魔女集会でさようなら
「〈高慢の魔女〉――貴女の魔力を完全に封じる。これからは人として生きろ」
それは長い時を生きる魔女にとっての余命宣告。
「……え」
〈高慢の魔女〉は呆然として小さな声をこぼした。
言われた言葉はきちんと聞いていたが、理解が追いつかない。
円卓に座った他の七人の魔女たちは、困惑する彼女と違って静かに事の成り行きを見守っている。
いつもは協調性のないメンツが、定期報告そっちのけで騒がしい茶会をしているのに、今日は静かに座っているので可笑しいとは思っていた。
その理由を知らなかったのは、自分だけ――。
こうなることを、自分以外の魔女たちは知っていたとしか考えられない状況だった。
(――魔力を、封、じる……??)
魔力を封じるとは、魔女ではなくなるということだ。つまり、ただの人間になる。
魔力が多いほど寿命が延びるというのに、それがなくなったら、もう百年と生きられない。
頭の中でひとつずつ順番に理解しようとするが、事実を整理すればするほど混乱するだけだった。
「な、何故、私が……!」
とても冷静ではいられない話だ。
思わず席から立ち上がって訴える。
整った小さな顔からはサアッと血の気が引き、美しい赤い瞳が黒髪の隙間で揺れていた。
――しかし、そんな彼女に追い討ちをかけるように、足元から鎖に水や毒煙、蛇に水晶石、影の糸が現れて身体が一気に縛り上げられる。
「ッ!? 一体、何のつもり!?」
全く身動きが取れなくなった〈高慢の魔女〉は、突然の暴挙にとうとう怒りを露わにした。
何か罪を犯した訳ではない。変人ばかりの魔女集会で、なんならまともな側の魔女だったはずなのだ。こんな風に他の魔女から拘束されるようなことは、誓ってしていない。そう言える自信があった。
「――貴女は強くなりすぎた。〈高慢の魔女〉」
だが、この魔女集会を取り仕切る〈虚栄の魔女〉は告げる。
その声音に悲痛が滲んでいるものだから、〈高慢の魔女〉は開きかけた口をそのままに、声を飲み込んだ。
「これ以上貴女の中で力が大きくなれば、高慢の悪魔がこの世に顕現してしまう。そうなれば誰にも止められない。今、ここにいる七人の魔女全員で悪魔との絆を断たねば、手遅れになる。すでに遮断に必要な力はギリギリだ」
「それ、は……」
自分の魔力が、他の魔女が操る悪魔たちの魔力より強いことはずっと前から気が付いていた。
「確かに高慢の悪魔の力は、年々大きくはなってる。けど、私は抑えられる。このままでも問題は――」
「それが、『高慢』の悪魔の刷り込みだとしてもか?」
「――ッ!」
虚を突かれ、心臓が大きくひとつ跳ねる。
赤い目が、これまでになく大きく見開かれた。
自分なら抑えられるという、高慢。
それが悪魔による操作だとしたら――。
今まで散々呼ばれてきた名の意味に、この時ほど恐怖を抱いたことはなかった。
人間のように親につけられた名を持たず、形式の名で呼ばれ続けた「高慢」という単語があまりにも身近になり、その意味が薄れていた。
言葉が出ない〈高慢の魔女〉に、沈黙が支配する。
「時間がない。もう赤い満月の夜が明けてしまう。――悪く思うな。恨むならワタシを恨め」
「…………」
拘束していた魔法が〈高慢の魔女〉を円卓の中心に掲げ上げる。七人の魔女を相手に逃げられるとは、彼女も思っていなかった。逆に、ここで全員に勝ってしまえば、それこそ自分が異端であることの証明になってしまう。だから彼女は動けない。
「魔女だったことは忘れて、人として残り僅かな命を全うしてくれ」
悪魔の力を操る七人の魔女が、その手を向けた。
「――さようなら。〈高慢の魔女〉」
それが魔法に包まれ目の前が真っ暗になった〈高慢の魔女〉が聞いた、最後の言葉だった。
「…………ん」
そして、次に目を覚ました時。
黒髪に赤い目をした人間の娘は困惑する。
「ここは、どこ。それに私……」
気が付けば真っ白なシーツが敷かれたベッドに寝かされており、全く見覚えのない場所にいた。
彼女は起き上がると自分の両手を見つめて、夢現に惑わされて呆然と呟く。
「――忘れてない……?」
その娘は、自分が元魔女だということを忘れていなかった。
魔女は秘密を守るため、不都合なことを知った人間には忘却の魔法を使う。最後に言われた話の内容だと人間になった自分にも、その魔法が使われたと思っていたが、力を失うことになったことを鮮明に覚えていた。
(……覚えていても、もう魔女の生きる世界には戻れない……)
ただ、それを覚えているからといって、今の彼女にはどうにもならないことだった。
今まで思い描けばできた魔法が、何も発動しない。
身体から魔力が微塵も感じられなくなっていた。
「――目が覚めたか? ッ!? どうした、どこか痛むのか?」
家主だと思われる若い男が部屋に入って来て、ギョッと声を上げる。
「……え?」
身なりの良いその男が慌てて自分に駆け寄り、ベッドの隣で腰を落として心底心配そうに聞くのだから、娘は戸惑う。
「泣いてる。どこか辛いか」
銀髪に空色の眼をもつ男に、赤い目から流れ落ちた涙を拭われて、娘は自分が泣いていることを知った。
「――……あ」
自分の存在意義、アイデンティティが一夜にして消え去った。
魔女である自分は死に、残ったのは不自由な身体の不完全な人間もどき。
人間でいう二十歳ほどの肉体を維持していたので、あと生きられるのは五十年くらいだろうか。
六百年、魔女として生きてきたというのに。
理解者だった仲間とは決別。家族などいない。
他の魔女と違って彼女は、山の奥で魔法の研究をして人とは関わらない生活をしていた。
一体、これからどうすればいい――?
