第53話 保護
「たしかに、報告にあった通りの顔だ」
移送された先でそのように言われたものですから、私は自分が精霊王であるとばれてここに運ばれてきたのだと、ほとんど確信したのです。
たしかに私は顔が周囲に見えないように深くフードをかぶって、決して砂嵐除けのゴーグルも外さず、口にも布を巻いて隠しておりました。
それはオデットが注意深く、少しでもフードがめくれそうになるたびに警告してくれたのもあり、うまく隠蔽できたものと思います。
しかしこうして狭苦しい部屋に押し込められて周囲を兵たちに囲まれてみると、たしかに顔がばれる心当たりが思い起こされるのです。
それは私がすっかり油断した宿屋でのことでした。外鍵の閉まる『がちゃり』という音がした時に、ほとんど反射的に安堵の息をつきながら、顔を隠すあらゆるものをむしりとって、ベッドの上に投げ捨てたのです。
たしかその時、カーテンを閉じるのを忘れていて、しかし大した危機感もなく、『そういえば、忘れていたな』なんてのんびり思いながら、苦笑しつつカーテンを閉じたのでした。
そのさいに外から私の顔を見られた可能性は皆無ではなく、やはり私は、私のうかつな行動によって自分の首を絞めていたと思い知らされ、やりきれない気持ちで歯噛みするのです。
さて、この国での『精霊王』の扱いは、どのようなものでしょう?
この国からすれば気候変動線を挟んだ遠い土地のできごととはいえ、精霊信仰を正式に表明する国家の王というのは世界でもそう類のないものとこの当時の私は思っておりましたから、私の存在も相応に注目されている可能性は高かろうと感じていました。
しかし私は、この国の『精霊信仰』に対するスタンスを知らなかったのです。
これには言い訳もあって、そもそも私とオデットはこの国を調査するためにおとずれたわけですから、この国に対する事前の知識を得ようという、そういう発想がわかなかったのです。
なぜならば『事前の知識』とすべきものを、私たちの耳目で調べている段階と位置付けていたのですから……
しかし、精霊信仰が邪教であるとはわかっているつもりでも、それが世間でどのような憂き目に遭うのかをぜんぜん想定できませんでした。
特に市井におのずから発生する規模の小さな精霊信仰ではなく、国家として打ち立てた規模の大きな精霊信仰、その最上位神官とも言うべき『精霊王』がどうなるかなどというのは、私ごときの想定能力の外だったのです。
この時になって、私は私がどのような扱いを受けるのか急激な不安におそわれ、たとえここで私を取り囲む女性兵士たちの靴をなめてでもこの状況を脱したいと、そのようにさえ、考えてしまいました。
こういう状況に陥って初めて私の頭は急激に働きますから、この時点でようやくオデットがしつこくしつこく私に顔を隠し決して誰にも見せないように言い続けた理由や、酒場での情報収集に誘わなかった本当の理由なども、すべてが『精霊王』の顔を人に明かさないための措置だったのではないかと、思いいたったのです。
しかしこうして働き始めた私の頭は過去の事例がどのような意味を持っていたかを解き明かすばかりで、現在の苦境を打開し未来をつかむための方策を一個も編み出してはくれないのでした。
後悔ばかりしています。
いつでも『現在』におびえています。
「あの、僕はいったい、どうなるのでしょうか」
不安がすぎたために、つい、たずねてしまいました。
それは現在の私が思い返して、情けなさと恥ずかしさに打ちのめされてしまうほど、二十代半ばの男の口から出るにはあまりにもか細く、あまりにも情けない声なのでした。
その声はきっと嘲笑されるだろうなと、出した当時の私さえ思ったものなのですが、当時、そうはなりませんでした。
砂と魔術の国……そこが『魔術の国』であることを、当時の私はやはり、この段階になってもまだ知らなかったのですが……の、女兵士たちは、褐色の頬に安心させるような優しい笑みを浮かべて、幼い子にかけるような、ゆっくりした声で私にこう述べたのです。
「安心してくれて、いいんだよ。私たちは、女王陛下に命じられて、その夫の候補を探しているところなんだ。あなたならきっと、陛下も悪いようにはなさらないはずだ」
それはまったくもって根拠もなさそうな、その場しのぎの慰めの言葉にすぎないように感じられました。
しかしこの当時の私は、少しだけ緊張をゆるめたのです。
