第80話 精霊は万物に宿る
これが表には決して出さない、私が罪の意識や『精霊王』という真実とぜんぜん違う姿しか見られないことへのストレスに耐えかねるあまり書き殴っているだけの手記ということを加味して語ります。
燃え盛る村は、美しかったのです。
真夜中にとつじょおとずれた夕焼けのような赤が、遠く、水面に反射してゆらゆらと揺れていました。
もちろん怒号や悲鳴などの暴力性を帯びた音にはまいってしまって、私はそういう争いの気配というのが本当に嫌いなのだなあと改めて自覚させられたぐらいなのですけれど、それでも、光景だけは、逃げ惑う人たちさえふくめて、美しいと思ったのです。
なにより、その炎を背負ってこちらへ進んでくるシンシアが、本当に、この世のものとは思えないほど、美しいのでした。
もちろんそれは『絵になる』とか『舞台演劇の感動的なシーンを見ているようだ』とかいう、美的な美しさも、ありました。
硬質な印象を受ける長い銀髪の彼女は、二十代なかばになってもどこか幼いような、そういう感じがする見た目をしています。
小柄なせいでしょうか。それとも単純に顔立ちが若やいでいるからでしょうか。
私がシンシアの容姿に魅力を感じる理由について、うまく語ることはできません。
そもそも私は、容姿、見えるものの美醜というのを、大して気にしていないのでしょう。人が美しいと言うものを美しいと共感できたためしが、ほとんど思い出せないのです。
だからきっと、私はその内面に焦がれるほどの興奮を覚えたのでしょう。
精霊信仰の自由さにもこういった特徴があるものと、今思えばわかるのですけれど、自由に、心のままにしている人というのは、表情と動作の合一性というのか、人が日常生活を送るうえで自然とかぶっている仮面というのか、そういうものが取り払われるのです。
私は人を信頼できないたちなもので、人がなにを言っていても、その言動をその人自身が信じているようでも、いわゆる『世間』に言葉を出す時には誰でもある世間向けのフィッティングみたいなものがあって、そのせいで『本心』みたいなものと隙間のある言葉を放たざるをえず、その隙間の中に無限の卑屈な妄想を挟む余地を感じてしまうのです。
ところがこの時のシンシアや、己の決めた所作で己の決めた精霊に祈る時の人などは、本当に必死で、世間になにかを発するさいに誰もがするフィッティングという作業を、すっかり忘却しているように感じるのです。
それが、美しい。
心のままの姿、というのでしょうか。燃え盛る炎を背に進んでくる金銀の瞳が、まったくの無感情に前を向いており、海から来る風に銀の髪を揺らす姿は炎の中だというのに奇妙に冷たく、私はそこにシンシアの『真実』を感じ、それを愛おしく思うのです。
この時の私は気づいたらミズハたちを押し退けて小屋の外に出ていたようでした。
まったくの無意識であり、ミズハたちもまた、その『断固』とした様子からか、止めることさえ、できないようだったのです。
「シンシア」
私はすぐそこに彼女がいるように呼びかけました。
届くはずのない音量だったというのに、シンシアが私のほうをたしかに目で捉えたのを、はっきり理解しました。
人生において私がシンシアの考えを理解できたことはほとんどありませんけれど、この瞬間だけは、シンシアの安堵がわかったのです。
それは今思い返しても『あれは、思い込みだったのかもな』という、いつもの疑念がわいてこないほど、ゆるぎなく確信できるものでした。
シンシアはゆっくりと歩いて近づいて来ましたけれど、もうこの時には世間とのフィッティングが始まってしまっていたようで、歩みにある余裕とか、彼女らしからぬ微笑とかから、いかにも周囲の者を威圧する意図が感じられて、私はまた彼女のことがわからなくなってしまい、少しだけ混乱しました。
「お兄様、おケガなどは……ありませんね」
たしかになかったのですが、シンシアは本当に一呼吸ぐらい私を見ただけでそう判断したので、熟練の上位冒険者の観察眼におどろかされたものです。
「うん、私は無事なんだ。だから、どうか、この村の者にあたるのをやめてはもらえないだろうか」
「……もしかしてシンシアは、お兄様の計画の邪魔をしてしまいましたか?」