「お、おい……」
涙は止まらなかった。
ボロボロと大きな雫が頬を伝い、娘は手で顔を覆う。感情を抑える魔法だって、もう使えない。
胸にぽっかり穴が開いてしまった気分だった。
◇
「――落ち着いたか?」
「……ええ。ありがとう……」
渡されたハンカチで目元を抑えていると、水の入ったコップを渡される。
受け取ったそれを一口飲むと、どうやら喉が乾いていたことを思い出したらしい。娘は全てを飲み干した。
空になったコップを差し出された手に返すと、娘は口を開いた。
「……私は、何故ここに?」
「覚えてないのか?」
驚いた顔をされたが、仕方ない。
魔女集会が終わってからの記憶が全くないのだ。
男がベッドのふちに腰掛けるのを横目に、娘は大人しく首を一回縦に振った。
「……あなたは、俺の家の裏山で倒れていた。そのままにする訳にもいかなくて、ここに運んだんだ」
「……そうなの……」
魔女としての記憶を消されたのであれば、他の魔女の元で世話になれないことはすぐ察せる。だが、どうして自分が見知らぬ人間の男に世話になっているのかは、分からなかった。
(誰かがわざと彼に私の世話を押し付けた……?)
この男が選ばれたのか、どこかに転がされて偶然拾われたのか。どちらかは分からないが、一応今のところは悪いように扱われていないので、よしとしておく。
「――自己紹介がまだだったな。俺はライル・サリード。これでも公爵だ。困ったことがあったら何でも遠慮なく言ってくれ」
「……公、爵?」
「ああ」
ライルの身分を聞いて、娘は目を瞬いた。
言われてみれば、彼の服はかなり質が良いものだ。白いシャツに青いタイを結び、その肩には袖を通さず紺のジャケットを羽織っている。
顔も良いのに身分まで高いとは、希少な人間に拾われたものだ。
「今回は、あなたの名前を聞いてもいいだろうか」
(……? 今回……?)
今回は、という含みのある言葉に彼女は違和感を覚えるが、人間の娘としては公爵相手に無礼を働くのはよくない。
気になったことは口に出さず、違う答えを探す。
「名前、は……ないの」
「……!」
魔法を使う魔女にとって、自分を表す真名は危険因子でしかない。だから、名前は持たない。しかし呼び名を教えることもできず、娘はそう答えるしかなかった。
「実は、ところどころ記憶がなくて。もしよかったら、あなたが付けて。 何でもいいから、呼びやすいように」
適当に話を作って困ったように眉を垂らせば、ライルは切長の目を見開く。
「いいのか? 俺が付けて?」
「ええ」
認識名に興味はない。彼女が躊躇なく頷けば、ライルは口元に手を当てる。
「――ロザリア……は、どうだろうか?」
しばらく逡巡したあと、彼は覚悟を決めたように空色の瞳を娘に向けた。
「覚えやすくていいと思う」
娘――ロザリアは淡白に感想を述べて頷いた。
「それじゃあ、私はもう行くわ」
「は?」
シーツを捲るとライルに当たらないように、ベッドから脚を下ろす。
後に何を要求されるか知れぬ人間の男に世話になるより、修道院にでも世話になった方がいいだろう。
もともと魔女は、異界の哀れな悪魔を敵視し、それを利用しようとした一族だ。己の高慢に毒されかけた心を清めて一生を終えるのも、元魔女の最後にはお似合いだろう。
「何も返せなくて申し訳ないけど、これ以上長居はしないから許して」
「ま、待て――」
「――え?」
「危ないッ」
ロザリアは立ち上がって、部屋の出口に一歩踏み出そうとした。
――が、彼女の身体は膝から崩れ落ちる。
視線がいきなり落ちたことに気が付けば、いつの間にか自分の身体は逞しい腕に支えられていて、ロザリアは驚きを隠せない。
「あなたは、ひと月も寝ていたんだ。すぐに動けなくて当然だ」
「ひと月……?」
ロザリアは魔女の身体から人の身体へ順応するために、眠り続けていた。
ひと月も寝ていれば、筋力が落ちてしまうのは当たり前。いきなり動いては倒れてしまうとライルは言うが、ロザリアの驚きは彼の言いたいこととは少し違うところにある。
「たった1ヶ月寝ただけで、こんな……」
魔力を補給さえすれば、魔女の身体は動く。
