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クズとヤンデレの建国記(仮)  作者: 稲荷竜
本編

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第32話 精霊の儀式

『精霊国侵攻』


 この急報のすぐあとで式場中の視線が私に集まったのは言うまでもありませんでした。


 しかし、居心地が悪いとか、緊張するとかは、当時、思いもよらなかったのです。

 わけがわからなすぎて、困惑するばかりなのでした。


 私は精霊王と呼ばれており、精霊国を治める立場です。

 こなしている業務だけで見るならばそれはお飾りもいいところで、実務の最高裁量権はほとんど三人の妻たちにたくしてしまっているぐらいなのですが、それはそれとして、国家規模の大きな動きをするならば、玉璽(ぎょくじ)が必要になります。


 私は国を出る前にこの王印玉璽を妻の一人にあずけようと思っていたのですけれど、それはシンシアどころか他二人の妻にさえ止められ、けっきょく、持ったまま故国への里帰りを行うことになったのでした。


 つまるところ、私が玉璽を持ってここにいる限り、『国家としての決定』はできないのです。


 そして戦争というのは間違いなく国家としての決定であり、それについて私はまったく知らない……


 注目されても困るのです。彼らの視線に応じるだけの情報を、私は持ち合わせていないのですから。


 しかし呑気にしていた私は、シンシアが臨戦体制に入るにいたり、ようやく自分が窮地に立たされていることに気付けました。

 精霊国に攻められている国のど真ん中で無防備に結婚式など行っているのです。

 私は精霊王ですから、精霊国の侵攻を止める切り札たりえますし、今回の件の首謀者とみなされる可能性も充分にありました。


 なににせよ身柄を拘束され、拷問の一つでも受けるかもしれないと、ようやく私は思いいたったわけです。


 だけれどここで私は、常識的に考えました。

『私がこんな、いわば敵陣のど真ん中にいる状態で国にここを攻めさせたら、私が人質にされて精霊国軍は身動きがとれなくなる目算が高いわけだし、さすがに私に責任を問うこともないだろう』と、そのようなことを思ったのでした。


 これはいつもの『逃亡』の一種にほかならないのです。

 私はしばしば『予測』と『願望』の区別をなくし、願望のほうを『当然そうなるべき未来』として思い描くということがあります。


『そうなったらいいな』という未来を、『論理的にも、そうなるべきだろう』というように考えてしまうのです。

 しかし歴史が証明している通りに、私の願望はことごとく叶わず、私を評価する人たちは一人たりとも冷静ではありません。

 精霊王には不思議な力があり、未来を見通し、度胸があり、さらに謎の天運にまで好かれているのだと、そのような評価が世間においては一般的なのでした。


 この勘違いをもとに今の状況を考えると、どうにも精霊国侵攻は最初から私の企図したことであり、現状、ただ黙って人質にされかねない状態に見えるけれど、なんらかの未来を予測した陥穽を仕掛けているものと、そんなふうに評価されるようでした。


 ありえません。


 しかし、無血のまま一国の主になり、『写し目の魔女シンシア』『公爵令嬢ルクレツィア』などを妻に迎えた私は、『ありえないだけに、あの精霊王であれば、やってのけるのかもしれない』と思われる人物のようでした。


 結果として式場は重苦しい空気に包まれ、番をしていた王国兵たちが、高台に立つ私とシンシア、そして巻き込まれたかわいそうな夜神教高位魔術師に槍を向け、しかし攻め寄せることができないという、状況が生まれたのです。


 躊躇(ちゅうちょ)する理由など、ないのです。


 番兵たちはさっさと私を捕らえに壇上にのぼり、そのまま槍を突きつけながら投降を促せば、私はすぐに従ったでしょう。


 シンシアの戦闘力は相当なものではありますが、婚礼衣装は防御力がなく、愛用の杖さえもない状態ですから、私を助け、ここにいる兵たちを蹴散らし……といったまねは、さすがにできないはずなのでした。


 私たちは無力だったのです。


 けれど、奇妙に警戒され、状況が停滞していました。


 状況についていけなさすぎて、私がぼんやりしていたのも、停滞を生んだ要因かもしれません。

 思い返せばこの時の私の様子は、もはや無抵抗で人質になるしかない無力な人物という感じではなく、事態を最初から企図していたがごとく落ち着いた、『精霊のお告げを聞く者』のようにも見えたかもしれません。


 このぼんやりした顔がもたらした影響は、敵対者のためらいと、味方の落ち着きという要素になって表れました。


「お兄様、なにか大変な事態が起こってしまいましたけれど、結婚式を最後までやってしまいませんか?」


 落ち着いたシンシアがこのように述べたのは、いくらなんでも落ち着きすぎだろうと思われるのですが、私は『ああ』だか『うう』だか、いつものあいまいなうめきを返すだけで、それはシンシアの望むように解釈されました。


「そもそも、なぜシンシアたちの結婚を、夜神式でやらねばならないのか、冷静に考えればおかしな話です。お兄様、精霊式の結婚を、してしまいましょう」


 困りました。


 冠婚葬祭というのは宗教的な儀礼なもので、この世界において宗教というのは『昼』と『夜』の神のものだけなのです。

 精霊というのはもともと、これら二柱の神の伝承において悪者とされる『神ならぬ超越存在』のことであり、当然のごとく、冠婚葬祭の儀式など整備されていません。

 私が以前に三人の妻と結婚した式典も、昼神教の儀礼をまねたものだったのです。


 つまり、ここから精霊式の結婚をするために、私は今、この場で儀礼を考えねばならなかったのです。


 私は困り、悩みました。

 そもそも冷静であれば、会場の全員があっけにとられているこの瞬間に逃げ出し、精霊国の方面へと帰るか、あるいは南下して誰も知らない場所に行くかというのが、ここでとりうる正しい行動だったでしょう。