ないものの邪魔をしようもないと思うのですけれど、シンシアの『お兄様』は相変わらず深謀遠慮深きこと海底のごとしで、この漁村に誘拐されたことも、あるいはこうしてすぐにシンシアが助けに来たことさえも、すべて計画通りかもしれないようでした。
ここで言葉に詰まったのはもちろん、シンシアの発言がよくわからなかったからなのですけれど、相変わらず私の沈黙や、あいまいなうめきというのは、彼女たちの思うように解釈されるのです。
ともかく私はこの村の人たちの弱さを好ましく思っておりましたから、このまま村を全焼させられてもしのびないと考えていました。
もちろん私を誘拐し生贄として海に沈めるつもりだったというのは、それはもう現代の国際法に照らし合わせれば重罪であり、クーデター罪までふくめた政治犯であり、たいていどこの領域のどの国家においても犯罪であることに違いはないでしょう。
民というのは暴走するものですから、見せしめのためにも、この漁村の人々には厳しい罰が降るべきなのかもしれません。
けれど、許したかったのです。
殺されかけておいてどうしてここまで彼らの肩を持とうとするのか、自分でも不明なのですけれど、それはやっぱり、弱い彼らの、自由な意思の発露を愛していたと、そういうことになりそうです。
「なにも言わずに出たのは、悪かった。実は、この領域の精霊信仰の調査をしたくて……」
私がここで語ったのは、入魂にして会心の嘘なのです。
私は自分のこととなると嘘もつけず、ただにやにやし、うめいてごまかすぐらいしかできないのですけれど、たまにこうして、すらすらと嘘が口をついて出ることがあります。
それは学生時代に精霊信仰礼拝堂で神官みたいなことをし、人の悩みを聞いてそれを解決しようという時などにも発揮された特徴なのですけれど、どうにも、私は自分に得がない、それどころか損ばかりする嘘ほど、うまくつけるようなのでした。
この時の私の嘘も、私に得がなく、もしもばれればシンシアからの信用を失い、彼女の『お兄様』からはなはだしく乖離してしまうような、危険な嘘だったのです。
しかし私のこの綱渡りのような嘘は自分でも真実だと思ってしまうほどのできばえで、実際に語っているうちに『そういえば私は、この領域の精霊信仰についてフィールドワークをしている過程で、この漁村の存在を知り、無理を言って連れてきてもらい、祭りを見させてもらおうとしたのだったかな』などと信じてしまうほどだったのです。
語る自分自身が本気で信じてしまうほどの嘘ですから、これにはシンシアも納得をしたようでした。
「シンシアは、恥ずかしいです。勘違いからみなさんの静かな暮らしを邪魔してしまったことを、お詫びいたします」
謝罪をさせてしまったとたんに、私は急に自分の嘘を嘘だったと思い出し、この村は別に私の持ち物ではなく、実際に村が半焼しているというのに、「いや、いいんだ」などと、慌てて言ってしまうのでした。
なにもよくはないのです。
このあとの調査で死者が一人もいないことだけは判明したのですけれど(それはシンシアが小屋の気配を探って『視界をさえぎる遮蔽物をなくす』ことを主目的に村の建造物を焼いていたからなのでした)、彼女がこの村の悪事を知っていれば、通ったところにいた村民は残さず灰になっていたことでしょう。
そのぐらいの危機がこの村にはおとずれており、そのすべてはやはり、私の軽率な行動に原因がありますから、私はどうにかしてこの村に償いをせねばならないと、それを考えました。
しかしここは海の領域でもさらに東のほうですから、雪・砂両方の精霊国とは距離があり、ただ支援をするというのも、現実的とは言えません。
「しかし、償おうにも、どうしたものか。わつるふ様信仰の人たちも、精霊王国の民になってくれたなら、あいだに昼夜神殿が挟まっていても、どうにか宰相がうまいこと支援案を捻り出してくれるかもしれないのだけれど……」
いまいち事情をわかっていない感じのわつるふ様信者……ここには『わつるふ様』自身とみなされているミズハもふくみますけれど、その人たちに国際情勢や精霊王国と昼夜神殿との確執について説明する必要性が生じました。
しかし人に難しいことをくわしくわかりやすく説明するには深い理解が必要なものですから、私にはこれができず、代わりにシンシアがざっくりと説明をしてくれました。
その説明は、なるほど彼女が精霊信仰を冒険者組合に広めた手腕はこういうものだったのかとうなずいてしまうものだったのです。
