表情はシールドの縁でよく見えなかった。


「では、これで」


 零はエンジンを掛け、ギアを入れる。



 去り際に微かに声が聞こえたような気がした。



 道の駅を出発した零は再び国道二九九号線に戻り秩父市街を抜ける。

 小鹿神社の大鳥居を右手に眺め、少ししたところを右折して県道三七号線に進み、県道七一号線土坂峠を目指す。強烈な勾配や狭くなる道幅、鋭角なカーブなどは決して走りやすい道を表しているものではないが、木々に囲まれ人気のないこの道はどこか親和性を感じて心地良い。


 峠の頂上にある短いトンネルを抜け、群馬県神流町に入り一気に下りきる。そのまま国道四六二号線を埼玉方向に戻り、下久保ダムを眺めつつ埼玉県神川町城峯公園に向かう。

 

 人気のない駐車場の一番奥にバイクを止め、わずかに温かいスチール缶をもって展望台へと向かう。道中の木々は細々と、しかし堅実にその命を繋ぎ、多様な生命の拠り所になっている。


 硬いライダーブーツと相性の悪い荒れた階段を登り切り展望台にたどり着くと、季節にも場所にも合わない真紅のドレスに身を包み、長い灰色の髪をなびかせた少女の後ろ姿が瞳に映る。


 零はどこか不思議な雰囲気を纏う少女の事を気にしつつも、目の前の景色に少女が満足するのを手前の東屋で待つことにした。長椅子に腰を掛け、ぬるいカフェオレを啜る。東屋を吹き抜ける風はすべての熱量を攫い顔や手の甲を痛めつける。


 それにしても奇妙な少女だ。あの砂利道をハイヒールで超えてきたのだとしたら相当な平衡感覚を持っているのだろう。露出の多い服装は見ているこちらが寒くなる。


「……やっと会えたね、零」


 零は思わずカフェオレをむせ返す。


「あははっ、ごめんね」


 振り返りながら笑った少女の瞳は深い蒼を反射し、その表情はあどけなさの中にどこか大人の余裕を含んだような不思議な雰囲気を纏っている。


「どうして僕の名前を……」


 零は胸ポケットから取り出したハンカチで口元を拭いながら少女に尋ねる。驚きで飲み物を吹き出すなどということが実際に起こるなど思ってもみなかった。


「君の事はよく聞いているからね」

「一体誰から……?」


 交友関係が広くない零にとって疑念の選択肢は少なかった。

 少女は小さい笑みを浮かべてまっすぐこちらを眺める。


「君のお父さん、司君からだよ」

 

 以外だった。寡黙な父がこんな奇妙な少女と交流があったとはとても思えない。


「あなたは誰なんですか」

「さぁ? だれでしょう、ふふっ」


 少女はいたずらに笑う。


「じゃあ年齢は?」

「女の子にしていい質問じゃないなあ」

「父さんとはどういう関係なんだ?」

「ふふっ、疑問が止まらないね」

「自分の事をよく知っているという知らない人が目の前にいるんでね」

「まったく、司君そっくりね」


 父親との共通点が寡黙なことしか思い浮かばなかった零は少女の言うことが気にならなかったわけではない。しかしどこか遊ばれているような気がして、零は大きく一つ息をする。スチール缶の冷たさを手のひらに感じ、体を捻り机に置く。


「少し落ち着いた?」

「ええ、まぁ」


 少女は仕切り直しとでもいうように一度手を叩き、甲高い音を響かせる。


「では……」


 少女は一歩前へ出るとドレスの裾をつまみ、右足を後ろへ回し交差させ膝を屈み軽くお辞儀をする。



「はじめまして瀬川零君、私は未桜」



 未桜は頭だけこちらに向け小さく笑った。しかしその笑顔はどこか不自然で、視線はこちらを向いているようには感じなかった。


「未桜……さんでいいのかな」

「未桜でいいよ」

「苗字がいいんだが」

「なに、恥ずかしい?」

「距離感が近すぎて嫌だ」

「お姉さん悲しいなぁ」


 未桜は目元に手を当てわざとらしく泣きまねをする。

 零はそれに反応せず言葉を続ける。


「で、苗字は?」

「無いよ」


 間髪入れずに澪が答える。


「苗字が無いってどういうことだよ」

「だって……『神様』だからね」


 ……バイクに関わってから意図せずともいろいろな人と話す機会が増えた。同じキャンパスのバイクに興味のある女子や教習所で出会ったいかにもヤンキーなお兄さん、下校中の地元の小学生たち。そろそろ神様と話してもいい頃合いなのだろうか。