 間違っても敵国と化した場所のど真ん中で結婚のための儀礼など考えている場合ではないのです。


 しかしここでも私の悪癖がいかんなく発揮されていたのでした。


 私は目の前に問題を出されると、それにどうにか解決してほしい、あるいは先送りしてしまいたいあまり、その場しのぎの行動をとる傾向があります。

 その結果、未来に自分を追い詰め、どんどん状況を悪くしていくのが、私が人生を通してわずらっている病気のようなものなのです。


 そして同じように、私はストレスの高い問題を、なるべく直視しない悪癖があります。


 いきなり自分の国が侵攻してきた。公爵が反乱を起こした。わけがわかりません。あきらかに私の手にあまります。

 そんなもの、私にはどうしようもないのです。取り組もうとしただけでそのあまりの重圧に潰され、死んでしまうかもしれない、そういう巨大すぎる問題なのでした。


 そこにもたらされた『精霊式婚礼の儀礼』という課題。


 精神の薄弱な私がその課題に飛びつき、『問題解決のための努力をしているふり』をしようとしたのは、もはや私という人間を振り返ってしまうと、ほとんど必然の狂態なのでした。


 そこで私が呑気に描いていたのは、父に連れられて見た、『精霊にたぶらかされた男の、悲恋の戯曲』なのでした。


 その劇の中で、男は昼神式でも夜神式でもない結婚を交わすのです。


 それは悲恋の結末としての結婚なので、男は精霊の棲まう湖へ沈み、二度と戻らなかった……というのを『精霊との婚礼』と表現しているわけなのですが……


 この『水に沈んでいく』という流れと、目の前にいるシンシアとが、私の中で奇妙に符号しました。


「【洗浄】」


 私は目の前のシンシアに魔術を施しました。


 もちろん婚礼を前に美しく磨き上げられた彼女に汚れたところなどありません。

 しかし、私は『互いを濡らす』というものを、精霊式の結婚の儀礼にしようと思ったのです。そして、その思いつきは特に気の利いた、素晴らしいものだというように確信していました。


 この時のシンシアの表情は、彼女のもっとも美しい瞬間として、今も私の心に焼き付いています。


 なにせいきなり【洗浄】をほどこされたのですからまずはおどろき、戸惑っていました。

 しかし彼女は賢い子ですから、すぐさま文脈から私の行為の意味を悟り、そうして我慢できないように口角を上げました。


 その表情の変化はとてもとても微細なものではありましたが、彼女の常が無表情なだけに、とてつもなく大きな変化として、私には捉えられたのです。


 シンシアが意図を察して私にも【洗浄】をかけると、私の疲れがましになり、ぼやけていた頭がはっきりし、長旅やストレスで痛んでいた髪までもがつやめきを取り戻すようでした。


 シンシアの【洗浄】は回復魔術としても一級品だったのです。

 私は己の体が光り輝いたように錯覚しましたし、それはどうにも、式場にいるほとんどの人もまた、同じように感じたようでした。


 この時のこともまた、おおげさに語られ、『精霊王史』を彩る一ページになってしまっています。


 いわく『精霊式の婚姻は互いを水で濡らすことによって結ばれる。水をかぶった精霊王はつやめき、光り輝き、この世のものとは思えないほどの美しさで、その場にいた者はみなひざまずき、精霊王をたたえた』ということのようです。


 当時、実際には、どうだったでしょう。

 私もシンシアに夢中だったものですから、あたりの様子の記憶があいまいなのですが、さすがにそこまでのことは起こっていないと思うのですが……


 ともあれ私たちの婚礼の儀式はこうして極めて簡素に終了し、愛の言葉を告げることもなく、むしろ、この儀式をした時点でそんなものはいちいち口に出すまでもないのだという雰囲気さえある中、終了しました。


 精霊国はなぜかこの国に侵攻していますが、式を終えた私たちは来賓室に戻され、格子つきの部屋に移されることもなく、そのまま、来賓待遇で扱われました。


 この扱いについて具体的な理由はきっと、ないのでしょう。


 なんとなくそういう雰囲気だったからそうした、という程度のものだったと思うのです。

『現場』には往々にしてこういった『雰囲気による支配』とでも言うべきものがあり、それがのちにあまりに理由がないのにおどろかれ、なんらかのそれらしい理由をこじつけられる、というはめになるのです。


『精霊王』の虚飾に満ちた人生のほとんどが、いわばこの『雰囲気による支配』だったような気もするのですが……


 この当時の私はなんだか無事に済んだ満足感でいっぱいで、自分が遇されている理由について深く考えることもなく、『待っていれば問題のすべてが自動的に解決するのだ』というような願望を推測とみなし、のんびりともてなされるままになっていたのです。


 もはや言うまでもありませんが、もちろん、なにも片付きません。


 先送りにした問題はふくらむのが常であり、逃げ続けた決断はとんでもない速度で追いすがり、私の足をつかむのです。


 この時もっとも早く私の足を引いた問題は、『魔術塔の思惑』でした。

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