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さらそよぐ  作者: UrushioN
第一章
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第十四話

『愛してる』


彼は、それを言うことにさえ、どこか迷いを感じているようだった。

でもそれは言葉に感じている迷いじゃない。

彼が、自分自身がそれを言う資格がないと、白は本気でそう思っている。


違う。

私が見てきたのは。白の姿は。初めから悪魔なんかじゃなかった。


「悪魔はそんな顔、しない」

「え……?」

「悪魔はきっと、愛なんて知らない。知れない。涙なんてながせない!」

「だけど、俺は殺したよ」


白は笑った。


「俺は人を殺した。心がないからそんなことができる。悪魔だからそんなことができる。それが甘夏を追い詰めることになるとも知らないで、なのに、憎しみの気持ちだけは大事に抱えてしまってさ」


もうどうしようもないというように、苦笑する。


「なあ」

白は言う。


「許せないってだけで、普通、人は人を殺せるものなのか?」


言葉を返そうとした、その時。

今までぼうっとブルーの景色を眺めていた甘夏が、動き出した。

私に目を向けないで。涙にも向けないで。


ただ、白だけを見つめて。


その唇が、言葉を紡ぐ。あまりにも微かで、声は聞こえない。

彼女の瞳から雫が溢れて、制服のスカートにシミを落とした時、彼女は白に背を向けた。


「甘夏!」


彼女は柵に足をかけた。躊躇することもなく。

まるで感情を吐露するように彼女は舞い、落ちていこうとする。


「甘夏!!」


喉を突き破るような声が出た。

やめて。行かないで。消えてしまわないで。

せめて白に会って。彼の言葉を聞いて。

私は手を伸ばした。腕が引きちぎれそうなほど手を伸ばして、柵に足をかける。


ごぼごぼごぼごぼごぼごぼ


ブルーの音がうるさい。うるさい。邪魔をしないで。


「行かなくていい」


振り向いて、息を呑む。

肩に触れた感触、風がふっと肌を撫でるような感触。

私の肩に触れたのは、白だった。

それはあまりにも微かな力で、なのに力強い。抵抗することが、できなかった。


白が、鉄塔を飛び降りていた。

まるで風のように。一瞬で、ふわりと。

甘夏を追いかけるように。

両手を広げてながら、彼が落ちていく。


「白!!!」


彼の姿が視界から消えた瞬間私は鉄柵に向かって駆け、彼らの姿を追う。

空気に溶けるように薄く、陽炎のように揺らめいていた甘夏の姿が、太陽のように輝いていた。

その輝きは、誰かを照らすためじゃない。

彼女自身の流す大粒の涙が、行き場のない想いを込めた花びらを撒き散らしていた。

それは悲しみに満ちた花びら。世界で一番哀しい光。

けれど。

甘夏自身が散っていくように。両手で瞳を抑えるその姿を、抱きしめる人がいる。

白だ。

今の彼にははっきりと、甘夏の姿が映っているようだった。

二人は互いを強く、強く抱きしめたまま、真っ逆さまに落下していく。


そしてー

鈍い音。

人の体が、地面に叩きつけられる音がした。

鮮血が広がっていく。地面に映るのはブルーの姿。

ここで起きたことなんて知らんふりするように、何の揺らぎも見せず、ただそこにいる。


「涙」


私と涙は鉄塔を降りて、横たわる一人と、かけらのそばに立っていた。


「二人は、最期に伝えられたかな。ふたりの、おもいを」

「月寧」


耳元でささやく涙の声は、なぜかよく聞こえる。


「俺たちは俺たちの仕事をするだけだよ。どんな選択をするかは彼ら自身だ。俺と月寧ではない。そうでしょ」

「……うん」

「手、出して」


真っ逆さまに落ちていく中、涙の左手が紙を握らせる。

私が掴んでも、涙は離さない。

抉られているような皮膚の色、窪み。