まず精霊というのが万物に宿るものであり、それは衣服にも杖にも武器にも、ようするに冒険者たちが頼みにするようなものにも宿っており、冒険者なら誰もが覚えがある『ぎりぎりのところで、剣が敵の攻撃を受けてくれて助かった』などという事例はすべて、この武器に宿った精霊の恩返しであり、精霊は大事にすれば応えてくれるものだという話がありました。
そうして、そういった『精霊の加護』は昼夜の神が人々を縛るのにとても邪魔なので、精霊は『邪なもの』として扱われ、排斥されようとしている……
すべての土着信仰は昼夜神殿によってこの憂き目に遭わされる危険性があり、それはこの土地であがめられている者も例外ではない。
だからいっしょに昼夜神殿に立ち向かおうと、そこまで聞き終えるころには、すっかり精霊信仰の正義と昼夜神殿の悪が心の底にすりこまれているような、それはそれは見事な語り口だったのです。
私も身につけているものになんだか精霊が宿っているような気持ちになってきて、ここまでぞんざいに扱ってきたことがなんだか申し訳ないような感じがするほどでした。
わつるふ様の民たちは私以上に影響を受け、つまり『わつるふ様』もこのままでは昼夜神殿に滅ぼされるし、その初動みたいなものにはたしかに覚えがあると、そういうことを口々に言い始めたのでした。
「その精霊王国に入るには、どうしたらいいんだい?」
「お兄様がお認めになれば、それでいいのです。お兄様こそ、地上に降り立った精霊そのものなのですから」
視線がこちらに向くので、ここに来て『認めない』と言うこともできず、私はいかにも王のようにうなずいて、「いいだろう」とだけ述べました。
するとシンシアが『私に許された人たち』と具体的な話を詰めていきますので、たびたび挟まれる私への確認に、『まあ、シンシアの言うことだから、いいだろう』と思ってうなずいていると、いつのまにかこれが『私の発案と話術による布教』ということになり、わつるふ様の民たちが私に仕える流れになってしまったのでした。
こうして飛び地に『海の精霊王国』というべきものができましたけれど、この漁村はもう海の領域の東端にある小さな小さな村ですから、まだ国というほどの規模ではありません。
彼女らの保護を決めましたけれど、彼女たちを連れて精霊王国に帰るのも、気候変動線あたりで昼夜神殿とひと悶着ありそうなので、どうしたものかと悩むしかありませんでした。
「精霊王国は国ですけれど、精霊信仰は信仰ですから、みなさんは『わつるふ様』もまた昼夜神殿からは精霊に数え上げられるものであり、それはいずれ滅ぼされるし、力を合わせねばならないということを、どうか、伝えてください。そうすればきっと、精霊はあなたたちをお守りくださるでしょう。ですよね、お兄様」
「いいだろう」
話が長かったので後半疲れてしまいましたけれど、こんなようなやりとりがあったなあと、今思えばそういう記憶もあります。
本当にシンシアの話は長く続いたのです。
彼女は精霊について語る時、本当に嬉しそうで、誇らしそうで、いつまでもいつまでも、その話をできるようでした。
そんなふうに語る時間をとれたのも、シンシアが焼いた村をそのシンシアが魔術によって一瞬で消火してしまったからで、その大規模魔術こそが『わつるふ様』の民にとっては、精霊の奇跡のように映ったに違いないと、私などはそのように思うほどなのでした。
こうして私たちは真の意味で『布教』だけをし、その村になんら具体的な保護や支援の話をせぬまま、村をあとにすることになりました。
その帰りのことです。
船に乗り込んだ私たちを見送るため、ミズハが当たり前のように半人半魚の姿となりました。
私などはおどろいてしまったのですけれど、この時はもう正体を偽装するための例の帽子をかぶっておりましたから、どうにか表情は隠せましたけれど、シンシアがまったくの無表情だったのには、さすがだと思いました。
しかし、しばらく見送られて船が別な小島へとつきそうになったころ、シンシアがこっそり私に耳打ちをしたので、笑ってしまいました。
「……あの、下半身が魚のようになってはいませんでしたか?」
シンシアのような感情を完璧に制御できる女性でも、おどろくことはあるのです。
私は彼女の不意にこぼれたその弱さに親しみを感じ、笑い、やはり彼女を愛おしく思うのでした。




