02
「やめなさい、まだ子供なんだから……」
「だってこいつ、俺のミニ四駆止めたんだぞ!」
「だって、欲しかったんだもん!」
駄菓子屋の店主の梅婆ちゃんが中学生をなだめるが、その怒りは収まらない。外に放り出された小助が泣き出す。耳障りなその泣き声に中学生の怒りはもう限界だ。
「せっかくの好タイムだったのに……泣けば済むってもんじゃねぇぞ!」
争いは苦手だ。僕は喧嘩なんてしないし、人を怒らせることもない。自分が悪いならすぐに謝罪する。小助はすぐに人から物をとるし、少しでも自分の思い通りにいかないと泣き出す。世界が自分中心に回ってると思い込んでいるからこんな目に遭うのだ。
小助に向かって拳が降り上げられる。正直、いい気味だと思った。
だからって、見捨てられるわけないじゃないか。
「っ勘弁してくれませんか?」
拳が僕の頬に当たる。思い切り振り下ろされた拳、口の中に血の味が広がった。
「なんだよお前」
「兄です。弁償は……出来ませんが、許してくれないですか?」
ジンジンと頬が痛い。こんなこと柄じゃないのに。今にも泣き出してこの場から逃げ出してしまいたい。
「許せって、許すわけないだろ!」
また拳が振り上げられる。僕は庇うように後ろを向いて小助を抱きしめる。殴る蹴るの暴行。僕の背中はボロボロだ。一人は黙って見ているだけなのが唯一の救いだ。
「お、兄ちゃん」
「大丈夫。この程度で人間は死ぬようには出来てないの、で」
腕の中で縮こまって震える小助に優しく声をかけて撫でる。梅婆ちゃんが先ほど駄菓子屋に入っていったのが見えた。おそらくどこかに電話しているのだろう。待っていれば誰かしら救助が来る。それまでの辛抱だ。
「テメェら! 俺の弟に何してくれとんじゃ!」
中学生の後ろから大声が響く。それは兄さんのものに間違いないが、胸にまで響く和太鼓のような声を聞いたのは初めてだった。
まるで般若のような形相で駆け寄って来た兄さんは、勢いのまま両足で飛び上がると、僕を蹴っていた中学生に向けて綺麗なドロップキックをかました。
「いっ何するんだ!」
「何するはこっちのセリフだ! どんな理由があろうと、俺の弟に手出すって意味分かってんだろうな!」
兄はファイティングポーズで中学生たちにも一切怯まず、むしろその気迫は中学生以上だ。
「おい、もう行こうぜ。これ以上は面倒だ」
「っち。覚えてろよ!」
「ったりまえだ! 次見かけたらぶん殴ってやる!」
「大丈夫か?」
中学生たちが見えなくなるまで威嚇を続けた兄さんが僕の手を取って起こしてくれる。
「兄さん。どうして?」
「どうしてって、兄貴なんだから弟を守るのは当たり前だろ。お前も良く耐えたな」
兄さんに頭を撫でられ、無性にくすぐったい。思えば、兄は横暴な態度を取ることはあったが、僕らから殴られたりしても、兄が僕らに手を出したことは一度もなかった。
「お〜い、大丈夫か?」
おじさんが遠くから手を振りながら駆け寄って来た。
「おぅおぅ、こりゃあひでぇ」
ボロボロになった僕のダウンジャケットを見ておじさんが顔をしかめる。
「助けられなくて、ごめんねぇ……すぐ手当するからねぇ」
店から救急箱を持ってきた梅婆ちゃんが、今にも泣きそうなしわくちゃの顔で背中を見てくれる。消毒液が背中に染みる。アドレナリンが出てるのか、痛みより達成感のほうが大きかった。
「傷自体は擦り傷と打ち身か。そこまで酷くはねぇな」
おじさんが背中を覗いてホッと息を吐く。絆創膏を貼られると多少マシになる。動くのは問題なさそうだ。
「……ごめんなさい」
黙っていた小助が口を開いた。眼からは涙がポロポロと溢れて、普段のギャンギャンとした泣き声とは違い、俯きながら「ごめんなさい」と何度も繰り返し謝る。
「大丈夫ですよ。この程度、余裕です。謝るより感謝してくれた方が僕は嬉しいです」
なんでもないように笑って、小助の頭を撫でた。小助は俯きながらも、僕にガシッと抱きついた。
「ありがとう、お兄ちゃん」
「良いんですよ。今度からは気を付けてくださいね」
僕は小助のまだ小さな背中に手を回して冷たくなった背中を優しく摩る。
「にしても、こんなに早く一つ目の暗号が解かれるとはな」
「え?」
僕も兄もキョトンとした顔でおじさんを見る。それに気付いたおじさんが首をかしげる。自身のやらかしに気付いていないようだ。僕の暗号は確かに解けているが、それはここではない。
「えっ? 解いたからここ来たんじゃないのか?」
「俺は二人が蹴られてるの見たから来ただけだが?」
「僕も、小助が殴られそうだったので……」
「あ〜聞かなかったことにしてくれ」
おじさんは気まずそうに頬を掻いている。やっと自身の過ちに気が付いたようだ。僕は小助を見る。小助は泣き腫らした目で僕をじっと見つめる。
「小助、封筒持ってる?」
「うん」
僕は小助から封筒を受け取ると、中の紙に書かれた暗号を見た。
『安くて甘い場所はどこだ』という文と、飴玉が一つ描かれていた。
「安くて甘い、で駄菓子屋さんですか」
「んだよ、小助の勝ちか〜」
「だから、競争じゃねぇって、協力!」
「でも、これで小助はお年玉貰えるんですよね?」
「はい、これが報酬だよ」
ポチ袋を小助に手渡す。中を開けると、またお金は入っておらず、代わりに、『あ』と書かれた紙が入っていた。
「また暗号ですか?」
この感じ、他二つの暗号も解かないと分からなそうだ。
「それと、これね。すぐに助けられなくてごめんなさい」
梅婆ちゃんがガラス張りの冷蔵庫から、ラムネを取り出して僕らに渡す。夏祭りでよく見かけるラムネ、ビー玉が入っていて、飲みづらいがそれがいい。
「いいんですか?」
兄さんが返事も待たずにビー玉を押し込んで飲み始めた。梅婆ちゃんはニコニコと笑ってなにも言わないので、僕と小助も瓶を開けた。
気付かないうちに喉は渇いていたらしく、甘い炭酸が喉をぱちぱちとした刺激と共に潤す。