口元から頬にかけて裂けるように引かれた線が熱を持つ。

鮮血の滴を焼き付けた窪みが音を立てて模様を広げていく。

まるで首を絞める鎖のように。

極をうつす涙の瞳が宇宙の果てのように吸い込まれそうな漆黒が、妖艶さを増しながら、紙に目を落とす。

紙に紋が浮き出てきた。

鹿の角を模ったような、満月を表すようなその縁が根を生やすように鎖を伸ばす。

紙一面を覆った紋が、ブルーのように底なしの光りを放つ。


涙と私は手を伸ばす。

ひまわりのように眩く散りゆく少女のかけらに、手を伸ばす。


「さよなら」



愛を求める少女の、願いの紙を貼られたかけらの、落ち続けている少女の、息を引き取った、かつて悪魔と呼ばれた青年との、最期の時間。

それは、贖いの時ではなく、後悔の時でもなく。

ただ、二人だけの時間。


そよ風に、揺れる水面。幾何学模様の水紋。

さざめきだって、さらさらと揺れる葉。

澄んだ水の奥でゆらめく浅緑、若草、薄桜色の水草、水面をちょろちょろと移動する不規則な動きは、水生生物だろうか。

どこかで霧が晴れているのか、円形の陽光が水面を照らしている。


「どこ、ここ……」


重たい身を起き上がらせて、自分の声がすることに気がついて、私は悲鳴をあげた。

死んで、ない。

いや。やめて。早く意識を消して。

恐怖でさえ私は感じてはいけないの。

こんな花は似合わない。澄んだ水も、姿を消して。

私はこんな綺麗な空間にいてはいけないの。


叫んだ。目を閉じて叫んだ。

叫んだ次の瞬間には、全てが変わっていると願いながら。

けれど何度閉じても世界の有り様は変わらない。


「早く殺して!」

「殺して!」

「殺して!」

「殺して!」

「ころし……!」


あまなつ。


あたたかで、やわらかで、どんな感情も一気に溶かしてしまう、すがりたくなる指が触れた。

愛おしい、ひだまりのような彼の匂い。

白が締め付けるほどに私のことを抱きしめていた。


「し、ろ......?」


ちゃぷ、ちゃぷ、と足元で泡が弾ける。

白、白だ。


「ごめんなさい!」

私は叫んだ。


「私が神様に願ったからほのかがおかしくなったの。そうしなかったら、白は殺さずにすんだ。全部私のせい。ほのかを殺したのは私。白を殺したのは私なの!」


過呼吸になりながら、つかえながら、それでもずっと伝えたかったことを口にする。

こんな言葉が、償いになるわけない。

言ったって楽になるわけじゃない。

全部わかってる。

それでも、伝えずにはいられなかった。


「ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい」

「甘夏。それは俺がしたことだ。甘夏のせいじゃない」

「私がしてきたことだって変わらない。ほのかと白の想いを見ようとしなかった私のせい。それは変わらないの」


肩に触れながら、白が言った。


「そう……そうかもしれないね。俺たちがどんなに互いのことを庇いあっても、自分の真実を伝えても、互いの罪悪感は変わらない。どちらが悪かったかを語り合ってもそれはどちらの悪が、弱さが先だったかという話にしかならない」

「ならほのかへの想いは、どうしたら良い? もうほのかには意志も感情もないのに」

「たとえ」


白は迷わず口にした。

その口調は、淡々としている。

けれどそれは、今までの白ではなかった。

感情が外に転がっているような、それを空っぽの内がぼうっと眺めているような、そんな彼から発せられる言葉ではない。

彼は、彼の持ちうる想いで、彼自身の言葉で語っていた。


「俺たちに超能力があって、ほのかの命を取り戻してもなかったことにはならない。俺たちはどんな地獄の業火に焼かれても、罪と共に焼かれ続ける必要があるんだと思う。無になって消えてしまうとしても、罪だけは消さぬようにし続ける必要がある。だから今から俺が言うことは、罪滅ぼしじゃない。謝罪の言葉でもない。ただ、ここにいる限り伝えたいことがあるんだ」

