第59話 様式
私は一つの問題が解決すると他に直面している問題のことを忘れる傾向があるようです。
多くのことを同時に考えられないのです。それはおそらく、能力的にも及ばないのですけれど、そもそも私の未熟な精神が、『一つ問題が片付いたので力を使い果たしたから、他の問題は、いったん、なかったことにしよう』と甘えてしまうので、これはもう、どうしようもないと、私などは思っているのですけれど。
つまり、私は『精霊国とアスィーラの国の戦争を回避し、精霊信仰が魔術塔より下だと発表しなくてよくなった』代わりに、『妻を増やすことを、すでに三人いる妻たちにどう説明しよう』という問題をすっかり忘れていたのでした。
そんな認識で両軍のあいだに立ち、シンシアと目が合ったところですべて思い出したわけですが、その時にはもう、アスィーラが私の腕に腕を絡め、しなだれかかっていましたから、とっくにあとには退けなかったのです。
私はシンシアや、その後方から出てきたルクレツィアに見られながら、アスィーラに促され、彼女との結婚を宣言することになりました。
これはもうほとんど拷問のような心地であったのですけれど、実のところ、気まずいとか、どうしようとか、そういうことは思わなかったのです。
なぜって、もう、どうしようもなかったのですから。
ここでアスィーラとの結婚をなかったことにすれば戦争が始まるし、妻たちにはもう仲睦まじく腕を組む様子を見せてしまっていて、ここからどのように言い訳しようともアスィーラと『なにかあった』ことだけは伝わってしまうし、ここに来て、私にできることは、開き直ることだけだったのです。
もちろん前向きで明るい気持ちとは無縁で、なんだかひどく他人事めいた、どうあがいてもこのあと苦労をしょいこむんだろうなというあきらめの気持ちが胸中を支配していたわけです。
しかし選択肢が一つしかなく、その方向に向けて邁進するしかない状況だと、私はどうにもえらく客観的で他人事な気持ちになって澱みなく行動ができるようで、そこからの演説、結婚宣言は、今思い返しても気持ちがいいぐらいの反応をもらい、私はかつて吟遊詩人をしていたころにもらった、あの初めての賞賛を思い出すのでした。
こうして精霊王は新しい妻を得て、ついに砂の領域にまでその勇名を轟かせたと、そのように記録される『雪と砂の演説』は、なされたわけなのです。
この勘違いはアスィーラが国名を『砂の精霊国』『砂の領域の精霊国』と改めたことで起こったものだと思われます。
間違っても私が『勇名を轟かせた』などと言われるようなことは起こっていませんし、精霊国の兵力はアスィーラに捧げられてしまっているわけですから、これが戦争だとすれば無条件降伏の属国化なのです。
しかしこの不思議な勘違いは演説直後にはすでに全員の共通認識になっており、私一人が『精霊国は無条件降伏したのになあ』という思いを抱いていると、どうにもそのような、『精霊に化かされた』と言うしかないことが起こっているのでした。
かくして決定事項を伝え、このあとすぐに結婚式ということにしたのですが、これはもう、シンシア、ルクレツィア、オデットら三人の妻にはなんの相談もない事後承諾で、演説後、彼女たちに説明をしなければならないわけです。
私はアスィーラとともに砂の領域がわに戻りたかったぐらいなのですが、さすがにここで妻たちへの説明を投げ出しては未来がないので、急遽首脳を集めて、天幕の中で秘密の精霊国会議、ようするに私の言い訳が始まるのでした。
ところがこれは、想像していたよりはるかにすんなりとすんだのです。
シンシアもルクレツィアも、いつの間にか精霊国がわにいたオデットも、みな一様に私を責めないのです。
シンシアなどは「さすがお兄様です」と私を賞賛しますし、ルクレツィアも祝福するような顔でうなずいていますし、オデットにいたっては、そもそもこの首脳会議がなんのために開かれたかさえ理解していない様子でした。
なにやら妻たちの中で私の急な結婚とその理屈は読み解かれたようなのですが、これはおそらく、というか絶対になにかとんでもない勘違いがあり、そこを修正しないと、また私ではない『私』が妻たちのあいだでふくらんでいき、その『私』が勘違いだとばれないために大変な苦労をするはめになるのです。
けれど決断力も勇気もないので、私はいきなり強く否定したり、彼女のたちの中の『私』がなにを考えているかもわからないものですから、そこから外れすぎたことを述べてしまうのもおそろしく、とりあえず、自分から言い訳をする前に、彼女たちに、『私』がなにを考えているのか聞くことにしたのです。
シンシアは、このように述べました。
「きっと精霊信仰を世界に広めるための深謀遠慮なのだと思いますが、シンシアごときでは、お兄様のお考えすべてを察することはかないません。ですが、あの大国の女王さえ支配下においてしまうというのは、もう、どのような美辞麗句でも、お兄様のお知恵を表現することはかなわないでしょう。さすが、シンシアのお兄様です」
