第36話 精霊国への帰還
隠密行動をとりながら祖国を目指す私たちを昼神教神官戦士団が発見できたのは、諜報力ではなく、組織力によるものでした。
国というのはどこまでも平べったい土地ではありませんから、『王都から精霊国に戻る』という目的を持てば、通れる道が限られるのです。
とはいえその道は軍隊を率いているわけでもないので非常に多いわけですが、昼神教はその組織力を使って、よほど可能性の低い場所以外のすべてに神官戦士団を配置し、私たちがどこを通ってもどこかしらに引っかかるように布陣していたのでした。
このたびの昼神教との遭遇はそういった下準備の上での必然であり、もしも私がこの当時と別な道を通ろうとも、また別の場所に配置された戦士団と出会うようになっていたのでした。
では、精霊国はなぜ、私の窮地に駆けつけることができたのか?
それはまったくもってシンシアのおかげなのでした。
シンシアは抗戦のためにいくらか派手な魔術を用いましたが、どうにも、最初から神官戦士団が魔術への対策を積んでいるというのは、予想していたようなのです。
ではなぜ魔術を用いたかといえば、それは騒ぎを起こすことで、精霊国の軍隊に自分たちの位置を知らせる目的があったようでした。
とはいえこれは分の悪い賭けであったようで、精霊国の軍隊より先にほかの場所に布陣している神官戦士団に駆けつけられる可能性も高かったようですし(この時点でシンシアは、神官戦士団が広く布陣しているのに気付いていたということになります)、敵味方がはっきりしない公爵軍にかぎつけられる可能性もあったと、のちに述懐していました。
それでも彼女が賭けに出た動機を語るならば、それは『最悪、自分が犠牲になれば精霊王だけは逃すことができる』という思惑と、そして、ルクレツィアやオデットに対する信頼だったそうです。
とはいえ、シンシアはルクレツィアやオデットを素直には褒めませんし、信頼しているなどとは口が裂けても言わないものですから、それは私が彼女の言葉を解釈し、噛み砕いた結果ということになります。
あくまで私の予想なので、もちろん間違いかもしれませんけれど、私は、私の妻たちのあいだに、奇妙な絆があるように思い、それを嬉しく感じているのです。
オデットであれば必ず嗅ぎつけるだろう。
ルクレツィアなら適切な行動をとるだろう。
そういった信頼によってシンシアは行動し、そして、勝ったのです。
ルクレツィア率いる精霊国軍は神官戦士団に背後から突撃し、一瞬で蹴散らしました。
これもまた『神官戦士団が弱かった』などというわけではなく、一瞬で蹴散らさなければ戦いが長引き、他の場所に布陣している戦士団まで駆けつけそうなので、ルクレツィアが最初から全力で突撃をしたという、戦術的判断による勝利なのです。
そして精霊国軍挙兵もまた、色々理由をつけてはいますが、『シンシアならば精霊王を必ず守り切るだろう』という信頼に基づいての行動であったと、私には聞こえました。
私は誰かをてらいなく信じ、またてらいなく誰かから信じられることを高望みと思い、ほとんどあきらめています。
それだけに、妻たちの、表面上嫌いあっているようでいて非常に息が合った様子だとか、行動原理に確かに流れる互いへの信頼だとか、そういったものを見るととても嬉しくなるのでした。その美しさに憧れ、胸が温かくなるのです。
ルクレツィア率いる精霊国軍は、私とシンシア、そしてともなった冒険者たちを回収すると、大急ぎで国へと戻りました。
精霊国軍、と述べるといかにも強壮な軍隊を所持しているように感じられますが、その実態はといえば三分の二以上が精霊信仰の冒険者からなる義勇軍であり、正規軍の数は非常に少ないうえ、訓練もまだまだというありさまで、とてもではないけれど、どこかの軍と正面衝突して勝てるような、そういうものではないのでした。
直前まで公爵軍から兵を借りて治安の維持などを行っていたわけですが、それはもう引き払われ、精霊国はいよいよその治安を自らの努力で維持しなければならなくなった、その矢先の出兵だったのです。
全速力で国へ戻ったあと、設置されていた天幕の中で、ようやく私とシンシアは、このたび起こった『大公国樹立および精霊国侵攻』についてのくわしい事情を聞くことができました。
とはいえ私はそのあたりの事情について聞いても、理解できていたとは言い難いでしょう。
当時の認識といえばせいぜい『そうか、他国で精霊信仰でない宗教の仕切りで結婚するのは、あの冷静なルクレツィアが声を裏返して怒るほどのことだったのだな』という、『怒られているから反省する』といった程度の、幼い理解だったのです。
「シンシア、事態を理解できないあなたではないだろう」
「お兄様ならば、どうにかなさると信じておりました。そして、実際に、見事に『精霊式』の結婚儀礼を私に施してくださったのです」
二人のあいだに一瞬火花が散るような幻覚があって、私はその戦いの気配に胃をおさえ、頼むから仲良くしてほしいと懇願しました。
責められるべきは私なのです。私の判断と、知識・自覚の薄さがすべての問題を招いたのです。
ですから責めるのも、しかるのも私にしてほしい……そう述べるとルクレツィアはなんだかばつが悪そうにして、それからしぶしぶといった様子でシンシアに謝罪しました。
シンシアもまたルクレツィアに謝罪をし、その交わされた謝罪の真意について私にはよくわかりませんでしたが、なんだか仲直りがなったようで、とにかく私は安堵しました。
安堵して、このようなことを口走ってしまいました。
「とりあえず、早く帰りたいものだ」
……状況をかんがみる能力がない者というのは、えてして状況という文脈を無視した突拍子もないことを言います。
この時の私の発言がまさしくそのたぐいであり、私はこの状況で欲望に任せるまま『帰りたい』などと言うべきではなかったのです。
「では、精霊王の望まれるままに」
ルクレツィアがそう述べ、シンシアも異論を挟みませんでしたから、私は『いろいろあったけど、ようやく帰れる』と、城に戻りさえすればすべてが片付くような心地でいたのです。
状況。
公爵が大公国樹立を宣言し、王国に反旗を翻している。
精霊国は公爵と敵を同じくするものとして布陣し、王国へ牙を向けている。
北方と北西。この二方面からのにらみが王国の対応を遅らせ、公爵という、言ってしまえば『いち貴族』にすぎない者と、それに加担した者たちの反乱へ、手をこまねかせていたのです。
そこで精霊国軍が帰ってしまったら、どうなるのか。
私は城に帰ったあと結果を聞き、ルクレツィアに『なぜ、忠告、いや反論をしてくれなかったのか』と怒りたいような気持ちになったのです。
けれど、私は『精霊王』なのでした。
機を見るに敏であり、深謀遠慮限りなく、その足跡、使ったものであればなんだって展示されてしかるべきの、『地上に降り立った精霊そのもの』……
私は間違えます。私は失敗します。私は時期を読むなどできません。
しかしルクレツィアの中にいる『私』も、シンシアの思い描く『お兄様』も、決して間違えないのです。
その私が、『帰ろう』という判断をしたから、帰った。
結果として、公爵軍は劣勢に立たされた。
つまりは自分の評価というものに無自覚だった私の失敗により、ルクレツィアの親が大変な状況になってしまったと、そういうわけなのでした。




