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さらそよぐ  作者: UrushioN
第二章
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第十七話

「知ってるよ」


涙は真顔で返答して、それから顔を綻ばせた。


「だけどなんで? どうして知りたいの? 逆に問うけど君は誰?」

「涙のいじわる」

「意地悪じゃないさ。興味が湧いてるだけだよ。影間について執拗に知りたがる彼にね」


涙は明らかに楽しんでいるようだった。

しかし肝心の彼は涙にからかわれていることを気にも留めずに丁寧に頭を下げる。

「影間灰です。僕は影間の人間、だそうです」


灰。


その名に、私と涙は目を合わせた。


「だそう、ってどういう意味なのかな」

「人攫いに聞いたんです。優しい人攫いに、そう聞いたんです」

「ひとさらい?」

「はい」


彼は一度瞬きをして、それからゆっくりと目を開ける。

しっとりと地面を見つめて、その向こうにいる誰かを追憶していた。


「その人は、君の育ての親なんだね」

「はい……すごい、すぐに分かってしまうんですね」


人攫いの正体を言い当てた涙に、灰は素直に驚いていた。


「推測するのは得意なんだ。だけど流石にわかるのはそれくらいだよ。もっと教えてくれないかな。その人攫いさんのこと」

「彼は、自分を人攫いだと名乗りました。自分は僕を家族から無理やり引き離した人攫いなんだと。それから、今後は自分をそう呼ぶようにと」

「逃げよう、とは思わなかったのかな?」

「思いませんでした。まだ誰かに助けを求めるとか、そういうことを知らなかったのもあります。だけど、彼は心優しくて、温かで、世界一素敵な人だったんです。それに」


彼は目を細めて困ったように表情を落とす。


「自分の家が、あまり好きではなかったので」


涙はうん、とひとつ頷いて彼に問うた。


「けれど今君は、自分が影間であることを知っている。こうして影間家の墓に訪れて、花まで供えようとしている。いつ知ったんだい? 己の出生の秘密を」

「あの、影間のこときっと詳しいんですよね。教えてください。僕はどうしても……!」


涙が自分の唇に人差し指を当てた。


「知りたがりは後にしよう。先に俺の質問に答えて。己の出生を知ったのはいつかな?」


前のめりになっていた灰は進めていた一歩を下げた。

熱でほんのり染まった唇を悔しそうに噛んで、灰色のまつ毛が下がる。

哀愁漂うその表情は、見ていてとても苦しかった。


「人攫いが、亡くなる前日のことでした。それまで、人攫いは僕の出生の一切を教えてくれませんでした。兄に会いたいとどんなに伝えても、聞いてくれませんでした。彼は動けない体で、最後に」


彼は息を繋げるように空気を吸い込む。


「僕を育ててくれと、愛情込めて育ててくれと頼んだのは兄だと。僕の本当の苗字は影間なんだと、そう伝えました。真実を明かせなかったことを、それから真実を明かしてしまったことを、悔やんでいました」

「真実を明かしてしまったことを悔やむ、ね。おそらく人攫いは君のお兄さんと約束でもしていたんだろう。お兄さんは自分のことを一生君に伝えないつもりでいた。君。その意味は、分かるかい」

「……分かっています。人攫いの表情から、伝わりました」

「違うよ。影間について知りたいということ、それから君の願いね」


涙はポケットから紙を取り出した。

願いの紙だ。

涙はそれを説明もせずになぞった。

幼い灰の文字がゆらゆらと浮き上がる。


「兄に会いたいと願い行動することは本当に褒められた行為なのか、それを知る代償を君は分かっているのか。俺はそこを聞いているんだよ」


穏やかで、けれど冷ややかな口調だった。

灰に刺さるように、全ての言葉が選ばれているようだった。

私は唇を噛む。

涙と私は知っている。

大御神に願うことの、代償を。

けれど灰は__。


「代償って、なんですか?」

「君、お兄さんが君を嫌っていたと思うかい?」


灰は一瞬戸惑って、けれどすぐに首を振った。


「いいえ」

「なら、お兄さんが君の不幸を願うと思うかい?」

「いいえ」

「それならどうして君のお兄さんは君を遠ざけるようなことをしたんだろう」

「分かりません」

「分からないなんてことはないはずだよ。影間灰。お兄さんについて知ることは、君を不幸にするんだ。もしかしたら君だけじゃないかもしれない。真実を追い求めようとする君の行動は、誰も幸せにしないかもしれない。いいや、君はするべきでなかった」

「不幸って、するべきでないって、、、どういうことですか」


灰は震えそうな声を必死に抑えて言った。


「僕は兄に、にいちゃんに会いたいんです。また、もう一度、その声を聞きたいだけなんです!」

「灰。今君にできるのは」

「涙!」


耐えきれなくて、私は涙の服の袖を掴んだ。


「涙。このまま話すのは、だめ」

「月寧。大事なことだから、今話すんだよ。君は分かるでしょ。願いの紙の意味。これから起こることが良いことか、悪いことか。灰はそれを知るべきなんだ。知らなくちゃいけないんだよ」