ルクレツィアはシンシアの言葉にうなずき、こう述べました。
「あなたの足跡はいつでも光り輝いているな。小さなころからそうだった。あなたはやはり、私が見出した、私の夫だ」
オデットはいつもの笑顔で、こう述べました。
「あの女がなにかしたら言ってね。あなたはあたしの宝物なんだから」
どうでしょう、人生の大事であり、この言葉がのちのちなんらかの問題を引き起こす予感もありましたので、この当時の妻たちの言葉はかなり正確に覚えているつもりでいますが、やはり後年になってみても、ちょっと『なんでそうなるんだ』と思うようなところがあるように感じます。
しかし妻たちにはなにやら好意的に受け止められているようなので、わざわざ自分から事実を表明して『精霊の翅をつまむようなこと』をしたくはありませんから、やはり私はあいまいに笑い、どうとでもとれるうめきを発して、この言い訳表明は終わったのです。
「さて、結婚式の段取りだが」
ルクレツィアが話題を変えたのをいいことに私はそれに食いつき、あらかじめアスィーラから言い含められていたことを告げました。
いわく、結婚式の準備にかんしては、向こうで全部やってくれるので、精霊国がわはなにもしなくていいと、そういう話でした。
精霊国は金も食料もない貧しい国でありますから、願ってもないことで、私は二つ返事で承諾し、すっかりアスィーラに任せてぼんやりしていようと、そのように思っていたのです。
けれどこれに、妻たちが渋面を浮かべました。
「それは、よくない。すべてあちらに任せるのは、よろしくない。国家の沽券というものがある」
ルクレツィアが詳しく『国家の沽券』について語ってくれたのですが、それはなんだか私自身の危機とは思えなかったからか、内容をよく覚えてはおけなかったのです。
ただ、なんとなく『すべて相手に任せて、相手の様式でやられては困る』ということらしいことは覚えています。
それは『支配を受け入れた』として、世界国家にみなされるそうなのです。
ここですでに話が噛み合っていない感があり、私は先に行った結婚告示の演説で、『兵力をすべてアスィーラに捧げる』という旨をしっかり述べたかどうか、記憶を探り始めました。
居並ぶ兵をすべて捧げるというのは、もう『支配下に入ります』という宣言も同然であり、完全敗北の中、なんとか精霊宗教国家としての体裁だけは頼み込んで整えさせてもらったと、そういうふうに私は認識していたのですが、どうにも、妻たちの認識は違うようなのでした。
すぐ直後にアスィーラに『これこれこういう認識が広がっているようだけれど、事実をちゃんともう一度表明したほうがいいだろうか』と聞いたところ、アスィーラもまた『我らの国は精霊信仰において同格である』というようなことを述べたので、私はもしかしたら、ひどい記憶違いをしているのかなと不安になってしまいました。
そして今や世間にも『精霊王は砂と魔術の国を降して精霊信仰国家にした』という話で広まってしまっていますから、私は私の記憶を疑い、あの時の『兵を捧げる』という宣言は緊急の状況が見せた白昼夢だったのかと悩み、眠れない日もあるぐらいなのです。
しかし、ここに認めているのは、事実のみなのです。肥大した虚飾の中で私が悩み、もがき、苦しみ、誰かにわかってほしいけれど決して誰にも知られたくない、あまりにも醜く矮小な、『精霊王』の真実の姿であり、嘘は一つも書いていないつもりでいます。
ともかく同格の国として相手の国家の様式で婚礼を取り仕切られるのはまずいらしく、ルクレツィアは「ちょっと行ってくる」と述べて砂の領域がわへ走っていきました。
私をふくめ国家首脳のフットワークが異常に軽いのがこの当時の精霊国の特徴であり、強みだったと思われます。
ただしルクレツィアが縦横無尽の活躍をしていたと表現されるのだとすれば、私のほうは右往左往とか右顧左眄とか、そういうものだと思うのですけれど……
そうしてルクレツィアとアスィーラとのあいだで、『真の両国首脳会議』みたいなものが行われた結果、結婚式は前半が精霊国様式、後半が砂の領域様式で行われるという話でまとまりました。
しかしここで、ずっと我が国につきまとっている問題が、やはり発生するのです。
我が国、というか私が一生かけて悩み続けることになった問題というのは、本当に数多くありますけれど、この当時もっとも大きかった問題をあげろと言われれば、上下の判別がつかない大きなものが三つあります。
一つ、国家の貧困。
一つ、昼神教との関係。
そして最後の一つが夜神教、すなわち魔術塔との関係なのです。
かの宗教の信者は大量にいます。それはアスィーラの国にも多く……
アスィーラは半ば神格化された王ではあるのですけれど、やはり兵の中には魔術塔とのつながりを強く持ち、なにかのついでに、内通者の意識もなくこれに報告をあげる者もいるのです。
結婚式決定の翌日の、夜でした。
魔術塔の神官団が、大慌てで私に面会を求めてきたのです。




