第51話 気候変動線
黒々とした土の地面が、ある地点から線でも引いたように砂へと変わっていました。
私の立っている場所は肌寒いぐらいの気候であるにもかかわらず、しばらく進んだ先には陽炎がたちこめ、景色が歪んでゆらめいているのです。
『気候変動線』と呼ばれる、世界を四つに切り分けているらしいこのラインは、おおよそ人の手によるものではなく、昼神・夜神の実在を示す証拠として、教団がなにかにつけて話に出すのでした。
私は地面が土から砂に変わるギリギリの場所に立ち、右腕を伸ばしてみました。
すると私の立つ祖国のがわは肌寒いと言ってもいい空気であるにもかかわらず、手のひらはたしかに、ただそこに出しているだけで火にでも炙られているような、すさまじい暑さを感じるのです。
私がその気温の違いを興味深く思いながら『向こうがわ』の暑さを楽しんでいると、不意にオデットが私の手を『こちらがわ』に引っ張り、戻しました。
「肌が焼けてしまうよ」
オデットは私の望むことをだいたい叶えようとしてくれますし、私のなすことに反論めいたことをするのも、記憶の限りではほとんどないのですけれど、この時の彼女は、常ならぬ強さを持って、私に警告をしたのでした。
すると私はなにかひどく悪いことをしてしまったような気持ちになり、うつむいて謝罪するのですけれど、オデットのほうは謝罪されることまで想定していなかったようで、珍しく慌てながら、こんなようなことを述べたのです。
「あなたの体が日差しで傷付いたら大変だし、ただ、あたしは体を大事にしてほしいだけなんだ。あなたは私の宝物なんだから」
宝物。
その言葉は油断していた私に、自分の立場とでも言うべきものを思い出させたのです。
私は誰かに命脈を握られることをおそれているのでした。
それは若かりしころから今まで、ずっと変わらず、私の心の根っこをおさえつけている、根源的な恐怖なのです。
自分の実力、自分の身の丈の範囲でなにごとかを成し、人に『自分自身』を認めさせるというのは、もはや『叶わぬ夢』として半ば以上あきらめてはいますから、『自分の力を認めてほしい』という若さはすっかり抜け落ち、あとにはもう、『誰かの世話になる恐怖』だけが残されているというわけなのでした。
私はいつもの『逃亡』の一種として、こうしてオデットとともに『砂と魔術の国』を目指してはいますけれど、それは決してオデットの優しさに甘えて彼女に借りを作ることの恐怖から解放されたわけではないのです。
ただ、『逃亡』にかんして脇目も振らずに集中し、その結果として『誰かに命脈を握られる状況への恐怖』や『誰かからの優しさを受け取ることで負債がふくらんでいく感覚』を、すっかり失念していただけなのでした。
だから私は急にこれらの恐怖を思い出し、自分がオデットの支配下にあることを認識し、それに萎縮し、彼女の顔色をうかがい、彼女の言葉にいちいちおびえて、愛想笑いを浮かべながらあいまいにうめくしかできなくなってしまったのです。
急に私がそのような態度をとったせいか、オデットはなにか言いたいことができたのにそれを言えないような息をついて、そして、あらかじめ持参していた『向こうがわの領域』用の衣服を私によこしました。
それは日除けと砂嵐除けの、ゴワゴワした質感のマントでした。
今まで着ていたものと比べると軽く、風通しがよく、しかし雪深い精霊国で着るものよりも、よほど肌を隠すデザインになっていました。
特に頭と目もとの防護は精霊国の服の比ではなく、にごったガラスのような素材をはめたゴーグルを身につけさせられたもので、そのゆがんだ視界が気持ち悪く、真っ直ぐ歩くのにしばらくの練習を必要としたほどでした。
しかしこの装備のおかげで私は顔を覆う包帯の感触から久方ぶりに解放されたのです。
オデットは「包帯は巻いておいたほうがいいとは思うけれど」としぶったりもしましたが、気候変動線の向こうがわの暑さを思ってか、私が特に反論もしないのに、その発言を引っ込め、包帯を受け取ってかばんにしまいこみました。
彼女の服装もまたフード付きマントとゴーグルというものになってはいましたけれど、そのマントは私のものよりずいぶん丈が短く、彼女の健康的な腹部から下はさほど防護が万全でないように思われました。
思えばオデットは体のラインがはっきり出るような、貼り付くような衣服を好むように思われます。
それは隠密行動を主眼におく彼女が、衣擦れの音が出たり、垂れ下がった衣服がなにか物を倒したりというのを嫌ってのことらしいのですが、この時もそのような衣服だったもので、私はじゃっかん、目のやりばに困りました。
というのも、私より三歩ほど先行して『向こうがわ』に立ったオデットは、まるで砂漠の国で生まれたかのように、そこにぴたりと合っていたのです。
普段の彼女は『美しい』という感慨よりむしろ、生き生きとしてみずみずしい、生の美しさ、あるいは動的な機能美みたいなものを感じさせるのですが、砂漠を背負って私へ振り返るオデットからは、常ならぬ一葉の絵画めいた、美術的な美しさを感じたのです。
マントの裾からのぞく腹部や、そこにある腹筋の筋、たっぷりと布を使った足首に向けてだんだんふくらんでいくデザインのズボンなど、あまりにも砂漠に合すぎていて、なんだか触れがたい芸術でも見ているような気持ちになり、私はその美しさを直視できなかったのでした。
こんなにも美しい人を妻とし、親切にしてもらい、しかし私はその親切をおそれるばかりで、彼女の優しさを、まるで無理やり貸し付けられたお金のようにさえ思い、その利子におびえている。
醜く暗い自分の心が、真昼の光を背負ったオデットに照らし出されるように思えて、私はなかなか、気候変動線の向こうに足を踏み出せませんでした。
オデットは焦れたのか、私の手をつかんで引き、『向こうがわ』に連れて行きました。
むわっとした熱気が喉を滑って体の中に落ち、足の下でサクサクと砂が潰れる感触がして、私はようやく、新天地へと来たことを実感したのです。
気候変動線周辺はどこの国のものでもないという決まりがありますから(この線自体が聖地とみなされているので、強いて言えば昼夜の神殿の持ち物ということになります)、まだ『外国』に入ったわけではありません。
けれど、私はなんだか戻れない冒険に出発してしまったような心細さを感じていたのです。
「行こうよ」
そう述べられて、私はうなずきました。
そのうなずきは、ほとんど反射的なものであり、なおかつオデットの意思に逆らって見捨てられては生きていけないという不安からのものでもあり、やはりそこに私の意思、『行こう』という強い気持ちなどは、みじんも存在しなかったのです。
私が始めた旅路だというのに、他人の意図で動かされているような気持ちのまま、私たちは苛烈さで音に聞こえた『砂の領域』へと踏み入りました。
慣れた様子で進むオデットの背を追いながら、私はなにかを考えようとしましたけれど、それはいっこうにまとまらず、暑さの中に溶けていくのです。
私はこの時に早くも『来なければよかった』という気持ちでいたのですが、まさかそれを口に出すわけにもいかず、歩いて行きます。
のちに思えばこの時、後悔にまかせるままだだをこねて、『やっぱり帰ろう』と言えたならよかったのですが、現実はやはりそうはならず、私は精霊の導きのごとく、厄介なことに巻き込まれていくのでした。