「伝え、たいこと?」

「ここに甘夏がいる限り、伝えたいことだよ」


白は私の体から腕を離した。

そして、まっすぐに立って、私の目を見つめた。

目を逸らすことなく。

白が離れたことを、寂しく感じた。

その温もりを肌で感じていたいと思う。

けれど、今の私たちには、見つめ合うほうが良いということも、それ以上に分かった。

私も白を見つめる。決して、決して目を逸らさずに。

もう言葉ひとつもごまかさないように。


「伝えられていなかったことがあるんだ。それを伝えたいだけなんだ」

「私も、ある。自分の気持ちばかり優先して、白のことを無視して、一番大切な言葉、伝えてなかった」

「もう後悔はしたくない」

「私も、したくない」


息を吸う音がした。

そよ風が花を揺らす音も、せせらぎの音も、もう何もかも聞こえなかった。

白の声だけを聞きたかった。


「甘夏、愛していた」

「白を、愛してた」



瞳孔を開けたまま横倒しになった少女と、それを抱き抱えるように目を閉じた青年の死体。

どちらも息をしてはいなかった。

少女の胴体には紙が張り付いていた。

やがてそれすらもはらりと剥がれて飛ばされていく。

飛ばされているうちに、紙は魔法でもかけられたかのように粒子となって、やがてその白い粒すら見えなくなった。

「これであと三枚か。やったね月寧、一日で済んだ」

「涙」

「なんだい」

「涙は今、どうおもってる? どう、かんがえてる?」

「どうしてそんなこと知りたいの」

「甘夏と白は、後悔してたから。そのままにしたこと、後悔してたから」

「それは彼らに当てはまる話でしょ? 僕らはそうはならないよ。あそこまで愚かではないからね」

「ならないかもしれない、けど……」


掴めない。涙のことが掴めない。

死体を見つめる涙の顔を見ても、何を思っているのか分からない。

甘夏も思っていた。白に届かないって。

振り向かないで、去っていってしまう気がするって。

その想いに触れた時、おんなじだと思った。

私もそう。

いつか涙が私を置いていって、それからもう二度と姿を見れなくなってしまう気がする。

何度もする。振り払いたくなるくらい何度も。

どうしてそう思うのか、そのことを考えるたびにどうしてこんなに苦しいのか、その訳すら分からないのに。


「涙と白は少し、似てると思った」


涙は困ったように笑う。


「……月寧に隠せることってあるのかな」

「え?」


涙は少し首を傾けてみせて、空を見上げた。

ブルーのかかる空を。


「月寧には全て見透かされている気がする。今俺が隠していることだって、全部。バレてしまいそうだ。それが怖いよ。そう。それが一番怖いんだ」


涙の表層が、一枚剥がれた気がした。

涙は残り三枚の願いの紙を握っては、そっと開く。

私には見えない、願いの紙。涙にだけ見える、願いの紙。

涙。私だって、そうだよ。

涙にしか見えないこと、いっぱいある。


「逃げたことがあってね。どこまでも逃げたことがあったんだ」

「どこに?」

「言えない。きっと言わないよ」


どうして、と言おうとしてやめた。

涙は喋るごとに痛みを感じていた。

私がそれを聞いたら、その傷を抉ってしまう気がした。

かつて私がそうだったように、いつ終わるとも分からない、じゅくじゅくとした痛みだ。

だから、やめた。


「俺は逃げた自分に理由を与えて楽になろうとまでしていたんだ。犠牲があったことを知っていたんだ。それなのに、なのに逃げた」


涙は視線を白に映した。


「罪を背負って、なおも彼女に会おうとする白に腹が立った。甘夏に会えば変わるんじゃないかと、どこかで期待を抱いている彼に腹が立ったんだよ」


彼はその言葉を、吐き捨てるように言った。どこにもいない悪役に向けて言い放った。


「自分を見ているようだったから」


「甘夏は、うれしかったと思うよ」

「え?」