私は頷いた。

悔しい。悔しいけど、知っている。

大御神に願ってはいけない。もし願ったなら、願う前よりも、ずっとずっと不幸になるから。

もう、戻れなくなってしまうから。


「うん。でも、でもね。大事な話だからこそ、もっと、やわらかく話さないとだめ。私もね、知ってる。涙は灰を追いつめたいんじゃ、ないんだよね」

「……もちろんだ」


涙が私の頭を撫でた。いつものようにわしゃわしゃと、今日はいつもより少し長い。


「涙、頭くらくらする」

「そう。俺は君に尋問するつもりはない。叱りつけるような態度になっていたなら謝るよ。ごめんね。だけど大切な話なんだ。君は今ここで、選択しなくてはいけない」

「どんな選択、ですか」


「教えてください」


彼は一歩踏み出した。

すうと息を吸って、涙が言う。

深淵の瞳が、真実を告げる。


「今ここで死ぬか。真実を知ってから死ぬかという選択だよ」



彼は呆然としていた。

私たちは告げた。

影間が晴鶴の分家で、すでに解体されたということ。

大御神によって大量の命が失われることを防ぐために、願った者の命、灰自身が死ななければならない運命であること。

自分が死ななければならないなんて、すぐに受け入れられるわけがない。

灰はただ純粋に願っただけなのだ。兄との再会を、望んだだけなのに。

灰の顔は灰色の髪の毛で隠れていて見ることができない。

けれど花瓶を握る指が固く握りしめられていることに気づく。


「灰。君はどちらを選択したい。真実を知りたいというならば、少しの時間ならあげられる。けれど、あまり多くの時間を割くことはできないよ。大御神は今も、着々と準備を進めているからね。それに、知らない方がいい事だってある。今ここで一息に楽にさせてあげることもできるんだ。全ては君次第だよ」

「灰……」


灰色の髪が、風に揺れた。浅葱色の瞳に瞬間、陽光が反射してきらりと光る。


「真実を知ってから死にます」


彼は花瓶を胸の高さまで持ち上げてそう、告げた。

精一杯笑顔を作ろうとしているのだろうが、顔の筋肉が強張っているのかその表情はあまりにぎこちなく、そして痛々しかった。


「死ぬ運命を避ける方法とか、聞いたりしないんだね」

「聞いたら教えてくれるんですか」

「いいや、残念だけどそんなものはない。あったら初めに言っているよ」

灰は一瞬にして覚悟を決めていた。死ぬという覚悟を。

そして兄の望みとは反対に、真実を知るという決意を。


「君は強いね」

「いいえ……」

「なら、そんな君にひとつ。真実を教えようか。君のお兄さんと会う前にね。きっと現実はこれよりもっと悲惨だよ。それでもいいんだね」

「はい」

「影間が解体された理由の話だ。影間は晴鶴の本家に子供を提供したんだよ。一人の子供をね。大御神の卵になれるとか、才能の塊だとかいって売りつけた。望みはすぐに叶ったよ。なんたって本家は影間よりも貪欲だからね。だけど、その子供がよくなかった」


涙は慎重に言葉を選んでいるようだった。

彼は影間と書かれた墓石を撫でる。

願いの紙を撫でるように、想いに触れるように。


「その子供と、呪いとの融合が失敗したんだ。原因は未だに分かっていない。出来損ないを献上した罰として、影間は解体された」

「そんなの」


思わず口に出した私に、涙は困ったようにため息をついた。


「仕方ないよ。晴鶴にとって影間は呪いと時間を無駄にした裏切り者。そうとしか見えないんだから。それでね」


真実を、告げる。

灰が追い求めていた真実。お兄さんの真実。


「その少年はね、白い髪色をしていたそうだよ。二つ年の離れた弟がいたらしい。灰色の髪をした」


灰が息を止めた。

まるで命が動きを止めてしまったような、そんな心地で彼は頷いた。

そして真っ直ぐ歩いた。

自分の家族が眠る、影間の墓へ。

両手を使って、ゆっくりと、花瓶をはめる。

ひまわりの花の角度を整えて、満足そうに頷いた彼は笑う。

その、蒼い泡が弾けるような彼の笑顔が、素直に美しいと思った。

夏に溶けてしまいそうなその雰囲気に、瞬間飲み込まれる。

彼は私と涙に向き直った。


「僕を、にいちゃんのところへ連れて行ってください」

「本当に行くんだね」

「はい。だって」


彼は視線を下げようとして瞬間、止める。

そして、今にも泣き出しそうな顔で笑った。


「僕の願いはまだ叶っていません。行けばきっと会える。そう信じたいんです」


強く、どこまでも儚い笑顔だった。


「分かった。すぐに向かおう」


涙の返事にありがとうございます、と彼は頭を下げた。

私たちの言葉なんて聞かずに、頭を下げていた。

地面に涙のしみを作りながら。

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