それなのに脆い人間の身体は、しばらく寝ていただけで歩くことすらままならなくなることに、彼女は衝撃を受けていた。
腕の中で驚愕に目を見開くロザリアを、ライルは軽々と持ち上げてベッドに座らせる。
「ロザリア。俺はあなたのためなら、何でもしよう。見返りは何もいらない。だから、あなたが嫌になるまでここにいてくれ」
改まった口調で言われて、ロザリアはじっと目の前の男を見つめた。
魔力がなくなってから初めて出会った人間は、自分が何者なのかも問わずに、世話を焼こうとしてくる。
治安の悪い場所で拾われて、色んな意味で不潔そうな人間に捕まるよりかは、はるかにマシな状況だが、理由がわからないので安心できない。
「何故、私にそこまで?」
この男が言っていることが、理解できなかった。
彼が自分にそこまでしようとする意味が分からない。
「俺は昔、あなたに命を救われた。美しき魔女殿」
返ってきた答えに、時が止まった。
「魔女」と呼ばれたロザリアは、みるみるうちに赤い瞳を見開く。
「――ッ! 私はッ、私はもう、魔女ではないッ」
取り乱し、彼女は握られていた手を振り払ってライルを拒絶する。
「力を失くした私はただの人間もどきだ。お前の望む力は、一生戻ってこない。残念だったな、せっかく助けたのに魔女ではなくて!」
気まぐれにやる人助け程度では、記憶をいじらないことが多い。
この男は、自分が魔女だと知っていて、きっと魔法を目当てに助けたのだ。
そう思ったロザリアは声を荒げた。
魔力を失った自分への当てつけのようで、正直八つ当たりだとは分かっていたが、言葉は止まらない。
――それなのに。
「…………お前、何故……」
目の前にいる男は――その目を、希望に輝かせていた。
咄嗟に口元を片手で覆い、にやけるのを隠そうとしているが、期待に満ちた目が嬉しそうなのが隠せていない。
彼が喜んでいるのだと気が付いたロザリアは、訳が分からず怯んだ。
ライルは気を取り直すと、彼女の混乱を他所に、その手を再び握る。
そして――。
「そうか。なら、俺の嫁になってくれ。ロザリア」
彼は、その空色の瞳に執着の熱を宿して告げた。
「――な!? 何を言って……!?」
ロザリアの困惑は増すばかり。
次から次へと、飲み込むのに時間がかかる情報がぶつかってくる。
「人間になったんだろう? 寿命の差で諦めなければいけない恋だと思っていたが、あなたが人に堕ちたのなら、俺はこの機を逃せない」
「……???」
「二十年前に難病を治してもらってから、ずっとあなたのことが頭から離れなかった」
「……ひ、人違いじゃ……」
「違わない。俺はあなた以上に美しい人を、誰ひとりとして知らない」
ライルに迷いは微塵もない。
逃してたまるかと、彼女が引こうとする手を絶対に離そうとしなかった。
「俺と結婚してくれ、ロザリア」
「――っ!?」
彼はロザリアの白い手の甲に、唇を落とす。
〈高慢の魔女〉は、すぐに死んでしまう人間との深い関わりを避けていた。
だから、人間の男に初めてここまで近づくことを許してしまったロザリアは、感じたことのない感情に、顔が真っ赤に茹で上がる。
「二十年前から、俺はあなたが好きだった」
それは、人になった元魔女に新しい風が吹いた、春の日の出来事だった――。
最後までお読みくださり、ありがとうございます!
どーして、もっと早く魔女集会のタグと出会えなかったのかと思いながら書きました()
◆◆◆
この場を借りて、自著の宣伝を失礼します……
(全て、なろう掲載中です)
10月4日に『軍人少女、皇立魔法学園に潜入することになりました。〜乙女ゲーム? そんなの聞いてませんけど?〜』の【3巻】が発売です!!
コミカライズ①巻も発売中ですので、是非そちらもよろしくお願いします。
Web版はすでに完結していますので、ご興味がある方は覗いてみてください。内容はタイトルそのまんまです()
また、『転生して、死ねない君に会いに行く。』も、有難いことに書籍化企画が進行中です。
全て、ひとえに応援してくださった読者さまのおかげです!
心より、ありがとうございます。
これからも何卒よろしくお願いします。
冬瀬