「そうか」

「絶対に信じてないわね」

「ああ」

「まぁ、無理もないか」


 未桜はやれやれといった様子で腕を組む。そして一歩ばかり後ずさりすると胸の前で掌を合わせ指を絡める。


「どんな服が好み?」


 未桜が唐突に尋ねる。


「それは俺が着るという意味でか?」

「女の子が着るとしたら」

「なんでもいい」

「なんでもいいが一番困るなぁ」


 未桜は目を細め不満げにこちらを凝視する。零はその視線を受けながら未桜の足元から頭頂部までを見回す。


「寒くなさそうな服ならなんでも」


「……」


 微動だにしない未桜は静かに眉間にしわを寄せた。あと少しでビームでも出せそうだ。


「はぁ……まぁいいけど。ちょっと見ててね」


 そう言った未桜は瞳を静かに閉じて胸の前の手に顔を寄せる。


「なぁ、一体なにを……」


 瞬間、まばゆい光が零の視界を覆う。


 左手で作り出した陰から顔を覗かせると光の中心には未桜がいた。正確には未桜の形をした人影がそこにあった。

 影は不規則にその形を変えながらやがて人影に収束する。まばゆい光も次第におさまり、やがて未桜を直視できるほどになった。


「……!」


 目の前の長い灰色の髪を持つ少女は確かに未桜だった。しかしそこに真紅のドレスもハイヒールもない。代わりにチェスターコートに身を包み、露出の多かった足元はジーンズにショートブーツと『寒くなさそうな』服の未桜がそこにいた。


「どう? 凄いでしょ」


 未桜は誇らしげに腰に手をあて胸を張る。顔には自信があふれていた。


「……本当に神様なのか?」

「見ての通りね」

「超高速早着替え……ってわけでもなさそうか」

「諦めなさいよ」


 神様かどうかはともかく、未桜が超常的な力を使ったことは紛れもない事実だ。紛れもない事実……なんだけども……


「信じたくない」

「ついに願望になったわね」

「しかたないだろ、その手の現象は信じないことにしてたんだ」

「はぁ……現実に目を向けなさい」


 未桜は呆れ交じりに言う。

 零は未桜の足元から頭頂部までを再び見回す。


「……なによ」


 ジト目の未桜は腕を組み不満をあらわにする。

 零は自身の両頬を手を大きく開いて叩く。冷たい空気に乾いた音があたりに響き渡る。


「なによ!?」

「いや、何でもない、大丈夫だ」

「そ、そう……」


 未桜は訝しげにこちらを見つめる。


「それで……なんの神様なんだ?」


 零は頬に熱が広がるのを感じながら未桜に尋ねる。


「君の……いや、君たちのバイクの神様だよ」

「ツクモガミってやつか?」

「まぁ、そんな感じかな」

「神様ってよりかは妖怪だな」

「……神様ってことにしといて」


 未桜はにこやかに笑う。目以外は。


「ところで……」


 零の言葉を遮るように地響きがした。聞こえてきた方向には特徴的な角ばったダムと美しい空が控え、ダム湖にはその空が反射し巨大な鏡になっている。雄大な山々も確かにそこに鎮座し人々の営みを見守っている。


 そして……顔を紅潮させた少女が一人、無言で立っている。


「……」

「……」


 しばしの静寂、しかしそれは未桜が求めているものではないようだ。


「おなか……すいちゃった」

「なんも持ってないぞ」


 この時を待っていたかのように、未桜はその紅潮させた顔をこちらに近づけ興奮気味に言う。


「バイクで買いに行けばいいじゃない!」

「まぁ、神様だし断らないけど時間かか……」


 零の言葉を待たずして未桜は零の手を掴み、荒れた階段を駆け抜ける。


「ちょっ……」


 冷え切った零の手は未桜から体温を受け取り、血流にのって零の顔にたどり着く。


 困惑しながらもどこか期待感に胸を躍らせながら、零は未桜とともに駐車場に向かう。




 




 





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