第70話 情報戦
戦争というのは魔術を撃ち合うより前の段階に『情報戦』があるのですけれど、この情報戦において、精霊王国は知らないあいだに圧勝しておりました。
というのも、そもそも私はあらゆる部隊の組織を指示してはおらず、部下から上がってきた要求に玉璽をつくだけの役割なのですけれど(それはもちろん、私にまで上がってくる報告はだいたい通してもいいと議決済みだという構造があったからです)、この諜報部隊も、私の意図ではなく作られたものだったのです。
これはオデットが率いておりました。
しかし私は最近まで、オデットがこういう部隊を指揮していることも、そもそも、そんな部隊があること自体も知らなかったのです。
ただしこれが私の許可なく作られた部隊かと言われるとそうではなく、この部隊の正式名称は『精霊王捜索隊』という、たびたび失踪する私を捜す専門の部隊として立案され、可決されたものなのでした。
それはもともとルクレツィア・シンシアが連名で私に設立を認めさせた部隊なのですが、この部隊はやはりたびたび私を見失い、役には立たなかったのです。
もちろん私の隠密能力がいち部隊を欺ききれるはずはなく、その部隊が私を見失った理由はオデットの隠密・隠蔽能力ゆえだったのですが、そうして追いかけっこを続けるうちに捜索隊はすっかりオデットに魅せられ、取り込まれ、いつの間にか諜報部になっていたと、そういうことらしいのです。
これが『宣戦布告をされて、開戦時期を設定され始まった戦争』において、大いに活躍をしました。
とはいえその活躍のほどはずっとあとに耳に入ったものなので、この当時は部隊の存在自体を認識しておりませんでしたから、彼女らの活躍はすべて『のちに聞いた話』になります。
この部隊は導器導入の情報を徹底的に相手に隠したそうです。
すると我が軍二万のうち魔術兵は『戦闘に参加する貴族およびその私兵』でだいたい五百程度になります。これはほぼ、アスィーラの手持ちです。
魔術兵の配分は全軍の一割ほどが目安とされているので、二万の中の五百というのは、かなり少ない数となります。
一方で相手は五万もの兵を集めており、中には列強として知られていた祖国の貴族部隊や魔術塔が指揮する魔術兵……特に『夜神兵』と呼ばれる強力な夜神神官戦士団がおりますので、その質も数も、こちらとは比べものにならないほどなのです。
あまり魔術兵が多すぎても魔術兵を守る壁となる兵が少なくなりますので、目安としての割合を維持してくると考えれば、相手型の五万のうち五千は魔術兵であるという計算ができます。
魔術兵五百と、魔術兵五千の戦い。
勝負になりません。
実際には、我が軍にはこれに加えて導器兵が三千加わりますけれど、それでも三千五百対五千で、しかも魔術兵を守る『壁』である歩兵の数も我が軍は少ないものですから、これもやはり、まだ勝利の目は低いのです。
そこで実際に起こった戦いの話に移りますけれど、この戦いは……
我が軍二万、うち魔術兵が導器兵含めて三千五百。
敵軍五万。うち魔術兵が千。
こういう状態で行われたのです。
まず我が国の諜報部隊が『導器』というものの存在を隠すのに全力を注いだおかげで、相手は『たった五百の魔術兵しか擁しない相手』に、自分の持つ魔術兵を損耗させられるのを嫌ったのでした。
これは複数のイデオロギーを持つ集団が連合して軍を興す際にはよく発生する現象のようで、このあとも幾度か起こります。
敵軍『五万』という数のうちには、祖国の第一王子についていった貴族兵や、夜神教の夜神兵、それに昼神教神官戦士団、もともと砂と魔術の国にいた中で特別敬虔な者などがふくまれます。
そのすべては『打倒精霊王』ということで、こんな私をよってたかって叩きのめそうと一つの旗をいただいたわけなのですけれど、その本質は複数の軍隊の集合体であり、私を倒したあとには、味方でいられなくなるかもしれない相手と協力している状態なのでした。
なるべく自前の兵は減らしたくないと、誰もが思っていたようです。
そこにきて我が軍の魔術兵が五百程度だと思っておりますから、いよいよ兵を出し渋ります。
五百程度、とはいえそれが魔術兵であれば一方的に殲滅できる数ではなく、自軍にも五百か、それ以上の損耗が出ることが予想されます。
