【番外編】バレンタインって何ですか?
別作『歳の差100歳ですが、諦めません!』のバレンタイン短編です。
お気軽にお読みください。
↓別作はこちら(完結済みです)
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↓初めての方のための人物まとめ
メルディ・ジャーノ・アグニス(18歳)
赤茶色の髪に煉瓦色の瞳のヒト種。デュラハンの防具職人。夫のレイが大好き。
レイ・アグニス(141歳)
金髪緑目のハーフエルフ。魔法紋師。メルディに激甘。
「バレンタイン?」
立春が過ぎ、日が少しずつ長くなり始めた二月の中旬。炉の熱気が残る工房内で、メルディは赤茶色のポニーテールを揺らしながら首を傾げた。
年季の入った作業着は煤で黒く汚れている。十八歳にしてはお洒落に無頓着だと言われるが、日がな工房にこもっている職人なので仕方がない。
目の前の人物も、くたびれきったメルディの姿を気にすることなく小さな紙袋を掲げた。
「知らないのか? 愛する伴侶にチョコを贈る日だそうだ。アルティは甘いもの好きじゃないけど、酒入りなら食べてくれると思って、商店街で買って来たんだ」
うふふ、と笑みを漏らして頬に片手を添える姿は、いかにも恋する乙女といった様子だった。ただ、その手は分厚い籠手に包まれている。
何故なら、目の前にいるのは全身鎧に身を包んだデュラハンだからだ。その名はリリアナ。男性と間違うほど体格が良く、顔に当たる部分には闇が漂っているものの、れっきとした女性でメルディの母親である。
「知らないよお、そんなの。だって、私ずっと工房にこもってたし、新聞読む暇もなかったんだもん。いつ、そんなのできたの? 去年はなかったじゃん!」
「グランディールとシエラ・シエルが考案したイベントだそうだ。目新しくて利益も見込めるから、ラスタ中の商会が全力で乗っかったんだろうな。商店街はすごい人だったよ。これだって、群がる人を掻き分けて何とか買えたんだぞ」
薙ぎ倒しての間違いじゃないのかなと思ったが、口には出さなかった。
それよりも、問題は愛する夫のレイに何も用意していないことだ。レイは大人だから気にしないかもしれないけど、夫が好きで好きでたまらない身としては、愛を確かめ合うイベントは逃したくない。
「こうしちゃいられないわ。私、先に上がるからパパに言っといて! 掃除は明日まとめてするから!」
「焦って転ぶなよ。あと、路地裏には絶対に行くんじゃないぞ。日が完全に落ちる前に帰れよ」
母親らしい忠告を背中で聞きながら、メルディは全力で商店街に向かった。
――が、しかし。
「売り切れ? ここも?」
「すみません。予想以上にご好評を頂いておりまして、あっという間に完売してしまい……」
しおしおと頭を下げる店員に肩を落とす。商店街中を駆け回り、この際お金には糸目をつけないと覚悟して百貨店の催事場に乗り込んだものの全て空振りだ。
「あと回ってないとこってどこだっけ……」
両腕を組んで考えていると、周囲からくすくすと笑い声が聞こえた。
チョコを買い求めるのに夢中で気づかなかったが、綺麗な格好をしたお姉様方に奇異な目で見られている。途端に煤だらけの自分が恥ずかしくなり、そそくさとその場を離れた。
「ああ、どうしよ……。このままじゃ帰れないよ……」
トボトボと商店街を歩く。けれど、いくら彷徨ったところでチョコを手に入れられるわけもない。
さっきまでオレンジ色だった空も徐々に群青色に染まり始めていた。無事にチョコを買えたのか、お菓子屋の紙袋を手に道端でイチャイチャしている夫婦が羨ましくなる。
「レイさん待ってるよね……。早く帰らないと心配しちゃうかな」
レイは長寿のハーフエルフ。百歳以上の歳の差を乗り越えて結婚したといえども、単なるヒト種であるメルディはまだまだ子供扱いされている。あまりにも帰りが遅いと探しに来る可能性が高い。
そのとき、ふと甘い匂いが鼻をくすぐった。
よく見ると、薄暗い路地裏の中に小さな明かりが灯っている。匂いはあそこから漂っているようだ。手作り感満載の看板には『路地裏菓子店』と書かれている。あんなところに菓子屋なんてあっただろうか。