「甘夏は、うれしかったと思う。だって、白と一緒にいられるんだもん。その前にどんなことがあってもね、甘夏は白と一緒にいたかった。そのために願ったんだもん」

「月寧?」

「ほかのことは、どうでもいいの。」


その時、私がどんな顔をしていたのか分からない。

だけど涙は驚いた顔をしていたから、きっと私は、涙をびっくりさせるような顔をしていたんだと、思う。


「白が甘夏に会いにきたから、うれしかったんだよ」


彼らにとってのハッピーエンドはどこにあったんだろう。

二人が出会わなければ、こんな悲劇は起こらなかった。

それはそうかもしれない。

けれど、白が愛を知ることも、甘夏の白への想いも、全部なかったことになるのだ。

それがハッピーエンドだと、本当に言えるのだろうか。


ふいに、白がつぶやいた。


「今までこうしていくつもの願いを殺してきた。だけどね、すっきりすることなんて一度もなかった。何が正しくて何が正しくないのか。俺がしていることが間違っているような気すらした。俺はね、いちばん難しいのは」


天を見上げるように頭を上げた涙とおなじように、私も空を見上げた。

すっかり真っ暗になったブルーが、こちらを覗いていた。


「罪の処理、だと思うよ」

「罪の、処理……?」

「たとえばさ、甘夏と白は、ほのかという少女を殺したことを悔やんでいたね。そして自分たちの罪としていた。一生抱えていく罪として」

「うん」

「けれど俺はね、それを罪と捉えることもまた難しいと思うんだ」

「どうして?」

「呪いは、ないところには起こらない」


私が困惑していると、涙は先を続けた。


「晴鶴の悪習だってそれとおなじ原理だよ。君がされてきて辛かったこと、苦しかったこと、あれは人ならざるものと融合させるための儀式なんて崇高なものじゃない」


脳裏に浮かぶ。あの頃の記憶。

汚い、汚れた、あの頃の。


「呪いを抱かせるために、晴鶴はあんなことをする。君が辛い、苦しいと思うことが重要なんだ。人ならざるもの、それすなわち呪いだからね。呪いは呪いに惹かれるんだ」

「それが、関係あるの……? 甘夏の話と」

「あるよ。ほのかもね、呪いを抱えていたんだ。誰かを激しく呪っていた、だから大御神が彼女に干渉できたんだ」


ほのかの抱える呪い?

甘夏の記憶の中の彼女は、明るく笑っているだけだった、のに。


「ほのかの抱えていた呪いって、なに?」


「お手上げだよ。そこまでは分からない。だけど想像することはできるかな。たとえば、白瀬ほのかも、月島白のことを好きだった、とかね」

「そう、だったの?」


涙は首を振った。


「分からない。今回の推測にはあまり根拠がない」


涙は肩をすくめてみせる。

それからブルーを見上げた。ブルーはおとなしい。

まるで二人の死を悼むように、ブルーも何かを感じているように穏やかだ。

けれど微かに聞こえるその声に耳を澄ませた。今はそれが、心音のように心地よい。


「ただひとつ確かなことは、ほのかも呪いを抱えていたということ。ほのかという少女もまた、事件を引き起こした原因なのかもしれない。そうしたらもう、甘夏と白だけが抱える問題ではないよね。どこを探ったらいいのかなんて分からなくなってしまうよ」


涙はつぶやいた。


「だから難しいんだ。罪の処理は」


心が、激しく揺れていた。

鼓動なんかでは測れないくらいに、激しく揺れていた。

人の人生を、誰かの考えや想いをこんな近くで見ることなんてなかった。

そこには、私の知らない世界があった。

私だけの人生では知れない、感じられない姿があった。私だけでは気づかなかった想い。

それが、私を脈打った。

苦しい。

正解がないというのは。

答えがないというのは、こんなに苦しいことなんだね。

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