敵軍を形成するすべての人はこの損耗を嫌い、兵を出し渋ったわけです。
また、夜神教と昼神教は『精霊信仰を殲滅する』という意思を持っていたわけですけれど、これが全力を出さなかった理由には、『兵の損耗を嫌った』以外にももう一つ理由がありました。
精霊王国の圏内にも、昼神・夜神の信徒がいたというのが、その理由です。
彼らは精霊信仰を叩き潰すだけなら狂信的に突っ込んできますけれど、どうにも、精霊王国軍の中には昼夜神殿親精霊派も徴兵されているものと思い込んでいたようで、いちおうの『同胞』であるこれら勢力との争いを避けたがる者も多くいたらしいのでした。
とはいえそれはまったく見当違いな思い込みなのです。
『気候変動線東西の乱』において私は一人たりとも強制的な徴兵をしておりませんし、領域内に残った昼夜神殿の親精霊派には特に強く『戦わなくていい』と言い含めているのでした。
これは私がこの戦争においてした、ほとんど唯一の『自分の意思による決断』であり、たった一つだけの『精霊王としての命令』なのです。
だって、彼らには彼らの、我らには我らの、信じるべきものがあってもいいではありませんか。
以前にも記した通り、私は精霊信仰の自由さを愛しているのです。各人が自分の信じるものを見つけ、そこに根拠など求めず、信じるようにそれを信じて、満たされた気持ちになるというのは、素晴らしいことだと思っているのです。
私に『信頼』という機能が欠けているだけに、なにかを無垢に信じる人たちというのは本当にまばゆく、私は神や精霊の恩寵を信じておらず、罰だけを信じる身ではありますが、本当に神を信じる人は、神の力で幸福になってほしいと、そう強く願っているのです。
それはアナスタシアというまだ幼い女王が、彼女の信じた昼神の御業で、せめて死後ぐらいは安らかに、幸福になってほしいと、そういう想いから発した願いかもしれません。
だから私は、領域内の昼夜神殿の者には特別に『これから昼夜の神殿が攻めてくるので、君たちは私の国土にいるけれど、これに抵抗せよとは決して言わないので、安心して祈りを捧げていてほしい』というようなことを、もう少し文面を整えさせて発したのでした。
これはしかし、やはり偶然に偶然が重なって守られた命令でしかないことも、私はきちんと、わかっているつもりです。
もしも開戦前に彼我の兵力比予想を聞き、その絶望的な戦力差をきちんと理解できていれば。
あるいは戦争が長引き、物資や兵の損耗が激しければ。
もしくは、相手がたが前線をどんどん精霊王国領域に押し進め、その杖の先が私の喉元にまで迫ることがあれば……
私はきっと、発した言葉も、自由なる信仰への憧れも、それを守りたいという誓いさえも放り出して、みっともなく親精霊派の神殿戦力に助けを求めたに違いないのです。
精霊王のもっとも慈悲深い行いの一つとして『同じ神をいただく者を決して争わせようとはしなかった』というものがありますが、それもまた、紐解いてしまえばこのような偶然によってできあがった話にしかすぎないのです。
勘違い、偶然。
虚飾。
私の人生はこれまでもずっと肥大化した虚飾によって作り上げられてきましたけれど、このころからもういよいよ、虚飾の肥大はその勢いを数倍にも増し、精霊王の評判からは悪いものが駆逐され、そうして『慈悲深く、優しく、自己に厳しく、慧眼で、そしてあまたの民族を従え、しいたげられていた者たちをまとめあげて国を創った精霊王』が作り上げられていくのです。
戦争というのは本当に頭のてっぺんからつま先まで苦々しいものがたっぷり詰まっており、その事前準備にも心労で眠れなくなるほどでしたし、開戦中はもちろん食事も喉を通りませんけれど、このあとにおとずれる時間が、もっとも苦しく、面倒くさく、嫌なものだと言えるでしょう。
戦後処理です。
私は、かつて私がいただいていた王家の第一王子を、戦犯として裁かねばならなくなりました。
思い出しただけでも手が震えるような、本当に、本当に、呼吸もできないほどの……
そして、いよいよ、世界の様相が変わるきっかけとなった出来事の、始まりなのでした。