「……メイン通りから近いし、ちょっとだけなら」
周囲を警戒しながら店のドアを開ける。薄暗く、とても狭いが、間違いなく菓子店のようだ。さっきよりも甘ったるい匂いが充満する中、カウンターでコック帽を被った竜人が「いらっしゃい!」と目を細める。
「あの〜……。チョコってまだ売ってますか?」
「お嬢ちゃん運がいいねえ。一個だけ残ってるよ」
竜人がカウンターの下から取り出したのは素朴な紙の小箱だった。「買います!」と即答し、カウンターに駆け寄る。
しかし、小箱を受け取ろうと手を伸ばした瞬間、鱗がびっしりとついた無骨な手に右手首をがっしりと掴まれてしまった。
「入れ食い状態だなあ。お嬢ちゃんで五人目だよ。全く、イベント様様だぜ」
「ちょっ……何すんのよ! 離して!」
「そういうわけにはいかねぇよ。美味しそうなチョコを売り捌くのが俺たちの仕事だからなあ」
いやらしい笑みが店の中に反響する。同時に、床の一部が開き、中から柄の悪そうな男たちがゾロゾロ出てきた。
リリアナの言いつけを破って路地裏に足を踏み入れた挙句、見え見えの罠に引っかかってしまった。愛する人の喜ぶ顔が見たいという、いたいけな想いを逆手に取って人を攫うとはタチが悪すぎる。
「ちょっと薄汚れてるが、上玉じゃねぇか。胸もデケェし」
「俺たちで味見しちまうか?」
「近寄らないでよ! 指一本でも触れたら、この金槌でぶん殴るからね!」
腰のベルトに下げていた金槌を左手で振り回して威嚇する。周りの男たちはそんなメルディを冷笑すると、無遠慮に金槌を取り上げようとした。
(やばい。もうダメかも!)
そう思った刹那、聞き慣れた声が耳に届いた。
「僕の奥さんに何してんの」
ドアが音を立てて開くと同時に、店の至る所から無数の木の根が伸びてきて男たちを縛り上げた。
あまりの早技に、男たちは何が起こったか理解していないようだった。首を絞められて真っ赤になった顔で、呆然と自分達を捕らえた男――レイを眺めている。
「全く。首都も物騒になったもんだね。警備隊を呼んだから、怖いデュラハンにボコボコにされるといいよ」
「レイさん!」
掴まれた腕の痛みも無視してレイに駆け寄り、その胸の中に飛び込む。
夜会巻きにした金色の髪に翡翠色の目。エルフ特有の尖った長い耳。爽やかな森の香り。疑いようもなく、大好きな大好きな夫だ。
レイは全力で甘えるメルディにため息をつきつつも、優しく頭を撫でてくれた。
「こら、メルディ。路地裏に入るなって言われなかった?」
「ごめんなさい。どうしてもチョコが欲しくて……」
そこで初めてここが菓子店を模した場所だと気づいたのだろう。ああ、と納得したように頷く。
「馬鹿だなあ。そんなものなくても、君が僕を好きでいてくれるのは十分知ってるよ。チョコなら僕が用意してるから……って、ああ、もう泣かないの。君の涙に一番弱いんだよ、僕は」
ぽろぽろとこぼれる雫を指で拭い取り、レイが眉を下げる。どこまでも優しい夫に、また涙腺が緩みそうになったが、これ以上困らせてはいけないと思い直し、根性で涙を止めてくすんと鼻を啜る。
「ごめんね、レイさん。助けてくれてありがとう。チョコも」
「いいよ。来月しっかり返してもらうから。なんか、一ヶ月後にホワイトデーっていうのがあって、バレンタインデーにチョコをもらった方は三倍返しするんだって」
「えっ」
そんなの知らない。目を剥くメルディに、レイが妖しく微笑む。
「期待してるよ、メルディ。ああ、お返しは何でもいいんだってさ。……ものじゃなくてもさ」
筋張った手が頬を掠め、顎と首筋を通り、どくどくと鳴る鼓動を確かめるように両胸の間で静止した。翡翠色の瞳でメルディをまっすぐに見据えたまま。
(ものじゃなくていいって、まさか……)
レイが言わんとしていることを悟り、一瞬で顔が熱くなる。
「先取りで、少しだけ味見させてね」
ゆっくりと降りてきた唇は、まるでミルクチョコレートみたいに甘かった。
捕まった男たちは目の前でイチャイチャされて嫌だったでしょうね。ちなみに一ヶ月後、メルディはまた工房にこもりきりですっかり忘れていたので、帰宅を待ち構えていたレイに六倍返しを要求されました。
最後まで読んでくださってありがとうございました!