それはもちろん、逃避と先送りを好む性分の私が、事態はなにも解決せず、確定的な情報がなにもなく、一瞬先の自分の身の安全さえわからない状況で、それでもどうにか安心したいと思ったという、『弱さゆえの安心』というべき、防衛機制だったのです。
こわばっていた私は、この『偽りの安心』によって、ようやくいつもの、人の機嫌を損ねないためだけに浮かべる愛想笑いを作ることができるようになりました。
そうしてまだ女性兵士たちがなにごとか私をなぐさめながら、いろいろなことを話してくれました。
その多くは『実は自分には弟がいて』だの、『あなたみたいな人を悪く扱うと良心がとがめるから、なにもしないよ』だの、私をなぐさめるための温かい言葉だったのです。
しかし私は人の思いやり、温かさというものをもらうほど、これにおびえ、わけのわからない負債を背負わされたような気になるものですから、ますます彼女たちの温かさにおびえ、固まり、しまいにはせっかく取り戻した鎧のごとき愛想笑いさえ着ていられなくなり、うつむいてしまったのです。
すると女性兵士のみなさんはいよいよ親身になってくれるものですから、その温かさ、優しさはますます私を追い詰めます。
彼女たちは自分たちが女王陛下の近衛兵であることや、私の部屋に押し入って私を捕らえたのは、私が奴隷商人につかまっていると思ったからであることなど、いろいろ話をしてくれました。
けれどどれも私の心には響かず、私はもちろん、なんでもないふうを装って、『普通の人』のように彼女たちの温かさにお礼の一つも述べようとするのですけれど、異国にいる心細さも作用して、その程度の偽装もできない有様だったのです。
「わかった、わかった、我々の言っていることが本当だと示すためにも、あなたを女王陛下のもとへ連れて行こう」
どうにも女性兵士たちは、私が彼女たちの身分を信じられないから不安がり、押し黙ってしまったのだと思っているようでした。
違うのです。私は疑いによって不安になっているわけではないのです。彼女たちがきっと本物の公権力であり、その活動が国家権力に保障されたもので、私を奴隷商人から救い出すつもりでいたのも本当で、こうしてかけてくれている言葉にきっと嘘がないだろうというふうにも信じているのです。
彼女たちがいわゆる『正しさ』のもとに活動し、その心根の優しさも本物で、かけてくれる温情さえも見返りを求めない美しいもので、こんな、初めて出会った私に対して大変な気遣いをしてくれていることも、わかっているのです。
だから、うつむいているのです。
正しさを前に私は萎縮するのです。温かさをもらうたびその重苦しさに呼吸ができなくなるのです。誠実で優しい人というのはまばゆすぎて、そのそばにいるだけで、もう消えてしまいたいような、そういう心地になるのでした。
しかし、こんな醜い心を吐き出すことも、できません。
私は私の虚飾が好き放題に広められるのに耐えられないくせに、真実の醜く矮小な姿が白日のもとにさらされるのも、おそれているのですから。
さすがに会話の流れから、自分が精霊王であるとバレて囚われたわけではないというのは、もうわかっていましたが……
いえ、どうだったでしょうか。
私は彼女たちの真実の温かさと誠実さに打ちのめされた一方で、やはり彼女たちが悪辣な奸計を企てて、私を騙し、絶望のふちに突き落とそうとしているという妄想にも取り憑かれていたような、気がします。
だからとにかく不安で、やるせなくて、私はやはり、自分からはなんの意思を表明することもできないまま、彼女たちの『気遣い』に任せて、女王陛下との謁見に臨むことになってしまったのです。
今にして思えば、ばれる前にどこかの段階で、自分から『私は精霊王である』と明かせていれば、この先の苦労は少しでも減ったでしょうか。
想像も及びませんが、想像が及ばないだけに、私はやはり、『自分の通らなかった道』に幸福と安寧があるように思われてならないのです。
とはいえその妄想にはやはり、なんの意味もないのです。
私はその道を通らずにここにいて、過去の出来事と、その時々の私が抱いていた、矮小で醜い思惑、うかつで考えなしの行動についての真実を、こうして吐き出すように認めているだけなのですから。
未来はこうして、紙面をつづる私の周囲に実在するものだけなのです。
『よりよい道』があったとしても、そこを通らなかった男が一人、隠し部屋でこうして筆をとっているというのが、この当時の私を待ち受ける唯一の未来に他ならないのでした。




